第三十七話 船内探索
青い空、白い雲、と言いたいところだが、今現在の空模様はご機嫌斜めならしい。今にも降りそうな、というわけではないが、曇り空が続いていた。
「俺はこの甲板に突っ込んだとこまでは覚えている。んで、俺が気を失ったあとどうなったんだ?そしてこの船はどういう船なんだ」
俺達は船の甲板に出た。甲板には相変わらず旅人たちや水夫たちがそれぞれ時間を潰したり仕事をしたりしている。いや、さっきよりむしろ増えたか。なんかバケツを持っている奴が多い。
俺の問いにアランがこくりと頷いた。
「ユートががんばってくれてこの船に辿り着いたとき、僕達も甲板に下りることができたんだ。そしてこの船の船長が出てきて僕らの話をきいてくれた。とはいえ、教会のことは話せないから、旅をしているときにあの赤クジラに襲われて逃げてきたっていう説明しかしてないよ」
「なるほど」
嘘も言ってないが真実も言っていない。うまい言い方をしたわけだ。
「そしてこの船は商業都市マルシェンダから夏を告げる港街ニーナまでいく客船なんだってさ。その行程約三か月。現在はちょうど中間くらいで、あと一か月半の運航になるかな。さっき一等航海士テランスが言ってた通り、この船が積むのは流通のための荷物と旅人、そして乗船者がギリギリ生きていけるだけの……いや、むしろ足りないのかな。でも食糧やら生活必需品を積んでいる。海では真水が手に入らないし、かといってずっと水を乗せてたら腐るし、保存と維持はシビアな課題だから一日に配られる水の量は決まってるんだ。そこに僕らが入ったら一人当たりの水量が減るわけだから、結構どこもピリピリしてる。一応受け入れてもらえたのは船乗り達の相互扶助の精神のおかげだろうね」
「それだけみんな切羽詰まった状態だから、困ったときは助け合いましょうってことか。なるほどね」
「それで、この船に乗る条件が提示されたんだ。運賃を払うか働くか、ってね。というわけで、僕達は働いていたってわけ」
「ということは、一応俺達は客扱いなわけか」
「そういうこと。だから部屋を用意してもらえたんだよ。あと貴重な水もね」
「ああ、部屋に水差しが置いてあったな」
ということは、そんなに逼迫した状況ではないのか。
「そんで、月夜とやきとりは?さっきから見当たらないんだが」
「ああ、彼らは倉庫の治安維持に一役買ってるみたい」
「治安維持?」
「この船は港に物資を運んでるからね。中にはネズミがいたり、虫がいたりするからそれを退治してもらってるんだ」
「あいつら、そんなこともできるんか」
「眠ってた君の代わりに張り切って働いてくれてるんだよ」
「あいつら……」
ちょっとあとで様子をみにいってみるか。
そのとき、エレノアがおずおずと前に出た。
「あの……」
なんだよ。なんでそんな心配そうな顔してるんだ。
「ユートさんが一度目覚められた時、次にユートさんが目を覚ましたら、この船は厄介なものを乗せているから警戒するよう伝えろと、おっしゃっていました」
「俺が……?」
記憶を探るが、やはり一度目覚めた覚えはない。ただ単に覚えていないのか、それとも他になにかあるんだろうか。いや、起きたら伝えろと言ったということは、俺が記憶を失うことを見越していた……?
「わかった。俺からの伝言をきくってのも変な感じだが、覚えておく」
「はい!」
それにしても、厄介なものを乗せてる……ね。
「さて、事情はとりあえずわかった。とにかくちょっと船を探索してくるわ。月夜たちの様子もみたいし、船がどうなってるのかと、その俺の伝言とやらの真意も知りたいしな」
「わかった、僕らはたしか、次は船の掃除だったかな?」
「はい。甲板掃除ですね」
2人は腕まくりをした。
「船内の地図とか……はなさそうだな」
これが日本の客船とかであれば、壁に避難経路とかが書かれた地図とか掲示されていそうだが、この船にはないようだ。ただ、月夜たちがいる船倉は一番下の階層にあるというのはエレノアから聞いた。
下り口は床にぽっかりと穴が開いた部分で、そこに梯子がかかっている。これだと明かりがなくなれば、気づかず落ちてしまいそうだ。
一部天井が格子状になっていてそこから日光を取り入れているようだが、これ雨の時はどうするんだろうか。
注意深くみて歩いていくと、日の光が入らないこの場所も先が見通せている。光源は壁にランプのようなものが釣り下がっていた。近づいてみてみると、温かいオレンジの光がぽうっと淡く光っている。
中心部はなんだかみたことがある気がする。
「ああ、魔石か」
教会でみたあの空っぽの魔石。形状がそれによく似ていた。ただあのときは透明だったが、今は色がついている。
『魔力灯。光属性の魔力を注ぎ続けることで明かりを発する証明器具の一つ』
光属性の魔力か。だから色がついているんだな。
そういえばさっきエレノアとアランと話したときにそれに類いすることを言っていた。船で過ごす上での注意点として、もし火を使う際は必ずあのテレンスか船長の許可がいるという。まあ確かにこの船は木製で、火を使って万が一があればあっという間に燃えてしまうだろう。それなら許可が必要だというのも納得できるし、船内の明かりもこんな風に常に灯しておくのなら火を避けるのは自然な流れか。
この世界は地球のように電気での技術はなさそうだ。その代わりが魔法なんだろう。
更に進んで下に下りると、そこはたくさんの人間が寝ていた。柱にハンモックがかけられて、かなり狭苦しい印象を受ける。それと同時になんか、なんともいえない臭いが漂っていた。いや、上の階でもなんとも言えない臭いはあったが、下になるとより臭いが増す。
どうやらここで寝ているのは水夫たちらしい。船の運航に休みはないからか、おそらく交代制をとっているんだろう。ここの彼らは現在休息中なんだろうか。
それと同時にこの水夫たち、よくみると獣人たちのようだ。いや、何人か人間もいるな。だが、その多くは獣人であるというのは間違いないだろう。
全員疲れ切ったように寝ているので、起こさないように慎重に奥へと進んでいった。
俺は今まで船に乗ったことはないが、地球の船もこんなに天井が低いんだろうか。いや、天井が低いというよりは、時々突き出している梁に頭をぶつけそうになる。どうしても経験したことのないことだとテレビの知識を引っ張りだしてしまうが、そういう知識と現実はかなり違っていてとまるで別世界にいるようだ。あ、ここ異世界だったか。
身を引くして進むと、再び下り口をみつけて更にそれを下りた。
そこは真っ暗で、俺は梯子にかけた足を止める。多分ここが一番下で、船倉だと思うんだが。
「つか、マジで臭いな、臭い。換気とか……は難しいのか」
海面に近いから、窓とかはないのかもしれない。
俺は下り口に顔だけつっこみ、息を吸う。
「おーい、月夜―!やきとりー!いるかー?」
俺の声が反響するのがきこえる。だが、応えはない。ていうか、マジで臭い!一番下の臭いが強烈すぎる。
俺はハンカチで鼻を覆いながら叫んだ。
「おーい!月夜ー!やきとりー!」
「うおろろろろろろろ!」
うっ!なんだこの臭い!
突如そんな声と共に酸っぱい臭いが漂ってきた。咄嗟に鼻をつまむが、臭いの衝撃は少し尾を引く。
「こーけー」
「んにゃー!」
「おーいお前ら、ほらネズミそっち行ったぞ。今度はそっちだ。おええええ」
という声が聞こえてきた。
薄暗いが全く明かりがないわけではない。だが上であったよりかなり質の悪い魔力灯がぶら下がっているだけで、視界はよくない。
俺はそろそろと梯子を下りると、急に光が増して視界がよくなった。
『うー、わぁ……』
そこには舞い飛ぶネズミとそれを跳びまわって追いかける月夜と光り輝くやきとり。そしてそんな彼らの姿をはやしたてながらバケツを抱えている大柄な後ろ姿があった。
麻袋と樽がそこかしこに積み上げられている中、ネズミがちょろちょろと動き回り、ときに壁や麻袋と樽を蹴り上げて縦横無尽に跳びまわっている。更にその下にはドロドロとしたヘドロのような悪臭が漂う水が溜まっている。
なんだこれ、ものすごく踏みたくないんだが。
月夜がネズミを追いかけていると、まるでサーカスの芸でもみているようだ。そしてその更に後ろでおろおろしているやきとり。
あ、ネズミに頭ふまれた。
なかなか捕まえられないうえに、全部捕まえきるには果てしない数がよくよくみると蠢いていて、イライラの頂点に達した月夜は自分の足元の影を伸ばして網を作り、追い詰めだす。
「なんだ、こんな船底に今日はお客さんが多いな」
バケツを抱えた大柄な男はその赤ら顔をこちらにむけた。白いもじゃもじゃの髭が吐瀉物で汚れている。
そしてまたバケツに吐きだした。
「おろろろろろ」
「おい、大丈夫か!……て、あんた飲み過ぎたんだろ。酒臭い」
「うおえっ!ばっかやろう。船乗りが酒に負けてどうする。船の上じゃ酒飲まないと死んじまうんだぞ。それしか飲むものがねーからな。これは船酔いだ」
「いやそれ船乗りとして酒が飲めない以上に致命的!」
船酔いだろうが酒に酔ったんだろうが、とりあえず酔い止めがあればいいんだよな。
「そういえば、魔法水なら酔いに効くんじゃ?ここは常備してないのか」
「常備はしてるができるだけ使わないんだよ。海の上じゃなにが起こるかわからねーからな。船酔いぐらいで使ってられっか」
『船乗りでも船酔いすることはよくあるみたいだからねー。これで使ってたら何本あっても足りないってのは確かかも』
そうなのか。
「お前も気をつけろよ。今はそんなに揺れてないが、もう少ししたら雨が降る。雨自体は喜ぶべきことだが、風が強いとかなり揺れるからな。船酔いすることが多い」
「そうなのか。わかった」
「まあ、酔ったら救護室に行けよ。魔法水でも飲んだら治るさ」
「あんたは飲まないのに、俺には魔法水くれるのか」
「お前は客だろ」
「あー」
おっさんはにやりと笑った。
「ところで、あんたはここでなにしてるんだ?」
「その質問はそっくりそのまま返したいんだがな。俺はこの通り、荷物番よ」
「吐きに来たわけじゃなかったのか」
「それもある」
「あるのかい!」
おっさんはがはははと笑い、そしてまたバケツに吐いた。
「本当に大丈夫か?」
「いやなに、いつものことよ。んで、お前は何しに来たんだ?」
「俺は、そいつらの様子をみに来たんだ。一応主だからな」
「主ってつまり、こいつらはお前の使い魔か?」
「ああ」
「お前が?」
おっさんはじいっと俺の耳をみる。
「なにかおかしいか?」
「獣人が使い魔をもってるなんて初めてきいたからよ。そうか、こいつらはお前のだったのか。あの割れたメガネのひょろっこい奴のじゃなかったんだな」
「ひょろっこいって、あー、アランか」
「お前はあのひょろひょろのか?それとも女のほうのか」
「ひょろひょろのほうのだな」
「ははははは!お前、自分の主をそんな悪く言っていいのか!いや、言える時点で許されてるのか」
「……」
ああ、そうか。獣人は人間の言うことに逆らえないんだったか。ということは獣人の持ち主が自分の悪口を禁止しているのも頷ける。一度命令されたら従わざるを得ないからな。
「月夜、やきとり。お前らもこんな場所から早く出たいだろ。早く終わらせるぞ」
「コケっ」
「んにゃー!」
やきとりと月夜が俺の元に馳せ参じる。
「やきとり、明かりもっと寄越せ」
「こけー」
「月夜、籠つくれ」
「んにゃー」
やきとりは羽をはためかせると光の球体を生み出し、船倉全体に配置する。月夜は影で格子の籠を作り出し、俺は教会で貰い受け、そして海水でびしゃびしゃになったチーズを取り出した。
「おい、何する気だ?」
「なぜか荷物は船室に置いているにも関わらず持ち歩いていたこのチーズで、奴らを釣る」
と俺がチーズを掲げ持っていると、どさどさっと大きな音がした。
「え……」
「おい、これまずいって……」
麻袋などの後ろに隠れていたネズミが一気に姿をみせる。そしてその目はらんらんと輝き、俺の手に注がれていた。正しくは、俺の持つチーズにだ。
そしてそれらは一斉に俺に飛びかかってきた。
「うわあああああああああ!」
「うーーーにゃーーーーー!」
「こけー!」
ええええ。これはまずい!ネズミの大群に襲いかかられるなんて予想外過ぎる。
ネズミの雪崩という稀有な経験に今現在遭遇していた俺は、指をネズミに齧られながら勢いに負けて体が後ろに倒れる。
齧られたと言っても月夜は俺の前に影の網を張り、やきとりがその網に炎を這わせてせず身を一気に焼きネズミにしてしまった。まさしくそれはネズミホイホイでそれはそれですごかったが、その網をくぐり抜けた数匹が俺に襲い掛かってきたのだ。
俺はネズミよりも、このヘドロにつっこむことに恐怖を覚えていた。
嫌だ、嫌すぎる!この何が混ざったかわからない液体に浸かりたくない。
その一心で体勢を立て直そうとしているときに、月夜が俺の指に齧りつくネズミに襲い掛かり、そのおかげで俺の指は救われたが、俺の重心は再び後ろに戻った。
「あ……」
そこから先は俺の記憶はない。