第十六話 ブルイヤール教会の権力関係図
「うわーん、あーん!」
「ああ、よしよし。大丈夫ですからね!今泣かないでぇ」
「いや、説明はあとでいいよ。赤ん坊は泣くのが仕事だし。な?」
『なんか不思議な状況だねぇ』
アウローラさんの腕に抱かれているのは小さな赤ん坊。首はすわっているものの、手も足も小さく、獣耳も小さい。この赤ん坊は竜人族だそうだ。
俺達の険悪な(アウローラさんの刃物事件)雰囲気で目を覚ましてしまった赤ん坊は激しく泣き出してしまった。この声には聞き覚えがある。俺がきいた鳴き声は、この赤ん坊の泣き声だったみたいだな。
「ユートさん!アウローラさん!男性が目覚められました!」
そう勢いよく食堂に駆け込んできたエレノアは目を見開いた。うしろからあの赤毛の男性も顔をのぞかせる。
「これはいったい……」
「おや」
「あ、あ、ご、ごめんなさい!見逃してぇ!」
「おい、今は危ないから!」
再び取り乱して包丁を手に取ろうとしたアウローラさんをとめる。
赤ん坊を抱いてんだから危ないことはやめてくれ!まだ周りに子供達もいるんだから!
「赤ん坊?まさか、それはユートさんの隠し子?!それともアウローラさんとご結婚されていたんですか?」
「どうしてそうなる!どう考えても俺の子供じゃねぇよ。つかあんた歩いて大丈夫なのか?」
「あ、はい」
「大丈夫じゃないです。まだ微熱が出てるんですから!」
いろいろ重なって混乱してきた。
「ごめんなさい。一言お礼がいいたくて。君達が助けてくれたんだよね。ありがとう」
はねまくっている赤毛でメガネをかけ、そばかすのある男性はそういってふんわりと笑った。
「いや、助けたのはエレノアとこの教会の司祭のアウローラさんだ。そっちに礼をいってくれ」
「そうなんですか。ありがとうございます」
「い、いえ……。司祭として当然のことをしただけですし……」
「ユートさんもたくさん手伝ってくださいましたよ!」
「うん。じゃあやっぱりみんなにお礼をしないとですね」
「……」
『お礼言われるくらいいいじゃない』
まあな。
「そんなことより、調子はどうだ?」
「まだちょっと頭がぼーっとしてます」
「さっき確認しましたが、傷は治っていました。でもまだ微熱が続いています。やっぱり感染症にかかってしまったみたいですね」
「歩いて大丈夫なのか?」
「あんまりよろしくありません。魔法薬であれば確実に完治できますが、この様子なら魔法水でも大丈夫だと思います。でも、しばらく絶対安静です」
「だそうだ」
「すみません」
男性は苦笑した。
「あ、名前を教えてもらえませんか。エレノアさんはさっき聞いたんだけど。僕は一応学者で、民俗学をしているアラン・エリドオールっていいます」
「ユート・オガタだ」
「このブルイヤール教会の司祭で、アウローラと申します」
「ユート君にアウローラさんだね。あらためて、助けてくれてありがとうございました」
アランは頭をさげる。
「そういや、あんたはなんで怪我してたんだ。やっぱり、山賊に襲われたのか?」
「ああ、そうなんです。ほんとはエネルレイア皇国にむかってたんですけど、途中で襲われてしまって……」
「へぇ」
つーことは、この教会はエネルレイアと近いのか?
アランは首を傾げる。
「で、いったいこれはどういう状況なんですか?」
「あ……」
すっかり忘れてたな。
『この子供達は獣人だね』
読んで字のごとく、の存在か。
『うん』
アウローラさんはすっと子供達を庇うように前に出た。
「どうか、見逃してください。お願いします」
彼女は真剣な眼差しで俺達をみた。真剣なところ悪いがまったく意味が理解できないんだが。
『あはは』
「その子達は、奴隷印がないんですね」
「はい」
アランが静かに問いかけると、アウローラさんは頷いた。俺は内心首を傾げる。
奴隷印?
『獣人族に刻まれる焼印だよ。この世界で獣人といえば奴隷として扱われる種族なんだ。一度奴隷印を押されると、人間には逆らえなくなる』
なんだって?
「僕はどうこうするつもりはありません。助けてもらっている身ですしね」
ところがアランはへにゃりと笑って、羊の角と耳をもつ子供に近づき頭を撫でた。最初は不安そうにしていたその子は、安心したのかにっこりと笑う。
「私も、ここで見たことは誰にもいいません」
エレノアが珍しくキリッとした顔でいう。珍しいと言い切れるほどの付き合いはないが。それをきいたアウローラさんは最後に俺をじっと見た。いやいや、状況がまったく理解できてないのは俺だけなのか。
「あの、誰にもいうつもりはありませんけど、説明して欲しいです」
「わかりました」
そこでアウローラさんは息を大きく深呼吸すると、どこからかぐぅ~という苦情がきこえた。
発生源の犬耳の女の子が恥ずかしそうにうつむく。そのあともいくつか空腹を訴える音が響いた。
「……とりあえず、子供達にごはんを食べさせてもいいですか?」
「「「どうぞどうぞ!」」」
子供達のお腹は限界だったようだ。
実はこの教会にいた子供達はあれだけではなかった。この教会には食堂が2つある。そちらにも子供達がいた。ただそこにいた子供の中には獣人ではなく普通の子供もいた。
「……」
「……」
俺を探るようにじっとみつめる、人間の少女。俺はそれを見返しながら考える。
獣人の子供達のほうが警戒が少なく、逆に人間の子供達のほうが俺達を観察しているようにみえる。警戒というよりは、その前段階の観察といったところだが、疑っていることに変わりはない。
それは獣人ゆえに判断が早いのか、それとも人間の子供のほうが疑り深いのかはわからない。
そんな彼らがすごい勢いで遅い夕食をかきこんでいるのを横目で見つつ、俺達は椅子に座ってアウローラさんから話を聞いていた。
というか、説明してもらうのはいいんだが、なんか食器とかいろいろ飛び交っているのは俺の気のせいか?
『気のせいじゃないね。優人君達が警戒する相手ではないと分かったからだろうけど』
だからってこれははしゃぎすぎだろう。
きゃーきゃーいいながら、子供達は騒ぎつつ、じゃれつつ、ケンカしつつ夕飯を食べている。
「あ、それあたしのニンジン!取らないでよっ」
「はやいものがち、だもん!」
「うわーん!アレクがこぼしたー!」
「ご、ごめん」
「ほらはやくふきんとってよ!ふくのよごれがとれなくなっちゃう」
「あっフォークが!」
「いたいっ。う~わーん!」
「ちょっとケビン!そんなのとばしたらあぶないでしょ!」
いろいろと気になるが、俺はそれを意識から締め出し、説明に集中した。そう、たとえ子供の手からすぽっと抜けて飛んできたフォークが俺の頬すれすれに飛んできて壁に突き刺さったとしても、だ。
『いや、そこは気にしようよ!危ないし』
そしてあの赤ん坊は現在、エレノアの腕の中だ。落とすなよ。
「みての通り、この子達は奴隷印を押される前の獣人の子供達です。他の子達は孤児で、ここで獣人の子供達と生活しています。ご存じとは思いますが、人の手に落ちた獣人は必ず奴隷印を刻まれます」
ご存知どころかさっき知ったんだが。
「一度奴隷印を押されると、獣人達は人間に逆らうことができません。悲しいことですが、今の人々の獣人に対する認識は単なる働き手以下であり、同等の存在として扱いません。ですからこの子達は、人間の奴隷となった獣人の親達が必死に逃がしてここへ辿り着いた子供達です」
『補足すると、いくら体が丈夫な獣人でも、赤ん坊の頃に奴隷印を押されると死んじゃうんだ。だから子供が5~6歳のときに奴隷印を押すんだよ』
なるほど。だから、ここにいる子供はそれくらいの年齢なのか。
「よく、子供達だけで逃げ出せましたね」
「子供達の逃亡を手助けする方達がいるのです」
親は逃げないのか?
『逃げたくても逃げられないんだよ。奴隷となった獣人は奴隷印を押されているから』
そうか。人間に逆らえなくなるっていってたよな。
「なるほど。それでアウローラさんはこの子供らを匿っているんですね。それを、司祭である、あなたが。いいんですか?」
「覚悟のうえです」
アランは挑むような目でみつめるアウローラさんの眼差しを、心配そうに受け止めていた。
彼は目を閉じて頷く。
「そうですか。この場所は回帰の霧が発生するとして有名ですし、霧の存在を知っている人は近づかないから格好の隠れ場所だったんですね」
「はい。ですが、最近霧の発生範囲が増えていたので今まで普通だった場所も霧が漂い、あなたがたのように迷い込まれる人もいます。それを防ぐために看板を立てておきましたが効果はなかったようですね。なんとかやり過ごそうとしましたが、このとおり露見していまいました。
……ここも安全ではなくなってしまったのですね」
まあ、子供にずっとじっとしていろ、静かにしていろ、というのは難しいよな。今の惨状をみれば、よくこの3日間あれだけ我慢していたものだ。
「というか、俺が説明を頼んだんですが、こんなにあっさり説明していいんですか?」
「今更隠したところで、というのもありますが、あなた方はこの子達を見ても嘲りや見下すような目をしませんでした。そういう目というのはすぐわかるものです。それに、この子達も警戒しませんでしたし」
『獣の特性をもっているだけあって、そういうのを見抜く本能はずば抜けているしね』
「なるほど」
「この場に3人もいて、その方々全てがこの子達をその目でみないということは、奇跡です。神のご加護に感謝を。……あと7日ほどは子供達のことでご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうかよろしくお願いします」
「まあ、俺達動けないからな」
「そうですね」
「いやいや、にぎやかで楽しそうです」
そう笑ったアランの顔面が白くなる。
いや、顔色が悪くなったわけじゃなく、飛んできたスープ皿があたったのだ。
「アランさん!」
それをみたアウローラさんがひくりと頬を引きつらせた。そして俺はみた。一瞬だけ浮かんだ般若を。
「行儀の悪いことをするなら、明日1日ごはん抜き」
そうぼそりと呟いただけだった。だがその瞬間、子供達の動きはぴたりと止まる。
「アランさん、大丈夫ですか?!」
すぐに心配そうにアランに駆け寄った彼女をみて、俺は思った。
この教会で逆らってはいけない人物は、彼女だと。
『僕は優人君のほうが怖いけどなぁ』
副題 司祭はけっこう愉快な人