第九十三話 一方その頃2
「えっと。君は、誰?」
『さっき、話題に上ってただろ。俺は、イネス。確か35代目勇者なんで、よろ~』
「ええ、過去の勇者様ですって?確かに、35代目様はイネス・エルランジェ様と記憶しておりますが」
リリアが口元を軽く手で覆う。
「……リリア、歴代の勇者全部の名前覚えてんの?」
「ええ、もちろんですとも!歴代の勇者様はもちろん、聖女様方のお名前も全て覚えておりますわ!当代聖女としては当然です」
誇らしげに胸を張るリリアに、洋一は純粋にすげーと手を叩いた。
『おお、名前だけでこんなに信用してもらえるとは思わなかったな』
「信用したわけではありませんけども」
これまでの洋一に対する態度とは一変してリリアは半眼になり鼻を鳴らした。
「まあ、信用するかしないかは置いておいて、話しかけてきたってことは俺達に用があるんだろ?」
『そうそう、要件なんだけど。今までのお前達の会話や様子は聞いていた。俺は、今はお前らと同じような部屋から話している。こっちはお前達の様子が見えるが、そっちからはカメラが壊れてて見えないはずだ。一つブラックアウトしてるモニターがあんだろ。さすがに時間が経ちすぎて劣化がなぁ……。術式に介入された途端に一気にここまで崩れるなんて。いや、そう考えるとあっちの装置の回路を入れ替えて……』
「……んー、話が脱線してるように思うんですけど?」
『おー悪い悪い。まあとにかくお前達の様子と話は聞いてたんだよ。察しが良さそうで話が早く終わることを期待してるよ、俺はね』
洋一は肩をすくめる。
「さあ、期待に応えられるかは、話を聞いてみないと何とも」
『そうだよな。今お前達がいるのがラティンタジェルBにいるんだよ。ここな』
その言葉とともに、モニターに映っていた地図が消え、4つの遺跡が表示される。ルインで発見されている遺跡の全体図だ。そのうちのBと表示された部分が赤く点灯する。
「え、おかしいですわ!わたくしが入ったのはルフロワ遺跡のはずです。この地図でいうところのAです!」
リリアがモニターに表示されたAとされている遺跡を指さす。そうしながらはっと目を見開いた。
「あっ」
『名前のことは後世の人間が勝手につけたんだろう。俺はラティンタジェルと名付けた。お前達からすればややこしいだろうが、慣れろ』
「そんな横暴な!」
リリアは顔を朱に染めて怒る。洋一は口元に手を当てた。
「……名前のことはこの際いいよ。それよりも、リリアがラティンタジェルAに入ったのに、現在地がBなのは、空間を繋げたから?」
『察しがよくてほんと助かるねー。そう、それぞれの遺跡で空間を繋げた部分がいくつかある。だからそこの女がAに入ったが、途中で空間を飛んでBに移ったんだろうな。全然気づかなかっただろ?継ぎ目がわからないようにこだわって作ったんだよな。ははは』
洋一は感心したように息を吐く。
「道理で俺の脳内マップと現実が合わないはずだ」
『そのための仕掛けだからな』
洋一はこの部屋に辿り着くまで自分の通った道を全て記憶していたにも関わらず、道や部屋の配置が変わることを不思議に思っていた。幻覚の気配もなかったし、途中で自分の記憶力に自信が無くなったりもしたが、どうやら記憶力には問題がなかったらしい。ものすごく巧妙に隠されていただけだったというわけだ。
「俺もまだまだ修行が足りないなぁ。空間の継ぎ目に気づかないなんて」
『気づかれたら意味がねーよ。そこまで俺の腕が落ちてたら落ち込むどころじゃない。
それで、ルインの様子はお前達の知っての通りだ。困ったことに遺跡の中をめちゃくちゃにした……というか、体のいい実験場にしやがったやつがいてな。割と苦労して整えた封印が壊れた。もうほとんど持たない。町でいい動きをしてる奴が何人かいるから住民の避難等は進んでるようだがな。いかんせん人数が多い分時間がかかる』
先ほどのモニターで映し出された映像には、なぜか割れた眼鏡の男性と、冒険者ギルドのエリアマスターであるノラを筆頭に、住民の避難や安全地帯の構築に動く様子があった。
それよりも、だ。
「その封じてたものがなんなのか、知りたいんだけどなぁ。魔力に関係するものだってことは、町の現状でわかるんだけど」
『そのものずばりを言えば、精霊だ』
「……精霊?」
洋一は驚く。精霊はむしろ、魔力を制御する存在だ。
『訳アリの精霊だったんだよ。氷の魔力を纏い、季節を押し出して巡らせる特別な役割を負った存在。雪の女王』
雪の女王と言われるとアンデルセンを連想してしまったが、たぶん全く関係ないんだろう。だって精霊だし。
「へえ、そんな精霊がいたのか」
リリアとしても雪の女王と呼ばれる精霊がいることは初耳だ。
「その、雪の女王を封じていたのは、なぜですか?」
『力を制御しきれなかったんだよ。必要以上に周囲を凍らせ、人間どころか動物や、草木の一本すら生えない世界になりかけたんだ。今の時代にもちゃんと寒さの厳しい地域ってあんだろ』
「ええ、北のミネレンス山脈周辺は年中氷に包まれていますけれど……。その他にも寒冷地はいくつかあります」
リリアは世界地図を思い浮かべる。主に北の地域が寒かったりするが、ぽつぽつと南や東にも寒冷地は存在していたはずだ。
『封じられてるからその程度で済んでるって言えば、想像できるか?』
「……それは、由々しき事態ですわね」
リリアにとっては書物でしか見たことのない知識だが、場所によっては極寒の地域でもそれに対応して人は住んでいる。だが、それが対応しきれないほどの冷気が世界に蔓延すれば……。そもそも、もともと暑い国まで冷えてしまえば、大量の死者が出る。気候変動は大ごとだ。
『本来は雪の女王が自分の力を制御し、世界中を移動することで冬が移動し、季節を動かすってのが正常らしいな』
「ああ、なるほど。女王から遠ければ遠いほど暑い地域になるってことか。ふーん」
「……いえ、今の話はおかしいわ!封じられていたのなら女王は同じ場所に長くいたということでしょう?けれど世界中で季節の移り変わりはありますわよ。地域によりますが、わがエネルレイアには五季がありますわ」
『シルフが、封じられてすら漏れだしてた氷の魔力を風で押し出して送ってたんだよ。暫定処置ってところか。とはいえかなりの労力だ。ご苦労なことだ』
「シルフとは、風の大精霊たる?」
『ああ、その辺の事情はお前らに説明する気はない。精霊の事情なんて説明が難しいし、時間も惜しい』
「えー。……その力の制御ができなかったってやつ、場所が悪かったんじゃないのか?ここ、地下深くには魔力溜まりがある噴火口だぞ」
洋一が厳しい顔つきになるが、気楽な返答が返ってくる。
『そこは現在町で起こってる現象には関係あるが、雪の女王の話とは関係ない。あれは場所の問題じゃなかったから。まあ、精霊の問題だったんだよ。力の制御ができないことはな。雪の女王の封印のついでに魔力溜まりの覆いにもなってたってのは確かだが。というか、そういう風にしたんだ』
「あー、ほんとによく考えられてるのな。町の機能の維持、精霊の封印と、魔力の適正な放出量の調節もあの魔法陣で担ってたってみたいだし」
洋一は感心のため息をつく。考えることはできたとしても、ここまでのものを実際に作り上げることはなかなか難しい。そもそもこの遺跡だってかなりの広さなうえ、町をまるまる一個作るなんて。
『はっ。こういう方面が強かっただけだよ。向き不向きの問題だ』
イネスの声からは、自嘲が混ざっているように聞こえた。
「それで、この事態の収束方法を教えてくれるのかな?封印のお膝元のおかげでこの場所までは魔力が来てないけど、どんどんこの場所の魔力の濃度が上がってる。このままいくと魔力過剰で町は全滅だ。僕達を含めて」
リリアははっとモニターに視線を移す。変わらずのたうち回る人々が映っていた。
『俺の考え抜いて作ったシステムを壊しやがったやつがな、雪の女王を殺しやがった。このままだとやっとこさ封じてた氷の魔力と合わせて、蓋っつうか、ダムの役割をしてた封印が完全に崩壊すると、魔力溜まりが一気に放出される。しかも、俺の最高の住処たるラティンタジェルに魔物を閉じ込めて実験場にしやがった。その際に生じた魔力が混ざって、瘴気が蔓延している。ただの魔力じゃない、瘴気が噴き出したりしたら、何が起こるかわからない。町で苦しんでる人間なんか目じゃないんだよ。滅びが来る。全身穴という穴から血を噴き出して死ねたらまだマシなんじゃねーのってことになるぞ』
リリアは青ざめる。
「そんな……瘴気というものはそんなに危険なんですか?」
「瘴気はそれ自体が薬になることがない毒なうえ、状況から考えて量が半端じゃない。イネス……さんが言うことはたぶん間違いじゃないだろうな」
洋一は眉間を指で押さえた。
頭の痛い問題だ。ことが魔力に関する問題なら、人の身でどうにかするのはかなり難しい。最初に考えていた魔力をゆっくり浄化する構想では、とてもじゃないが間に合わない。
「……雪の女王が死んでしまったなら、この事態を収拾できないのでは?」
精霊自身は魔力でできた存在なのではなく、実体のない精神体だ。魔力を制御することには長けているが、その実彼らの究極的な存在意義は魔力を必要な場所に必要なだけ流すことにある。つまり循環装置なのだ。季節を巡らせるというのも、あくまで世界の大いなる循環の一つである。雪の女王は制御できなかったとはいうものの、その循環に耐えることのできる精神体であるはずだ。並みの精霊や、他の精霊では替えがきかないものだろう。だが、現状の魔力に関する問題を解決するにはどうしても、いったんこの地にある莫大な魔力を操り、浄化し、受け止める存在が必要になる。
それがなければ、動きようがない。
『新たな雪の女王はこの世に存在している。ただ、生まれるまでにもう少し時間がかかりそうだ。時間稼ぎが必要なんだよ。今の想定だとな。それと、殺された雪の女王自体の魔力が暴走一歩手前でな。それをどうにかできそうなやつを、お前達に起動させていってほしいんだよ』
「そんなものがあるのか?」
『一応昔作ってたやつが、まだ使えると思うんだ。いいか、場所は……』
『イネス様、充電が進でないみたいです』
『おおっと、そっちは……』
洋一は急に入り込んだ女性の声が聞き覚えのあるもののような気がした。リリアのほうをみると、彼女は気付いた様子はない。
「そちらに誰か、いらっしゃるのですか?」
『ああ、あんたらと同じようにここに入り込んでたんだよ。今は猫の手でも借りたいんでな。それよりも、場所はここだ。指示は出すから、インカムつけてここに行け』
モニターの地図の一部が赤く点滅している。
「わかった。リリア行こう」
「はい」
制御室を出ていく一瞬、洋一達をこっそり見ていた月夜とやきとりと洋一の目が遭う。だが、洋一はなにも言及せずそのまま出て行った。
月夜とやきとりは無言で今聞いた話を脳内で消化しながら、互いに頷きあう。そして二匹もその部屋を出て、イネスがいる制御室へ走った。そこにあの声の女性がいるはずだからだ。
二匹はエレノアを目指して走り出した。
しばらく入院してました。しんどかったぁ。今は退院してますが、まだ微熱ぎみ。今日から仕事だぁ。ここまで読んでくださっているありがたいあなた、体調は気をつけてくださいね。