第十七話 愛とはなにか
最初にいっておきます。このお話は読み飛ばし可です。今回の話はとても難しいです。私も書いていてまだわかっていないところがあります。読み飛ばされる方はあとがきを必ずご覧ください。
その翌日、俺は教会の敷地内を探検することにした。この教会の秘密を知ってしまった俺なわけで、もうどこでも自由に出入りしていいそうだ。
最初に来たのは礼拝堂。ここの中では突き抜けて高い建物だった。だからこそ俺達はあの霧と雨の日、ここに辿り着けたんだが。
そしてその2階には図書室がある。
「けっこう本あるな」
けっこう大きな本棚が壁際にずらりと並び、中央の部分にも本棚が2列4つで並んでいる。
窓は大きく、日の光がよく入るようになっていた。窓際には机が置かれ、この部屋で本を読めるようになっている。
「あれ、ユートさん?」
先客がいた。壁に背を預け、本を片手にエレノアが俺をみていた。
「おう。なにしてるんだ?」
「橙の書を読んでいました。さすがに教会の図書室ですね。エレンティーネ教に関する本が多いです。おかげで探していた橙の書がみつかりました」
ふーん。エレンティーネ教ね。
「橙の書?」
「教会では聖書第二巻が橙の書と呼ばれているんです。昨日、アウローラさんが覚悟のうえです、と仰っていたことがすごいなと思ったので、エレンティーネ教の教義について書かれたこの本を読み返したくなったんです」
「へぇ」
俺にはよくわからんが、とりあえずエレノアの手にある本を覗き込んでみる。
そこで感じた違和感に、俺は眉を顰めた。
「エレンティーネ教は聖書が絶対の存在なんです。そしてそこには、神の加護は人間にだけ与えられたものであり、獣人や妖精は人に仕えるものである。魔の者は悪魔であり、人間を悪の道へと引き摺り込む、と書かれてあるんです。その文から、今では亜人は慈悲の対象外であり、必ず奴隷印を刻まなければならないとされているんです」
「それってつまり……」
「そう、アウローラさんはエレンティーネ教の司祭でありながら、その教義から外れた行いをしているんです」
アランはそれを知っていたのか。だから、あんなきき方をしたんだな。
「この教会は村にある教会とは比べられないほどの規模ですし、周りには村もあまりないみたいで、霧に閉ざされています。そんな場所にたった1人で派遣されてしまった彼女はきっと、もともと……」
「異端な存在だった、か」
「そう、想像してしまって……。でも、そんな彼女がこの教会に来たことであの子供達が救われ……少なくとも自由に生きていられるのなら、これは神の差配なのかもしれませんね」
自由、ね。
「教義には反しているのにか?」
「エレンティーネ教が世界中に広まってから約2000年です。聖書の原文を読む機会があったのですが、聖書の巻数が進むにつれて明らかに徐々に文体が違っていますし、書き手は変わっていると推測できます。おそらく人間に都合のいいように書き加えられていると思います」
「へぇ。よく知ってるんだな」
「聖女としての教養で学びました。私は覚えが悪くて、19345回目で聖書は覚えたんですけど、特に魔法の授業が苦手で……一つの魔法を覚えるのに265日かかりました」
彼女はえへへ、と笑う。
いや、なんで覚えが悪いっていってんのに、回数と日にちだけそんなに細かく覚えてんだよ!
『いるよねー。しょうもないことだけ頭に残るっていうか、よく覚えている人。CMの曲とかセリフとか』
確かによくあるけども。つーか、俺もそういうのの1人だけども。つか、なんであんたはCMとか知ってんだよ。
「そろそろアウローラさんと交代の時間なので、いってきますね」
エレノアはぱたんと本を閉じて戻すと、図書室を出て行った。俺はぐるぐるとそこを歩き回り、さっき感じた違和感の正体を探す。
あらかた見終わったあとふと机の上をみてみると、月夜が丸まっていた。
「ひなたぼっこか?月夜」
「にゃー」
「子供達の相手はどうした?」
「……」
「はは」
月夜とやきとりは子供達に大人気だった。そのおかげで子供達の相手はこいつらに任せ、アウローラさんは教会の仕事やアランの世話ができる。だが月夜は逃げてきたらしい。子供達のパワーはすごいからな。
やきとり、ご愁傷様。
とはいえ、俺もなにか手伝えること探さないとな。
「ん?」
俺は月夜の隣にあった本を手に取った。
さっきこんな本あったか?
パラパラとめくると、魔法について書かれた本のようだ。だが、後半のページは白紙だった。
再びそれを机におくと、月夜はまたその本に近寄って丸くなった。まるで本に寄り添うように目を閉じる。
「……」
1階に下りると、アウローラさんが祭壇に祈りを捧げていた。
礼拝堂は吹き抜けになっていて、図書室を出た廊下からは祭壇が見下ろせた。
俺は彼女に近づく。祭壇の上方にはステンドグラスがキラキラと輝いていた。この礼拝堂はステンドグラスがふんだんに使われている。
「ここは、あのステンドグラスが綺麗でしょう?」
視線を戻すと、アウローラさんが微笑んでいた。
「そうですね」
円形のステンドグラスを中心にして、その周りにまるで物語の一場面を描いているようなそれが何枚もある。
「神が我らの前に現れたとき、そしてその神が世界中を巡り人々に説く場面などで、紅の書にあるエピソードの象徴が描かれているのです」
「へぇ」
「……なにか、私に尋ねたいことがおありですか?」
「アウローラさんは、どうして神に祈る?あんたが信じる神は、あんたが匿っている獣人達を守る存在じゃないんだろ」
「……。ふふふ」
アウローラさんは少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。そして祭壇の前に立つと、背筋を伸ばして立つ。
「神はいった。全てのグラスに酒を注げと」
答えとは違う返答に少し驚くが、俺はなにもいう気になれなかった。
「これは、全七巻あるうちの一巻目。一番最初に書かれた聖書の中の一文です。グラスとは器を示し、器とは心を指します。酒は、人の手の加わった水であり、愛を指します」
説教をきくってこんな感じなんだろうか、と頭の片隅で考えながら、俺はアウローラさんの話をきく。
彼女は頭上のステンドグラスの一つを指した。そこにはグラスをもつ男性達に、ワインを注ぐ男性が描かれている。よくみると、注がれている男性達は耳がとがっていたり、獣の耳をもっているようだ。
「全ての器あるものに愛を注げ、と神は説かれているのです」
そこで一つ俺に疑問が浮かぶ。
おい、あんたそんなこといったのか?
『えっ?!あ、いや……僕がいったといえばそうだし、そうじゃないといえばそうじゃないし……』
なんだよ。はきっきりしねぇな。というか、彼女らのいう神ってあんたなのか?
『ま、一応ね』
「獣人にも、エルフにもドワーフにも、精霊達ですら心はあります。私は、神の教えに従っただけなのです」
「だけど……」
アウローラさんは少し困った顔で笑う。
「確かに、エレンティーネ教の教義とは異なります。正統とされる解釈では、その“全て”の範囲は人間に限る、という解釈です。紅の書以外は彼らをを蔑む内容が含まれていますから」
「……」
「もともと私は司祭などという身分ではなく、ただの読師レクターでした。字の読めない人々の代わりに私が聖書を読み、伝えるのが私の役目です。ですから、エレンティーネ教会内の誰よりも聖書に触れていたのだと、私は自負しています」
彼女の手の腕には一冊の本が抱かれている。
「何度も何度も読んでいるうちに、私は紅の書以外の書に書かれていることは、紅の書に込められた神の教えとは理念が違うと感じるようになりました。実際、紅の書が書かれてから数百年後に、以降の聖書は書かれています。これは教会内の不文律であり、あまり表沙汰にはしてはいけないことなのですが。
ですから私が信じるエレンティーネ教の神は、紅の書に書かれている神1人なのです」
「その聖書に書かれていることに従い、その神を信仰している、と」
「はい」
綺麗だった。
縹色の髪が、上から降り注ぐ色とりどりの色に染められて、微かに虹色に輝いているようにみえる。己の道をしっかりと見極めているその目の光には、きっと圧倒される人間もいるだろう。
「……どうして、酒は愛を指すんだ?」
「……。神はいった。酒は愛の一つの側面のようなものだ、と」
この礼拝堂内の空気が変わった。ぴんと張り詰めた心地よい空気の緊張。それが言葉となり、この礼拝堂全体に波紋として伝わっていく。
「酒は、命の源である水に人の手を加えた物。愛も人を生かすものでありながら、決して純粋な自然物ではない。人である自分自身や他の手が加えられている。だから、愛を酒にたとえられたのです」
ついでに愛についても語りましょうか、とアウローラさんは笑んだ。
「人を生かすのは目にみえるものだけではなく、むしろ目にみえないものの方が重要です。なぜならば、それは目にみえないからこそ蔑ろにされやすいから。けれど、命は目にはみえません。呼吸も目にみえません。けれど、命がなければ生きられず、呼吸をしなければ死んでしまいます。愛もまた、目にみえずとも人を生かすものです」
『日本語は素晴らしいね。“息絶える”。まさに的を射た言葉だよ』
「愛は非常に多彩です。人が表裏だけでなくいろんな顔をもつように、愛もいろんな顔をもっています。けれど、真の愛とは自己犠牲です。なぜならば、人間は必ず自分を愛しているから。愛しているからこそ辛いことから逃げて自分を守ります。愛しているからこそ奮い立たせて立ち向かいます。どんなときも、人は自分を愛します。けれど、人は他からの愛を求めます。望んだ愛が注がれたとき、人は満たされるからです。満たされれば、人は生きます」
彼女のいう人とは、心ある全ての者を含んでいるとわかる。
「愛はみえません。だからこそ、人はむけられた愛に対して疑心暗鬼になります。他を生かす愛は、その人のためなら命も惜しくない。そういう思いを伴う物です。自分にむける愛を他にむける。自分の生死すら左右する愛を他にむけるのです。それだけ重いものだからこそ、他は生かされる」
ふと、空気が弛緩した。
「このようなことが、紅の書には書かれています。この書が示す愛とは自己犠牲。愛するということはそれだけの覚悟が伴う物であるといっているにもかかわらず、それを他人に注げ、と仰る。人が実践するには難しいことです。私も、このような生き方はできていません。ですが、これが人として理想の生き方だと思います。少しでもこの生き方に沿うことこそ、私達が築いてきた社会をより良いものにすることにつながる、と私は信じています」
「……」
「難しい話を長々と語ってしまいすみませんでした。ですが、久しぶりに読師の仕事ができてとてもうれしかったです」
晴れやかな顔をしているアウローラさんに、俺は頭を下げる。
「貴重なお話をありがとうございました。正直言えばあんまり理解はできなかったけれど、愛が人を生かすってのは真実だと思う。俺も、それに生かされた1人だから」
「……。そうですか」
アウローラさんは、綺麗な笑顔を浮かべていた。
……んで、ひとつ気になることがある。
この礼拝堂の出入り口である扉の上には絵画が飾られていた。そしてその絵画に描かれているのはどうみても……。
「……やきとり?」
『あはははは』
巨大な絵で、翼を広げ、下を見下ろしている壮麗な姿。
輝く羽は光を放ち、それそのものがまさに神とすら思えるかもしれない、それ。
これ、どこかでみたことがある。つかむしろそれに乗って空飛んだことがある。
教会から出ない俺を訝しんだアウローラさんが首を傾げる。
「……この絵がどうされましたか?」
「え、いやキレイナエダナァと」
「確かに美しいですね。ですが、さして珍しいものではないでしょう?」
「……は?」
「全世界に約1万ほどある教会全てにこの絵が飾られていますから、目にしたことがないなんていうことはないでしょうし」
「……」
”コケッ”
あの間抜けな姿が脳裏を過ぎる。
そして、頭上の絵をみる。
世の中、なにがあるかわからないな。
『あははははははは』
副題 やきとりは実はすごかった
今回の宗教の話はキリスト教をもとに私がアレンジを加えているため、ものすごくややこしいお話になっております。すみませんでした。また、ギャグはもう少しお待ちください。
必ず読んでほしい要点。
1、エレノアは覚えが悪い。
2、月夜は魔導書に寄り添い昼寝している。
3、アウローラさんは聖書七巻のうち一巻目の聖書を信仰し、その教えもあって獣人達を匿っている。
4、聖書には、特に紅の書には神の言葉と教えが書かれている。
ここさえ押さえておけばたぶん……大丈夫なはずです。