『デジャヴ様』
来た、『デジャヴ様』だ、これで今日のテストはもらった!
春日井日和は現在高校二年生である。人生の中で最も多感な時期の一つで、先々の人生に影響を及ぼす可能性の高いファクターがゴロゴロ転がっている時期でもある。そのファクターのうちの一つ、学年末テストという魔物に挑むにあたり、デジャヴが起きた。あ、この問題デジャヴでやったところだ!なんて心の中で呟きながらさくさく問題を解いていく。
その日のテスト日程が全て終了した。日和の学力自体もともと低くなく、また要領もいいので普段から成績もそこそこの位置なのだが、この予知めいたデジャヴを感じたときはそれに輪をかけて成績が良くなる。出てくる問題が分かっているのだから、もともとの知識が良質なこともあり、朝のうちにその分野を重点的に見直すだけでかなり正確に解答することができる。嫌だ嫌だとは言いつつも、自分の成績が良いと機嫌が上向いてくるのはテストの醍醐味だと日和は思っている。備えていれば酷くはならない、おまけにかったるい授業を受けなくていいのにと、苦言を呈す輩に対してはそんな風に考えている。反感を買うことは容易に想像できるので、間違っても口に出したりはしない。
「満足そうな顔をしてるってことは、今回もだいぶ点数とれそうなのね?」
テストの余韻に浸っていると、幼馴染であり親友の桜井陽菜が声をかけてくる。
「うん。今回はいつも以上にがっつり勉強したうえにデジャヴ様が発動してくれたから、かーなりいいと思うよ」
「あんたの頭がもともといいのは認めるけど、その未来予知みたいなのは反則気味よね。鬼に金棒って感じ」
「別に学年トップってわけじゃないんだし、それに鬼はないでしょ鬼は。私も一応女の子なんだからね?」
「へーいへい。お言葉が悪うござんしたー」
いつものように軽口を叩き合う。テストが終了したことの解放感からか若干テンションが上向きである。じきに落ち着きを取り戻し、日常にもどるだろう。ここぞ、という場面以外で『デジャヴ様』が発動したことは数えるくらいしかないため、普段の会話に出てくることはまずない。『デジャヴ様』=非日常のイメージが日和と陽菜の間ではおおむね定着している。
陽菜は、日和のデジャヴについて知っている数少ないうちの一人である。他に知っているのは両親と二世帯住宅に同居している父方の祖父母に、お世話になった精神科医であり脳科学者の黒北天音の五人。中学生のころ、「最近なぜみんな同じ行動ばかり繰り返すのか。同じ行動をしていることを私は知っているのに、なぜみんなは私の行動を知らないのか。なぜ寄ってたかって私だけ除け者にするのか」と、学校からの帰り道に陽菜にそう相談したことがある。もちろん除け者になんかした覚えのない陽菜はそれを否定するが、「その話昨日もしなかった?」と言われることが最近非常に多かったのも事実であり、『みんなの行動を知っている』ということを否定できずに考え込んでいたところで日和が発狂。陽菜はすぐに日和の両親を呼び、精神科に連れて行ったことでデジャヴではないか、と黒北に言われたことによる。デジャヴにしてはいささかはっきりしすぎていないか、と両親は当然の疑問を黒北に投げかけたが、黒北の「情報処理能力がものすごく高く、自分の糧とするのが情報を得た瞬間と同時に起こることに起因しているのではないか」という見解にひとまず落ち着いた。黒北自身もその見解が正しいかどうかは分からないが、脳には未知の部分が多すぎるため、ありえなくはない、と説明する。実際、日和は物の覚えがよく、両親や陽菜の、今までの日和を見てきた者たちはその説明で納得できる部分もあるとし、反論も思いつかないことからその場はそう結論付けた。
その後目を覚ました日和に結論付けた、『非常に要領が良く、相当な集中力を発揮したときに限り、情報処理が終わり切る前に経験として落としこんでしまっているのではないか』と伝え、一応の解決を見た。以降、定期的に黒北による診断を重ね、一年ほど経った頃にようやく割り切ることができるようになり、明るい性格を取り戻した。診断の終了は、今回のことを受けたことで力不足を感じ、研究を深めたいと言い、黒北が研究のために渡米したこともある。
ともあれ、日和自身も含め人並み外れた集中力に起因する現象だと理解する人たちは、今回のテストはものすごく集中して解答できた、と解釈している。その『ものすごく集中できた』をデジャブ様と名付け呼んでいた。
日和のテストの結果は学年八位だった。一学年三百人を超える中でこの成績は最上位勢と言えるだろう。ちなみに『デジャヴ様』が発動しない平時はだいたい三十~四十位前後。ついでに陽菜の平時は七十位前後。進学校においてのこの順位なので世間一般的にはかなり上位に食い込んでるはずなのだが、比較対象が幼馴染の日和なのでどうしても劣等感を感じてしまうことがある。教師勢が口を酸っぱくして受験受験と言ってくることも焦りに拍車をかけていて、若干ナーバスになっている。日和に勉強を教えてもらうこともままあり、教えてもらったその時はある程度理解はできる。が、しかしいざ実践となるとどうもうまくいかない。自分よりできのいい幼馴染に、無意識のうちに対抗心が存在しているのだろうか、どうも素直に受け入れられないこともあり、なかなか伸び悩んでいる。「私にも『デジャヴ様』がいてくれればなぁ」とはそんな時に出る口癖である。別に日和とて『デジャヴ様』頼りではなく、あくまで自分の努力ありきで上位成績を取っているので、日和はそのたびに苦笑いでごまかしてる。テストで出てくる問題が分かったところで解くのは自分だ、直前の見直しに絶対当たるヤマをはっているようなものだ。カンニングではないのでノーカン、『デジャヴ様』が発動したときのいつものやり取りだ。
数か月経ち、高校生活最後の年の夏が終わろうとしていた。今日は夏休み中の講座の最終日で、記述模試の日だった。前日に復習もしっかり行い準備万端の状態で、日和はその朝を迎えた。いつもより少し早めに起き、昨晩勉強した箇所を自分の中に落とし込めているかを確認してから部屋を出る。日和は朝必ずシャワーを浴びる派だ。顔も洗えるし寝癖も直せるしさっぱりできるしいいことづくめ、らしい。髪をタオルで包んだまま朝食を摂り、歯磨きをしてから軽くストレッチをする。鞄の中身の確認をし、お母さん手作りの弁当を入れる。それを終えたら髪をセットし、制服を着て身支度が整ったことを確かめてから家を出発し、駅へと歩いて向かう。なんのことはない、模試があることを除けばいつも通り日常の行動だ。最寄り駅まで歩いて五分程度。覚えた単語や意味を反芻しながら歩く。
学校の最寄り駅までは三駅。地方ではあるが、都市の中心駅なので、朝のラッシュはいつも満員になる。とても立ちながらノートを見て勉強なんてできない。せいぜいが頭の中で反芻するか、音楽プレイヤーに入れておいた単語帳の読み上げを聞くくらいだ。雑音が多くなる走行中の電車の中では集中力が持たないと思い、読み上げを聞くことにしていた。受験生としてはおおよそ勤勉な方だろう。駅のすぐ近くの踏み切りの辺りで音楽プレイヤーを鞄から出してイヤホンを装着する。一緒に定期券を出し、取り出しやすいよう制服のポケットに入れる。少し歩いて駅に到着。改札に定期券を通し、ホームへ続く階段を下りる。
日和はいつも降りた時にホームの階段がすぐ近くにあるという理由で四両目に乗車する。六両編成なので丁度真ん中あたりだ。
電車が発進する。ただでさえ暑い季節なのに加えて満員電車という要素が加わり、車内の空調ではまかないきれないほどの熱気が籠る。唯一、日和が乗車した駅と次の駅の丁度中間にあるトンネルを通過している間だけは気持ち涼しく感じられる。日陰になっていることと薄暗いことで気分的に涼しいと思えるようになるだけなのだが、気分的にも現実的にも暑苦しいよりはマシである。
事はそのトンネルに差し掛かろうという時に起こった。
とてつもなく大きな、今までに聞いたことのない音を立てて、トンネルが崩落を始める。
電車はブレーキがかかる暇もなく、そのままの速度で落下してくる巨大な瓦礫の塊との衝突を繰り返し、車体は上からの落石にひしゃげ、車輪は線路から外れ、トンネルの壁面に突っ込み、少しして完全に停車した。被害は先頭車両が一番大きく、車掌は死亡、ドアの開閉が不可などのほか、死亡者も一番多かった。後続車両は先頭車両に比べると被害は軽かったものの、車体横転を始めとした物理的被害に加えて、やはり死亡者もそれなりの数を記録。吐瀉物や死体から流れ出た排泄物、血の匂いなど不快と表現するのもはばかられる要素に支配された空間が出来上がった
日和の状況は自力で動ける怪我人、というところだ。ひしゃげたドア――横転したため頭上に位置している――の隙間を無事な人たちでこじ開け、なんとか出入りが可能になったところへ支柱を伝ってたどり着き、車内から脱出、そこで想像以上に瓦礫以外の空間が存在しないことに絶望し、うなだれている。今日は模試で、努力の成果を試せるのに、なんで今日に限って、どうしてこんなことに、帰りたい、助けて――そんなことばかりが頭を埋め尽くす。所持品は事故のせいでどこかにいってしまった。お母さんが作ってくれた弁当もぐちゃぐちゃになっているだろう。無意識のうちに謝罪の言葉が口から洩れる。なにかの報いなのだろうか、日頃もっと善行を積んでおくべきだった、親孝行もできなかった、ずっと頑張ってきたのに全部全部無駄になってしまった等々、多少現実を見れるまで落ち着いてからは後悔ばかりが押し寄せる。
どれくらい時間が経っただろう。携帯電話を開く元気すらない。果たして救助は来てくれるだろうか。来てくれたとして、日和たち被害者のもとへたどり着くまでどれだけかかるのだろうか。食料も水もない状況で一体どうしたらいいのだろう。現状は絶望そのものだった。もう少しでも前を向けたのであれば知り合い探しなどをしたところだが、それすらも億劫だ。いっそこのまま眠ってしまおうか、どうか性質の悪い夢であってくれ。そして目が覚めたらまたいつもの日常に――
今日は夏休み中の講座の最終日で、記述模試の日だった。前日に復習もしっかり行い準備万端の状態で、日和はその朝を迎えた。いつもより少し早めに起き、昨晩勉強した箇所を自分の中に落とし込めているかを確認してから部屋を出る。日和は朝必ずシャワーを浴びる派だ。顔も洗えるし寝癖も直せるしさっぱりできるしいいことづくめ、らしい。髪をタオルで包んだまま朝食を摂り、歯磨きをしてから軽くストレッチをする。鞄の中身の確認をし、お母さん手作りの弁当を入れる。それを終えたら髪をセットし、制服を着て身支度が整ったことを確かめてから家を出発し、駅へと歩いて向かう。なんのことはない、模試があることを除けばいつも通り日常の行動だ。最寄り駅まで歩いて五分程度。覚えた単語や意味を反芻しながら歩く。
学校の最寄り駅までは三駅。地方ではあるが、都市の中心駅なので、朝のラッシュはいつも満員になる。とても立ちながらノートを見て勉強なんてできない。せいぜいが頭の中で反芻するか、音楽プレイヤーに入れておいた単語帳の読み上げを聞くくらいだ。雑音が多くなる走行中の電車の中では集中力が持たないと思い、読み上げを聞くことにしていた。受験生としてはおおよそ勤勉な方だろう。駅のすぐ近くの踏み切りの辺りで音楽プレイヤーを鞄から出してイヤホンを装着する。一緒に定期券を出し、取り出しやすいよう制服のポケットに入れ――――
入れようとした瞬間、突如として頭痛とともに、言葉にできない、得体の知れない寒気が日和を襲う。何か嫌な予感がする。このまま電車に乗ってはいけないと、警鐘を鳴らしているかのようだ。今日は模試だ、今までの成果がどんなものかを試せる機会なのだ、学校へ向かわないと。冷や汗を浮かべながらそう考えるが、ホームへ行ってはならない、電車に乗ってはならないと、他でもない自分自信の声が聞こえる。声が途切れたと思ったら、今度は映像が直接頭の中に叩き込まれる。落下してくる数多の瓦礫とそれに襲われる車体が悲鳴を上げるから始まり、筆舌に尽くしがたい、絶望の空間で終わる。
(この感覚は『デジャヴ様』に近い……けどこれじゃあまるで……)
これではまるで予知ではないか、そう言えるほどの明確なイメージが脳内を走り抜ける。トンネルの崩落、絶望の未来、地獄絵図。あまりの凄惨さに吐き気をもよおす。これが実際に起きるのかと思うとぞっとする。
日和は考える。今までにも確かに出来事そのものに既視感を感じることはあった。中学生の頃の診断後は人並み外れた集中力によるものだと、そう周囲も認識していたし、日和自身もそうあろうとした。しかし、どう考えてもたかがデジャヴごときで会話の触りを聞いただけで展開が全部わかるはずもないし、テストでどういった問題が出題されるかが分かるなんてもってのほかだ。あたかも知っている内容に現実が合わせてきたかのような、そう考えるほうが自然に思える。しかし、そんなことを相談するとまた心配をかけることになる。一度診断が出たんだ、そういうことにしておくのが穏便にすむと。これは明らかに異常だと自分でわかる。類まれな集中力であると決着が付いたのだから、それを疑われることのないよう努力をしよう。なによりも、自分で自分を肯定してあげられるように。
日和は、自分を肯定するための努力はそれなり以上にしてきたつもりだ、そう思う一方で、『デジャヴ様』がなんなのかについても、なんとなくではあるがうっすら分かり始めてきていた。だが今回のこの予知めいた現象は明らかに異質だ。こんなもの、どうやっても解釈ができない。照らし合わせようにも前例がない上にデジャヴでもない。手詰まりだ。……なに、人に漏らさなければ知られることはない。これ以上頭のおかしいことで心配をかける必要もない。これは、自分のみが抱え込むべき事象だ。暗示をかけるように、日和は自身に言い聞かせる。
電車が踏切を通過した。そろそろ日和が乗るはずの駅で停車している時間だ。どんなに急いだってもう間に合わない。せめて、さっき頭の中をよぎった映像が現実のものとなるかだけは見届けよう。ふらつく足を強引に動かして駅へ向かう。駅のホームからならトンネルまで見える。何事もなく電車が進んだのなら、次の電車で学校へ向かおう。それでさっきのが予知なのか性質の悪い妄想なのかが証明できる。薄々分かっていながら、重い足を動かして駅へと向かう。どうかただの妄想であってくれと祈りながら。