まえがき。
黒羽零一は『いいひと』である。
誰が何と言ったって、良い人なのである。
なに? 誰も何も言っとりゃせん? だったらいい。異論が無いのならばそれに越したことはないのだ。
黒羽零一は断然、良い人なのである。
いやまず、その黒羽零一なる人物は何者であるのか、だと? 良い質問だ。有り体に言えばそれはこれから語られる物語の主人公の姓であり名である。
なにせ物語の軸なり柱なりとなる人間の事でもあらば、その人となりを交え、彼がどのように、どれほどまでに良い人であるかを説明する必要があるのは至極尤もな事と考え得るのが皆々様がた聡明な読者というものであろう。
と、多少の胡麻でもすっておけば多少の退屈な文言にも我慢をしていただけるものと考えるところなのである。
多少、気分や心持ちをよろしくしていただけた上で、彼――黒羽零一についてもうひとつ情報を付け加えねばならない。
いや。
いやいやいやいや。皆様がたのお考えは至極ごもっともだ。
ただでも退屈なこの文章。その上に踏まえ加えて、まだちんこの付いた生き物の情報を付け加えると謂ふのかおまへ。
おっと! ここで聡明な読者の方々は早くも気づいてしまわれたようだ。そう、黒羽零一は名前の音が示すとおりにちんこ付いた生き物――もとい、男子のことなのである。
さすがは聡明な皆々様がた――なに? それはもういい? 胡麻はもう結構だと?
むむむ、しかもここで加えられる情報が都合、三つになってしまっている! しかしここはお目こぼしいただきたい。彼が男子であろうことは、いずれ話の流れにて自然とわかろう事。
そりゃーね、僕だってねぇ、これほどの長尺でちんこついた生き物の事なんぞ語りたくはぁないんだよ。
できればねぇ、ほら、おっぱいばいんばいーんで無意味に誰彼ともなく色んなタイプの女の子に好かれまくって、ちょっと転べば顔面がおっぱいにばいーん、ああごめんごめんと恥じらいながら離れればその後頭部がまたおっぱいにぼいーんと、そんな頭の悪いエロ文章を書きたいんだよぉ。
でもな、でもみんな! それじゃあハナシが一向に進まないんだ! もうここからエロ禁止! エロい事考えた人はキーボードのAしか押せない呪いにかかってしまえー!
AAAAAAAAAAAAAAA
僕が仕事にならないので至急、呪いを緩和。
さて。
主人公、黒羽零一の件に話を戻そう。
彼は良い人であるのは述べたが、それに加えて運のない男なのである。
それもまぁ、ものすごぉーく、だ。
君たちの周囲にだって『良い人』も『運の悪い人』も、それはそれなりに居るだろう。居るのなら、その十倍だの百倍だのを想像してみてくれ。いいかな、想像したかな? その更に十倍か百倍とでも考えてもらえれば良いんじゃないかと思う。
まず、彼の生い立ちになるんだが、彼は黒羽家の十一人兄弟の十一人目の子供として生まれる。
十一人兄弟! そりゃあ流石にとーちゃんかーちゃん頑張り過ぎだろう、と思うかもしれない。
もちろんそれでその十一人を養いきれる資産家の家だったら何も文句は出ない。好きに勝手に星座の鎧をまとって仲良く兄弟喧嘩でもすりゃーいいさ。
しかし黒羽家は特段に貧しくもないが、それほどに恵まれた家でもない。現代社会でもあれば口減らしに奉公に出されたり、ましてや間引かれたりする事こそなかったが、口のついた生き物が二桁に及べば自然とゆるやかな破綻は訪れる。
だいたい六人目の子供の時だったかねぇ、両親が「このままじゃヤバい」と思ったのは。
遅い。ものすごく遅い。
いや、その遅きに失した危機感から、さらに倍近い子供が生まれるまで都合、放置してしまったんだからこの両親も大者である。何か使え。具体的には明るい家族計画的なアレを。
奇跡の十一男として生を受けた彼は、一郎二郎となんの工夫もトンチも効いていない命名の流れで十郎の次として、十一郎ではちょっと語呂が悪いな、という、これまたその実なんのヒネリもない理由で零一と名付けられた。
なぜそこでゼロイチに桁が戻るのか。もし次があったら零二なのか。むしろそのほうが名前らしいっちゃ名前らしいが。
ともあれ、これがまずもって最初の不運と言えば不運でもあったろう。
そうやって生まれた十一男の零一だったが、先にも触れたように、彼は『いいひと』なのだ。
自分の家庭がゆるやかに破綻への道を突っ走っている事にはなんとなぁーく気づいていた。具体的には義務教育を終えた辺りで。
このままではいけない。
いずれこの家は経済破綻する。実際のところ、既に今晩のオカズのコロッケも十番目の兄貴とはんぶんこという有様だった。
既に長男次男は自活していたものの、それでも彼らが一端の社会的地位を得て、黒羽家にまとまった金を入れるようになるまでにはまだまだ時間がかかる。
その間に恐らくコロッケは兄弟全員で分配、場合によっては十一分割の憂き目もあり得るかもしれない。いや、自他共に認める肥満体の八番目の兄貴あたりはそのうち2/11は求めて譲らないのかもしれない。
早晩、この黒羽家は崩壊する。最悪、件の肉付きの良い八番目の兄がこんがりキツネ色で食卓に登る可能性さえも否めない。
そこで零一は家を出た。名目は受験のためである。花の都で学位を取り、この家を自分が支えてみせる。
同時に口も一人分減り、コロッケの取り分も多少はマイルドになるという、一石二鳥の決断であった。
両親や十人の兄たちは涙ながらに彼の出立を見送ったものだ。もしかしたらコロッケの分配が増えるゆえ、多少の嬉し涙の部分もあったのかもしれないが。
上京した彼は死ぬ気でアルバイトをし、死ぬ気で勉学に勤しんだ。しつこいようだが彼は『いい人』なのだ。いい人は大抵、努力家なのである。加えて、彼は幸運にもそれほど頭は悪くもなかった。
それほど上流の学び舎ではなかったが、合格は確実と思われていた。
しかし。
ここで彼の不運が炸裂する。解答用紙のマスをきっちり一個ずつ間違えていたのだ。
あるあるある、と思う人も居るだろう。居るのであればありがたい。あの焦燥、あの絶望感をリアルに感じ得ることができるだろう。
気付いたのは試験終了数分前。いやまだ間に合う。ずらして書き直せばいいことだ。
しかしこういう時に限って消しゴムとかいう文明の利器が決まって有効に機能しない。消そうと擦ればなんかそれまでの消した鉛筆の汚れでズザーとかなっちゃう。
あわわあわわ。そうだ、別の角を使えばいいんだよ! あっちゃー、それはもう途中でやっちゃってた、こっちの角も真っ黒さ! 焦りが手を滑らせ、ビリーとかやっちゃってね!
それでもどうにか消せたと思えば、やっべ、いま消したの上の欄に書き直さなきゃいけなかったんじゃん――!
……と、そんなこんなで零一の受験は見事に失敗した。それはもう見事という評価が正しい。なにせ回答欄が正しく一個ずつズレているだけで、ほぼ全問正解だったのだから。
こうして零一は一浪する。十一郎なのに一浪だ。絶対言うと思ったでしょ? さすがは聡明な読者諸君である。思い出したかのように胡麻をするな、というツッコミも想定のうちだ。なにせ聡明な読者であらせられるわけであるゆえに。
と。
そこで(もともと雀の涙とはいえ)実家からの仕送りがぱったり途絶える。
誤解してはいけない。これは零一の両親が薄情なわけではないのだ。
時、折にして六男だか七男だかの就職やら、長男の昇進祝いだかが重なった。確かその上、九男だか十男だか――ああもう面倒くさい。ともかく兄弟の誰かの結婚や、逆に失恋で落ち込んでがんばろうぜの会だかが一遍に重なったのだ。
なにせ奇跡の十一人兄弟、そんなこともあるのだ。無くはないのだ。
それでさて、なんとか落ち着いた……と思ったところで、ハテ、我が家の子供は何人だったろうか。一から十まで郎がいるぞ。これはなんとも収まりがいい。そうか、ウチは十人兄弟だったか、なるほどなるほど。
びっくりしたことに、両親と十人の兄たち全員がなんとなくそれで納得してしまったのだ。
……なに? やっぱり薄情だろうって? いやまぁ、これは仕方がない。両親も兄もそりゃあ人間だ。間違いのひとつやふたつ、人生においてはそうそう責めることもできなかろうて。
それが零一にとってはちょっとばかり致命的な事であったというだけで。
まぁ、ここにおいても零一の『運がない』が作用したのだと思っていただければ、それはそれで話はスムーズなのである。
しかし、仕送りが途絶え、家族の誰一人と連絡がつかなくなった(これまた偶然にも不運が重なり、彼の兄たちが一斉に携帯を機種変更し、家の電話をケーブルテレビの回線を利用した新しい電話機に変更した事が重なってしまったのだ)が、彼は両親や兄を恨むことはなかった。
それどころか、これは家族たちの激と受け止めたのだ。お前、何をしている。もっともっと精進しなくてはいけないよ、具体的には消しゴムは二個くらい用意しておきなさいよ、と。
いい人である彼は一層に奮起した。バイトを倍に増やし勉強の時間を三倍に増やした。一日が二十四時間では到底計算も帳尻も合わないはずだが、何かそういったこの世の事象を超えるほどの努力をしたということなのだ。
しかし、翌年も、そしてそのまた次の年もそのまた次の――ともかく受験には失敗した。しまくった。
そういう重要な時に限って、我らが主人公の持てる二つのスキルのうちの一つ『運が悪い』が確実に発動するのだ。
今年については受験会場に向かうタクシーの運ちゃんが上京したてで道を間違う。慌てて車を飛び出し取り急ぎ駆け出してみれば、その刹那に居眠り運転の対向車に跳ね飛ばされる。
もうこうなってくると運が悪いという可愛い字面で表すのは勿体ないほどの凄惨な交通事故なのだが、かろうじて一命はとりとめた。跳ね飛ばしたのが救急車だったのが幸いしたのかもしれない。居眠りすんな救急車。
ちなみに入院でわずかばかりの貯金はすっとび、おまけに長期の休みで上京以来、長年務めたバイトもクビとなった。
そういうことをふまえ結論すると――
黒羽零一は「ものすごくいいひと」であり「ものすごく運が悪く」、そして事実上天涯孤独、そしてほぼ素寒貧な浪人生なのである。
どうだい? 親近感の沸く、等身大の主人公だろう!?
……そうでもない? うん、俺もそう思う。