第九十七話 そんなわけなんよ
「ま、そんなわけでここまで来たわけよ。ここに来るまでに猫と鳥とイルカ?こいつらも合流してきてな。というわけで、俺が来たからにはお前はこの場所から出られるが、あれをこのままにはしておけないよなぁ」
と。エレノアと俺が別れた後の説明を、なぜかさっき見たときは無機質な話し方しかしなかった魔導自動人形が流暢に話す。
急に時空間を歪めるように空間に開いた穴から現れたエレノアと月夜とやきとりと白桜にちょっと泣きそうになったあと、ざっとこの白い魔導自動人形がこれまでのことを説明した。
曰く、自分は俺達が遺跡と思っているここ、イネスに言わせると遺跡=城と、暴走気味だった雪の女王を鎮めるための魔法陣、はたまたあの実は封じられている雪の女王の退屈しのぎのためにあった遊園地とルインの町を作った元勇者のイネスの人格データで、エレノアと自分が作った魔導自動人形によって体を得たので、一応現在起こっている事態の収拾に来たのだそうだ。
さらに、この魔導自動人形の中はコピーデータで、原本の入っているやつは未だに制御室でがんばっているらしい。
ここまでの内容が濃すぎないか?
感動しきりで俺の手を握りながら涙ぐんでるエレノアに手を放せとも言いづらく、俺が言い淀んでいるとブクブクという何かが溶けて泡立つような音がした。
音のもとは雪の女王の体だった。元は少女の形をしていたものが、黒い泥がにじみでて溶けていくように見える。じゅぅっと泥が地におちたところからも溶けていて、まるで酸をかけられたように煙が昇る。
「そんな!」
「シルフやめろ!
シルフが浮かびながら寄ろうとしてイネスが呼び止め、イゼキエルが抑えるようにシルフの前を腕を掲げて阻む。
「近づくな」
「でも!」
シルフの気持ちに呼応するように、風がざわざわと騒ぎ始める。そんな中、頬にふんっと生暖かい空気が吹きかけられた。視線をずらすと、いつの間にか灰と再生のカミの面長の顔が間近にあり、俺を覗き込んでいた。
「うえあ?」
いつの間にこんなに近くに来ていたのか。改めて間近でみると、それは不思議な生き物だ。白い鬣はまるで仙人のヒゲのよう。枝分かれしている角は立派だが、背に乗る妻である死と冬のカミを守るように囲う形になっている。赤い瞳に金の結膜。灰の体躯はどっしりとしていて、牛ほどの大きさだ。
そしてその『不思議』という得体のしれなさは、『畏れ』を抱かせる。
灰と再生のカミには、目が合うと死んでしまうという話がふと『思い起こされた』。
そんなことを思い出したのも目がばっちり合った後で、思い出すならもう少し早く思い出したかったと思いながらも、俺は死んでいない。さらにその背に乗る死と冬のカミにも笑みを浮かべながら見つめられている。彼女の頭には俺が渡したヤドリギがのせられていた。やがて彼女は夫の背上から腕をのばし、その冷たい腕が俺の腕に触れる。人の手のような見た目から想像できる感触と違い、ひんやりとしたゼリーに触れられたように感じる手で彼女の腹に俺の手が導かれ、その腹に触れたときに感じたのは小さくとも力強く脈打つ鼓動だった。
脈打つリズムに合わせてだんだんと強く、『それ』の意思が全身に叩きつけられるという摩訶不思議を体感する。みずみずしく未熟で、弱く柔らかいのに力強い。死と冬のカミに宿る次代の雪の女王。けれど俺が感じたのは、雪とはかけ離れた熱量をもつ意思の力。未だ世に出ていない原始的な命の輝きゆえにむき出しのその力は、光をともなって膨らみ、俺を蹴り飛すような衝撃の形で弾けた。まるで竜巻が体の中を通り抜ける際に言葉を落としていくといった感じだ。
「うおわっ」
早く姉を助けて!
俺が返事をする間もなく、体は元雪の女王のほうへ吹き飛ばされる。今更身をひねろうがなにをしようが避けられそうもない。というかそういう運動神経は残念ながら俺は持ち合わせていない。
俺がぎゅっと身を固めてその瞬間に備えると、想定していた衝撃は来ず、ただ少女の体から溢れていた黒いなにかがぱっくりと口を開けて飲み込まれる。まるでスライム風呂に沈むようなひんやりとした感触だけがあり、そのあとはなんの感触もしなくなった。あ、でもスライム風呂ってなんかちょっと憧れがあったりするよな。
「……?」
スライム風呂の感触はすぐに消えてなんの感触もしなくなったあとは、ただ俺は立っているということを自覚した。視認がはっきりするとそこは真っ暗闇の中。前も後ろも上も下もなにもみえない。ただ、足元からひんやりとした空気が這い上がってくる。ぶるりと身震いする体を抱きしめた。
「あー、あー」
声は出る。だが、秋の日の早朝のように冷気は増していた。しかも、そんな清々しいものではなくなんとなくしけっているように空気が重い。
「すー、はぁー」
光一つない真っ暗闇。伸ばした手すらみえず、一歩踏み出すのも躊躇ってしまう。だが、今のところなんの気配もない。深く深呼吸して息を潜めたついでに、思い出す。
早く姉を助けて。その意思とともに流れ込んできた続きの言葉。
あなたにしか、できないから――――――。
胸のあたりに手をあてる。
それは、俺の中にいる人物も言っていた言葉だ。他にできることもない。今はその言葉に、沿ってみるか。俺にしかできないというのなら、決着をつけるために腹を据えて動くしかない。
思い返してみれば、この世界に来てから俺は逃げ続けてきた。
クロワのおっさんも、アウローラやサラ達のこと、ミツハやユキシロ。関わって、知って、助けて、助けられて。
でも俺はそれらに深く関わらないように、そう意図して行動してきた。人との関りには、縁という見えない糸があるらしい。深く関われば関わるほど、その事情に踏み入れれば踏み入れるほど、それは俺のもとの世界に帰ろうとする意思を引き留めてしまう気がして。
誰かと関わって、縁を結べば結ぶほど。そしてそれを大事に思ってしまえば思うほど。
俺がかたくなに制服を脱がない意味。それには相反してしまう。
だが、そうやって逃げていても、どこまでもどこまでもそれは追いかけてくる。
逃げるのがダメなら、立ち向かうしかない。戦うしかない。そのほうがより傷ついて、困難があったとしても。一歩でも前へ。そしていつか帰れる道に繋がると信じて。
俺は改めて目を閉じて耳を澄ませ、これまでの出来事を思い返しているうちに、心臓のあたりから三本の糸のようなものが繋がっているのを感じた。その先にあるのは。意識で辿っていけば燃え滾る炎と風、命を育みやすらぎを与える土と闇、循環と浄化を繰り返す水。その気配がなにを示すのかは、考えるまでもない。
俺はあの黒い泥のようなものにぱっくりと食われたのが最後の記憶だ。なら、今俺がいるここはあの元雪の女王の中なのだろう。
冷気はだんだんと強くなっていて、指の先がかじかんでくる。今は真冬の寒さだ。
俺はその糸をちょんちょんと引いて、思いつくままに魔法陣を脳内に浮かべ、詠唱の言葉も浮かぶ。だが長いし言いにくい。
『縁の結ばれた眷属よ、主の呼び声に応える契りを今結ばん。応じるならば、その姿を今表せ』
ちょっと古臭い言葉なのは、俺の中の人が昔の人だからだ。中の人って別の意味にも聞こえるな。
これだけ言うのは面倒だ。だから省略する。実力か技術がないとできないらしいが、今の俺にはできるとなぜか確信があった。あと、あいつらなら多少ぞんざいでも応えてくれるという信頼もある。だから。
「来い!」
そう短く言った瞬間、足元に俺の思い描いた魔法陣が金の光を放ちながら浮かび、そこから黒い穴が開いたかと思うと、吹き上がる炎とともにやきとりと月夜、白桜が召喚された。
『職業 召喚士を得ました』
そんなウィンドウ画面も浮かぶ。
やきとりの炎のおかげ体の表面に熱があたり、同時に周囲の状況も見えた。
「……」
俺は言葉を失った。
俺の周囲には、積みあがった人や魔物の骨と、人の顔のようなものが浮かんでは消える黒い泥のようなものがうごめいていたからだった。
うん、あんまり怖くない。アンダーテイカーでも似たようなの見慣れているからか?
副題 どんなわけなんよ




