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サード・フォース  作者: 寺田 蕗
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知の塔の管理人

馬車は鬱蒼と茂る森のなかを走っていた。ヒトの国から追われているわたしたちを匿ってもらうため、『知の塔』を目指して移動し、もう五日が経った。わたしのまち、ケモノの国の王都クリニエールから何万キロと遠く離れたところへ来てしまった。


「馬車に乗ってばかりで、体中あちこち痛むわ。とくにお尻が」

「それくらい我慢してくださいよ、姫」

「座席が固すぎるのよ、もうっ」

「一般市民の乗る馬車ですから仕方ないです」

「......ルーの膝の上に乗せてくれればいいんじゃないかしら?」


そう言うとルーファウスは眉間にしわを寄せてわたしを見た。


「バカ言わないでください。あなたには女性としての恥じらいも王女としてのプライドもないんですか? 一体どこに軍人の膝に乗る結婚前の王女がいますかね。ハッ、自分で言ってて笑えてきますよ」

「それならここにいるわ」


そう言って横に座るルーファウスに近づくと、かれは鉄壁のガードでわたしの首ねっこをつかんだ。


「なに何気なく近づいてきてんですか! 姫さま、以前はもうちょ〜っとばかり常識的だったし、おしとやかだった気がするのに......」

「じゃあ、旅がわたしを変えたのね」

「かっこつけて言うんじゃありません」


そうして長い移動時間をルーファウスと過ごしていると、馬がいなないた。


「中でイチャついてるおふたりさん! とうとうおれたち、ノースフォレスト地区に入ったぜ!」

「本当に?! 何故分かるの?」

「顔を出して、あれを見てみろよ!」


わたしは窓を開けて、馬車が風を切るのを感じながらあたりを見回した。すると前方に、生い茂る背の高い木々たちからにょきりと伸びる、円錐形の白い塔が目に飛びこんできた。しかし円錐形と言っても、先が尖っているかは分からない。その先は雲のあいだへと消えていたからだ。


「すごいわ! あんな高い建物、見たことない!」


ルーファウスもせまくるしい窓から顔を出してきた。わたしが塔を指差してみせると、ルーファウスはそちらを見て目を丸くした。


「はあ、天まで届くような高さ、あのフォルム......。神の創造物のようだ。あそこに、学問の権威たちが集結しているのですね」

「グノーシスさまもきっといらっしゃるわ。フォッブスとノット、あなたたちのおかげよ。本当にありがとう」

「なに、金を弾んでくれればそれでいいのさ」


馬たちにそう言われて、わたしとルーファウスは顔を見合わせたのだった。







馬車から降りたわたしたちは、知の塔のまさに根元にいる。見上げれば、威風堂々とそびえ立つ巨大な白亜の塔が、空を突き抜けている。階数がさっぱり把握できないが、膨大な量の書物を保管し読むための塔だから、光をとりこめるように丸窓がたくさんついている。そして窓をよけて螺旋階段が巻きついている。


知の塔の根元は、まるで地上の楽園のようだった。草原のように美しい緑がひろがり、花が咲き乱れ、湖もある。虫たちが羽ばたき、歩くたびに芝生が囁く。光のふりそそぐ、おだやかな黄金の午後だ。


「馬たちへの支払いはどうするんですか、レオナさま」

「こうなったらグノーシスさまにお願いするしかないわ」

「レオナさま、落ちぶれましたね」

「うるさい」


子どもは奔放に駆けまわり、年寄りは朗らかに談笑している。老いも若きも、動物もヒトも、みな思い思いの時間を過ごしているが、一人で過ごす者の多くはやはり読書をしている。


「そういえば、グノーシスさまは動物でしょ? どんな姿をしているの?」

「私も知りませんよ。ウェリントン氏に聞いておけばよかったですね」


そう聞いて、わたしは駆けまわっているアライグマの子どもをつかまえて尋ねた。


「ねえ、グノーシスさまを知らない? 探しているのだけど」

「グノーシスさまなら、あそこにいるじゃん!」

「おねえちゃん、どこに目つけてんのぉ?」


するとキャッキャッとはしゃぐチビッコアニマルたちがあちこちからわらわらと大集合して、わたしはあっという間に囲まれてしまった。


「教えてあげたから、いっしょに遊んでくれるでしょ?」

「おねえちゃん、おうたうたって!」

「うたより、おはなしがいいな! 竜のおはなしがいい!」

「おねえちゃんはちょっと忙しいのよ。グノーシスさまとお話してこなきゃ」

「じゃあいっしょに行ってあげる!」


さいしょに声をかけたアライグマの子どもにぐいぐいと手を引かれてついていくとーー。


「グノーシスさま。おきゃくさんをつれてきました!」


たくさん動物たちがいるなかで、その子が声をかけたのは、一羽のふくろうだった。乾いた大きな切株の上で分厚い本を広げている、ちいさな眼鏡をかけたメンフクロウだ。かれはこちらに一瞥もくれず、ホウと鳴いた。


「どなたかね」

「さっきそこではじめて会いました」


子どもがそう言うとグノーシスさまはやっと顔を上げてこちらを見た。


「私は調べものをしているから、きりがついたら話を聞こう。それでいいかな、むすめよ」

「はい。待ちます」


民たちと共に静かに読書をする姿は、かれらから隔離されてきたわたしとは違った。グノーシスはこの地区でもっとも地位ある者のはずだが、かれにとってはそのことは意味あることではないらしい。







先程、塔の最上階にあるグノーシスの書室で、調べもののきりがついたかれと話をした。わたしの素性を明かすと、かれはわたしたちを『知の塔』に匿うことを誓約してくれた。わたしがこの国の王女であることは、かれ以外には勿論極秘だ。


「レオナさま、さっきから何を必死にお調べになっているのですか?」

「あなたには言えないことなの」


わたしには知らないことがありすぎると、城の外へ出てから痛感した。ケモノの国について。ヒトの国について。そして、お父さまについて。わたしは正体不明の男からの耳打ちを忘れてはいなかった。かれはケモノの国の王家が『滅びしもの』を匿っていると言った。王家とは、勿論わたしたち家族のこと。お父さまとお母さまが、一体何を「匿っている」と言うの? 滅びたものというと、それはつまり動物の或る種? それとも、ヒトの或る民族? それとも、抽象的な概念か何か?


「わが国とかの国の歴史については、幼少の頃から学んでこられたでしょうに」

「今、わたしが知りたいことはこれまで覚えさせられてきた知識のなかには無いの」


わたしたちは知の塔の最上階近くにある、歴史書が保管されているフロアで本を読み漁っている。書架が所狭しと並べられ、多種多様な観点から研究された歴史書が何百万冊とあるから、これを全部読むとなると数十年かかるだろう。これかも、と思うものを選び取るしかない。わたしが今手に取っているのは『ケモノの国歴代君主』第156巻だ。若い頃のお父さまに関する記述がある。


「私もその調べものの手助けができないでしょうか」


ーールーファウスに言ってもいいだろうか? 得体の知れない男からの、信憑性の低い情報だ。


「私に隠しごとなんて、今まで無かったじゃないですか」


たしかに、ふりかえってみればルーファウスに大きな隠しごとはしたことがないかもしれない。かれには何でも話してきた。ほかの誰にも話せない家庭教師のわるくち、お母さまに内緒で化粧道具を拝借したこと、11才のときには生理が始まったことまで。


わたしはかれに打ち明けてみることにした。


「......あの戴冠式の夜のこと、覚えてる?」

「戴冠式というと、私がレオナさまと王妃さまの護衛を兼任していて、レオナさまをつきっきりで見ていられなかった日ですね」

「そう。あの夜、焚き火が一瞬消えて、真っ暗になったでしょう。あのとき、わたし、誰かからこう耳打ちされたの。ケモノの国の、王家が......」


かれと隠しごとを共有しようとしたそのとき。軽い咳払いが響いて、わたしは口を閉じた。


「......お話中、すみません。グノーシスさまが、もう一度あなたをお呼びです」


一匹の若い山羊が、書棚のそばにおずおずとして立っていた。ーー話を聞かれていたかしら?


「そう。また、かれの書室へ行けばいいの?」

「はい。中でお待ちしているそうです」

「分かった、行くわ。......ルー、話の続きはまたあとで」


ルーファウスは不服げな顔をしていたが、わたしは席を立った。







ルーファウスは書室の外で待たせ、わたしは書室に入ったが、部屋の主人は不在だった。先程呼ばれたばかりなのに、急用でもできたのだろうか。


わたしはひとまずここでかれを待つことにした。書室は広く、四方の壁を本棚に囲まれ、机がひとつぽつんと置いてある。その机のうえに一冊の本が置かれているのがわたしの目についた。その本の表紙の絵がとても美しかったからだ。ひとつひとつの鱗までこまかに描かれた二匹の竜が、互いに絡み合っている。その昔話のタイトルは、『ふたごのりゅう』。絵本をグノーシス様が読むなんて。


わたしはその本を手に取った。パラパラとめくってながめた絵は美麗で、単なる子ども向けの絵本じゃない気がして、ストーリーも読んでみようと思わせた。読んでみると、ふたごの兄弟の、かなしい話だ。


話はこうだ。竜とヒトのあいだに、ふたごが生まれた。ヒトの国で忌み嫌われるふたごは、生まれてすぐにどちらか殺さなければならない。さて、兄と弟どちらを生かし、どちらを殺す? 同じ見目では選べない。山に捨てるか、業火で焼くか、煮て食うか。片方が生きのこりとして選ばれると、もう片方は殺されるはずだった。しかし、もう片方をかわいそうだと思った処刑人に、命を救われた。二人は同じ顔をしながら、まったく別々の道を歩んだ。親から愛された一生と、親から捨てられた一生を。


「おもしろかったかい?」


夢中でストーリーを追っていたわたしは、窓辺にとまる一匹の梟に気がつかなかった。


「グノーシスさま。......おもしろいというか、せつないお話ですね」

「それはおとぎ話ではないぞ。昔本当にあった話だ。だから昔話というのだ」

「大昔、竜のいた時代の話ということですね」

「いや、それは違う。竜は今も、この国のどこかで生きている」

「そんなまさか」


竜は滅びたと言われて久しい。グノーシスの話はにわかに信じがたい。


「私は竜が現代に生きていることを知っている。私はかれと会って話をしたからな。そして、私はかれに協力すると決めた」

「......何をおっしゃっているのですか?」

「レオナ、きみに謝罪しておくよ。私がかれらを呼んだのだ」


グノーシスがそう言うのと、それは同時だった。


「レオナさま!!」


突如、窓ガラスが砕け散り、ドアが蹴破られた。いくつもの足音が部屋中に響く。押し寄せる、武装した軍人たち。


入ってきたルーファウスの腹部に、何か突き刺さっている。それは弓矢だ。誰かがつんざくような声で叫んだ。


「レオナ・レオポルドを生け捕りにしろ!!」







ーーいつのまに、囲まれていたの。どうして、ヒトの国にわたしの居場所がバレているの。




白い鳥の羽が一枚、窓辺に落ちている。






「ルー! 血が、血が......」


ルーファウスは腹から血を流したまま、すばやく剣を抜いてわたしの前に立った。ルーファウスはたった一人で、取り囲む三十人程の剣士と睨み合う。逃げ場はない。


けれどわたしはこの緊張感のなか、何か違和感のようなものも感じていた。ーーかれらは、本当に、ヒトの国の騎士たちなのか? ヒトの国の王家の印である、薔薇の旗を掲げていないのはなぜ? 剣や盾に薔薇のエンブレムが刻まれているはずなのに、なぜ無印なのか?




一瞬だけ先に動いたのはルーファウスだった。壁際の一人を斬りつけたとき、息つく間もなく襲い来る二人目の攻撃を避けたが、避けきれず剣が腕をかすめて血が飛び散った。ルーファウスはかれの心臓を一突きし、三人目の攻撃を避けながら、かれの腹を刺す。


そして割れた窓から、ルーファウスはわたしを力任せに塔の外へと押しやった。ルーファウスは、四人目の剣士に背後から切りつけられた。鮮血が飛び散る。すべてがスローモーション。


「レオナさま、お逃げください......」


わたしはくずおれるルーファウスから目をそらせないまま、窓から外へと放り出された。窓ガラスで足や腕を切ったが、痛みなど感じない。それより室内に残されたルーファウスのことしか考えられないが、同時にわたしたちのいる場所の高さに、圧倒される。わたしは霧のような雲海のなかにいて、塔の壁に沿って巻きつく螺旋階段へと出ていた。この階段の、何と細いことか。


「外にいるぞ、捕らえろ!」


階段の下方から剣士たちが駆け上がってくる。逃げなくちゃ、と足を踏み出したのが、いけなかった。わたしは咄嗟のことで足を滑らせてしまったのだ。一瞬のうちに、わたしの体は宙に浮いた。






「っレオナさま......!!」


辛うじて、わたしは階段のふちに掴まった。この手を離せば真っ逆さま、手を離さずとも敵が迫り来る。この両手だけで全体重を支えるのは、かなり、相当、心底キツいーー。自力では上がれそうにない。


「ルーっ......」


ルーファウスは助けに来れないのだ。絶望が襲い来る。


火事場の馬鹿力も尽きそうだ。左手が離れてしまう。敵が階段を駆け上がってくる足音がもう近くまで来ている。




指先が痛い。右手が痛い。右腕が痛い。






もうダメだーー。




わたしは塔の頂上から、落下していた。

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