第百一話 YAHYAHYAH
男は憮然としている俺にニヤリと笑った。
「あんた、あいつらになにか思い入れでもあんのか?」
「ん?んー」
両手をポケットに突っ込み、軽く砂を蹴るような仕草をする男からは、あの呪いの塊たちに対する敵意が感じられない。そもそも敵の前で両手をポケットに突っ込むなんて真似はできないだろうし。
「まあ、あいつらがどうしてこうなったかってもの知ってるしな。それに千年以上も見守ってるとな。情もわくっつーかな」
「そんで、話の続きなんだが」
「切り替え早っ。お前が聞いてきたのに!まあ、時間もねーのは確かだ。
話を戻すと、魔王を倒すことが魔法陣の発動条件だというのなら他の方法を探さなきゃなんないだろうが、それこそ例の魔法陣をみないとそこらへんは俺にはなんとも言えねぇな」
「じゃあ、あんたを魔法陣のとこまで連れて行ったらいいのか?」
俺の提案に男はぎょっと目をむく。
「連れてく!?俺死者だぞ。そこまで付き合えねぇよ。現実問題、そこまで〈俺〉が耐えられない。俺はあくまで残留思念だ。さっきも言った通り、はるか昔に生きてた俺が施した封印にくっついていた残りかすで、俺そのものは封印の魔力だ。しかも千年規模の年月ので劣化も激しい。陣自体もボロボロ。本来なら、こんな風にお前の前に現れることができる状態にすらならなかったはずだ。もう少ししたら、跡形もなく消える運命よ。てかむしろ褒めたたえよ!ここまで持つシステムを構築した俺を!」
俺は首をひねる。
「じゃあなんであんたがここにいるんだよ」
「そりゃぁ……なぁ」
天才だからだ!と返すと思った男は予想に反して宙を見上げる。
「聖女の、愛ってやつだよ」
「エレノアの?」
声に出して、あ、たぶん違うと自分の頭の声が否定する。聖女を語る最初だけ、細められた男の目が違う誰かを思い浮かべているようだったから。
「〈お前の〉聖女はエレノアっていうのか。さっきもお前の危機に力だけ飛ばしてきてただろ。悲しいかな、聖女って生き物は、勇者に対して傍から見れば引くほどの献身を勇者に捧げるようにできてるからな。その影響の副産物で、昔の勇者と現在の聖女っていう関係性の縁で増幅されて俺は形になれた。改めて〈勇者〉と〈聖女〉の感応力と共鳴力ってのは恐ろしいねぇ」
「できてる……」
別の意を感じる言い方だった。それに、さっきの光の人型はやっぱり……。いや、待てよ。
「献身っていっても、あいつは俺が勇者だと知らないんだが……」
「あれ、でもお前自分が勇者で、あっちが聖女ってことは知ってるんだよな?」
「知ってるが、俺のことは……言ってない……」
「うーわー……、それは……お前、酷な奴だな」
男がジト目で見てくる。なんだよ、俺がすげーひどい奴みたいじゃないか。
なんとなくばつが悪くなる。
「そ、そこまでいうほどか?」
「そりゃあ、俺が言うのもなんだが、聖女の性質を考えたら……。さっきの見たならお前もわかるだろ。勇者だってことを知らないまま、無自覚でも、お前を助けるために力を使って守っているって。あーでも、そうか。お前の場合は……。魔王も復活してないって言うなら、むしろ賢いのかもな。少なくとも、俺と同じ轍は踏まずに済む」
「……なんだよ、その含むような言い方」
「いやぁ、逃げられるといいな。もしくは……」
「……」
「…………」
もしくは……なんだよ。
身を乗り出しかけて、意味深に笑うだけの男にがくっとなる。
はいはい、そっから先は言わねーのな!
「どちらにせよ、お前の望みが叶うことを祈ってるよ。後輩君」
そこで男の目が、曇った碧色をしていることに気づく。深い深い水底のようなその色が三日月型に細められていた。
普通に怪しい奴の笑い方だ。白衣にがに股でつっかけで、ボサボサの頭に、人のことは言えないがひょろい体。だけど……。
「悪いが時間切れだ。俺も体もだが、外ももたねぇようだ。あー、中もだな」
見上げる男につられて俺も見上げるが、宙には暗闇しか存在しない。
「外でなにかあったのか?」
「むしろ、外でなにも起きてないとでも思ってたのか?」
「いや」
自分でもそれはないだろうなと思う。ここに来る直前までにもいろいろあった。時間は進行しているんだ。
その時、俺の頬を冷気がかすめると、パキパキと氷の割れるような音がした。いや〈ような〉、ではない。さっき男が振り下ろした封印の布が、氷におおわれてヒビが入っていく。
「後輩君、あいつが出てくるぞ。どうするつもりかは知らないが、なんか考えがあるんだよな?」
俺は胸を張って答えた。
「ない!」
「俺もう還っていいかな」
帰ると還る、どっちもかけてるうまいこと言いやがって。
「まじめに答えると、俺にできるのは話し合いだけだよ」
「話し合える状態まで持っていけるのか、これ?」
「あんた情が生まれるくらい付き合い長いんだろ?なんかないのかよ」
「見守ってただけだっつーの。まともに話したことなんか千年前に二言ぐらいで」
軽口を叩きながら、俺達は身構える。とはいえ横目にみた男の姿は透けはじめていた。マジで時間がない。
俺は、さっき呪いの波に飲み込まれたとき、疑似的に彼らが死の直前の出来事を見、体感した。痛かった。
体の隅々(すみずみ)から、心の端々(はじばし)まで。
見知らぬところに連れ去られ、生きたまま檻に入れられ、助けを請うても聞き入れられることはなく、泣き叫び絶叫し怒り抵抗しても、体を切り刻まれて。それでもなお、終わらなかった。
様々な魔物、動物、人間、亜人。それらの一部を組み合わされて実験され、作り出されたキメラの中の魂は、苦痛から解放されることなく現世に繋がれ続けている。生者には届かない彼らの悲鳴は、閉じ込められた継ぎはぎの体の中で反響し、澱となった。それらの実験を行った者はその呪いの力すらもキメラの体を動かすための力として利用した。
それが、彼らを作り出した者の実験による結果だったんだろう。
そして、それら死したものたちの記憶にあったのは、あの地下の遊園地で俺達を襲った、白衣の男だった。
でもさ、それってさ、むかつくよな。
傷つけられたほうが、なんで泣き寝入りしないといけないんだ。今、対峙しているこの呪い達の怒りと悲しみは、一体どこにぶつければいいのか。
それって、俺じゃないよな。エレノアや、ルインの町の連中でもないよな。悲しみ囚われて制御できない呪いの力を、依り代として利用するために雪の女王に絡みつくのも、違うよな。
「お前達が敵意を向ける先は、あの白衣の男達だろう」
怒りと悲しみを上回る恐怖。それをこの魂たちは生前植え付けられた。どれだけあがいても逃れられず、ただすりつぶされた実験の日々がつけた恐怖という傷。
「それでもまだ思うところがあるからここでくすぶってんだろ。未練があんだろ。怒りが、悲しみがあんだろ。だったら、すっきりさせてから逝けよ」
呪いの泥波達は、俺の言葉に惹かれるように吸い寄せられてくる。
未練なんて、ないほうがいいに決まってる。死んでしまったものは仕方ないが、ちゃんと行くべきとこに行けたほうがいいのも同じだろう。
「ここであったのもなにかの縁だ。だから、手伝ってやるよ。あの白髪ボサボサじじいを一発、ぶん殴りに行こうぜ」
散々俺も迷惑かけられたしな。それに檻に囚われる記憶は、他人事とも思えない。
俺が右手をぎゅっと握って拳を作ると、泥波達が俺の右手に巻き付き始めた。それらは俺の腕に憑りつき、まがまがしい文様が浮かび上がる。右手に疼きはあったが、呪いが完全に分離したそのあとには、呆然と浮かんでいる雪の女王がいた。
副題 今からそいつを、これからそいつを なぐりにいこうか