一段落……?
長らく更新を空けてしまいました。
だいたい数か月に及ぶデスマーチのせい。
なおここからまた小規模(になる予定)のデスマーチが始まる模様。
「それじゃあ用事があるから私はいくよ。 あんまり思い詰めてはいけないよ?」
「……はい、ありがとうございました。 ……あっ先生、目にクマが」
「あー……、ちょっと忙しくてね。 うん、私に気を向けられるくらいならもう大丈夫そうかな」
黒北は少しおどけて答えたあと、ベンチから立ち上がり、帰路へつく。黒北に打ち明けたことでだいぶ精神的に余裕が生まれたらしく、彼の言うように他人に気を向けることができる程度にまでは回復できたようだ。
かつて自身の悩みの落としどころを提示してくれた人物に、今度は超能力という落としどころを与えられた。中学生で心があまりにも未熟だったあのころは救われたが、多少なりとも成長した今では単に可能性を与えられたというだけでは収まらない。正しく超能力であるのか、はたまたやはり自身の頭がおかしくなっているのかの判断は自分でしかできない上に、結果どちらに落ち着いたとしてもおいそれと相談することはかなわない。唯一ここに至るまでを話すことのできた黒北はおそらく簡単には捉まらないような職である。それこそ数年前は病院に勤務していたが、現在は帰国して偶々日和と遭遇したとのことで、日本における黒北の立場や事情が日和には全くと言っていいほど把握できていない。と、ここまで考え、相談相手に黒北を、と思いついた時にはもう黒北は帰ってしまっていた。どうやら相当な時間考え耽っていたようだと、公園のベンチから空を見て気づく。星がそろそろはっきり見えてきそうな時間になってしまっていた。学校終わりから数時間も経過している。そろそろ帰らなければ、とベンチから立ち上がる日和の顔は、悩みが解決したようにも増えたようにも見えた。
帰宅すると夕食の準備が既に整っていた。こんな時間までどこをほっつき歩いていたのか、と言いたいところをぐっとこらえて「遅かったね」と絞り出した母親に、黒北と会ったことや超能力者かもしれないといったことは隠しつつ、公園で考え事をしていただけと答える。そのまま風呂へ向かった日和の背中を見送った母親は、久々に娘と会話が成立したと父親とともに喜んでいた。ささやか違いではあるが、幾分日和の思考が前向きになった影響だろう。頭がおかしい以外の選択肢が存在しなかったことに比べれば、超能力という別ベクトルの頭のおかしさの二者択一にできるほうがマシというところであろうか。なんにせよ異常者であることに対する否定材料が手に入ったことは負のスパイラルに陥っていた日和にとっては光明であったと言える。
黒北へ吐き出せたことで底へ底へと向かっていた思考が上向き始める。とはいえ、ほとんどどん底まで落ち切っていた傾きが多少正の方向へ向かい始めた程度であるため、食卓に着いても口数は変わらない。虚ろだった目に色が戻った、もそもそと作業のように咀嚼していた口の動きに、食べるという意志が見えるようになった、箸を持つ手に力が入っているのがわかるようになった等、目に見える変化はその程度である。そんな些細な変化にでも、長い間ふさぎ込んでいた姿を見てきた両親は喜びを覚えた。
客観視するまで、自分こそがスタンダードなのだと誰しも考えてしまうものである。はじめから自分は常識からはずれた存在である、異常であるなどと考える人間は極稀だろう。一方で他人と自分は違う、そう考える人間は多いだろう。しかし、それは無意識下で他人が自分と違っている、あくまで基準は自分にある、としている。この考えは自分以外の人間や世界を知れば知るほど薄くなっていき、自分が見てきたものと世論を融合したものから自分なりのスタンダードを構築していくものである。ちょうど日和は、その世界が広がりつつある時期にいるといえる。デジャヴについては人と違うかもしれないが、誰だって多少感じることはある、程度の差でしかないと考えてきた。黒北からの助言を受けてからは他人との乖離について考えないように蓋をしていた。その結果、というわけでもないが、両親にすら相談できず、他人とズレにズレていった末路としてキャパシティをオーバーしてしまった。溜めて、解消できずにオーバーして、黒北にぶつけて、キャパシティに空きができ、振り返って日和が思ったのが自分を知りたいということだった。入浴中、日和は考える。過去を思い返し、自身の経験を可能な限り辿る。自分は一体何者なのか、自分をもっと知りたいと、自分自身と対話するかのごとく。おそらく対話は一晩では終わらないだろう。のぼせる前に切り上げる。この日、日和は久々にうなされることなく、夢も見ずに眠ることができた。
翌日、日和が教室に入ると、先に登校していた陽菜に声をかけられた。
「……お、おはよう日和」
「あぁ、陽菜、おはよ」
日和がふさぎ込んでから毎朝おはよう、と声をかけ続けていた陽菜であるが、今朝は何か信じられないものを見たような感覚に襲われている。
(……あっれー? 見間違い? 空耳?)
数秒固まったのちにそう考えた陽菜は再度声をかけることにした。
「日和、おはよう」
「おはよう、ってさっきもしたじゃん」
「……マジ?」
「マジ。どしたの陽菜、なんか変だよ? もうチャイム鳴るよ、座って座って」
(((イヤヤイヤイヤ! どうしたのはお前だ!!)))
長いことふさぎ込んでいた日和の様子と、めげずに声をかけ続けていた陽菜を見ていたクラスメイト一同はこう思った。昨日までは目が虚ろで、生気がまるで感じられず、誰かが声をかけても反応がないか、あっても口から空気が漏れ出た程度の返事しか返ってこなかったのに、今朝になって急にまともな受け答えをしてきたことに面食らっていた。以降、授業をしに来た教師たちがダメ元で日和を指名するたびに同じ感覚を教師たちも味わうことになった。日和以外全員が困惑である。
わけがわからなすぎて結局放課まで誰も話しかけることはなかった。放課後、陽菜は意を決して話しかける。
「ねえ日和、ちょっといい?」
「ん?どしたの陽菜」
「日和さ、今日おかしくない? いや、おかしくなくない?」
「は? おかしくないとだめだった?」
「う~、そういうわけじゃないけど……。 最近ずっと沈んでたのに今日普通だったから混乱しちゃって」
「あー……、理解した。 ごめん、心配かけた。 とりあえず落ち着いたっていうか大丈夫っていうか」
「……そっか、良かった」
「心配かけてごめんね、すぐにとはいえないけどそのうち事故前に戻るから」
「うん、わかった。 なんかあったら遠慮せずに言ってね! 親友なんだから!」
「……ん、ありがと」
陽菜の気遣いを嬉しく思う日和。しかし、手放しで喜ぶということはできそうになかった。というのも、今日のこと、一連の会話の流れ、授業内容はおろか会話をしなかったクラスメイトの反応に及ぶまで、デジャヴを感じていたからだ。事故以降、徐々にではあるが、デジャヴの内容がより具体的になりつつある。今日の会話については、言葉や言いまわしなど詳細な部分は分からなかったが、おおまかな流れはデジャヴとおおよそ一致していた。朝の段階では、普通に会話をしようとしてもできないのではないか、クラスメイトや教師たちに奇異な目で見られやしないだろうかと怯えていたのだが、学校に来るや否や登校直後のデジャヴを感じ、一種。自信がつけられた形になった。それ以降も断続的に次に起こるだろう出来事のイメージが脳内に浮かび上がってくる、ということが続いた一日だった。
今日の出来事とデジャヴの内容を振り返る日和は、今までのデジャヴの形と大きく変わってきていることに気づく。以前はテストや模試など、ある程度執念をかけた事柄についてはいくらか具体的なイメージが見えていたのに対し、事故以降、執念をかけていない事柄においても具体的なイメージが見えてきている。超能力に当てはめるならば『予知』だろうかと、そんなことを考えながら下校する。