地下牢に隠された禁秘
暗闇のなかで正体不明の動物は、王家が『滅びしもの』を匿っているとわたしに耳打ちした。何らかの意図を持って。他の誰でもなく、王のむすめであるわたしを選んで。わたしはかれの刺激的な台詞にすっかり囚われた。
宴が終わり夜も更けたいま、わたしはベッドをこっそり抜けでて、ここへ来た。レオポルド城の最下層、地下にある牢獄へ。
かつてこの牢獄には王への反逆罪を犯したものなどが収監されていたらしい。現在では囚人たちはみな北の孤島にあるヘイディーズ刑務所に拘留されているが、かつてはここが王家専用の牢獄だった。
手元のランプの灯を頼りにして、一番牢、二番牢、と数えながら進んでいく。
ーーここだ。素性のわからぬ獣が、秘密部屋が存在するとか言っていた十三番牢は。
角にある十三番牢は、他の牢と何ら変わりはなかった。埃っぽくて、臭くて、汚れている。とくに目立つのは壁や床にある無数の爪痕だ。ここに収監された動物のものだろう。
鍵もかかっていなかったため、鉄格子の扉を開けて牢へ足を踏みいれた。ランプをかざすとその生々しい爪痕に目を奪われる。狂気にのまれて暴れ回ったのか、懲罰に苦しみもがいたのか、退屈だったから爪とぎしただけなのか分からないが、そこら中にある。狭い個室を眺めていると、わたしはここに似つかわしくないものを発見した。
何だか可愛らしい動物の肉球だ。手形なのか、足形なのかは分からないが、壁として積まれているブロックのうちのひとつに、目立たずこっそりとそれは刻まれたという気がした。もしかしてこの動物の手形は、王家の印であるライオンのこどものものではないか?
「レオナさま。お戯れはそこまでに」
声のほうへ振り向くと、ルーファウスが牢の前に険しい顔で立っていた。
つまりは、すでにわたしの寝室からここまでこそこそと隠れて尾けてきたということだ。ーーそんな必要はないのに。
「堂々と隣を歩いてついてくればいいのよ」
ルーファウスは目をそらし頬を掻く。
「......男と密会でもされるのかと思いまして。ですがそれは私の誤解だったようで。こんなところに、一体何の用でいらしたのですか?」
男と密会? そんなことをする間柄の男はわたしには一人もいないことくらい、あなたなら分かっているでしょう。
ーー何だかルーファウスの顔を見るとむかむかするわね。さっきキスを拒まれたからかしら?
わたしは強気に言った。
「誤解ではないわ。かれはもうすぐ来るの」
あの密告が悪戯じゃないとすれば、隠し部屋でかれがわたしを待っているのかもしれないもの。いま言ったことは嘘じゃない。
わたしがよく読む物語では、秘密の部屋を開けるには古代の言葉で呪文を唱えたり、他の者にはそれとわからないスイッチが存在したりする。
う〜む。王家の証としても用いられるライオンの手形がこんなところにあるのは不自然だ。明らかに、怪しいーー。
「......もしかして騎士長のチャールズ・ボールドウィンですか?」
「え? 何が?」
「だからレオナさまが待っている相手です」
「は? 違うわよ」
「ですが、さいきんお二人で談笑しているのをよく見かけますし、かれの隊の稽古を窓から眺めていらっしゃることもあるし、それに先程の前夜祭でも一緒に踊っていたじゃないですか?」
「わたしはオオカミは好まないの」
「本当ですか? あんなに熱く見つめあって、体を密着させて、ボールドウィンの前足がレオナさまの腰に......」
ーー何だかルーファウスの言い方がいやだ。
「そうね、かれはわたしのことを好いているかもしれないわ。......けれどそれがなに? 一国の王女にふさわしいオスを選ぶのはお父さまよ」
明日成人するわたしは、もうすぐ好きでもない男と結婚することになる。
現実を忘れられたなら。決められた未来を変えられたなら。
ルーファウスはまっすぐわたしを見つめる。その榛色の瞳の中で、ランプの灯がゆらゆらと揺れているのが綺麗だと思った。
「......レオナさま。結婚相手を選べないとしても、政略結婚だとしても、あなたは幸せになってください。私は専属護衛として、いつまでもあなたのそばにいてあなたを守ります」
そのルーファウスの言葉が、わたしにかれの襟首をつかませて、叫ばせた。
「そんなことを言うなんて......ルーは卑怯よ! わたしは、わたしはこんなにあなたを......!」
ルーファウスはわたしを冷たく突き放すこと、分かっているのに。ーーまだ学ばないの?
「こんなにあなたを、あ......、愛しているのに!!」
気づくとわたしはそう叫びながら、ルーファウスを壁に叩きつけていた。
「......!」
ルーファウスは突然の衝撃に目を丸くしたまま、何も喋らない。そして同時に、後ずさっていくーー。
わたしは途端にわれに返った。ルーファウスがさすがに引いてるじゃない! 好きなひとを壁に叩きつけるなんて、慎しみある淑女のやることじゃないわ!
「......こ、これはどういうことですか」
「ごっ、ごめんなさい! 感情に任せてあなたを......」
「違います、この壁は......」
ーー壁が、動いている。ルーファウスが後ずさっているのではない、壁ごと後ろに下がっているのだ。
十三番牢の壁がまるで扉のように開いたかと思うと、奥に空間が現れた。
空間は暗いが、かなり奥まで続いているようだ。
「これは通路、ですか......?」
微風が扉の向こうの闇へ吸いこまれている。どこかへ繋がっているのだろう。
ルーファウスが壁の前からどくと、壁のあるひとつのブロックが青く発光していた。ライオンの手形のついているものだ。
「本当に城にこんなものがあるなんて......」
前夜祭で会った獣の言ったことは本当だった。悪戯ではなかった。『滅びしもの』の正体が分かるかもしれない。この先に秘密部屋があるのかもしれない。
「すごいわ! ルー、付いてきなさい......、ん?」
そのとき、頬に何かなまあたたかいものが当たった。これは液体だ。
拭った手を見るとーー、赤黒い。
「血......?」
「地上階から滲みでているようです。......悪い予感は当たるものなのかもしれないですね。早くここを出ましょう」
血みどろの上階を想像してぷるぷる震えていると、地下へカツンカツンと階段を降りてくる足音が聞こえてきた。こんな夜中に一体誰がーー。
「ここは牢屋か......。残りはここだけだ、すみからすみまで探せ!」
低い男の声が響いてきた。こんな声の動物を、わたしは知らない。甲冑のガチャガチャ動く音があたりに響く。
ーー侵入者だ。
「あとは王のむすめだけだ! 探して捕らえろ!」
甲冑が散らばり動き回る音が地下に響く。
ルーファウスが声を落として言った。
「すでに城は侵入者に占拠されつつあるのかもしれません。......非常事態だ」
「どうしましょう、お父さまとお母さまは......」
もう捕らえられてしまったの? もしかしてすでに、殺されてしまったーー?
「この通路はどこかに繋がっているようです。これしか、逃げ道はない」
ルーファウスがわたしを隠し通路へ追いやる。
「城を捨てるの?! いやよ!」
「ひとまず避難するだけです。あなたの命が最優先ですので」
「わたしはいつもお父さまとともにあるのです! 生きるときも、死ぬときも!」
「いまは私の言うことを聞いてください」
言い合っていたとき、知らない声がすぐ近くで叫んだ。
「いた! 姫はここだ!」
一人の武装した男に見つかってしまった。かれは仲間に呼びかけて、剣を構えた。
騎士とルーファウスはしばし睨みあい牽制しあっていたが、相手のほうが先に動いた。敵は一気に距離を詰めてきて剣を振りかざすーー。
しかし、ルーファウスのほうが俊敏だった。騎士の攻撃をひらりと交わし、剣を鞘に収めたまま騎士の首を一瞬のうちに峰打ちした。とたんに騎士は重力に負けて崩れ落ちる。
「もう時間がない。とっとと逃げますよ」
ルーファウスはひょいとわたしを肩に担ぎあげた。
「お父さま......!」
「ライオネル王はきっと無事です。あんなにお強い方がそう簡単に死ぬわけがない」
ルーファウスは隠し通路に入ってから、発光するブロックを指で押した。
すると再び扉が閉まりはじめた。ルーファウスはまるで勝手を知っているようだ。通路を急いで走り抜ける。
だんだんと遠ざかってゆく扉は完全に閉まり、光は消え去った。追手の来る様子はなかった。
わたしはただルーファウスに身を委ね、15年を過ごした家から逃げた。これがわたしたち二人の旅の始まりだった。
ここまで読んでくれたあなた様ありがとう♡