第七十一話 探索
フードの男は地図も見ていないのに、先ほど俺達が出会った場所も通り過ぎて進んでいく。もしかしたら、道を全部覚えているのかもしれない。
そして男が最初に引き返したところまであっという間に着いてしまった。あっという間っていうのはほんとにあっという間だ。道中には魔物もそれなりに出てきたし、通路に罠とかだってあったのに、フードの男はあっさり回避して進んでいく。逆に俺達は追いかけるのも結構大変だった。なにせあいつは自分の後ろの俺達を気にして進んでいるわけではないから、魔物も自分の処理だけ済ませてあとは放置、後ろの俺達はそれらを倒さなくちゃいけないし、罠だってあの男が対処した以外の残り弾はしっかりとあるわけで、それはノルの助言がなければきつかっただろう。まあ、俺はその冒険者のパーティー達のおかげで楽に追いかけられたと言っても過言ではなかったのだが。
とはいえ結果的にフードの男が道筋を切り開いていることには変わりなく、あいつについていくとものすごくスムーズに進めたのは間違いない。人間追い込まれればこれだけ迅速に動けるんだなと、のんきな感想を抱いた。
そんな中たどり着いた場所は行き止まりだった。今までと同じような壁に囲まれた部屋で、何もない。壁の出っ張りであるとか、そういったものも一切ないシンプルな小部屋のような空間だった。
「ここは……」
ノルがなにかを探すように、部屋中に視線を走らせる。壁に近づき、手を当てたり叩いたりして調べ始めた。
「おい、ノル?」
「この部屋、なにかありそうな気がするんです!」
と、壁の際や天井を見上げたりしているうちに、ノルが壁際のなにか引きずった跡をみつけた。
「ここ!」
とノルが声を上げ、壁を触りだす。
「その壁を一度押し込んで手を放せ」
「えっ?」
フードの男が珍しく会話らしい声を発したことにもびっくりだが、その内容にも驚く。それは、そこになにがあるのかを知っている口ぶりだったからだ。
しかしノルは、フードの言葉通り引きずった跡のある床に接する壁を一度押すと、それは手前に押し返され、長方形に切り取られた壁が外れて空洞が現れた。
人一人が通れるような空間は下に掘り下げられているようで、ここからさらに下に探索できることを示していた。
「ちょっと待て、この遺跡で確認されている階層も地下三階までだったよな。俺達が今いる階もそれくらいじゃなかったか?」
「その通りです。ちゃんと進路は僕が記録していますから、今いる階層が、いままでこの遺跡を探索して判明している最下部です」
「だがこの穴はさらに下に繋がっている。つまりここから先は誰も行ったことのない。未知のエリアっていうことは、これは大発見なんじゃないか?!」
タリスがノルのもつ手製の地図を覗き込みながら歓声を上げる。
「すごいわ!これは大きな成果よ!すぐにギルドに連絡してって……上の階に戻れなかったのよね」
「報告なしに進むのは危険ですしね」
「皆さんの期待を裏切って申し訳ないですが、ここを最初に見つけたのは僕ではありません。そこの人です」
「は?ノルがここを見つけたんじゃねーかよ」
バッカスが首を傾げるが、ノルはフードの男を指した拳をぎゅっと握り、冷静に返す。
「さっきのは明らかにこの隠し扉に気づいている口ぶりでした。たぶん一度ここに来ていて見つけたんじゃないかな。ここに来るまでの道にも迷いが無かったし」
俺はノルの推測を聞きながら、そういえばフードの男はこの部屋にたどり着いてそうだったのにすぐ引き返して来てたな、と思い出す。つまりはこの隠し扉を見つけて、ギルドに報告しようとしてたってことっぽいな。未知のエリアを見つけたら報告する義務とかあるんだろう。イザベラもそういうこと言っていたし。
なんとなく雰囲気が重くなる。この場の会話的に、恐らく探索して未知のエリアを最初に発見するのは大きな手柄なんだろう。自分達が最初の発見者だ!と思ったらすでに見つけられていたというのは、まあ確かにショックかもしれない。期待が大きいほどそれがなくなるとより落ち込むしなぁ。
そんな冒険者パーティーを歯牙にもかけず、フードの男はこちらに背を向けて再び解析スキルを発動していた。
相変わらず内容はわからないが、先ほど見えていた二つの線が明らかにまだ先に続いているのは見える。方向は違うものの、たぶんこの穴の下に下りないとその線の先は辿れなさそうだ。
「やはり、先に進むしかないな」
フードの男は魔法陣を消してそう言った。
「あなたが辿っている、結界魔法らしきものの元はもっと先ということですか?」
「そうだ。出られない以上、進むしかない」
カーソスは問うたものの、まともに返答されるとは思っていなかったので会話が成立したことに驚く。
「……助けが来る可能性は?」
「あると思うならじっとしていろ。無駄に体力を減らして死を早めたくなかったらな」
「可能性は低いということですね」
その場の人間の全てが、暗闇に通じる穴に向かう。
「じゃあ、ここを下りるしかないのか」
その場の人間の誰もが、一番安全な方法は何かと考えただろう。
「ねえあなた。本当に人間なのよね?」
「……ああ」
イザベラはなぜか念を押すように俺に聞いた。その目は、その意図を語る。
あの目は、差別の目だ。劣ったものを見る目だ。それが当然のことと思っている傲慢の目だ。
おそらく俺に本当に人間かと聞いたのは、俺が獣人であればこの未知のエリアの探索を先に行かせようと思っていたんだろう。たしかに安全を確かめるには、誰か一人がこの下に降りるのが、全体の生存率を上げる。そう考えたのは問題ない。問題なのは、誰がこの下に降りるのかを決めるうえでの判断で、獣人であるかそうでないかを基準にしたことが問題だと、俺は思う。
獣人、つまり奴隷である。
奴隷という言葉は日本ではあまり浸透していない。二次元の作品などでは出てくるが、身近なところにはないだろう。一番その言葉が流れてくるのは、ニュースだと思う。クラスメートの持ち寄るゲームやアニメ情報を聞く以外、あまり二次元に触れていない俺からすると、奴隷と言われて連想するのはそれだ。
たとえばアメリカの黒人問題とか。何年かに一度、白人が黒人を害したというニュースが流れてくる。昔、敏和さんがそのニュースをみた時の会話が思い出される。
夏の暑い日だった。敏和さんはラフな白いシャツを着て、扇風機にあたりながらもうちわを片手に扇いで、俺と二人でテレビの前に座ってそのニュースを見ていた。
それは、アメリカのどこかの州でデモに参加していた黒人の男性を取り押さえた白人の警察官が、彼を押さえつけすぎて窒息死させてしまったという事件だった。
「またか」
ぽつりとそう敏和さんはこぼした。俺が敏和さんを見上げると、敏和さんは視線を落とすことなく、しかし目元は悲しそうに俺の名前を呼んだ。
「なあ、優人。またこんな事件が起きてしまったなぁ」
「……またなの?」
「そうだ。時々このニュースが流れてくる。この死んでしまった男性は、息ができないとちゃんと訴えていたのにな。それでもとまらなかったのか……。違う国の出来事だから、日本まで聞こえてくるのは相当の事件だからだろうが、実際はもっとたくさんこんな事件が向こうでは起きてるんだろうな」
「ふーん」
その時の俺にはその事件がどういう意味を持つのかわからなかった。まだ世界史もやってない小学生だったしな。でも、敏和さんが心を痛めているのはわかって、たぶんこれは大切な問題なんだな、と記憶に残った出来事だった。
今ならわかる気がする。敏和さんがその事件を気にかけた理由。
あの時のニュースで問題だったのは、[取り押さえた側]で圧倒的優位だったにも関わらず、[取り押さえられた]男性が、息ができないと訴えた言葉が、警察官のその手を止めたり緩める、ストッパーにならなかったことが問題だったんだ。
なぜ、その手を止められなかったのか。
たくさんの人達によるデモの混乱で、警察官も傷つけられる恐れがあって、過剰防衛だった?違う。相手は非武装の無抵抗で、しかも犯罪者の対処でそういうことには慣れた警察官が押さえつける側だ。そんなの恐怖の天秤は圧倒的に亡くなった男性のほうに傾いていただろう。にも拘わらず手が止まらなかったのは、心の、意識に根付いた部分で、そいつにはやりすぎてもいい、手心を加える必要のない、自分と同等でない、というものがあったからではないのか。
そういう意識が差別だ。
シンデレラが継母にいじめられたとき、二人の姉達もシンデレラに対して辛くあたったのは、継母がいじめるのが[普通]だったからだ。それが当然のこととしてまかり通っていたから、シンデレラは二人の姉からも差別された。
そしてその差別がなくならなかったのは、そのほうが都合がよかったからだ。面倒くさい家事を押し付ける理由。なんでも命令していい理由。重労働をさせてもそれに対する対価を払わなくていい理由。差別はする側にはとても都合のよいものだろう。
獣人は、それと同じ目に遭っている。
今回俺がもし本当に獣人であれば、危険な役目は常に俺が押し付けられていただろう。ルインの町を通るときに見かけた、遺跡を掘る重労働をさせられていた獣人達と同じように。そして彼らはそれを断る術はないのだ。なぜなら、獣人には全て刻まれるという奴隷印は、ただ奴隷ということを見分けるためにつけられているものではないからだ。ブルイヤール教会にいる間にアランから教えてもらったことだが、奴隷印とは魔法陣であるらしい。だからそれを刻まれると魔法的に拘束され、奴隷たちは否応なく主人に逆らえなくなる。
魔法の効力とはいえ、完全に逆らえないというのは経験したことがないから実感や想像も及ばないが、それが差別という話になるとそんな遠い話ではなくなる。
|俺達の周り(日本)は未だに差別に取り巻かれている。
子供は弱者だ。力では圧倒的に大人にかなわない。だから生まれた場所の運が悪ければ暴力をふるわれることもある。
学校内のいじめもそうだ。
部落差別もまだ根強くある。
女性に対する意識も、最近は多く叫ばれているが、まだまだ進まず問題点も多い。
差別は手を変え品を変え、俺達に襲い掛かる。
そういう意識があったから、ノラも俺にかなりキツイ扱いになったんだろう。だから許可証の発行だったり動いてくれるようになったのを不思議に思っていた。いくらアランが頼んでもそんなにスイスイ動いてくれるような態度じゃなかったからな。たぶん俺が人間であるという話が出たからだったんだろう。
あのニュースを見ていた時、敏和さんが俺の頭を撫でて言った。
「人間てのは賢いように見せかけてバカなとこがあってな。一度染みついたものはとれないんだよ。猫に育てられた子狼を野生に戻したらちゃんと狼に戻ったのに、狼に育てられた人間を人間の社会に戻しても戻らないんだ。それだけ一度人間の中に取り込まれた情報は消せない。だから、まだ真っ白な子供達に託していくしかない。命を繋ぐっていう代謝が俺達にはある。だからこそ、俺もお前に見せる姿はちゃんとしてないとな」
その言葉通り、敏和さんや美都子さんは俺の空虚で壊れたガラクタで軋む心に愛情を注いでくれた。大事なことを教えてくれた。
生まれは選べない。俺はそれをよく知っている。俺は運よく敏和さん達のもとに来られたが、未だ俺の心に染みついているものは取れていない。俺の心はひび割れているから、注がれた愛情も漏れ出ていく。留めておけない。それでも、そんな器でも、底にはほんの少しそれが残っていて、俺はそれを大事にしたいと思っている。二人が望んでくれたように俺は生きたい。少しでもあの人達に返したい。
改めて俺は自分の帰る目的を認識する。俺は、俺の家族のもとへ帰る。
だったらこんなとこでぐずぐずしている暇はない。
「俺が下に下りる」
「え」
俺はカバンからロープを用意しながらそう言った。
「いいのか?」
「誰かが行かないといけないことだろ」
「そうか」
タリスがほっと安堵した気配を感じる。
俺達のやり取りを聞いていたフードの男が、ふんっと鼻を鳴らした。
「そいつ素人だぞ。冒険者が危険な先行を素人にさせていいのか?」
お前らプロだろ、という嘲りを含んだ声音で、一気にタリス達は怒りで顔が赤くなる。
「そんなわけないだろ!なんだよ、素人なら先に言えよ!」
タリスは自分達の持ってきたロープを準備する。柱のようなロープを固定する場所がないので、仕方ないが石の床に金属の杭を打ち付け、そこにロープを結ぶ。
「ほら、お前ら行くぞ!」
「一人で行かせようとして自分達は三人か」
ぼそりと落とされた言葉は三人に届くことなく溶ける。
イザベラとノルは杭が外れないよう見張りも兼ねて押さえていた。
そういえばと俺は思う。このフードの男は俺に対して態度は変わらない。フードを深く被っているから顔は見えないが、それこそ差別は感じない。まあ、差別はなくても最初からひどい扱いだっただけかもしれないが。
タリス達は柱に括り付けたロープを掴み、下りて行った。