ふたごのりゅう
主を身を呈して守ったルビーは、左胸に鈍い光を放つ刃が突き刺さったまま、力を失い、ゆっくりと頽れてゆく。その背後でジェフは、何が起きているのか分からないかのように、呆然と立ち尽くして自らの護衛人が冷たい床に倒れ臥すのを目の当たりにしていた。
「クソ王子!! 逃げろ!!」
ルーファウスがジェフに叫んだ。
そうだ、ルビーがその命をかけて守ったジェフを、死なせるわけにはいかない。
ルーファウスはルビーの代わりにジェフを守ろうと、自らの剣を抜いた。一瞬の内にルビーを斬り殺した、まるで浮浪者のような風貌の男は、自分に剣を向けるルーファウスを一瞥すると、不自然に笑って呟いた。
「兄様と少し遊んでみるのも、悪くない」
男はルーファウスに刃の切っ先をす、と向けた。いやにあっさりと殺しのターゲットを変えた。ヒトの国の第一王子から、一介の護衛人に。
すぐに激しい戦闘が始まった。
戦闘には役立たずのわたしは、二人の繰り広げるバトルをただ見ていることしかできない。二人の剣さばきは、今のところほぼ互角だ。パワーも、スピードも、拮抗しているように見える。
ーールーファウスでさえ、手こずる相手。
ここはヒトの国の騎士たちに援護を頼みたいところだが、立派な軍服を身に纏う騎士たちはみな、二人の戦闘を呆気に取られたように見ているだけだ。王様を失ったヒトの国はすでに崩壊したも同然で、それでは一体何のために戦うのか分からないし、もしくは誰もあの男には勝てそうにないと思っているのかもしれない。それくらい、二人の動きは素早く、攻撃は重く、隙が無いのだ。
「このときを待っていた......。今まさに、大陸の歴史が大きく動いているのだ......!」
そのとき、すぐ近くで聞き覚えのある鳴き声がした。わたしはハッとしてふりかえる。
「グノーシス!!」
「むすめよ、いま何が起こっているのか分かるか?」
まっしろなメンフクロウが破壊された壁の破片に留まって、男とルーファウスの戦闘を見物している。グノーシスはまたホホウと鳴いた。
「いま歴史は、寸分の狂いも無く、まさにヒスイのシナリオ通りに動いている。ヒスイがここに来た目的は、ヒトの国の王を殺し、王子を殺し、ヒトの国を完膚なきまで壊滅させること。......この状況なら、王子の殺害も容易いだろう」
第3勢力の首領、ヒスイ。それが男の名だ。そして、かれの政治思想に賛同する、知の塔の管理人グノーシス。
そのとき、どこからか遠くで、女性の叫び声が聞こえた。それを合図に、外がだんだんと騒がしくなってきた。
「むすめよ、この城が落ちるのも時間の問題だ。サード・フォースの構成員たちが乗りこみ始めている」
敵はいつここまで辿り着くか分からない。もしかしたら、それほど時間はかからないかもしれないーー。
足が震えているのが分かる。緊張と、恐怖で。
「そして、ヒスイにはもうひとつの重要な目的がある。かれは、自分の片割れであるルーファウスの最愛のひとであるきみを、かれの目の前で殺すつもりだ。きみを捕らえようと探し回っているヒトの軍人が、きみを殺害したという筋書きで」
わたしを、殺す。
ルーファウスの、目の前でーー。
「ヒスイはルーファウスを憎んでいる。同じ両親のもとに、同じ場所で、同じ顔をして生まれたのに、かれらは全く異なる人生を歩んできた......」
グノーシスは物語るのをやめない。
そのとき、ルーファウスの剣が、ヒスイの顔をかすめた。目を覆い隠していたボロ布が切れ、はらりと落ちる。
わたしは、その顔を見てハッとした。それはその顔がルーファウスとそっくりだったからじゃない。露わになった両目だけは、ルーファウスと違い、とても奇妙に、というかグロテスクにーー。
「ヒスイは幼少の頃、ヒトに両の眼球を潰された。ひどくいじめられていたのだ。だから目は見えぬが、竜としてのそれ以外の感覚が非常に優れているから視力を補っている」
ルーファウスはその目を見て、立ち尽くしている。ヒスイは攻撃をやめた。ルーファウスに語りかける。
「同じ血を分けた我が兄様。ずっとあなたの噂に耳を澄ませていた......。あなたは今、幸せなのでしょう。この姫様と出会うことができて」
ヒスイが初めてわたしを見た。と言っても、盲目だから気配を感じ取っているだけだろう。
「......そろそろ、かのじょにあなたの秘密を明かしたっていいのではないですか? 兄様が決して知られないよう、悟られないようにひた隠しにしてきた『醜い』部分を見せて、かのじょに受け入れられたくはないですか?」
「おまえが何を言っているのか分からない」
ルーファウスがそう言ったときには、すでにヒスイの姿はそこに無かった。その代わりに、伝説やお伽話のなかに存在するだけだと思っていた巨大な黒い竜がそこにいて、その太く長い尻尾をふって、いとも簡単にルーファウスの体を吹っ飛ばした。ルーファウスは王の間の壁を破壊し、めりこんだ。
「畜生ッ......」
「ルー......!!」
ルーファウスは壁からすぐに立ち上がったが、ひどく負傷している。頭から血を流しているし、左足がおかしな方向に曲がっているのをボキボキ言わせながら無理やり元に戻している。竜は回復力が高く、少しの傷くらいすぐ直してしまうらしいが、痛みを感じるのはわたしたちと変わらないはずだ。
「ルー、変身して.....!! じゃないとまた......」
「レオナさま、ジェフと共に今すぐお逃げください!!」
ルーファウスは無謀にも、ヒトの姿のまま巨大な竜に剣を向け、そう叫んだ。けれど、わたしはーー。
「そんなの、いやよ!!」
「こんなときにバカ言うな、このバカ姫!!」
竜が口から炎を噴く。ルーファウスは壊れた壁の大きな破片の後ろに回って火を防ぐが、みるみる壁が熱で溶けてゆく。溶けきるのは時間の問題だ。
「立場を自覚しろと常々言ってるでしょう! ケモノの国の姫であるあなたがこの城で殺されれば、もう両国間に平和は訪れないのです! 両国はますます憎み合い、大戦はひどくなる! はやく王子と共に逃げるのです!!」
ーーそうだ、ルーファウスの言うとおりだ。わたしはケモノの国の次期女王だ。幼い頃から国のために働くよう教えられてきた。国民のことだって、大切なはずだ。
それなのに、なぜ、わたしはーー。
自分の心の声に、どこまでも素直でいたいと、思ってしまうの。
わたしは叫んでいた。
「わたしは、王女という立場にふりまわされるのは、もうやめたの!!」
「は!? 何言っちゃってんですか!? とうとう頭が狂ったようですね、王女さま!!」
わたしがそう叫んでも王女さまと呼ぶなら、もう少しわたしに対して口を慎んでくれてもいいんじゃなかろうか。
「いいから聞いて、ルーファウス。この大陸を旅して、怖い思いをたくさんしたし、大変なこともたくさんあったわ。でも城に籠っていたときと比べたら信じられないくらい楽しいこともたくさんあって、自分が生きていることを実感したわ.....! わたしは自由でいていいんだって感じてしまったの!!」
ルーファウスの盾となっている壁は熱でどんどん溶けてゆく。わたしはこんなときに何を口走っているのだろう。
「認めたくないけれど、国と国民のことは、どうやらわたしにとって二の次のようだわ。だって今、どうしてもあなたを置いて逃げることができないの。わたしにとっていちばん大切なのは、優先したいのは、あなたなの! ジェフとの結婚を迫られたとき、そう悟ったわ。何もできない役立たずだけど、今あなたを置いて行けないわ!」
竜の吐き出す炎の火力は強い。王の間に広がる熱で頭がぼうとしているからか、わたしはそんなことを叫んでいた。
「......ならば言います。あなたが次期女王ではないとしても、今ここで殺されてはいけない。私があなたを失いたくないからです。......だから、たまにはおれの言うこと聞いて、はやくここから逃げろ、レオナ!!」
ーーそれでも。それでも、かれから離れたくないと、離れちゃダメだと、わたしは思う。
「それならわたしも言わせてもらうわ。わたしは絶対に今ここでは死なない。......だって、あなたが必ずわたしを守ってくれるから!!」
そう叫んだ瞬間、ルーファウスの姿は消えていた。わたしの目の前にいるのは、二頭の巨大なふたごのドラゴンだ。
竜は炎を吐き散らし、咆哮した。
攻撃を繰り出すのは早かった。たちまちルーファウスはヒスイに掴みかかった。首筋に嚙みつこうとしたが、逆に大きな翼で勢いよく叩きつけられた。
「ルー!!」
ルーファウスの巨体が、壁に思いきり叩きつけられた。その衝撃で、壁は崩壊し、王の間がみしみしといやな音を立てる。そして息つく間もなく、天井と巨大なシャンデリアが重力に従って落下を始めた。真っ逆さまに、頭上に落ちてくる。
ーーもう、逃げられない。
わたしは目を閉じた。
大きな揺れと、まるで爆発のように耳をつんざく、シャンデリアのガラスが粉々になる衝撃音。
それなのに、どこにも痛みを感じないのはなぜ?
「......レオナさま......」
その声にゆっくりと目を開けると、まるで黒曜石のように輝く鱗が目の前にあった。竜がわたしに覆いかぶさっている。落下した天井とシャンデリアから庇ってくれたのだ。ルーファウスはとても苦しげに、呻いている。
「ルー、わたしのせいで......。痛むでしょう。もう戦いたくないでしょう......」
わたしはルーファウスの鼻先をぎゅっと抱きしめた。愛おしいひとが傷ついているのを見るのは、どうしてこんなに悲しくて、胸がつまるの。わたしが代わってあげられたのならと、叶わない願いを抱く。
「ルー、もう戦わなくていいのよ。あなたが傷つくのを見ていられない......」
視界がぼやける。わたしはただの泣き虫の子どもに戻ってしまったようだ。
視界のすみに、ジェフの姿がある。かれは無事だ。床に座りこみ、ルビーの亡骸を抱いていた。まるで魂だけ抜けてしまったように愕然として、声も出さずに涙だけがはらはらと頬を流れ落ちている。ーーにやりと笑う顔が、いちばんかれらしいというのに。
「わたし、不思議なの。どうしてヒトは、悲しいとき涙を流すの? 一体どういうメカニズムなのかさっぱり分からない。ちょっと辛いことがあっただけですぐに泣く、こんな自分が嫌いよ......」
全身傷だらけのルーファウスが泣かずに、わたしが涙を流すなんて。こんなもの、煩わしい。目をごしごしこするのに、涙は堰を切ったように流れ落ちる。
するとルーファウスが言った。
「......それはきっと、私の代わりに泣いてくださっているのでしょう。どんなに悲しいことが起きても、竜は泣くことができないから。......私が傷つくほど、あなたが泣いてくれるというのは、何て......」
そのときルーファウスは、ふっと息を吐き出した。まるで笑ったかのように。
「レオナさま......、あなたの涙を、私のものにさせてください」
するとルーファウスはその熱い舌で、わたしの溢れ出る涙をぺろりと舐めとった。
「痛みくらい、耐えられます。あなたを守るためなら、戦えます。だから、私に『勝ちなさい』とだけ、命令を」
ルーファウスの言葉は、わたしのハートに活力を注ぐ。
わたしはかれの鼻先を優しく叩いた。
「ルー! あなたと二人で、旅の続きがしたいの。だから生きて勝ちなさい!!」
そう叫ぶと、ルーファウスは巨大な翼をはためかせて、わたしのもとを飛び立っていった。
そしてその勢いのまま、ヒスイに突っこんでいく。お互い掴みかかり、衝突し合い、城を破壊し、死闘を繰り広げる。わたしは糸がはりつめたような緊張感と共に、かれの勝利を祈るーー。
しかしヒスイはルーファウスの首を執拗に狙い、力に任せて嚙みつこうとしている。ルーファウスは身をよじらせるが、ヒスイの鋭い牙が、ルーファウスの首筋をとうとう捕らえようとーー。
「ルー、危ない!!!!」
バンッーー!!!
刹那、耳をつんざく発砲音が響いた。わたしは音の方をばっと振り返った。ジェフが、ルビーの亡骸を抱きしめながら、ルビーの懐にあったピストルをヒスイに向けていた。
ヒスイは苦しげに咆哮した。どうやら鱗に覆われた体の唯一の弱点である、かれの見えぬ眼に当たったようだ。
ルーファウスは、ジェフとルビーが与えてくれたチャンスを逃さなかった。
息つく間もなくルーファウスは自分の体に絡みつくヒスイの尾に噛みついた。ヒスイはひときわ大きく苦しげに吠える。そしてルーファウスはヒスイの脇腹に噛みつき、すぐに右前足を噛みちぎった。ヒスイの血と肉片が王の間に飛び散る。
ルーファウスはその勢いのまま、もがき苦しむヒスイの首に噛みついたかと思うと、鋭く尖った牙で、ぎちりと音がするまでに獰猛に首を噛みちぎった。
王の間に飛び散る血飛沫。そして、赤い絨毯のうえをごろごろと転がる巨大な竜の頭ーー。
ルーファウスは勝利の雄叫びをあげた。そして、わたしを背中に乗せると、ピアース城から飛び立とうと翼を上げる。わたしは落とされないように、ひしとルーファウスの背にしがみついた。
竜が地を蹴り、わたしたちは飛び立つ。頬に感じる冷たい風と夜の空気。星空に届くまで、何度も翼をはためかせるーー。
「この歴史は封印されることとなろう。......つまらない結末だ」
わたしたちは飛び立ってしまったので、残されたフクロウの呟きや、ジェフのその後を知らないままだ。
ルーファウスとわたしは、今、世界の果てへ向かって夜空を飛んでいる。




