重音苔念仏
濁った曇り空。
辺りには苔むした石造りの家や仏像が建ち並んでいて
嫌に濃い緑と灰色の景色が広がっていた。
どこからか、声の低い僧侶が詠むようなお経が響いてくる。
どれだけ頭を回しても音の方向は特定出来ず、まるで
自分の脳内でブツブツと繰り返されているようだ。
ただその場所に居るというだけで、何だか体が重くなってきた。
僕が立っていたのは小さな離れ島で、辺りは濁った海であることの気が付いた。
海面を、夥しい数の藻や海藻の先端が埋め尽くしている。
家や仏像が建ち並ぶ空間に行くには、眼前に伸びる長い長い木の橋を渡るしかなかった。
橋の一歩目を踏み出す。
板に足を乗せると、少し沈んで緑色の濁った水が靴を濡らした。
それは直ぐに内側の靴下にまで達して、僕に溜め息を吐かせた。
後悔していても靴下は乾かないので、諦めてそのまま足を進める。
潮の匂いはしない、淡水の海のようだった。
その時、小振りなクジラ程もある巨大な鯰が寄ってきて、僕は心の中で絶叫した。
すぐに襲いかかってくるわけでもなく、鯰は僕の横に寄り添うように並んで
汚い緑の水中をどよどよと泳いでいる。
このグラつく粗雑な橋から僕が足をうっかり踏み外したところを
すかさず汚い水中へ引きずり込んでしまおうと待っているらしい。
そのどこを見ているかわからない穴のような暗い目に気が付いてしまい
動揺してしまったせいで、何度か危うく落ちかけた。
橋の長さと足場の悪さもあって、渡りきるまでに一時間以上掛かってしまった。
ようやく着いた反対側の大きな島には、先程の小島から見えていた石の家や仏像達があった。
足はとっくに悲鳴を上げていたが
好奇心が僕のコックピットを陣取って否応なく歩かせる。
穏やかな顔で全身苔だらけ仏像は妙に禍々しい雰囲気を放っていて、注視出来なかった。
不気味に低いお経の声も相変わらず聞こえてくる。
とりあえずは石の家の一つに足を進めた。
石の家の玄関の戸は、爆風にでも吹き飛ばされているかのように跡形もなくなくなっていた。
あるいは最初からなかった?
家の中には無数の仏具や手のひらサイズの仏像が散乱していた。
突如、幼稚園児程の大きさの白い塊が視界を横切った。
慌てて目で追うと、それは白い煙か光とも言うべき曖昧な輪郭であったが
人間の子供であることがわかった。
誰もいない家の中を一人で走り回っているらしい。
相変わらず、周囲には経を詠む低い声が蠢いていた。
成仏 すれすれ の 白童児 は 高速 で 駆け回る
生者 と 無縁 の 苔 むした 廃墟 の 島 を
無邪気 な 足取り で 楽しそう に 懐かしそう に
(終)