第四十三話 青空料理教室
相変わらず煮沸されて湯気を上げる鍋をみつめながら、そういえばと空を見上げて思い出した。
昔、敏和さんがテレビを見ていたとき、ぼそりとこぼした言葉だ。その敏和さんがみていたテレビは日本の残業問題だとか、日本人の働き過ぎな毎日について考える内容だった。横で同じテレビをみていた俺に視線は寄越さず、敏和さんは言った。
「なあ優人、知ってるか。人はな、退屈でも死ぬんだぞ」
俺の周りも、俺自身も、毎日せわしない日常を送っていた。宿題は毎日あったし、それ以外はほとんどバイトに費やしていた。同級生達も部活やら受験にむけての塾やら、そして友達付き合いやら遊びやら。なにかしら毎日忙しかっただろう。
暇なときはスマホと向き合ってSNSをみたり、世の中の情報や流行に触れたり、音楽を聞いたり、なにかしらずっと関わっている。
俺がこの世界に来たあとも、生きるために食べ物を探し、職を探し、いろんなことに巻き込まれ、巻き起こし、今に至る。だから、やっぱりずっとせわしなかった。
だからこそ、今この火をみつめるだけで甲板の上でなにもせず、ただぼーっとしている時間があることが最初は珍しく、そして体の中のいろいろ溜まった不安やら怒りやらがこちゃまぜになった感情やら精神的疲労やらが抜け出していく感覚が心地よかった。
甲板の上は空に雲がないと暑かった。帆が作る日陰に腰をおろし、潮の香りがする風に吹かれながら、ぼーっとしている時間はとても気持ち良かった。今はなにもしなくてもいいし、なにも考えなくてもいい。こんな時間は久しぶりだ。
正直に言えば、勝手のわからない世界にいることは俺にやはり常に緊張感をもたらした。考え続けなければ、いつ危険に足を踏み入れているのかわからないだろうといろいろ気を張り続けていたからだ。けれども、この船の上で強制的にもたらされる退屈さはその緊張から解放させた。肩が楽になって、動きはしないが体はとても軽い気が今はしている。
とはいえ、やっぱり人間というものは退屈が過ぎるとまた頭を巡らせはじめる物なのだ。
今なにが必要かな、次はなにをしようかな、と。
途中参加の乗船者でいる俺よりはるかに長い退屈に浸っていた乗船客達は、1人の男の呼びかけに即座に応えた。自分達が持っている食材になりそうなものを鞄の底からひっくり返し、かき集め、それに飽きたらず自ら新たな食材を得ようとする動きまではじまっていた。
そしてとにかくなんでも得た物は俺の前に持ってきて、こう言うのだ。
「これ、食べられるか?」
と。
正直に言おう。知るか!と。
俺はあくまでこの世界は初心者なのだ。それをこの世界の住人にこれ食べられるか?と聞かれて答えられるわけがない。むしろ俺が聞きたい。それはほんとに食べられるのか?と。
かつて扱ったナルスのように根っこはナスだが葉っぱは大根だとか、地球に似ているがちょっと違う食材なんてのはこの世界だといくらでも有り得るのだ。そして俺が可食なのか判断できるわけがない。例えば西瓜の見た目をしていても、そこに毒があるかもしれないわけだ。世界も変われば生態系も別だろう。俺にどう判断せよというのだ。
と俺も最初は戸惑っていたわけなんだが……。
一組の男女がもって来たのは巣ごと持ち去られてきた卵だった。帆が張られているマストの隙間にいつのまにやらなにかしらの鳥が巣を作り、卵を産んでいたらしい。そしてそれが食べられるかどうかは、ステータスウィンドウと魔導書が教えてくれた。
ステータスウィンドウが名前を表示し、その詳細が書かれた魔導書のページが自動で開かれる。
『片割れやもめの卵』
『片割れやもめの卵とは、片割れやもめという魔鳥類の一種の卵。片割れやもめは卵から子孫を増やすわけではないにも関わらず卵を産む不思議生物。実際は体の一部を切り離すと離れたその肉片がやがて成体と同じ姿になり、増殖する。そのため産卵は不要だが、なぜかときどき卵を産み温める。まれに卵から成長する鳥も存在する。卵は食べることも可能。体は白く、翼部分は黒や灰色の羽をはやしている』
ということは、この卵は食べられるのか。
「この卵は食べられるみたいだな」
「ほらっ!やっぱり私の言った通り!」
女のほうが手を叩いて喜ぶ。というわけでこの卵は俺の後ろに積まれた、かき集められた食材達の入れられた箱の中に並ぶ。
そしてその男女が去った後俺の前に立ったのはにこにこしたアランとエレノアだった。
「お前らも参加してたのか」
「うん。船長にも許可もらったしね」
アランがにこやかに答えると、今度はエレノアがどんっと網を俺の目の前に置いた。
「これ、使えますか?」
網に引っ掛かってたのは一・五メートルほどの大きさの魚。そして長々とその魚に絡みついているのは巨大な海藻。なんだこれ、昆布か?
「捕まっている時点で昆布締めされているとはこれいかに」
「……使えませんか?」
エレノアの眉が悲しげに寄る。
「いや、もちろん使える。しかもこれ、大物だろ?よく捕まえたな」
「アランさんがこの魚の習性をよくご存知で、それで捕まえることができました」
「魚の習性?」
俺とアランとエレノアは話を続けながら網から魚を外すために手を動かす。
「これ、カツヲドスって魚でね」
「は、カツオ?」
「うんん。カツヲドス。これね、海面にいる小魚を狙ってやってくる鳥を食べる魚なんだ」
「弱肉強食が裏返ってるがそれでいいのか……」
「ん、なんか言った?」
「いや、なんでもない。それで?」
「うん、それでね。たまたまこの船に片割れやもめって鳥がいたからそれに縄を括りつけて海の上を飛ばしてたらね、やっぱりこの魚が来てね。それをエレノアさんに網で捕まえてもらったんだ」
「男と女の役割も反対な気がするんだが……。てかその鳥ってもしかして、さっきの男女が持って来た巣の主なんじゃ……。片割れやもめって、その手に持ってるヤツか?」
「うん、この子だよ」
アランの肩には、足に紐がくくりつけられた、やきとりとはまた違う間抜けな顔をしたカモメっぽい鳥がぬぼーとこちらをみつめていた。
「まるきし目つきの悪いカモメだな。それで?」
と今度はエレノアが言葉を継ぐ。
「網を投げるところまではうまくいったんですけど、この魚もなかなか手強くて、海に落ちそうになってしまったんです。それをみた船員さん達が助けてくださいまして、無事魚を捕まえることができました!」
「いつの間にそんな大捕り物してたんだ……」
ずっと甲板にいたが、そんなことには気づかなかった。
「ユートはずっと他の人達と話して忙しそうだったから、気づかなかったんだよ」
「それで、ユートさんにお願いが……」
「お願い?」
「あの、船員さん達のごはんも一緒に作ることはできないですか?」
「船員達も?」
エレノアの視線を追うとマストの影からこっそりとこちらを窺う顔がトーテムポールのように並んでいた。その頭のは、獣耳がある。
「獣人の船員達か」
「はい」
「彼らが手伝ってくれたんだよ」
「そうか。どちらにせよ大量に作らないといけないし。今更何人か増えたところで作業は変わらない」
と俺が言った瞬間、マストのトーテムポールの顔の数がにょきっと増えた。ああ、更に食べさせる人数が増えたな。
「と、とりあえず、こんだけ材料があったら量はなんとかなるだろう」
「そうですか!よかった!」
エレノアとアランがハイタッチした。いつの間にやら仲間意識が芽生えているらしい。その時、甲板の上のどこかから変な言葉が叫ばれた。
「あ、あれナースステーションじゃないか?」
「は?ナースステーション?」
俺がふと海をみると、そこには海藻ではない植物の葉がぷかぷかと浮いていた。しかもそれは見覚えのある葉っぱだった。
「あれって……」
「ああ、ここらへんは野生のナルスの群生地なんだね」
「ナルスって、あのナルスか」
「あの?僕らが普通によく食べてるナルスだよ」
アランの言葉に俺は目を見張る。
クロワのおっさんのところで使ったナルスという野菜。根がナスのようで葉が大根のあれは海で採れる野菜だったのか!
「栽培してるやつは、木の棒とかを格子状に組んだものを海に浮かべてそれに絡ませて育てるんだけど、野生のナルスは主に海面を漂う海藻に巻きつくんだよね」
「それがなんでナースステーションなんて呼ばれてる?」
「船乗りにとってナルスは貴重な海で採れる食材なうえに、ナルスのある海域は穏やかなんだ。船乗り達にとってはしばし休んだり船の中を整えたりすることができる駅みたいなものなんだよ。だからナルスステーションがなまってナースステーション」
「俺の場合、その名前だと別のものを思い浮かべてしまうんだがな」
ぷかーと波に揺られながら見た目大根の葉を揺らす群生に棒を伸ばしてすくい上げると面白いくらいに見慣れた紫の野菜がイモのようにくっついてくる。
「貴重な野菜を手に入れられたな」
さて、これだけの食材でなにを作るかな。
乗船者達がかき集めた食材は本当に様々だ。船の板を剥がして持ってこられた時はどうしようかと思ったが、それはまな板として使わせてもらうことにする。そして久しぶりに訪れるおっさんの刃物セットが活躍する機会だ。
俺はまずエレノア達が捕まえた魚をまな板の上に置き、鱗を剥がしていく。青空料理教室のはじまりだ。




