第六十一話 何度も割れる眼鏡
「ノラ様ー!」
「おう、ファッジ。そっちは大丈夫だったか?」
「町の裏側はしのぎましたよぉぅ。急に魔物達がおとなしくなってびぅっくりしましたがぁねぇ」
短い脚でぴょっこりぴょっこり独特な歩き方をする小さな爺さんが、冒険者ギルドの地下の、数時間前に放り込まれた牢に再び俺を放り込んだノラに走り寄った。
「おや、そちらの獣人はなんでしょう?」
「こいつから変な臭いがすんだよ」
「……説明するのがめんどくさいからって、大事なところを省いて話さないでぇくださいなぁ。要するにぃ、この獣人から変わった気配がすぅるぅというこぉとですなー?」
「説明しなくてもわかるやつにかみ砕いて説明しなくてもいいだろーが。他の奴に話すときはもう少し考えてんよ」
「いぃやいや、このジジイももう歳ですんで、お若い上司についていくのもたぁいへんなんですよー」
「んなことは今はどうでもいいんだよ。ただ、この変な臭いの正体がわっかんねーんだ」
「ほう?」
地面に縛られて座らされている俺に、ノラが顔を近づける。
「……臭い」
「え?」
「お前、どんな臭いしてんだ!生臭いのか、獣臭なのか、生乾きのよくわからない酸っぱい臭いなのかよくわからん!それが邪魔して肝心なとこがわっかんねーんだよ!イライラするな」
いや、そう言われましても全部です、という感じなんだが。それに関してイライラされても!って思う俺は悪くないと思う。
なにせ、海にいて濡れたまま地上にいて、汗や泥臭さと生乾きの臭いをまといながら、獣臭のぷんぷんする魔物のいる場所にいたんだし。
それに臭いって言われるのは地味に傷つくんだぞ!昔加齢臭を指摘された敏和さんはショックを受けて落ち込んでたんだ。いつもしゃっきりしてるのに、そのときは背中が寂しげだった。男心だって繊細なんだ。
と、最低限のつっこみはしたところで、状況を改めて整理すると俺は、ノラに首根っこを掴まれたまま冒険者ギルドルイン支部の建物の地下にいた。なんだこれ、取調室ってやつなんだろうか。冒険者ギルドってなんでもありだな。机と椅子があるのに、俺はなんで地面に座らせられてるんだろうか。
「おい誰か!こいつを洗ってこい!」
「アイアイさー!」
ノラの指示によって出てきた部下らしき男達がピューっと現れる。
「え、おいちょっと!」
大人しくしろと縛られたり、さっさと動けとあっちやこっちやと連れていかれるのはなんなの!移動するたびに縄がこすれて腕痛いんですけど!
でも俺たぶん洗われるんだよな?もしかして、風呂があるのかもしれない!
そう淡い期待した俺がバカだったんだけどさ、そんな都合よくお風呂なんてものがあるわけでもなく、地下にまで引かれた井戸のそばに連れていかれ、冷水と石鹸で乱暴に洗われた。
痛いから痛いから!そんな縄の束みたいな固い素材で肌こするなー!!
そんな冷たい水で乱暴に洗い流されたあと、再びノラの前に連れていかれる。今更ながら思うんだけど、これ水責めっていうか一種の拷問なんじゃなかろうか。
「ぜーぜー」
呼吸がおかしい。ひゅーひゅーと変な音が漏れる。精一杯頭の中は賑やかにしていたとしても、現実の冷たさは変わらない。
「さて」
ノラが改めて俺に近づく。
「どうですか、ノラ様?」
ファッジに問われしばらく鼻を動かしていたが、ノラは変わらず首を傾げた。
「やっぱりわかんねーなー」
「おや」
「見た目は獣人のくせに、獣の臭いがしない。みたところ筋力も大してないし、弱っちいのに、背筋に悪寒が走る」
「ふぅむぅ。ノラ様の勘は軽んじない方がよろしいですねぇぇ」
「それに、さっきの魔物の襲来も、こいつの周りで変な臭いがした途端収まった。あと、こいつがもっていた荷物」
俺が頭をあげると、俺の身に着けていた刃物セットと、カバンがノラの手にあった。
「こいつギルド証を持っていやがった。獣人なのにな?しかも、発行はエネルレイア皇国。こんなとこまで来てるのに、ギルド証には旅券機能は付与されてねーし、出国した記録もない。あと、この様子だと知らないらしいが、ルインて町は出入りに厳しい審査があるんだ。入るには許可証がいる。けど、おまえにはそれがねーよな。おまけに登録してある名前が、ユート・オガタだ」
「うむ?その名前聞き覚えがありまりますよねぇぇ。確か先日届いた指示文書に載っていた名前」
「そう。あのクロワルド・エディールが身元を保証すると誓約を立てた人物だ」
おっさんの名前を聞いて、俺は身動ぎをした。
「なあ、どういうことだ?どうやってここまで来て、街に入った?まさかお前がユート・オガタなわけねーだろ?なあ、なんで獣人なのに奴隷印がない?どうやってこの町に入った?」
「っ」
縛られた腕の擦れて血が滲んだ部分に、ノラの爪を立てられる。
あー、これって思ったよりもピンチなんじゃねーか?
旅券って確かパスポートのことだったよな。この世界にもそういう許可証みたいなのがいるのかよ。今の俺は不法入国したような状態らしい。ただ、クロワのおっさんは俺の身元を保証するようになんか手を回してくれたっぽい。活路があるとすればそこか?
「……俺は、人間だ」
「ほう」
「呪いで、今みたいな姿になっただけだ」
「呪い、だと?」
ノラの表情が変わる。
「お前、呪い持ちか?!」
ノラがばっと距離を取る。警戒のような態勢をとった。
「ちっ!解析持ちの魔法使いは出払ってるぞ!扉を全部閉めろ!ここに近づけるな!」
「すぐに呼んできますぅぅ」
まるで俺に近づくと感染するかのような対応に俺が目を白黒させていると、閉められた扉がばっと開いた。
「解析もちの魔法使いさんはここにいますよ。それに、彼の呪いは周囲に影響のあるものではありません。僕が保証します」
「あんたは……」
扉を開けて中に入ってきたのは、割れた眼鏡をキランと輝かせたアランだった。
「あんたは、アラン・エリドオール!」
ノラが叫んだ。
「はい、ノラさん久しぶりですねぇ」
アランがのんびりと返すと、ノラはつかつかと彼に近づきアランの胸倉を掴んで揺らした。
「てめぇ!今までどこいやがった!さんざん召喚要請送っても返事は寄こさねぇし、探してもみつからないってどういうことだよ!!」
「いやぁ、家には全然戻れてませんでしたし、要請はなにも見られてないですねぇ。いつもすみません」
「すみませんで済んだらお前の御大層な肩書はいらねぇんだよ!!」
俺は呆気に取られる。なんだ、ノラとアランは知り合いなわけか?
「まあ、僕への依頼については後で聞きますよ。それよりも、彼を離してください。彼は間違いなく人間です。呪いに関しても本当のことですよ。その場に僕もいましたからね。あと、この町に許可なく入ってしまったのは不可抗力です。僕とユートは同じ方法でルインに入りましたからね」
「同じ方法?」
「地下水脈を通って、海の底から来たんですよ」
「はぁ?」
アランはぽんぽんと俺や自分の状況を説明していく。俺の話なのに申し訳ないが、ここはアランに任せたほうがいいだろう。
「……それをアタシに納得しろって?」
「事実ですからね。必要ならギルドマスターに説明してもいいですよ」
「……それは、あんたの立場を理解しての発言ととっていいんだな?」
「もちろん。ありがたいことに、あなた方に寄せていただいている信頼を裏切らないとお約束しますよ」
「……」
この世界においても突飛のない話ではあるみただが、アランの説明にノラはとりあえず納得したようだ。逆から言えば、アラン自身がそれだけ信用されているということなんだろう。そんなような会話だったし。
俺はとりあえずなんとかなりそうな空気にほっと息を抜いた。一通り話を終えたアランが俺の縄を解こうと近づくと、その途中ですっころんでまた眼鏡のヒビがはいる。なんでなにもないところで転ぶんだ。頼りがいのある姿を見せた後にこれだと、余計に残念すぎる。
アランはいててと言いながら俺に辿り着き、俺の縄をほどいた。
「ユート君、無事に合流できてよかったです」
「……別に君はいらねーぞ。さっきみたいに呼び捨てで。なんか、助けてもらってありがとな」
「いえいえ、当然のことですよ、ユート」
アランはにこりと笑い、俺を支えながら立ち上がった。
あー、マジで体がボロボロだ。
「ユートさん!」
その声に顔をあげると、エレノアが俺に走り寄ってくるところだった。そしてその途中で転ぶ。
え、なんでまたそんななにもないところで転ぶの。それにそこさっきアランが転んだところと同じじゃなかったっけ?なに、その場所ピンポイントで呪いとかあるわけ?
と、俺の内心のつっこみは誰に聞かれることもなく、エレノアはすぐに立ち上がって俺に抱き着いた。
「ユートさん良かったです!!」
「おう。なんか、心配かけたみたいで……。悪かったな?」
なんでアランがタイミングよく来てくれたのかわからないが、エレノアも俺を助けようとしてくれていたし、二人には感謝しかない。
俺はアランとエレノアに支えられて、地下牢から地上へと出られたのだった。