第百四話 風の大精霊の加護
俺はその様子を見届けると、エレノアに駆け寄る。近づくにつれて軽く目を反らした。服がところどころ焦げていたからだ。
「エレノア、大丈夫か」
「ユートさん。ご無事でよかったです」
「俺よりも、自分の身を気にしろよ」
俺は自分のマントを手渡しながら、ゲリールをとなえる。一番酷いのは彼女の手だ。酷い火傷で、ゲリール程度では完治しない。俺が重ねかがけするか、別の方法を試すかしようとしたとき、雪の女王が近づいてきた。
「どうしました?」
「……」
女王はじっとエレノアの手をみると、その手に自分の重ね、そして手を引くと、エレノアの手には雪だるまがのっていた。
「わぁ、かわいい!ありがとうございます!」
エレノアが片手で雪だるまを持とうとすると、雪の女王はすかさずもう片方の手を取って、両手でぎゅっと雪だるまを握らせようとする。
「あ、あの……これだと雪だるまが潰れちゃいますよ」
「……」
女王は首を横に振る。俺は女王の意思がわからないエレノアに補足してやる。
「その雪だるまで、エレノアの手を冷やせってことだ」
「あ……。ありがとうございます。優しいんですね」
エレノアがにっこり笑うと、女王の頬が赤く染まる。助けを求めるように俺に視線を向けられるが、俺にどうしろと。
「……。妹さんが無事でよかったですね」
「!」
「妹に嫌われている私が言うのもなんですが、妹は可愛いですよ。お姉ちゃんという役割は重荷でもありますが、自分の支えになったりもします。身内がいるというのは、とてもいいものですよ」
「……」
エレノアが目を細めると、女王はしばらく考えた後、こくりと頷いた。
今の彼女様子をみると、女王の能力は落ち着いているように見える。人に触れることに対する躊躇も減っているようだ。女王の心境にも変化があった、それは確かだろう。だが、彼女の力が落ち着いているのはそれだけが原因ではないように思う。
「欠けた欠片が、埋まったかのようね」
シルフがふわりと、俺の横に浮かんだ。
「あんたもそう、思うか?」
「ええ、あの子の妹が炎の精霊であること。まるで二人そろって完成かのように、あの二人の力が落ち着いている。この場の空気が完全に調和されているわ」
「……二人で一つ、ってやつなのかね」
「……そうであったのなら、もう少し早く、そうであったなら……」
「大精霊ともあろうひとが、恨み言か?」
「あなた達に感化されちゃったのよ。とてもとても……ね」
シルフは残念そうな、それでもすっきりした表情をしていた。最初にあった時のようなわけのわからなさがないように感じる。
俺はキョロキョロと周囲を見渡した。意識を散らしても、索敵には引っかからない。
「……いないのか」
「どうしました?」
エレノアが立ち上がる。
「いや、これは勘なんだが、この騒動の主犯が絶対まだ近くにいるはずなんだ」
「主犯というと……」
エレノアも思い至ったのだろう。
「上!」
その時、いち早く異変に気付いたイゼキエルがぼそりと呟いたすぐあと、ズドンッと地響きがした。
上を見上げると、巨大な吹雪の塊が巨人の形で腕を振り回していた。もはや見ただけでわかる。あれは、雪の女王の中に収められていた瘴気の塊、だ。呪いの部分は引きはがし、精霊自体も切り離せた。しかし、残りの瘴気はどこへいったのか。
それが目の前にある。
その時、さっきのひらめきが目の前の事象と繋がる。
「あれは、利用できるかもしれない」
「え、どういうことですか?」
俺はエレノアに向き直る。
「俺は、ここでなにがあったのかを見ることができた」
呪い達の記憶。そこにはあの白衣の男がこの場所でなにをしていたのかの映像も含まれる。
「たぶん、主目的は時間を遡ることだった。なんで遡ろうとしたのかまではわからないけど」
「時間を遡る……」
エレノアは右目を軽く押さえる。
「その時間を遡るための方法を探りつつ、準備を進めていたらしい。その中の一つが、瘴気を使うこと。その瘴気を集めるために、たぶん元から研究していたこととか、興味の引かれたことを片っ端から試していったんだろうな」
それはたとえばキメラを作ること。肉体を持たない精霊を受肉させるとどうなるのか、など。
キメラを作るために様々な生き物を糸で繋ぎ合わせたり、偶然見つけた地下の遊園地を器に見立て、蟲毒を試したり。遊園地が封印の陣だと気づいたあとは、封じられていた精霊を引きずり出して、キメラの体を与えた。その過程で目的の瘴気が生み出され、必要分が生産されるまでそれらの実験を続ける。恐らくここ最近起きていたという地震や、狂化した魔物達によるスタンピードも地下の実験の影響だ。実験で生み出された瘴気や魔力が漏れ出し、周辺の生き物たちを狂わせ始めた。その様子も、あの白衣の男からすれば興味深い影響だっただろう。
自分の興味を最優先にし、それにより命がどうなっても構わないと考えているタイプの人間……だと思う。なんでかわからないが、勘がそう告げている。
時間を遡った結果がどうなったのかは、はっきりとはわからない。だが、あの地下遊園地で白衣の男と共にいた男。あの男の姿が消えた時が時間を遡ったのだとすれば、再び現れたのは元の時間に戻ったということ。その時の言動から考えれば、目的は果たせなかったのだろう。しかも、時間を遡りたかったのはたぶん、あの男のほうだ。だとすれば、男に協力していたのは自分の好奇心を満たすためだったんじゃないのか。
仮定の話ばかりだが、それが正しいとすれば、そこまで自分の興味に忠実な男だ。立ち去ったと見せかけて、近くで……少なくともこの場が観察できる場所で自分の実験の結果を見届けているに違いない。これも勘だが、絶対にいると思う。だが今の俺では奴の居場所まではわからない。索敵に引っかからないとなると、敵意はない、もしくは俺の索敵の範囲外にいるということだから。
俺はうっすらとこの森を覆うガラスのような幕を透かして見上げる。その先にいる巨大な瘴気と吹雪でできた巨人を。
だからこそ、今目の前の瘴気の巨人は、チャンスだ。この巨人の処理を派手にやればやるほど、奴の興味を刺激して近づいてくるはず。
そこまでの俺の説明を聞いて、エレノアはふむふむと頷いた。
「えっと、あの瘴気の大きな人をなんとかすれば、犯人も近寄ってくるということなんですよね」
「ああ、あいつの性格上寄ってくるはずだ。だからできるだけ派手にやりたい」
「なるほど!でも、派手ってどのようにしたらいいでしょうか?」
「派手にやりたいってならちょうどいい」
エレノアが困ったように眉根を寄せると、なんだか聞き覚えのある声がその場に割って入った。
「……あれ?」
視線を下げると、地下遊園地で見かけた魔導自動人形がくるくると頭を回転させていた。
「あ、イネスさん。聞いてらしたんですね」
「おう。とにかく制御室に戻るぞ。実際に見たほうが早い」
そういって、白い魔導自動人形は空間の歪みに向かう。
俺が振り返ると、さっきまで立っていた雪の女王が地にひっくり返っていた。
「え、どうした?!」
俺が駆け寄ると、シルフが俺の横にふわふわと近寄る。
「この子は、変質してしまったの。この子はただの精霊ではないわ。肉体を得てしまったために、うまく動けないんだと思うわ」
「あー、ずっと無重力だったのに、いきなり重力に襲われたような感じか」
ひっくり返ったカブトムシが起き上がろうとするように、彼女は身を起こそうとするが起き上がれず地に伏した。
「こちらのことはいいわ。あとは妾がみておくから、あなたにはやることがあるのでしょう?あなた達人間には、時間は大切なものなんですものね」
「……ああ」
シルフの視線は俺の右腕に注がれている。
「じゃあ、あとはよろしく」
「ええ。あ、そうだわ」
踵を返そうとした俺に、シルフは顔を近づけ、耳元に息を吹きかけた。
「っ!なにすんだよ!」
ぞわぞわと、産毛が逆立つ。いや、嫌な感じではなかったけども!」
「風の大精霊の加護よ。今からすべての風はあなたの味方。風に属する精霊達はあなたのために動いてくれるようになるわ。もちろん、妾も含めて」
「ええ」
そんなこと言われても、具体的にどう扱っていいのかわからないんだが。
「難しく考えなくていいのよ。風を友と思ってくれれば、おのずとわかるわ」
「……」
俺はどう答えていいかわからなくて、そのまま背を向けて歩き出した。




