第四十八話 水中戦
ミツハに案内されたのは宮殿の奥。おそらく応接に使われる部屋に案内された。そこに辿り着くまでに未だ気絶している船の連中や海賊の手下達は医者に診てもらうために違う部屋に運ばれていった。
ミツハと向かい合いイスに座ると、海底なのにおかしな話だがよく手入れされた庭がしっかりと見えた。海の底より濃い青の池。池にかかる石橋と凛とたたずむ白い花が咲いた木。薄紅色の実をつけた小低木。配置にこだわられたであろう緑の岩。それが赤い格子越に鑑賞でき、格子を枠として切り取れば一種の絵画のようだった。
丸い机の周りに俺、エレノア、なぜかツェツィーリエとミツハが座り、女官が茶の用意をする。そしてすっと置かれた茶碗を見て俺はぎょっとした。なぜか小さな茶碗には茶ではなく小さなタコが入りぎょろりとこちらを見つめていたからだ。
「地上の方には珍しかろうと思いご用意させていただきました、タコ茶でございます。どうぞ召し上がれ」
いや、これのどこが茶なんだよ。どうみても固形物だよしかもこいつ生きてるよ!
と俺とツェツィーリエが固まっていると、ミツハはおほほと口に手をあてて笑った。
「というのは冗談が過ぎましたね。こちらを召し上がりください」
素直に茶碗に口をつけようとしてタコに逃げられたエレノアはミツハの言葉に恥ずかしそうに茶碗を置き、新たに侍女が持っていたちゃんとした茶の入った茶碗をぎゅっと握った。ツェツィーリエは茶碗に口をつけることはなかったが、小さなタコが飛ばすタコ墨を上体だけ傾けて避けていた。
「この子に聞きましたが、この子が大変お世話になったようで。あつく御礼申し上げます」
ミツハは傍に浮いている白イルカの頭を撫でて俺に頭を下げた。次いでツェツィーリエには笑顔を向ける。だが、このお世話って絶対二つの意味だろ。俺に対しては文字通り、ツェツィーリエには嫌味として。なぜなら白イルカはツェツィーリエの海賊船に捕まっていたのだ。そしてツェツィーリエもそのことは正確に読み取ったのだろう。ふんっと鼻を鳴らす。だったらどうする、とミツハの出方を窺っているようだ。
「それぞれ申し上げたいことはございますが、それよりも。お三方が海底にいらっしゃったのは赤クジラに襲われたからだとか」
「ああ、その通りだ。その言い方、あんたはあの赤クジラとなにか関わりがあるのかい?」
「直接的な関わりはございません。ですが、この水聖殿に赤クジラは墓守であると伝わっております」
「墓守?」
「赤クジラの生息地はかつて勇者と魔族が戦った古戦場なのです。そこには多くの屍が未だ残り、勇者様の残した宝と共に眠っているのだとか。事実はわかりませんが、そこで眠っている者達を守っているのが赤クジラと代々ワダツミ家には伝わっておりました。事実これまでは赤クジラがその古戦場から離れることはなく、我ら水聖殿も見かけはしますが関わらない隣人といった存在だったのですが、二年ほど前から棲みかを出て周囲のものを襲うようになりました。この水聖殿も度重なる赤クジラの襲撃を受け、そのことで頭を抱えておりまして」
ふぅ、とミツハは物憂げにため息をついた。
「我ら水聖殿は水底の目付け役。赤クジラが暴走するのなら本来は我らが止めねばならぬこと。しかし我々の力不足で皆様方のような被害者を出してしまいました。これは我らの責任です。申し訳ございませんでした」
「……」
そう謝られても、どう答えたらいいかわからない。ふと何も言葉を発していなかったエレノアに視線を向けると、エレノアは無感情にミツハを見つめていた。なんだろうか、エレノアらしくない表情に内心戸惑う。
『時と共に忘れてしまったんだね』
いつもと違いすっと現れたウィンドウ画面にはそう書かれていた。
時と共に忘れた?
『赤クジラの棲んでいる場所の鎮魂が彼女達ワダツミ家が受け継いできた役目だよ。鎮魂と監視のために海底に残ることを選んだ当時の勇者の仲間の子孫が彼女だからね。赤クジラは……まあ墓守と言って差し支えないだろうけど』
「ふーん、宝……ね」
ツェツィーリエの呟きで俺ははっとそれに気付く。勇者の残した宝ってのはもしかして、勇者の遺物じゃないのか?
「それで、地上に戻ることはできるのかい?」
「はい、この海まで続いている地下水脈がございます。その流れに乗って皆様を地上に送ることは可能です」
「なるほど。それで、あんたはこの私もその道を使わせてくれるんだね?」
「……はい」
「なるほど。甘ちゃんばっかりで助かるね」
ツェツィーリエは俺をちらりと見た。
「無礼者!ミツハ様の心遣いに対してなんて物言いをされるのか!赤クジラの件が無ければ誰が我らが眷属を売ろうとした者を無事に帰そうなどと思うものか」
それまで控えていた侍女がツェツィーリエを睨みつけた。それに対してツェツィーリエは受けて立つ。
「だから甘ちゃんって言ったんだよ。責任なんか感じず敵とすれば良かったんだ。そんなことしてたらいつか足元すくわれるよ」
「ご忠告は心に留めおきましょう」
「まあ、私はそのまま甘ちゃんでいてくれたほうが都合がいいけどね」
「そうでしょうね」
ミツハが苦笑を浮かべた瞬間、外でどかんっと音がした。そして地響きがこの部屋まで伝わる。
「なんだ?!」
「これは……」
ミツハは素早く立ち上がった。
「おそらく赤クジラです。皆様はここでお待ちください」
「ちょっと待て、あんたは?」
「私はここの主としてこの場所を守らねばなりません。今はここが一番安全です。ですのでここから動かれないようお願いします」
そう言ってミツハは見張り兼護衛を残し、部屋を出ていく。しかしその後も地響きは続き、揺れはおさまらない。
「私も行きます!」
「待て!お前、体は大丈夫なのか」
「え?」
「俺が船から落ちた時、俺を助けるためにあんたが溺れかけただろう。死に掛けたんだぞ!……俺のせいで。そこからまだそんなに時間も経ってない」
「えーと」
エレノアはぱたぱたと体を確かめ、片腕を掲げた。
「大丈夫そうです。ご心配ありがとうございます」
「……本当か?」
「はい!それにユートさんのせいではありません。あれは私が行動した結果ですから」
「だけどな……」
エレノアは微笑みながらでも一歩も引く様子がない。
《ステータス》
エレノア・フェレーナ・エネルレイア
HP 4470/5000
MP 400/491
TA 91/330
LV 45
途中略
【魔法属性】 水光聖治 以降増可
【称号】 聖女・エネルレイア皇国第一皇女・対を成すもの・愛すべき天然?忌むべき天然?・おバカちゃん・捜すもの・リリアの姉・ハーフエルフ・聖女林・時を受け継ぐ者・魔の揺り籠・秘めたる歴史・火事場の怪力娘
【スキル】 聖語読解 LV125 魔法陣読解 LV99
【職業】
《聖女》《魔法使い見習い》《剣士》《巫女》
うーん。確かにステータスには異常は表示されない。ということは、本当に大丈夫と思っていいんだろうか。
「じゃあ俺も行く」
「え、ユートさんこそ一番安全な場所にいてください!」
「俺も赤クジラに用ができた」
それに、助けてもらっといてそいつを送り出して自分だけ安全な場所にいるなんてできるわけがない。
ツェツィーリエは腕を組んで目を閉じ、この場所にいるつもりのようだ。
エレノアは俺を留まらせようとしたがツェツィーリエをみて言葉を飲み込む。この場に俺と二人きりにするのは望ましくないと思ったようだ。
そして俺はそれ以上止められる前に部屋を出た。
「あ、えと、え!お待ちください!」
ミツハにこの場を任された護衛と侍女は俺達を止めようとするが、俺達はそれを無視して宮殿の外に出た。足元には月夜とやきとり、そして俺の周りを白イルカがついてくる。
護衛達もどちらかといえばツェツィーリエを監視したいはずだから、追いかけられずにいるようだ。
宮殿の外に出てみれば宮殿の門の辺りから先に赤クジラが三頭うろうろしていた。そして何度かこちらへ突進を繰り返しているそれをその門の先から半球状に宮殿を覆っている透明な壁が弾き返している。だがそれもいつまでもつのか。壁越しに対峙しているミツハと水聖殿に属する者達は手を掲げて力を注いでいるようだが、ぶつかられる度に壁はパキパキと軋んでいる。
「ミツハ様、これ以上は!」
「…………。いたしかたありませんね」
『結界が限界だ』
彼らに近寄ると、この場を覆う結界も限界ということがわかる。そしてそれに力を注ぐこの場の者達もだ。頭上の一番高い場所から白いヒビが入っているのが見える。それにしてもあらためて見ると赤クジラはでかい。そして結界を通してなおぶつかられると伝わる衝撃がその力強さを見せつける。
ミツハは結界にまわしていた魔力を止め、別の魔力を練りあげる。恐らく巨大な魔法だ。ミツハは呪文を唱える代わりにゆっくりとその場を舞い始めた。その舞の動きこそが魔法陣の代わりであり、見ている分には美しい。しかし、俺はその舞が舞われるほど、そして周りの者達が結界に力を注げば注ぐほど、なにか黒いどろりとしたものが微かな煙のように立ち上るのが見えた気がした。そしてそのあと、赤クジラが醜い声を上げる。更にぶつかってくる衝撃が増した。
「ダメですミツハ様!赤クジラには魔法が効かないとユキシロ様が!それに、もしかしたらあの中に彼の方がおられるかもしれないのですよ!」
「わかっています!でも、これ以上私はあなた方を失うわけにはいかないのです!」
結界の維持に力を注いでいた人魚がミツハに叫んだ。しかし、ミツハはそれに叫び返した瞬間、結界が崩れ落ちた。そして赤クジラはそのまま雪崩れ込み、一直線にミツハに向かう。ミツハは覚悟を決めて留めていた魔法を解放した。ギュルギュルと水中なのに竜巻が起こり、その中に雷が混ざる特大の魔法。しかしそれは赤クジラに傷一つつけず、むしろ威力は弱まり消失してミツハに迫った。
俺が動いたのとエレノアが動いたのは、ミツハが魔法を放ったのと同時だった。ミツハの前に体を滑り込ませた俺は傘を開く。同じく俺の隣にいたエレノアは俺が先程みた黒い煙を切り払った。互いに俺は赤クジラと傘が、エレノアは剣と黒い煙がぶつかったバチィッという音が響く。そして白銀の光が飛び散った。
俺は衝撃で弾き飛ばされるが、水中にいるおかげで予想よりも体の軋みは少なく立ち上がれる。
「やっぱり、この傘。弾くのか!」
ツェツィーリエと戦ったときに気づいた、魔法をこの傘が打ち消したこと。そして赤クジラで確心した。この傘は水聖殿を覆っていた物と同じだ。これは結界だ。
『纏の応用だね』
『スキル《属性付与》、《機能付与》を習得しました』
ウィンドウ画面が開かれる。なるほど、俺の魔力を纏わせることで属性やら機能やらを付けることができるってことか。
『さすが日本人。そういう道具を作り出すのは得意みたいだね』
それは日本人関係あるのか?
そんなことよりも、赤クジラは俺に弾かれてぷすぷすと焦げた煙を上げている。弾いた時のイメージが雷だったからか、雷撃として攻撃できたようだ。
「……あの、赤クジラに傷を?」
とミツハ達は呆然と言葉を落としたが、俺とエレノアは間髪入れず動いた。赤クジラにダメージを与えたとはいえその一頭はまだ動けるし、あと二頭はぴんぴんしている。俺は動いたとはいえ非力なために弾かれた衝撃のダメージが残っていた。その穴を埋めるために月夜とやきとりが赤クジラに向かう。
だが、その動きはいつもの様にはいかなかった。月夜が伸ばした影は正確に赤クジラを捕えるのに捕まえることができない。まるでつるつるとすべって結べない紐のようにすり抜けてしまう。一方のやきとりは初めは勢いよく燃える炎を吐きだすが、それが赤クジラに到達する頃には威力は弱火程になっていた。
俺の傘が効いたことをあれだけ驚かれた理由がわかる。この赤クジラ、魔法が効かない。かといってここは海の中だ。縦横無尽に泳ぎ回る相手に物理で剣を当てるのも難しい。となると、今できることは赤クジラから近づくように仕向けて傘にあてるかエレノアに攻撃してもらうかだ。
と、俺が考えた時に奇声が聞こえた。
「ふんっにゅ~」
「うおおおおお!」
「ふぁあああああ!」
奇声の原因はエレノアとミツハの部下達だった。魚人と人魚達は数人でかたまり、赤クジラに砕かれた巨大な石を持ちあげていた。
「せーっの!」
そしてそれをまた近づいてきていた赤クジラにあてた。
いや確かに攻撃(物理)が有効かもしれないとは思っていたが、そんな物理は予想外だ。
赤クジラはぐおおおおおおお!という声をあげて微かに悶える。岩自体は砕かれてしまったが、攻撃が有効だったことは間違いない。とにかく一頭は動きを止められた。しかしまだ二頭いる。そしてなぜか赤クジラは俺やエレノア、やきとりや月夜には目もくれず、ミツハや魚人達に狙いを定めて攻撃している。何故だ?
そのことについて集中して考える暇も与えず赤クジラは攻撃してきた。奴らの最大の武器はその巨体だ。ただぶつかって来るだけで天災のような被害をもたらす。だが、向こうから近づいてきてくれるなら好都合と言えるんじゃないか。何故なら奴らの動きが予想でき、先回りできるからだ。
俺は魚人達の前に立ち、傘を広げた。
「やきとり、月夜、支えろ!」
月夜の影で固定され、やきとりは俺の足に抱き着く。そして指示を出していないエレノアや俺の後ろにいた魚人達もわらわらと俺の背中に手をあてて支えた。
「来い!」
未だに不慣れな部分のある纏だが、思いっきり傘にまとわせる。開いた傘は俺の視界を遮るが、近づいているのはわかる。勝ち方はわからないが、これが成功すれば退けられる。
腹と足に力を更に込めた時、その巨大な質量は小さな傘にぶつかった。そしてバチバチッと特大の音がして、体が攫われそうになった。確かに多少は後ろに下げられたが、その場にいる者の支えで踏ん張れる。
「とりあえず、家帰れーーー!」
渾身の力で、押される傘を押し返す。白銀の光はそれまで以上に輝き、その傘を中心として結界がぶわりとひろがった。そしてそれらは赤クジラの巨体を超え、ぶつかってきたものを弾き返した。ぷしゅんっと言う音が響き、ごおっと今度は反対に体が前に持って行かれそうな勢いに襲われる。だがそれは赤クジラがかなりの勢いで退けられたことを意味していた。
くるくると回転しながら赤クジラは遠ざかっていく。そしてやがてその姿が見えなくなると、俺は尻餅をついた。
かなり長くなりました。すみません。