取扱説明書
携帯カレシ
「声という声を扱い、すべての声に通じるこの館、ヴォイスマスターの館へようこそ」
「ええっと」
私には今の状況はさっぱり訳の分からないものだった。
いつもの曲がり角を曲がったはずなのに、知らない人の家に入っていて、しかも道化師のような身なりの男とも女とも見分けのつかない、たぶん人が立っていた。
「運のいいあなたに、良いものを差し上げます。詳しいことは取扱説明書を読んでいただければわかります」
小さな箱と、冊子を渡されて、流れで受け取ってしまった。
「これって、携帯? こんな高価なもの、いただけません」
「人助けだと思って、どうかお持ちください」
表情はメイクで読みとれなかったけれど、なぜかその人物からは断れない空気を醸し出していた。
私は返そうと手を伸ばしたが、触れるか触れないかのすんでのところで、まぶしい光に包まれて、私は目をつぶらざるを得なかった。
まぶしさが消えて、視覚が戻ると、そこはいつもの帰り道だった。
「え? 夢?」
二次元が好きすぎて、とうとう白昼夢でも見たのかと思ったけれど、手にした箱と冊子がそれが、現実だと言うことを私に突きつけた。
「ええと、携帯、カレシ?」
家に帰っても、誰もいなかった。
いつものことだ。
お父さんはいないけど、お母さんとお姉ちゃんは仕事。私の役割は夕飯を作ること。
とりあえず、知らない人にもらった電化製品を調べるのが先かもしれない。
そう思って私は、取説を開いた。
携帯カレシ
・あなたの好みの声のカレシがインストールされます
・性格は選べません
・携帯としての充電方法は通常の携帯と同じ
・携帯カレシを充電するには、携帯にキスをする
・NGワードは言わせようが言おうが、その瞬間に携帯カレシとの役割は失われます
・携帯カレシは他言無用です
説明を読んだだけじゃ、さっぱり意味がわからず、仕方なく携帯を箱から取り出して電源をいれた。
「俺は水嶋智哉。お前は?」
「ちょっ! この声は谷川大和!?」
携帯から発せられたのは、間違いなく私が大好きな声優さんの声だった。
「おい、無視するなよ。俺は水嶋智哉。音楽教師、27だ。地味なお前の名前は何て言うんだ?」
「地味ですみません。私の名前は戸田香奈です。高校2年です」
「おいおい、ってことは俺は教え子に手を出した教師ってことだな。おっけ」
「手を出したって、手なんてないじゃないですか」
「お前、アタマ固いな」
「余計なお世話なんですけど。教師ならもっと大人らしい喋り方をした方が良いんではないでしょうか?」
「おまえのカレシなんだから、普通だろ」
「カレシって」
「おまえ、説明書読んでないのかよ」
「読みましたけど、読みましたけど」
「ああ、あれか。あいつ、ちゃんと説明してないのか。めんどくせーな」
「色々と意味がわからないのですが」
「俺は特別な携帯。携帯カレシ。今日からおまえの、お前だけのカレシ。よろしくな」
「携帯カレシってなんですか?」
「まんまだよ、携帯カレシ。ってか、お前リアルにカレシとかいないよな? あいつが見繕ったってことは、たぶん大丈夫だろうし。まぁ、何せおまえ地味だもんな。カレシ居るとか言われたら、フリーズしちまうな」
常識を越えたその存在は、私が理解できないうちにまくし立てた。
「そりゃ、私はお姉ちゃんと違って地味ですよ。悪かったですね」
「そう言う態度は可愛くないぜ?」
「どうせ可愛くないですけど」
「見た目じゃねーよ。中身の話し」
「携帯に中身がどうとか言われたくありません」
「確かにそうだな」
携帯カレシは豪快に笑い飛ばした。
「携帯カレシさんは」
「智哉だ」
「ええと、智哉さんはいったい何者なんですか?」
「だから、携帯カレシだって言ってるだろう? おまえ、ちょっとアタマ弱いか?」
「携帯カレシとか言われても、意味が分かりません」
「取説は読んだよな?」
「はい」
「今日から俺がおまえのカレシだ。おまえが俺にさようならをいうまで、俺はおまえのそばにいて、おまえの味方で、おまえの子守役。まぁ、こんな体だから、出来る事って限られているけどな」
そんな訳で、私の生活は携帯カレシの出現で変わっていくのであった。