表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

62/122

第五十七話 ある意味睡眠学習

以前投稿したものの改稿です。ご注意ください。

それは、パチパチと弾けた音をしているはずだった。

人が立ち入ることがない神聖な森が燃えている光景の中、俺はそこに立っていた。いや、『俺』はそれが“神聖”な森だと知らないはずだ。だって初めて見る場所なのだから。

けれどその火の爆ぜる音も、臭いも、熱に煽られて動く空気も、そこで過ごした思い出が燃え消えていく様を見て感じる切なさも、まるで今感じているかのように脳は理解し胸は痛みを訴える。だけど、俺はその光景を見ているだけで、実際には俺の体はなにも刺激を受け取っていない。肌は熱を感じず、耳は火の弾ける音を拾わず、鼻は焦げる臭いを感知せず。

 ああ、夢か。と俺は理解した。最近俺は夢をよく見る気がする。

いつ目覚めるのかわからない、ただ燃えている光景を眺める無音の世界の中、突然鈴のなるような声が、響いた。

「まったく、君はことごとく、私の感情をさざめかせる場所にいるな」

 視線を声のしたほうに向けると、そこには小さな少女が腕を組んで立っていた。少女は波打つ黒髪を無造作に流し、大きな翡翠の瞳をこちらに向けている。フード付きの黒いマントを着て、細かい刺繍の入ったエプロンドレスをまとっている。

幼くみえる容貌に反し、その目はまるで何百年と立っている大木のような超然さを感じさせた。

「あんたは……」

「私のことはどうでもよい。いや、どうでもよくないが、知らぬほうが君のためだな。私を個と認識すればするほど、君は薄くなってしまう。とは言え、この場所に来たということは、私も無関係ではいられない。深層意識の、無意識である層の夢の中での逢瀬でさえ、あまり推奨されたことではないが、どうしても私は出てきてしまう。だからこそ、今のうちに君に伝えよう」

 少女はゆっくりと俺に近づき、俺の頬に手を伸ばした。小さい手だ。敵かと一瞬身構え、応戦のために体が動きそうになってそんな自分にびっくりした。今まで生きてきて、咄嗟に敵なんて反射で思ったことなどない。そんな反応をするような生活を現代日本で送ることなどほぼないからだ。それに相手は小さな子供だ。

 だが少女は、ふむ、さすがに異なる世界であれだけの目に遭っていれば、一時的に記憶がなくとも体が覚えているか、と意味のわからない呟きを漏らし、声を大きくした。

「いいかい、君。どんなことがあっても自分をしっかり持つのだよ。どれだけ〈私〉という個が強くとも、それに押しのけられたりしないように。君の魂は、私の時と比べて驚くほどに弱い。気を抜けば己の力にかき消されてしまいそうなほど、密度が少なく削られてしまっている。まあ、それは君の幼少期を考えればいたしかたないこととは思うが……」

「どういう意味だ。あんた、俺の何を知っている……?」

 意味の分からない言葉はさておいて、幼少期と言われて、脳裏によぎる苦しい記憶。険の乗った声に少女は気分を害した風もなく、背伸びをして俺の頭をぐいと下げ、撫でた。



「お、おい!」

「もう少し身をかがめたまえよ、君。よしよし、ある意味自分自身と言える君の頭を撫でるとは不思議な心地だが、撫でたくなったものはしょうがないな」

 困惑はある。なのになぜか抵抗する気も起きず、俺はしばしわしゃわしゃと撫でられた。それと同時に、体がじんわりと温かくなる。頭の先から広がる温もりは俺の緊張をさらに緩めた。

「私は君のことなら何でも知っている。君は脆弱で、壊れやすい。自分のことをなんとも思っていない。君が自分のことを蔑ろにされて怒るのは、そんな君を大事に思う人がいるからという、ただそれだけだ。君自身は自分に価値を置いていない。だからこそ心配になる。だがまあ、君がこれまで周りから注がれた愛を忘れなければ大丈夫だとは思うがね。君が心折れずに、我慢し耐え、御仁ごじんと己の約束事を守りながら帰りたいと願うのも、そこが起因であるし」

 彼の御仁と約束。そう言われて思い出すのはたった一人だ。俺を救い出して、まともにしてくれたあの人。ああ、その通りだ。俺はあの人と約束した。俺が生きる上で大事なことを、たくさん。

「本当に、あんたはなんでも知っているんだな」

「もちろんだとも。逆に言えば、君も私のことを全て知っている。思い出せないだけだよ」

 不思議な少女は本当にかすかに微笑み、むぎゅっと俺の両頬を潰した。

「いいかい、さっき言ったことは忘れないでくれたまえよ。これから言うことは、一応アドバイスだ。だが忘れていい。本当は、なにも覚えていないほうが君のためなのだが、私は君に協力したい。いや、しなければならないからね。君がこんな状態になった責任の一端は、私にもあるのだから。

 まず、君はもっと自分の身を大事にしなさい。己の体に耳を傾けなければ、本当に死んでしまうよ。特に、この世界は魔力によって成り立つ世界。君のうつわは魔力ととても相性がいいから何でも取り込んでしまうけれど、余計なものまで取り込んでしまっている。そのうち、その余計なものが固まり詰まって破裂してしまうだろう。君の世界でいう、脳卒中みたいなものだ。赤クジラと同じことができるが、彼らと同じような耐久性はない」

 少女はまるで時間がないとでもいうように、早口で語りだした。ところが、それがまるで心地いい子守歌のような口調で、急にまぶたがだんだん重くなる。

「待て、全然……頭に入らねぇ……」

 退屈な教師の授業を聞いた時のように、眠くなる。頭が傾ぐ。力の抜ける体に、少女は落ちる俺の体に逆らわず同じように地に座り、俺の頭を彼女の膝の上に置いて、このまま眠ってしまえと撫でた。それでも語りは止まらない。

「次に、魔獣との契約もほどほどにしたまえ。あれは相手の意思さえあれば簡単にできてしまうが、人とはまた違ったルールと法則を持つ自然界と契約しているのと同じこと。確かに大きな力は得られるが、余計なしがらみを負ってしまうことでもある。自然との付き合い方を知らぬものが、迂闊うかつに手を出していいものではない。現状の彼らの場合それほど問題にはならないだろうが、これからもほいほいとなにとでも契約してしまうのは愚行だよ」

 だんだん声が遠くなる。視界にもやがかかり、なんだか体全体が温かい干したての布団に包まれたような心地だ。

「困ったときは魔導書に頼りたまえ。あれは元から、敵ではない。今は私も細工をほどこし、私の代わりとなる。その分、自分で思い出そうとはしないほうがいい。知らないはずなのに知っていること、わからないのにわかってしまうこと。直観ならばいいが、君の場合はほとんど私の影響だ。私の知識を元に君はこの世界を理解しようとしてしまう。完全には防げないだろうが、少しでも魂への負担を減らさなければ、本当に君の人格は消えてしまう」

 俺へのアドバイスだと言っていたのに、その声は俺を深い意識の底に引きずり込んだ。どんどんと落ちていく。

「いいや逆だよ。今君は無意識から覚醒へ向か……いる。だから……夢は忘れ……ろう。早く目覚……さい。その……まだと、風邪をひく……だろ……か……ね」

 急激な体が落下するような感覚とともに、その声は途切れとぎれで聞こえにくくなる。どこまでも深く落ちていく中で、突如体が浮上する感覚に切り替わった。ぬくかった体が一瞬のちに寒さを訴え、俺ははっと目を開けた。

「ぐはっ!」

 おえっと感覚の覚醒とともに訪れた気持ち悪さを抑えず吐き出せば、口から水が飛び出てくる。そして思いっきり空気を吸い込み、せき込んだ。あ、意識を飛ばしている間に水を飲んで呼吸ができなかったんだなと後から理解が追いつく。体のほうが先に生命の危機を理解して水を吐き出させていたようだ。

 俺が落ち着くまで咳き込んでいると、そっと背に手が当てられる。

「あの、大丈夫?」

 視線を向ければ、見たことのない女が俺をのぞき込んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ