第六十八話 土管の先
がぶり、と腕に痛みが走った。咄嗟に腕を振って張り付いている何かを振り払おうとしたが、離れない。意識が覚醒したせいで打ち付けた背中のじくじくとした痛みが存在を訴える。
「おい、起きろ」
覚えのない声が聞こえた。うっすら目を開けると、ぼんやりとオレンジの光が壁に当たって揺れるのが見える。
「死にたいなら勝手だが、そのままだと干からびるぞ」
「ひか……らびる?」
ふっと腕に視線を下げる。するとそこには見たことのあるコウモリの魔物の牙が突き立てられていた。
《ステータス》
アカマダラキュウケツコウモリ(好みは社会的弱者の血)
HP 120/120
MP 65/65
LV 10
俺は飛び起きてコウモリを右手で掴んだ。しかしはがれない。
「お久しぶりだなこのコウモリ!ついでに好みが趣味悪!特殊すぎる!てかそれどうやって見極めるんだよ。血の味に違いが出んのか?」
「やっと起きたか。お前、許可証をみせろ」
「え……。この状況の人間に訊くことがそれかよ!」
俺に呼びかけていた人物は深くフードを被っていて、どんな奴なのかさっぱりわからない。俺も人のことを言えた義理じゃないから思っちゃいけないんだろうが、見る側にまわると怪しすぎる。
あ、俺今フード脱げてて耳隠せてないな。そんなことよりも腕が痛い!あれ、なんか体が冷えて気が遠くなっていくような……って、血が足りなくなる!
「なんで獣人がこんなところにいる?」
「こんなとこっていうか、ここがどこかもわかんねーんだよ!それよりも!コウモリをなんとかしてーんだけど?!」
「……お前、獣人じゃないな」
「え、俺の意思が伝わってねーのかな!助けを求めたんだけどな!」
「俺の質問に答えろ」
「おい、スルー?!てかもしかして俺人間に戻ったのか?!いや、戻ってねーな!あ、これ、貧血で死ぬ」
「……」
フードの男に翻弄されている。一瞬期待して頭頂部横を触ったけどやっぱりモフっとしたけもみみの感触があった。俺の期待を返せ!
俺がしつこく腕に食いつくコウモリを引きはがそうとするが、食い込んだ牙が離れることはなく、このまま引っ張れば肉を食い破られそうだ。しかも吸血されてるせいでクラクラする。
俺の意識が飛びそうになったとき、ザシュッとコウモリが氷の刃に撃ち抜かれた。
「お、おお……」
ふらつく頭を無理やりもたげて、フードの人物を見た。今、こいつが手を振ったら氷の刃が現れたのがわかったからだ。
「お前、許可証を持ってないな。盗掘者か?」
するりと、なにも武器を持っていない手を刃のように首元に突き付けられた。なんとなく勘が余計なことはするなと訴える。
「俺は、盗掘者じゃない。許可証も、一応発行の手続きは進んでるはずだ。俺が失念してて、まだ取りに行ってないんだよ。だけど、遺跡への立ち入りの許可はもらってる。疑うなら冒険者ギルドのノラ……さんに確認してくれ」
「ノラ……」
さらに手が強く首に押し当てられる。あれ、さらに警戒心が増してないかこれ。
「俺は世界で一番嘘が嫌いだ」
すぅっと頭が冷える感覚がした。これは、焦ってたり慌ててる場合じゃない。
「嘘はついてない。この遺跡に用があったんだ。その道の途中でキメラに襲われた。慌てて逃げたら……緑の土管があって、そこに入ったというか、落ちたら気づいたらここにいた」
洋一のことは省略だ。ややこしくなるしな。
「キメラだと?」
フードの男の視線が上を向いた気がした。地上に視線をやったんだろうが、いまは石で積まれた天井があるだけだ。そういえば、フードの男の持っているカンテラでちょっとだけ周りが見えてるな。
「この遺跡に用とはなんだ」
「それは……。ちょっと調べてることがあって、その手がかりがここにあるというヒントをもらったんだよ。まあ、ダウジングっていう、信憑性はよくわからないヒントだったんだがな」
一応恩人のテルマの助言だ。確認しようという気持ちにもなるが、またなんらかの災難に巻き込まれたくさいな、これ。
「……ダウジングだと?……そのヒントをお前に言ったのは、もしかして女か?」
「は?まあ、そうだけど」
「……」
これまでの話のどこで納得したのかはわからないが、フードの男は俺に突き付けていた手を下した。
「お前、許可証は発行中だと言っていたな。何色だ?」
「え、そういや何色だったんだろ。現物見てないからわかんねー」
「自分で申請を出したんだからそれくらいわかるはずだ」
「いや、知り合いが代わりにやってくれたんだよ」
「……はぁ」
なぜかバカにされたようなため息を吐かれてむっとする。いや、マジで今回はイレギュラーだったんだろうし仕方ないんだって。
と俺が内心不満を漏らしていた時、そのフードの男は突然去って行ってしまった。
「え……」
一瞬きょとんとなった。え、こんな尻切れトンボみたいな状態で立ち去っていく?すっげーいい歌だなと思って聞いてたら、最後のメロディーがまだ続きそうな感じで途切れれるときみたいな置いてけぼり感なんだが。あれ、このたとえわかるかな。
いや、そんなことよりもだ。外に出るための手がかりはあのフードの男しかいないんだ。背中と腕の痛みに顔をしかめながら、俺はあわてて追いかけた。
すたすたと先を進む男の十数歩後ろを歩く。すたすたというと簡単に進んでいるように思えるかもしれないが、この遺跡はさっきのアカマダラキュウケツコウモリ以外にも魔物がいるらしい。でっかい蛇やらサソリやらが一瞬姿を見せるが、これまた一瞬のちに姿を消している。それはそのフードの男がいとも簡単に、真っすぐ歩く歩を止めることなく倒していっているからだった。あとなんかこの遺跡は映画でもあるような侵入者を阻む罠や仕掛けがあるらしく、矢などが飛んできたりもあるんだが、その男は慣れた様子で解除しながら進んでいた。
しばらく進んで、ふとその男が立ち止まる。
「……なぜついてくる」
「え、悪いけど帰り道もわからねーし、敵もいるみたいだからさ。あんたについていったほうが建設的だろ」
男は振り返った。
「遺跡の中を立ち入る許可証ならおそらく青色だろう。だったら遺跡も潜れる階層は地下3階までだ。ここは地下4階。契約違反だな。普通なら報告して罰則だ。俺が寛容なうちに上階に戻れ。数は少ないが、ここには他の探索者もいる」
黙って進んだのは見逃してくれるつもりだったかららしい。他の探索者に見つかる前に地上に出ろってことか。罰則がどんなものかわからないが、それなりに厳しいんだろうな。この町の許可制のシステムが徹底されているからもわからる。
ということはこいつ、意外といい奴かもしれない。
「お前、いい奴だな」
「忠告はしたぞ」
フードの男は再び歩を進める。
俺は変わらずそいつを追いかける。
そもそもの話、俺はこの遺跡に用があって来たんだ。上階への戻り方もわからないしな。
とか思っているうちに少し広い場所に出る。
「あれ、あいつどこに行った?」
視界から消えたフードの男を探してキョロキョロ見渡すと、頭上からぶふぅっと臭い風が直撃した。
「くさ!なんだ?」
顔をあげると、鋭い牙からよだれを流すドラゴンみたいなやつが俺をじっと見つめていた。
「……ドラゴンにはいい記憶がないんだが」
すぐに背を向けて走ると、俺のいた場所にガツンとドラゴンの顎が突き刺さる。
「またこれかよぉ!」
逃げ足のスキルレベルがどんどん上がる効果音を聞きながら走り回る視界の端に、フードの男がドラゴンの向こう側で次の部屋に続いているらしい穴に入るのが見えた。
こちらにはまったく注意も向けられていない。
あれ、俺もしかしておとりか?
さてはあいつ、全然いい奴じゃないな!