もしも書籍化作家が円卓の十二使徒と呼ばれるVRゲームがあったら
その一言に、その場を囲む全ての人間の心臓が凍り付いた。
「ねえ、私達の書いているネット小説って意味あるのかな?」
そう発言したのは、一人の女だ。
ピンク色の長い髪をツインテールにして、黒いゴスロリ風のドレスを着ている。
「突然何を言い出すんだ、第九使徒――乙女ゲーの黒薔薇愛花先生。この前も続刊決まったと嬉しそうに言っていたばかりじゃないか」
怪訝そうに問うのは、円卓の反対側に座る男だった。
中世の騎士風の鎧に身を包んでいる。
その胸にはナンバー8と刻まれていた。
「そうよ、お姉さま。仮にもネット小説作家の頂点たる使徒の一員が、そんなことを言うなんて。軽はずみな発言はおよしになって」
更に一人がたしなめる。
きりっとした美貌、それを引き立てる白と黒のツートーンのドレスの女だ。
ナンバー10と書かれた小さなプレートが、ドレスの右肩の辺りで光る。
黒薔薇愛花と呼ばれた女は、二人の顔を交互に見る。
双方ともよく知っている。
鎧の男は第八使徒――チートバトルの桂エドウィン、ツートーンドレスの女は第十使徒――悪役令嬢の白夜セリーヌだ。
序列が近いこともあり、二人とは仲が良い。
"本来なら、この二人に相談してからの方が"
だが、愛花は迷わなかった。
迷って済むような段階はとうに過ぎている。
「ごめんね、変なこと言って。ただ最近執筆していても、思うことがあるんだ。私、いつまで小説書いているんだろうなって」
愛花はうつむいた。
「話してみて、お姉さま」と白夜セリーヌが促す。
その言葉に背中を押され、愛花は重い口を開いた。
「ネット小説書き出したきっかけって、すごく些細なことだったの。昔からちょっと小説家って憧れてて、でも実際書くのは大変そうだからと思ってたの。ネットで小説書けると知ったから、軽い気分で始めたんだ」
「ああ、俺もそんな感じだな。創作してる時は、会社であった嫌なことも忘れられたし」
桂エドウィンが同意する。
その青い目は、日本人にはあり得ない色だ。
「そうだよね。最初は小説なんて書けるかなって思ってたけど、実際やってみたら楽しかったの。物語の中では、私が好きに世界を組み立てられる。それを人に読んでもらえて反応があって、楽しいなって思えたの」
「分かりますわ、お姉さま。ネット小説って、物語を通じて人と触れ合う楽しさがありますものね」
その凛とした美貌を輝かせながら、白夜セリーヌが微笑んだ。
愛花にはその笑みが眩しい。
「うん。そうなの、それはとても面白かった。昔から乙女ゲー厶好きだったから、異世界転生の乙女ゲーものばっかり書くようになって。たまたま『私の王子様は白翼の天使騎士 ∼乙女ゲー厶は永遠に終わらない∼』が書籍化して、自分の本が本屋さんの棚に並んだ時は本当に夢かと思ったわ」
そう、あの時は嬉しかった。
それもとてつもなくだ。
商業ベースで自分の作品が出版され、書籍という形で手に取ることが出来る。
愛花の今までの人生で、最高の瞬間の一つだと言ってもいい。
あの瞬間がずっと続けば……いえ、それは考えないでおこう。
「あれがもう一年前になるのよね。書籍化をきっかけにして、書籍化作家の人達と話すようになって。売れっ子作家で選抜される十ニ使徒の一人にも選ばれて……夢のような経験をさせてもらった」
ぽつぽつと黒薔薇愛花は語る。
視線が落ち、白いニーハイに包まれたほっそりした足を捉えた。
VRの世界内のこの足は、現実の自分のそれとは違う。
ちくん、と痛みが胸に走った。
「ネット小説を執筆することに、疑問なんて全然無かった。自分が好きな乙女ゲー厶の楽しさを、皆も読んで味わってくれたらいいな。そう思って、筆を執っていたのね。だけど」
気が付かなければ良かった。
でも、現実は時として残酷であることを、愛花は知っている。
いや、知ってしまっているという方が正しいか。
「本屋さんに行って、ふと気が付いたのよ。私達が書いているライトノベルって、世の中に出回る本の中のごく一部に過ぎないんだなって。私がよく行く本屋さんは入り口近くに、ベストセラーが平積みされていて、その隣に雑誌がディスプレイされてるのね。普通のハードカバーの本や文庫がその隣」
これを言ってもいいのか。
ためらいが愛花の胸に沸く。
それでも、今さら止められない。
「奥の方に漫画があって、その横にライトノベルが並べてあるのね。本屋さん全体の本の量からしたら、ラノベってごく僅かに過ぎないんだなあって思って。それもあんまり目立たない場所に置かれちゃうような、そんな存在なんだなってね」
「それは、まあ、そうだね」
「大体どこの本屋さんでもそうですよね」
桂エドウィンと白夜セリーヌが顔を見合わせながら、愛花に同意する。
それを確認しながら、愛花は更に口を開いた。
「ベストセラーの作家さん、つまり江坂公太郎先生、西野景悟先生、音田録先生たちの作品は、みんな知っているじゃない? ごく普通の日本人なら、五割以上は名前は知っていると思うの。でもラノベだと……今のところ無理よね」
反論は無かった。
円卓全体の雰囲気が重く沈む。
そのどんよりとした空気を作り出したのは、間違いなく黒薔薇愛花――自分自身だ。
「そう思うと、自分の書いているものに自信が持てなくなってきたのよ。いえ、そうじゃない、自分自身にも」
それは最初は小さなヒビに過ぎなかった。
だが、放置しておいて勝手に塞がるようなものでもなかった。
「前に話したかもしれないけど、私、今年で三十三歳になるんだ。会社ではお局さまって陰口叩かれてるの。同級生のSNSには、お子さんの成長ぶりや結婚の報告がアップされていて……なんか、そういうの見てるとね。時々すごく辛い」
「お姉さまっ、ダメよ。人にはそれぞれの幸せがあるって、この前言ってたじゃない」
「ありがとう、白夜ちゃん。でもやっぱり、比較しちゃうのよね。書籍化作家っていっても、所詮世間ではオタクの代表くらいにしか思われないんだろうなとか……ほんとの幸せって何なんだろうなとかね」
白夜セリーヌにとって、黒薔薇愛花は尊敬の対象であった。
同じ女流作家として、この『小説を書きたい!』からデビューした同胞意識もある。
だからだろうか、愛花の悲痛な告白は他人ごととは思えない。
「ど、どんな本にだって、それぞれの価値があるではありませんか。私だって、リアルでは一介の大学院生に過ぎないです。女で院生ってだけで、企業からは採用に二の足踏まれたりもするんです。それでも……伝えたいことがあるから、筆を執っていて」
声がくぐもる。
元来セリーヌは口が達者な方ではない。
言葉にしたいことが、上手く出てこないことに苛立つ。
そんな彼女を見かねたのか、桂エドウィンが助け舟を出した。
「思い詰め過ぎじゃないのかな。俺もさ、今年で三十歳になるんだよね。彼女もいないし、もちろん結婚の予定もない。家で執筆してる時に、俺って何やってるんだろうなと思うこともあるわけ」
「ダメじゃないですか、チートバトルのナンバー8なのに。この前言ってた合コンにも失敗したってことですか」
「うるさいな、悪役令嬢のナンバー10が。自分こそ、コミュ障過ぎてまともに会話が続かないってこぼしていただろう。いや、まあそれはともかくさ」
コホン、と桂エドウィンは咳払いする。
周囲からの視線を感じる。
まだ発言していない残り九人の視線だろう。
「ラノベにはラノベの良さがあるんじゃないかと思うんだよ。そりゃ、俺だって自分の作品がもっと認められたらなとかは思うよ? でも普段は本読まない中高生がさ、気楽に手に取って文章に触れられるのってラノベしかないだろ。そこはほら、一般文芸との住み分けじゃないかと思うんだよな」
本心である。
とは言いつつも、桂エドウィンも愛花の言いたいことは分かる。
会社の同期には既に係長になっている者もいる。
編集者に先生付けで呼ばれる自分と、たいしたことない平凡な社会人としての自分が共存しているのだ。
だいたい本名が高松源太のどこをどうとったら、ペンネームが桂エドウィンになるのだ。
ちょっとやり過ぎたとは思う。
「みんなそれぞれ悩みはあるわよね」
愛花はため息をついた。
エドウィンとセリーヌの二人の慰めはありがたいが、それで悩みが解決するわけではない。
ストレスで一時的に過食症になり、最近体重が増えている。
入らなくなったスカートを思えば、ため息の一つも出るだろう。
「ありますよ、それは。よくノン書籍化作家の人から書籍化してすごい、羨ましいって言われますけど、でもそれで全ての悩みが解決するわけじゃないです」
悩みがあるのは、白夜セリーヌも同じだ。
前回の入れ替え戦で使徒にはなったが、正直その実感はない。
書籍化したということで、執筆に対して変なプレッシャーもかかる。
来年の就職活動も合わせて考えると、お気楽なわけがなかった。
「自分の書いているものにはそれなりの意味があるとは思うけど、じゃあ親兄弟に見せられるかというとな。会社の人間には絶対知られたくないし、歯がゆいものはある」
桂エドウィンは天を仰いだ。
自分が書いた物語は好きだし、それが本になっているのは無論嬉しい。
だが、肌色多めの女の子が表紙になっているラノベを「自分が著者です!」と公言出来るほど、彼は吹っ切れてはいなかった。
可能ならば、墓の中まで持っていきたい秘密である。
三人が互いの顔を見合わせ、誰からともなく苦笑した。「ごめんなさい、円卓会議の時間をこんな事で使って」と黒薔薇愛花がそのツインテールを揺らした時。
「いや、中々面白い意見だった。使徒ナンバー1の僕としても、これは看過出来ないね」
深く澄んだ声が響き、三人が動きを止める。
「使徒ナンバー1――"全知全能"の猫に小判先生……!」と呟いたのは誰だったか。
微かなざわめきさえも消え、その場が厳粛な空気に染まる。
「なるほど、なるほど。ウェブ発のラノベの創作ということに誇りを持てず、果てはリアルの自分に失望するか。我々使徒であっても、その自問の鎖からは逃れられぬというわけだね。実に面白い」
声の主が姿をあらわにする。
そのアバターは、人間ではなかった。
一言で言えば、猫獣人である。
顔は黒猫のそれであり、人と同じようなダークスーツを着ている。
左目の眼帯が渋い。
ペンネーム猫に小判――全知全能の異名の通り、《小説を書きたい!》の全ジャンルを得意とする恐ろしい作者である。
そのリアルの顔は、まだ誰一人として知らない。
「愛花、エドウィン、セリーヌ。聞かせていただいたので、各々悩みがあるのは分かった。そうだな、いくら書こうとラノベは所詮ラノベだ。しかも、現実の悩みを解決してくれる魔法の杖ではない。それは否定はしないよ」
右目だけで周囲を見渡しながら、使徒ナンバー1が語る。
傍から見れば、さぞ奇妙な光景だろう。
眼帯を付けた黒猫が、その場を支配しているのだから。
だが、このVR空間では、そんな奇妙な光景さえも許容範囲だ。
ちろりと小さなピンク色の舌を出してから、猫に小判は小さく笑う。
「だが、その上で僕は言わせてもらうよ。その心配は無意味だとね。強いて言うならば、エドウィン、君はいい線をいっている。だが、覚悟が足りない」
「覚悟ですか、ナンバー1」
「そうだ。納得いっていないようだから、僕は自分の考えをこれから君達に話そう。使徒を率いる者として、作家の執筆に対する悩みは解く義務があるからな」
眼帯を付けた黒猫は、優美に脚を組んだ。
そのしなやかな体を反らせながら、右目だけで虚空を見つめる。
VR上のアバターのはずなのに、本物の猫獣人のような違和感の無い動きだった。
「まず何から話そうか。そうだな、今まで君達に僕の素性を話したことがなかったな。まず、そこから話すとしよう」
円卓上に置かれたディスプレイを、猫に小判は軽くタップする。
時刻はPM10:35を指している。
宵を彩るに相応しい話かどうかは、彼には判断つかなかった。
✝ ✝ ✝
ここにお集まりいただいた使徒の中には、親しくなった後で実際にオフ会で顔を合わせた者もいると思う。
だが、僕についてはその機会は今までなかった。
そしてこれからもないだろう。
理由か。
別に人に会うことがイヤなわけじゃないんだ。
物理的な意味で、僕はオフ会などに出向くことが出来ない。
刑務所の中?
はは、違うよ。
そうだな、病院に長期入院中と言えば、分かりやすいかな。
生まれつき腎臓に異常があってね、常に点滴を受けているんだ。
今年で十七歳になるんだけども、まともに外出したことは数える程しかない。
学校にも行ってないんだ。
驚いたようだね。
君達を統べる使徒ナンバー1が、そんな病気持ちの不健全な存在で落胆したかい。
それとも、そんな不健全な病人が使徒ナンバー1という事実を承服し難いかな?
ふふ、まあそれもやむを得ないかな。
だけど、今は僕の話を聞いてもらおうか。
外に出ることが出来ない僕にとって、本を読むことが一番の楽しみだったんだ。
それこそ物心ついた時からね。
ジャンルは色々さ。
絵本から始まり、日本昔話、海外の児童文学、推理小説、古典文学など両親は色んな本を読ませてくれたよ。
そう、本を通して僕は世界を知ったとも言えるね。
そこには色鮮やかな世界が、文字によって組み立てられていたんだ。
退屈な灰色の病室もその世界を引き立てる背景と思えば、苦にはならなかったよ。
読書をたしなむうちに、僕は自分でも物語を書きたくなった。
こんな不自由な僕でも、物語の中では皆に賞賛される英雄になれる。
頭の中の空想が文字になった時の楽しさというのは、君達も知っていると思う。
最初の頃は、一人でノートに書いていたんだ。
白いノートが世界のキャンパスとなった。
そして、次の段階へと進んだ。
そう、ネット小説だよ。
『小説を書きたい!』の始まりだね。
インターネットを通じて小説が投稿出来ると聞いた時は、本当に嬉しかった。
こんな便利なものがあるのかと感激したよ。
自分の創造した物語をネットを通して知ってもらえる。
それはそのまま、自己表現に繋がった。
僕はここにいるんだ、僕を知ってほしい……その気持ちは執筆する度に高まっていった。
皆に喜んでほしいから、ネット小説の作法も学んだよ。
どんな話が好かれるのか、どうすれば読者は作品に触れようとするのか。
それらをとことん研究した。
全く苦にはならなかった。
僕には執筆しかなかったからね。
その後のことは、皆が知る通りだ。
ある作品に書籍化の声がかかり、僕は書籍化作家になった。
それが好調だったためコミカライズされ、この秋にはアニメ化までされる。
この『小説を書きたい!』連動型VRゲームの中で、栄えある使徒ナンバー1と尊敬してもらっている。
小説を書かなければ、絶対に得られなかったことなんだ。
僕にとっては、大袈裟でなく人生そのものなんだよ。
ああ、そうだ。
君達の悩みに答えていなかったね。
僕の見解をお披露目といこうか。参考になるといいね。
君達が指摘した通り、所詮いくら書いてもフィクションはフィクションにしか過ぎないのかもしれない。
現実を変える力など、そこにはないのかと疑問に思うのも無理はない。
ラノベは所詮ラノベであって、本流とされる一般文芸に対してコンプレックスを持つ気持ちも分からなくはない。
だけどね、だからこそライトノベルを書く気持ちを大切にしてほしいと僕は願う。
現実の辛さを一時的にでも忘れさせてくれて、明日へと夢を抱く力は、軽く明るいライトノベルにしかないものだ。
一般文芸には一般文芸の役割があり、ラノベにはラノベにしか出来ない役割があるんだ。
それを忘れるべきじゃない。
愛花、エドウィン、セリーヌ。
僕は君達に比べれば、若輩の世間知らずだ。
だから偉そうなことは言えないし、言う気もない。
だが、これだけは覚えていてほしいんだ。
もしラノベの地位が一般文芸より下だと言うなら、僕が引っ張りあげてみせる。
ラノベも立派な物語なんだ。
この使徒ナンバー1の僕が、自らの筆で『小説を書きたい!』発のラノベを世間に認めてもらえる位置にまで引っ張りあげてやる――それだけは誓うよ。
✝ ✝ ✝
喋り疲れたのか、猫に小判は口を閉じた。
その場の空気は厳粛なまでに、シンとしている。
それを破ったのは、一人の男の声だった。
「……感服した、全知全能。そこまで覚悟を決められているとは」
猫に小判は声の方角に顔を向けた。
男の顔は白いフードに包まれ、彼には見えない。
だが、ためらわずに使徒ナンバー1は口を開く。
「はは、かのグルメものの筆頭"暴食王"のハンプティダンプティ先生にそう言ってもらえるとはね。嬉しい限りだ」
「その異名はよしていただきたいな。さも食いしん坊のようで、いささか恥ずかしいので」
「あらあら、使徒ナンバー5が改めて忠誠を誓うのなら、私も恭順の意を示さないとね。使徒ナンバー4、"聖女"の茉莉みれいも猫に小判先生に同意いたしますわ」
華やかな女の声が加わる。
薄緑色のローブをまとったその姿はほっそりしており、確かな女らしさを感じさせる。
聖女というだけあって、厳かな雰囲気があった。
「ありがとうございます、茉莉先生。心強い限りだ」
「あら、使徒のトップナンバーの決意表明ですもの。当然のことよ。ところで残りの方は、いかがなさるのかしら?」
"聖女"こと茉莉みれいの問いに対し、直接的な反応は無い。
ただ、その場の空気が一度震えただけだ。
その震えが収まった時、円卓の間に言いようのない解放感が広がった。
六名分の空間が、ぽっかりと空いている。
真っ先に口を開いたのは、猫に小判である。
隻眼の黒猫は優雅に首をすくめた。
「消えたようだね。僕を含めて、この場に残ったのは六人か。彼らが積極的な反対派なのか、あるいは迷っているかは分からないが、とにかく諸手を上げて賛成とはいかないらしいね」
「さしあたり十分ではないですか? 六種類も具材があるなら、メインディッシュも彩り豊かな料理になるというもの」
"暴食王"という異名に相応しい表現で、ハンプティダンプティが答える。
そのフードに隠れた視線が全員を撫でる。
使徒ナンバー1、"全知全能"の猫に小判。
使徒ナンバー4、"聖女"の茉莉みれい。
使徒ナンバー8、"チートバトル"の桂エドウィン。
使徒ナンバー9、"乙女ゲーム"の黒薔薇愛花。
使徒ナンバー10、"悪役令嬢"の白夜セリーヌ。
それに自分――使徒ナンバー5、"暴食王"のハンプティダンプティが揃っているのだ。
『小説を書きたい!』の作家選抜のオールスターと言っても過言ではない。
これなら大抵の方針を通せるだろう。
「そうだね、暴食王。ま、焦ることはないさ。この『書きたい!』発のライトノベルの歴史など、ここ五、六年に過ぎない。一般文芸と並ぶまでは、まだまだ時間もかかるからね。地道に行こう」
そこで何か思い出したように、猫に小判は右目を細めた。
つ、と僅かにその視線が鋭くなる。
こわごわと、白夜セリーヌが尋ねる。
「あの、どうされましたか、猫に小判先生」
「大したことではないが、言っておこうと思ってね。この『書きたい!』の裾野が広がったとはいえ、まだまだ趣味としてはマイナーな趣味には違いない。その中で書き手はせいぜいが二十万アカウント程度しかいない。将来的にネット小説を一般的な趣味にするにあたり、まずは数が必要だ。書籍化作家も底辺作家も等しく必要な人材ということだよ」
「はい、それは分かりますわ」
「そうか、セリーヌ。ならば次に僕が言うことは分かるか?」
改めて聞かれると、何も思い浮かばない。
数秒考えた後、白夜セリーヌは「分かりません、申し訳ありません」と首を振った。
「底辺作家を軽視したり、いじめたりすることは絶対にしてはならないということだ。やる気をなくして彼らがネット小説を止めてみろ。競技人口が縮小すれば、それだけジャンルとして弱くなるからな。むしろ僕達書籍化作家の方から歩み寄り、彼らを助けてやらねばならないくらいだ」
猫に小判の言葉に、セリーヌはピクリとその細い背を震わせる。
直接的に底辺作家を馬鹿にしたことこそないものの、あまり話したことは無い。
ブレイクする前の弱い自分を見るようで嫌悪感がするから――という感情については、セリーヌ自身が見ない振りをしていた。
それが同族嫌悪という醜い感情だったとしても。
猫に小判を囲み、全員がその場にひざまずく。
「もちろんですわ。ネット小説のメジャー化の為に、仲間内で争っている場合ではありません」と"聖女"こと茉莉みれいが皆を代表した。
「頼んだよ。それでは皆、今日はもう遅い。次の円卓会議で会おうか」
その言葉を最後に、使徒ナンバー1である黒猫は姿をかき消す。
VRの世界から消えたのだ。
それを確認して、残った五人も同じように姿を消した。
✝ ✝ ✝
ヘッドマウントディスプレイを外しながら、少年は視線を病室に投げかけた。
時計はPM11:30を指している。
思わず熱が入ってしまい、予想外に遅くなってしまった。
体が重く、だるい。
子供の頃から慣れ親しんだ嫌な感覚だ。
"使徒ナンバー1、か。大層なポジションをもらっても、現実の自分はこんなもんだ"
投げやりに思いながら、窓の方へと首を傾ける。
窓ガラスの漆黒が、自分の姿を映していた。
十七歳の若さにそぐわない真っ白い髪、その下から自分を見つめるのは右が黒、左が赤のオッドアイだ。
自分がアルビノの変種と聞いた時は「ラノベの主人公か、僕は」と自嘲が漏れるのを防げなかったものだ。
ゆっくりと頭を枕に沈める。
今日の会話を思い出すと、自然と笑みが浮かんできた。
ライトノベルの地位を一般文芸に引っ張り上げる――その気持ちに嘘はない。
執筆しか残されていない自分には、その野望を突き詰めるしかないではないか。
だが、その為にはもっと手駒が必要だった。
自分に協力してくれる優秀で忠実な手駒が。
「五人だと足りないな。味方を増やす必要がある。使徒の入れ替え戦を行って、そうだな、彼を引き上げるか?」
ヘッドマウントディスプレイのスイッチを入れると、部屋の空間に立体スクリーンが投射される。
そこに表示された情報を、少年は細い指でなぞった。
かねてよりチェックしていた作家の情報を、今一度確認するためだ。
代表作……『転生ニートの快適過ぎる魔王ライフ ~力も金も女も全てウハウハです~』
作品ポイント……34,209
出版巻数……現段階で三巻
作者名……司まお
「なるほど、申し分ない。売上も好調で勢いもある。ふふ、彼ならばあの空席となっている使徒になれるかもしれないな……幻の使徒ナンバー13、"不死王"にね」
うっすらとした笑いが、少年の秀麗な顔に貼り付く。
色の異なる瞳に悦びが浮かぶ。
全『小説を書きたい!』作家の頂点に立つ存在は、何度もスクリーン上の名前をなぞった。
その細い指を病室の空気に泳がせながら……何度も、何度も。
この作品はフィクションです。
なお、司まお先生は作家シリーズの『妻が底辺作家なので書籍化作家の僕は胃が痛いです』の主人公です。




