如月の昔話1
私は昔から地味だった。
勉強はほどほどにでき、体育は目立たない程度にどんくさく、音楽や図工なんかは目立たない程度に上手くこなし、抜きん出た才能なんか1つもないと思っていた。
だけどその人は、突然現れた。
アルバイト先のクリーニングやさんに現れる大人の男性。
客と従業員。
何ヶ月も顔を合わせる中で、会釈をするところからスタートし、少しの会話をするようになり、ご飯へと誘われた。
その人は、ズカズカと私の心に土足で入り込んできた。
18歳で大学進学のため長野県から上京してきた。東京で過ごす初めてのクリスマス。
その時、その人は私の横にいた。そして、柔らかい色の包装紙に入ったビールグラスを私に手渡した。
「如月と一緒にいるととても優しい気持ちになれるよ。君は癒しの天才だ。」
そんなようなことをさらっと言い出すその人の名前は、神田 晃平。8つ年上だった。
なんの才もないと思っていた私に突然降ってきた幸せ。
18歳の私は、その幸せをいとも簡単に信じ込めた。寂しさを埋めてくれるその人を信じていた。
大学へ通い、図書館で勉強をし、時たま友達とおしゃべりをし、空いた時間にバイトをする。それだけの日常に光が差し込んだ気がした。
気がしただけだった。
一緒に過ごすはずの4回目のクリスマス。
その人から、電話が入った。
「もう会えない。ごめんね。」
と。
なんの理由も説明されず、一方的な伝言だけを残し、その人は私の前から消えてしまった。
いつか終わりが来ることを考えていなかったわけではない。けれど、あまりにもあっけなくて、涙も出なかった。
自分の部屋で、手作りのローストチキンとお揃いのビールグラスが並んでいる光景がやけに滑稽に見えた。
日が経つにつれて、私の中に神田晃平という人間がたくさん住み着いていたことを思い知らされることになった。
料理をしても、美味しいと言ってくれる人はいなくなった。
部屋をピカピカに掃除しても、綺麗だなと褒めてくれる人もいなくなった。
大学でレポートが好成績でも、すごいねと頭を撫でて笑いかけてくれる人はいなくなった。
ひとりぼっちを痛感したのだ。
友達がいないわけではないけど、友達と会った後、ふいにやってくる寂しさの方が大きくなっていった。
それならば、初めから誰も寄せ付けなければいいのだと段々と自分の身の回りから人を遠ざける癖がついてしまった。
ますます孤独は大きくなるけれど、その孤独を越えられるように、この5年間で強くなってきたつもりだったのに。
水道の音が止まる。
「ふー、皿洗い完了っ!」
すっかり涙も枯れ果てて、なんでこんな年下男の前で泣きじゃくったのかなんて恥ずかしくなった。
できるだけ、この人類の顔が見えない場所へとソファーの隅で体育座りをする。意味わからないことを発する図太い神経の持ち主さんよ、早く帰ってくれないかな。
「彼氏じゃないのに、ペアグラスくれるってことはー、、不倫でもしてたの?」
サラッと、聞きたくない三文字を言葉に出す新人類。
「きさらぎっち、しょうもないやつに騙されちゃったんでしょう。」
じわじわと嫌な言葉を降らせながら近づいてくる。また目頭がジーンとしてきた。
「、、、ほっといて。」
「放ってはおくけどさ。きさらぎっちに嫌われちゃったら嫌だから。」
「元からきらい」
「いいや、うそだね。嫌いな奴を家に入れちゃってご飯まで食べさせちゃうほど、きさらぎっちはお人好しじゃないっしょ?」
何も言えない。
でも、私がこの新人類を拒めないのは、寂しさに耐えかねたから。それだけだ。
好きとか嫌いとか、そういう次元じゃない。
「なんであんたは、ここにいるの?」
一瞬、驚いたような顔をして、そのあとはいつもどうりのヘラヘラ顔に戻る新人類。
洗い物の後で少し湿った手でそのまま頭をポンポン、としてきたので振り払ってやった。
「ちゃんと拭いてきて。」
「え?!そこ?!!」
ぶーっと吹き出して笑う顔はやっぱり猫みたいにふわふわしていて。どこかに行ってしまいそうな寂しさが漂っている。