第九十一話 雪の女王
「その子は……」
アルディリアの頭は少女をみた瞬間、生前からのクセで高速で記憶を手繰る。
それは、優人が経験した記憶だった。
遺跡の地下、崩れる遊園地の中で、二人の男の足元にいた少女がシルフの前にいる少女だ。そして、少女の隣に置かれた水晶と、あの時発動した魔法陣の形。
その後にめぐるのは、生前の記憶。
アルディリアは微かに迷う。この事態の一旦は、生前の自分にあるとわかってしまった。だが、ささいなそれを、ここまでこじらせたのは別人達だ。恐らくと言わず、確実にあの二人の男達だろう。
……優人は、もう少しだけ私が動くことに同意してくれるだろうか。
アルディリアが裏側を探っても、まだ優人が表に戻ってくる様子はない。
彼が意思をもって動かないのか、それともまだ眠ったままなのか。どちらにしても今目を閉じれば体は意識を失うだけで、危険か。
そう結論を出し、アルディリアはシルフの抱える少女に近づき、その体に触れた。
「これは……」
アルディリアはその少女の体の中が、ぐちゃぐちゃであることに気づく。臓器も、魔力回路もなく、ただ肉と魔力を粘土のようにこねて、人の皮を被せただけだ。しかも、これはただの魔力ではなく瘴気。肉に使われているのも様々な魔物や人間や獣人や動物を混ぜている。キメラといえるかもしれないが、これはキメラよりも悍ましいものだ。おそらく肉体に関してはキメラの研究の発展形。
触れただけで、作り手の好奇心に裏打ちされた狂気と悪意がわかる。どうすれば、なにを合わせれば、人の形になるのか。そして、それを動かすには何を入れればいいのか。気持ち悪いのは、これは人間を作ろうとしているのではないことだ。人を作るなら臓器や魔力回路にも手が及ぶはずなのに、それがない。これは人の形をした別物。肉で作る人形を目指しているとでも言えるのか。
そしておそらく、その作り手によって人形を動かすものとして選ばれたのが、精霊だった。
そこに押し込められた微かに感じる清浄な精霊の気配は、もうすでに残りかすの状態で、めちゃくちゃに組まれた瘴気と悪意に絡めとられて、解くのは不可能だ。
内部を探ったこちらが吐きそうなほどの酔いをもたらす。
「くっ」
「大丈夫、アルディリア!」
アルディリアは口を手で覆いながら問うた。
「シルフ。この子は、あの時の、雪の女王だな?」
「そう、そうよ!あなたも世話をしてくれた、あの子よ!」
シルフの顔に喜色が浮かぶ。
「では、あの遊園地の魔法陣。あれは私が施した封印ではない。あれでこの子を封じていたのは、誰?」
「それは……。昔の勇者よ」
「そうか。なら悪意はそこではないようだな」
アルディリアは口元に手を当て少し考えたあと、ちょいちょいと手を振ってイゼキエルを呼んだ。意外にも大人しく近づいたイゼキエルに促し、彼にも少女に触れさせる。
イゼキエルは躊躇うことなく、銀髪の虚ろなアメジスト色の目の少女に触れ、そして彼も少女の状態に気づいたようで、目を見開いた。
「無理はするな。吐きたいなら吐きたまえよ」
「っ!」
イゼキエルは唇を噛みしめ、耐えたようだ。その様子をみてアルディリアは話を進めることにする。
「君、精霊の召喚はできるか?」
「ああ。だが……」
「大丈夫だ」
「……」
精霊の召喚自体はできる。だが、6年前から精霊は召喚に応えなくなった。そのことは優人に話したし、アルディリアも聞いていたようだ。それでもなにか考えがある様子に、イゼキエルは魔力で地に魔法陣を浮かび上がらせる。
「早いな。さすがだ」
アルディリアは笑みを浮かべた。
魔力を流しながら陣を描くというのは、本来はとても時間のかかることなのだ。それを一瞬で行えるというのは、相当の魔力量とコントロールができるということ。
詠唱省略もできるようだし、実力も相当なものだということがわかる。魔力に愛され、なおかつ勤勉で努力家の証だ。
「召喚対象は?」
「あの子だ」
アルディリアは虚ろな少女を指す。
「……」
イゼキエルは対象を魔法陣に組み込み、発動させた。
まばゆい白銀の光が発生し、少女の座る地に同じ魔法陣が現れるが、バチンと何かが弾ける音がして光が弱まる。
「……シルフ」
「……むぅ」
アルディリアが釘を刺してシルフが渋い顔をすると、再び光が戻って少女の前に扉が現れる。だが、その扉が開かれることは無かった。
「……ふむ」
アルディリアは一つ頷くと、イゼキエルの魔法陣に手を翳した。
「少し歪めるぞ」
「!」
アルディリアの干渉によって、魔法陣が少し書き換わる。すると白い光に緑が混ざり、もう一度扉が現れて、今度は開かれた。
「ああ……」
「なるほど」
シルフの絶望した声に、アルディリアが手を引くと、イゼキエルも魔法陣を閉じる。
「……6年前から精霊が召喚に応じなくなったのは、お前が止めていたからか」
「……そうよ。私より下位の精霊は上位の精霊の意思に従うから、私の拒絶はほとんどの精霊もそれに倣うでしょうね」
シルフは意気消沈しつつも、イゼキエルの問いに答える。
アルディリアが手のひらを上に向けると、小型化したイゼキエルの召喚陣が浮かんでいた。
「この魔法陣の形態だと、私が生きた時代から五、六千年くらい経っていそうだな」
アルディリアの生きた時代に使用されていた魔法陣と、イゼキエルが使っている魔法陣は同じ召喚陣でも変化している。研究が進めば進むほど、余計なものは削ぎ落され、より効率的に変わっていった結果だ。生前アルディリアは召喚陣の研究が進めばこのような形になるだろうな、と想定していた形に変わっているイゼキエルの召喚陣をみて、魔法技術の進歩具合を知る。
要するにアルディリアは六千年前に現代の魔法陣の形態を想定していたということになるのだが、アルディリアは精霊の召喚陣に関しては現代において古臭い形をあえて使い続けていた。それには理由があるのだが、それについて深堀するのは置いておくとする。
それよりも、だ。
「シルフ。その子を助けることはもう無理だ」
「……」
シルフは涙を溜めた瞳でアルディリアをみる。
「精霊の召喚陣の扉が開かなかった。対象をシルフに変更したら扉は開いた。魔法陣の不備ではない。その子はもう、精霊としては死んでいる」
シルフの目から涙が一粒こぼれた。
「精霊に肉体は存在しない。受肉されてしまった精霊はすでに【変質】している。だからこの子はすでにべつのモノだ。実質的な精霊の死。それに、この子はただの精霊ではなく、雪の女王の座につくものだ」
「ええ」
アルディリアがイゼキエルを振り返る。
「雪の女王と呼ばれる精霊がいる。この子は冬を呼び、季節を巡らせる精霊。死と冬のカミ、灰と再生のカミの娘だ」
「……」
イゼキエルは思い出す。死と冬のカミ、灰と再生のカミといえば、先ほど遭遇したカミ達だ。
「だが、精霊召喚の扉が開かなかった。だからもう、この子は精霊ではない」
「っ!」
シルフは少女を、雪の女王だった精霊をぎゅっと抱きしめる。
「それに、雪の女王という座は一つだ。そこが空席になったから、死と冬のカミと灰と再生のカミの間に新たな命が宿った。あれが、次代の雪の女王だ。そこから導いても、その子はすでに雪の女王ではなく、精霊でもない」
イゼキエルは軽く息を吐いた。
この状態を解決するのは、限りなく不可能だ。
「……シルフ。この問題をどうするかは、私が決めることではない」
「……でも」
「今はその、昔の勇者という人物が施した封印を流用して瘴気となった魔力を抑えているんだろうが、それも時間の問題だ。あの二人によって封じも意味のないものになっているし、間もなく崩壊するだろう。それに……」
アルディリアは一瞬考えた。あの、アレクセイという男達の目的は、おそらく。
「封じられていたこの子を引きずり出して受肉させたのは、あの二人の男か?」
「そうよ」
周囲で風がざわめく。シルフの怒りに風が反応している。
「この子は、自分の力をコントロールできなくて、大人しくずっと眠っていたわ。あなたが死んでしまってからは、何千年か過ぎたあたりで当時の勇者が眠らせた。その封じの下からこの子を引きずり出して、そしてあの人間達が……」
シルフは辛そうに顔を歪める。
「彼らの真の目的は、時間への干渉だな」
「そうだと思うわ。どこで見つけたのか、時水晶を持っていたもの。おかげで私の力ではこの子を守れなかった」
「彼らの言動と、あの時の魔法陣からすると、おそらく過去へ飛ぼうとしていたのだろう。過去へ行ってなにをしようとしていたのかは、わからないが。しかしその目的のために余計なことも多くしていったようだな。遺跡の状態と、この子の状態をみればわかる」
時系列を整理すると、あの二人は時への干渉を実行する準備段階から、悪意をまき散らしていたようだ。
シルフはアルディリアに手を伸ばした。
「お願い、アルディリア。あなたほどの人でなければ、この状況を覆せない!だから、妾は、魂に干渉してまであなたを!」
だがアルディリアは首を横に振る。
「シルフ。それはダメなのだよ。人も精霊も、例外なく、今自分にある手札で勝負するしかないのだ。私は君の手札にはなれないし、ならない。少なくとも今はね」
「ならば、妾に、この子を見捨てろと?それにこの状態を放置すれば、あなたの大事にしてたこの世界もめちゃくちゃになるのよ!」
「私はなにもしない。四聖賢と呼ばれた当時の私はもういないのだ。どうにかしたいのなら、今生きているものに頼むんだな」
「だとしたら。でも、その子は……」
アルディリアはニッと口角を上げる。
「シルフ。彼を、なめるなよ」
私にできないことを、できる子なんだから。
そしてイゼキエルを振り返り、声なく口の形だけで頼んだぞ、と言った。
「さあ、来る。彼を呼び戻す、存在が」
その瞬間、地震が起こる。
それはシルフにも予想外だったようで、腕の中の少女を守るように抱きしめた。
そのあと、空間にひびが入り、そこから金色の少女が身を滑り込ませ、さらにその後ろから小さな影も三つ飛び込んでくる。
「とりゃー!」
「にゃー!」
「こけー!」
「きゅー!」
月夜が優人の足元に体をこすりつけ、やきとりがもう片方の足にしひっと抱き着き、遊園地でみた自動人形がなぜか、巨大版の夏祭りの出店で売ってる金魚を入れる袋に入った白桜を持っている。
そして。
『や、やっと繋がったー!話せないし、君のこと見えないしで焦ったよー!大丈夫かい、優人君?』
ウィンドウ画面がうるさいくらい点滅している。音と光がうるさい。
エレノアがすぐに優人を見つけると、黒い瞳を輝かせて駆け寄り、優人の目を覗き込んで手を握った。
「ご無事ですか、ユートさん?!」
優人はぱちくりと瞬きを一つ。そして口元が笑みを彩る。
「大丈夫じゃなかったけど、今ご無事になったわ」
副題 みんな久しぶり