第六十五話 精霊の愛娘
「それで、ユートはどうだったの?」
「ん?」
俺が思い切ってバルスカを口に入れる。じゅわりとにじむ肉汁と、ミンチに混ぜてあるトメトの酸味が広がり、チーズとホワイトソースのまろやかさが全体をまとめている。そしてたしかに目玉茸のうまみがたまらない。素直においしいぞ、これ。異世界で出された料理で一番おいしいかもしれない。
ホワイトソースの下に隠れていたマカロニもおいしいうえに、これは腹持ちがよさそうだ。
「気に入ったようでよかった」
「うん、これおいしいな。家庭料理ってことは、自分でも作れるかな」
「主な材料のワイバーンの肉は市場で手に入るし、目玉茸も森で取れるから作れると思うよ」
「わ、ワイバーンの肉か、これ」
字面は強烈だが、ワイバーンてドラゴンの一種だよな。ドラゴンってうまいのか……。
「って、アランが聞いたのは俺がルインに来てからのことだよな。俺は壁泉からこの町に出たんだよ」
メモア――瑠璃色をしているが、味はココア――を飲みながら、水聖殿からルインに来てそこでテルマに会ったところから、牢屋に連れていかれたところまで話した。
「そういえば、あの白いのはどうなった?」
「白いの?」
「ああ、あの子ですか。私もわかりませんね」
アランは知らなくても無理はない。おそらくサラの兄弟であろう、狐の獣人の子供だ。エレノアもノラを追いかけていたし、わからないだろうな。まだ、あの牢の中にいるんだろうか。
「あの子はユート君が出てくる前に、所有者の手に戻ったんだと思うよー?あの子を連れだしたおじさんを見かけたから」
「そう……か」
それは、喜んでいいことなんだろうか。結局治療もしてやれなかったし、あれ以上酷い目に遭っていないといいが……。
あのときの様子を見るに、望み薄な気もしないでもないが。
「……気になりますか?」
「……まあな」
エレノアがじっと俺をみつめる。俺は頭の中で俺の行動の優先順位をつけた。
「気にはなるが、俺にできることは何もないだろ。それに俺はやらなくちゃいけないことがあるんだ。それは、いつ達成できるかわからないうえに、時間は限られてる。だから……」
そうだ。そもそも気になるからと言って、俺に何ができる?セラを取り戻して、それでどうするんだ。そもそもどうやって取り戻す。無理やり連れてくるだけの力なんて、俺にはないだろ。獣人の奴隷というのはこの異世界の社会のシステムに組み込まれている。そこから程度はともかく、どうこうしようなんて途方もない。
それに、地球とこの異世界がどんな時間の流れ方をしているかわからないが、帰ったとき浦島太郎状態だとしたらどうする。まだ何も帰る手段の手がかり一つ見つけられていないのに。
だからこそ、ブルイヤール教会のことも深入りしなかったんだ。もちろん関わったからには気にはなるし、どうなるか見届けたい気持ちも、あいつらのためになにかできることをしてやりたいって気持ちもある。
だけど俺は、そういう気持ちに蓋をして、見て見ぬふりをしたとしても。なにより帰りたい。帰らなければならない。家族に会わなくちゃいけないんだから。
自分に言い聞かせるみたいになり、眉間にしわを寄せていた俺にアランが提案する。
「話を聞く限り、その子は獣人だったんだよね?なら、僕からアウローラさんに連絡しておくよ」
「アウローラさんに?」
「うん。あの白蛇君の経過を報告してもらえるように連絡手段を交換しておいたんだ。また暴走したら大変だし、僕の研究とも関わりのあることだから。彼女に連絡すれば、然るべき人に連絡してくれるはずだよ」
このひょろっとしているアランという男は、普段の生活は抜けているのに、こういう所は抜け目ない。だがなるほど。確かあの教会に獣人の子を預けたのは、獣人の解放を目指す団体だと言っていた。確かに伝えてもらえれば、少しでも助けになるかもしれない。
それが、どれほど効果のあるものかはわからないが。もちはもち屋だ。
「そうだな。そうしてもらえるとありがたい」
「……詳しくはわからないけど、そっかー。三人とも獣人の人達を対等にみてるんだねー」
「……おかしいか?」
俺達の話を聞いていたテルマが微笑んだ。
獣人解放団体のことは直接口に出していない。どうやら隠れて活動しているらしいので、アランもそこを気にして然るべき人、と言葉をぼかしたんだから。
だが、なにかしら勘づかれてしまっただろうか。
どうにか取り繕えないかと四人での会話を慌てて頭で反芻したが、どうやらそうではなかったらしい。
「うん、おかしいおかしい。まあ、中には獣人を家族のように扱う人もいるけどね。けど、この世界は魔力を持たない者にはすごく厳しい。対等にはみてもらえないし、仲良くなるのも難しいんだよ。人間である私でも魔力がないだけで、生きるのがとても難しかったから」
「魔力がない?」
「うん。とっても珍しいんだけど、私魔力がまっったくないのー。魔力計りの水晶玉を持ってもなんにも反応しないんだー。そんな人もいるんだねぇ」
「それは……ご苦労されたでしょうね」
他人事のように笑うテルマに対してアランが労わるように言うと、彼女の目が大きく開かれた。そして瞳が潤いだすと、大粒の涙がこぼれる。
「て、テルマさん、大丈夫ですか!」
エレノアが背をさすり、ハンカチを差し出す。
「だ、大丈夫。ちょっとびっくりしちゃったんだー。私が魔力なしだと知った人は扱いが雑になるか、へぇそうなんだーって軽く流すことが多かったから、まさか労わってもらえるとは思わなくてねー。うん、三人は優しい人なんだね。あ、ハンカチありがとう。てかなんだろう、すっごいすべすべなんだけど。もしやこれ、高級品?」
涙を拭ったエレノアのハンカチをしげしげとテルマは見つめたあと、エレノアに返した。
「って、思わず泣いちゃったけど!そういうことが言いたかったわけじゃなくてね!」
照れたように赤くなった目をこすりながら、テルマは努めて明るく言った。
「ほら、獣人の人達って魔力ないでしょ?だから、ちょっと私的には共感しちゃうというか……。だから、普通に人を助けるみたいに悩む三人はすごいなと思って。それにほら、ギルドについた時もユート君もエレノアちゃんも体を張って助けたじゃんー?相手の子が獣人じゃなくても、普通にできることじゃないよー」
テルマはすごいすごいと頷く。
だが、エレノアは困り顔だった。
「あれは、善意でしたことではありませんから。そんなに褒めていただけることじゃないんですよ。私の、生き方の問題なので」
生き方の問題。そういう返しをする人間は初めて見たな。だがテルマはそのすごいという評価が変わらないようだった。
「そこにどんな理由があったとしても、あの行動自体がすごいと思ったんだよー私。結果的にあの子はあそこであれ以上傷つかずに済んだんだし」
「そう……なんでしょうか。なら、ありがとうございます」
エレノアは素直に称賛を受け入れることにしたらしい。
それにしても、気になるワードがいくつかあったな。魔力を持たない人間は珍しいのか。
そして、獣人は魔力を持ってないのか。……だが、セラは魔力を持っていたな?もしかして、テルマのいう魔力がないっているのは極端に少ないってことなのか?
ふむ。
《ステータス》
テルマ・シアンベルク(特技 ダウジング)
HP 800/805
TA 703/789
LV 33
途中略
【技】 《刺突》《清雅》《鳴神》《紅花火》
【魔法属性】 そんなもんあらへん
【称号】 精霊の愛娘・ブラコン・シスコン・苦労人・流浪の旅人・お宝発見マイスター・罠解除マイスター
【スキル】
直感 LV30 逃げ足 LV56 賢者の目 LV23 審美眼LV 85
【職業】
《トレジャーハンター》
テルマのステータスを表示させてみると、魔力の表示がない。ということは、魔力が全くないというのは本当のことなんだろう。ということは、獣人には魔力はあるということなんだろうか。実際にセラにはあったわけだし。
そこらへんの検証はいつかするとして、魔法属性の欄に書かれてる辛辣な言葉も無視するとして、次に気になったのは、精霊の愛娘という称号だ。
俺が町の入り口まで転移する直前、神が精霊と言っていた。
たぶん、あの光の粒が精霊ってことなんだろうが……。アランならなにか知っているだろうか。
「そういえばユートさん、どうしてあの時、町の入り口にいたんですか?」
「ああ、あれな……」
エレノアが思い出したように問いかける。ちょうどそのことを考えていたんだが、精霊についてどう言えばいいんだろうな。
「なあ、アラン。精霊って知ってるか?」
「精霊?」
アランが面食らった顔をする。
「それこそユート、君の使い魔の月夜ちゃんは、闇の精霊でしょ」
「あ、そういえばそうだったな」
うっかり失念してたが、月夜も精霊だったな。
「ん?ということは、精霊は普通に見える存在なのか」
「あー、まあ君の月夜ちゃんは魔獣であり精霊というちょっと特殊な存在だったもんね。僕らが目にする精霊って、魔法使いや魔術師なんかと契約を交わしたものばかりだよ。契約を交わしてない精霊は見えないんじゃないかな。精霊自身が望まなければ、ね」
「んー、じゃあフリーの精霊は精霊が望まない限り見えないのか」
「どうだろうね。精霊って昔から人間と関わりのある存在のわりに謎が多くてね。魔法使いが契約すると、確かに名義上は使い魔と呼ぶんだけど、どちらかというと精霊のほうが上位存在になるんだ。お願いして、力を貸してもらう感じにね」
「え、俺と月夜はそんな感じでもないんだが」
「そこは、月夜ちゃんが魔獣でもあるってところが関係あるんじゃないかな。古くから人間と関りがある証拠が、伝承とかおとぎ話にもよく出てくるんだよ。たとえば、火の大精霊と花の娘の恋の話とか、風の精霊と冬の女神の話とか」
「あ、その話知ってるー!絵本とかにもなってるよねー」
「私も妹に、読み聞かせたことがあります。懐かしいな」
エレノアが懐かしそうに目を細めた。ふーん、リリアとのそんな思い出もあるのか。仲悪そうに見えたが、昔は仲良かったんだな。
「そうだね。あと、昔から特別な才のある人は精霊に愛されているとか言われるよ。僕が幼い頃祖母がよく、隣の家の裁縫上手なお姉さんを見て、あの人は風の精霊さんに好かれているね、と言ってたりしてたなぁ」
「へー、そうなのか」
「祖母ははるか昔は見られる人や話せる人がいたって言ってたよ。昔いたってことは、今も見える人がいないとは言い切れないかな。そういえば、エルフ族とかドワーフ族とか、妖精族と呼ばれる人達は見ることができるともきいたことがあるな」
「なるほど。精霊について聞いたのはさ、あの、最初に牢屋に放り込まれたとき、なんか小さな光の粒が大量に現れたんだよ。それにまとわりつかれた瞬間、目を開けたら町の入り口にいたんだ」
「転移したってこと?」
「たぶんそうだと思うんだよな。魔法でそういうことできるんだよな?」
「そういう術式はあるよ。でも今の話を聞く限り、術式で飛んだとは言い切れないかな。魔法が光を発することはあっても、光の粒になるかな。ユートはそれが精霊だと思ったから聞いたんだよね」
「ああ」
神が言ってたしな。
「……月夜と合流できたら聞いてみるか」
それか、神に問いただすかだな。
「さて、みんなごちそうさまだねー」
話し込んでいるうちに、それぞれの前にある料理の皿は綺麗に食べつくされていた。
「三人はこれからどうするの?」
「僕は、冒険者ギルドに戻るよ。ギルドから海運ギルドに連絡を取ってもらって、船員さん達の無事と、水聖殿にまだいる船長からの伝言を伝えないとね」
「ああ、そうだったな」
俺達と共に、沈没した船から水聖殿で保護された船長をはじめとする船員や乗客は未だに水聖殿にいたままだ。俺達が返ってきた湧水道は出口がどこになるかわからないということで、どこでもいいから地上に早く戻りたかった俺達とは違い、海運ギルドに船で迎えに来てもらうらしい。水聖殿から直接海運ギルドに連絡をとる手段はないから、アランが伝言を託されていたのだ。
「そのあとは、これを返しにいかないとね」
アランが食べている間もずっと下げていたカバンをなでる。俺とエレノアはその中身を知っていた。その中には、ドラゴンの卵が入っている。船で密輸されていた卵を取り戻すために、ドラゴンが船を襲撃したことで船は沈んだのだ。
アランはその卵をドラゴン達のもとへ返すつもりだという。
「だから、これを返すために護衛の冒険者も雇わないとね。そうだ、ノラさんに僕に対して来ていた依頼の詳しい内容を教えてもらわないとな」
「そうか。エレノアは?」
「私は……、私も冒険者ギルドに行こうと思います。気になることがあるので……」
「そうか」
「ユートさんは、どうするんですか?」
「俺は、月夜とやきとりを探す。あとは、まあ探し物をするかな」
「そうですか。お気をつけて」
「ああ、ここまでありがとうな」
「え、ということは、三人はこれからバラバラなの?」
テルマはびっくりしている。
「ああ。俺達はたまたま一緒にいただけで、目的はてんでバラバラだからな」
「そ、そうなんだ。なんだ、てっきりずっと旅をしているのかと……」
「あ、ユート。ノラさんに依頼して、君の許可証を今発行してもらってるところだから。三日後くらいに取りに冒険者ギルドに行くといいよ。それまでは、聞きとがめられたらノラさんの名前を出したらいい。この町の滞在に関することだったら名前を使っていいって許可をもらってるからね」
「なにからなにまで悪いな」
「いやいや、僕こそお世話になったからね」
「それと、君の身元保証の件。クロワルドさんの話ね。彼が証立てしてくれたから、君の持ってるギルドカードは旅券機能が付加されているよ。それでスムーズに旅ができると思う」
「おっさんが……。礼を言わないとな」
「そうだね。手紙を送ったらいんじゃないかな?」
「ああ」
それぞれの荷物を手に店を出た。一抹の寂しさを感じつつ、それぞれの分かれて進む。
「それじゃ、また縁があればな」
「そうだね」
「うん!みんな気を付けてねー」
「ユートさんも、お気をつけて」
「おう。……エレノア」
テルマとアランが離れたところで、俺は口をエレノアの耳に近づける。
「ギルド日報に、勇者がこの町に向かってるって載ってた」
「!」
勇者が、聖がこの町に来る。つまり、リリアもこの町に来るということだ。