第6話 毒殺未遂
ファルベは慌ててテントから飛び出した。目の前には悠一の背がある。こちらに背を向けて胡坐をかいて座り、地面に広げた地図を熱心に見ているようだ。
「ユウ!」
呼ぶと、悠一は振り返った。そして微笑む。
「起きたか。おはよう、ファルベ」
「おはよう・・・・って、そうじゃないよ! どうして夜中に起こしてくれなかったの? 見張りを代わるって言ったじゃない」
ファルベが隣に座ると、悠一は苦笑した。
「気持ちよさそうに寝ていたから、起こすの可哀想だと思って」
「そんなこと言って、一晩寝てなかったんでしょ?」
「少しは休んださ。それに、俺は昔から夜型の人間だから、一晩くらい寝なくても平気だよ。これでも高校受験の時は殆ど寝ないで毎日勉強漬けだったんだ」
夜中の3時4時に、颯人から「解き方が分からない」というSOS電話も、よく来たことだし。
「・・・・・本当に大丈夫?」
ファルベは酷く不安げだ。自分だけテントで眠ったことが後ろめたいようである。悠一は頷いた。
「今日にはノーブルに着くからな。今夜は宿でゆっくり休むよ」
そう言って、ようやくファルベは納得してくれた。
粗末な朝食を摂り、ふたりは早々に出発した。残りは3分の1の行程。昼過ぎには着けるだろう。
延々と歩き、ようやくノーブルの街が見えてきた。ゼイオンとこれといった変わりもなく、平穏な街といった様子だ。そもそも、黄泉の国で観光する人などいないのだから、観光施設も一切ないだろう。時間は午後1時過ぎ。ゼイオンの街でテスタに時計の時刻を合わせてもらったので、時間に狂いはない。黄泉の国も60秒で1分、60分で1時間、24時間で1日だ。単に、悠一の時計が数時間遅れていただけである。
「少し遅くなったが、宿をとったら昼飯をどこかで食べよう」
「うん。じゃあ、まずは換金所かな?」
「そうだな。いまいちこの世界の物の価値が分からないから何とも言えないが、これだけ持っていれば・・・・・」
城門をくぐろうとしたとき、悠一は足を止めた。脳裏に光る閃光。何かの予知だ。
はっとして振り向く。それと同時に、左の首筋に鋭い痛みが奔った。
「いっ・・・・つ」
悠一が首を抑えると、気付いたファルベが駆け戻ってくる。
「どうしたの?」
「いや・・・・・なんか今、首に何か・・・・・」
「首?」
「針でつつかれたみたいな痛みがあったんだが・・・・・うん、気のせいだな」
悠一は微笑んで首をさすると、ファルベとともに街の中へ入った。
そこから30メートルほど離れた大木の陰に、ひとりの青年が佇んでいた。その手は何かを持っているような仕草をしているが、何も見えない。だが僅かに光線の加減が変わると、掌にきらりと光るものが乗っていた。
透明にすら見える、極細の糸だ。その糸の先端にはこれも小さな針、そしてもう片方の先端は、手袋をした左手に巻きつけていた。
「ふっ・・・・・どうやら思っていた以上に、油断ならない相手かもしれないな・・・・・予知されてしまっては、手の打ちようがないのだから」
青年はそう呟き、糸をポケットにしまった。そしてゆっくりと街へ歩き出す。
◆〇◆〇
換金所で鬼の落とした5つの球を出すと、かなりの大金だと驚かれた。通常、鬼は群れないのだという。多くても3匹がいいところで、5匹も同時に現れたのは珍しいのだそうだ。球の大きさはばらばらだったので、合計で金貨2枚と大銀貨1枚、大銅貨1枚となった。つまるところ、2550円。千より上の位はすべて金貨で数えるため、とんでもない枚数になってしまう。まあ、これ以上金を持つと面倒なのでいいところだろう。
「あとは宿だね。ユウ・・・・・」
ファルベが振り向くと、悠一はぼんやりと街並みに視線を送っていた。ファルベが目の前に手をかざし、はっと我に返る。
「大丈夫?」
「あ、ああ・・・・・ごめん、ちょっとぼんやりして」
「きっと昨日寝てないからだよ。今日はゆっくり休んでね?」
「分かってるよ」
悠一は微笑んだが、どこか生気に欠けるな、とファルベは思った。
いつもは悠一が交渉する担当なのだが、今日は何もしゃべらなかった。常にぼんやりと虚ろな感じだ。ファルベが宿の場所を住民に聞き、悠一を引っ張って宿まで連れてきた。
おかしいな。朝起きてから街に着くまで、もっとしゃっきりしてたのに。
ファルベは心配そうに悠一を見上げた。
(なんだ・・・・・酷い眩暈がする)
悠一はぼんやりとそう思った。額に手を当ててみたが、自分では熱が出ているかどうかなんてわからない。
「ユウ、宿に着いたよ」
ファルベが振り返ってそういうが、答えられない。
(駄目だ、足元がふらつく・・・・・どう、したんだ? 俺は・・・・・)
悠一はよろめき、宿の壁に手をついた。ファルベがはっとして悠一を支える。
「ユウ!? ねえ、しっかりして!」
ファルベが声をかけるが、悠一はずるずると壁に背を押し当てたまま地面にうずくまった。
「うっ・・・・ぐ・・・・・げほっ・・・・げほっ」
悠一は激しく咳き込んだ。吐き気を何とかこらえ、それでも冷や汗が額を流れ落ちる。こんな不快感は、いままで一度だって感じたことはなかった。熱を出しても、こんな不快にはならない。
なんだこれは―――
悠一はがくりと力を抜き、地面に倒れた。
「ユウっ!」
ファルベが叫ぶ。と、ひとりの青年が駆け寄ってきた。
「坊や、何があったんだ?」
ファルベがはっとして顔を上げると、そこには20歳前後の若い青年がしゃがんでいた。美しい茶色の髪の毛をゆるくうなじで結んでいる、なんとも中世的な顔立ちの美青年だ。
「ユウが、ユウがっ、急に倒れちゃって・・・・!」
動揺してしまって、それくらいしか言えなかった。青年は頷くと、悠一の身体を抱き起した。背の高い大の大人で、しかも意識を失っている悠一を、軽々と青年は抱き上げてしまったのだ。
「とりあえず宿に部屋を用意してもらおう」
「は、はい!」
ファルベは頷き、宿の中に駆け込んだ。
宿を経営している神の使いたちは、大慌てで部屋を用意してくれた。青年が悠一をベッドに寝かせ、慣れた手つきで脈や熱を測る。
「すごい高熱だ。とりあえず、僕は医者を呼んでくる。君は、彼の傍にいてやって」
青年はそういうと、部屋を駆け出して行った。ファルベはベッドに寝かされた悠一の手を取る。
「ユウ・・・・・死んじゃ、嫌だよ・・・・?」
ファルベの声が聞こえたのか、悠一がわずかに瞼を振るわせた。
「針・・・・・」
「え? 針・・・・・? ユウ、針がどうしたの?」
かすれて聞こえにくい悠一の声を、ファルベがなんとか聞き取ろうと身を乗り出す。しかし、悠一はそれきり口を開くことはなかった。
ほんの数分で青年が医者を引き連れて戻ってきた。医者はすぐに悠一の診察を始める。そうしている間にも悠一の容体は悪化の一途をたどり、高熱にうなされているのか荒い呼吸を繰り返し、時折うめき声をあげている。
医者が腕を組む。
「彼は、今日の朝から調子が悪そうでしたか?」
医者に問われたファルベは首を振る。
「朝は普通で・・・・この街に来てから、急にぼんやりしだして・・・・」
「何分くらい前ですか?」
「15分も経ってないです」
医師はその答えで何か確信したようだ。
「やっぱり、これはヴィーサスの花による症状だ」
「ヴィーサスの花・・・・?」
首をかしげると、青年が答えた。
「このノーブルの北に広がる砂漠にのみ生息する、なんとも珍しい青い花なんだ。見た目は薔薇のようだけど、棘、花粉、花びら・・・・どこもかなり強い毒素を持っている」
「え? 僕たち、ゼイオンから来たんですよ。砂漠には行ってません」
医者が目を丸くした。
「ヴィーサスはの毒は、採取すれば暗殺用にも使われる。まさか、どこかで毒を盛られたということか・・・・?」
その言葉でファルベははっと顔を上げた。街に入るとき、悠一が確か言っていたではないか。
何かに首をつつかれたようだ―――と。
「首! ユウの首を見て!」
医者が急いで首を確かめた。そしてあっと声を上げる。
「刺された痕がある・・・・!」
針の先くらいの、本当に小さな点だった。そこの部分に血が盛り上がり、その周りは青く変色している。ここに毒を打ち込まれたのだ。
「細い針か何かで刺したようだね」
青年が呟く。
「でもあの時、傍には誰もいなかったのに・・・・・」
医者は立ち上がった。
「私は一度病院に戻って、解毒薬を調合してきます。それまで、少し待っていてください」
医者が部屋を出て、残ったのはファルベと青年だけだった。ファルベは振り返り、壁際にたたずむ青年を見上げた。
「あの、有難う。いろいろ助けてもらって・・・・」
青年は微笑んだ。
「困ったときはお互い様、って言うでしょう」
「じゃあ、お兄さんも巡礼者?」
「そうだよ。ちなみに僕は『お兄さん』じゃなくて、レントゥス。君は?」
「ファルベ。こっちはユウイチ」
レントゥスは微笑んで頷いた。それからふと笑みを消し、悠一に視線を送った。
「しかし、毒殺しようとするなんて・・・・・酷いことをするものだね」
「ユウは、悪いことなんて何もしてないよ」
ファルベの言葉にレントゥスが頷く。
「分かってるよ。今はとりあえず、彼が回復するのを待とう」
「うん・・・・・」
ファルベは頷いた。
戻ってきた医者は様々な器具を抱えていた。まず緑色の液体を取り出し、悠一の首を起こして薬を飲み込ませる。それからすぐに点滴を組み立て、悠一の右腕に繋いだ。
「管理者の街ギルフィはともかく、この街はたいした医療技術を持っていませんが・・・・・とりあえずは、これで大丈夫でしょう。夕方、また来ます」
「有難う御座います」
レントゥスが礼を言い、ファルベが思い出したように言う。
「あの、治療費・・・・」
「ああ、結構ですよ。治療費は、すべて【再生ノ院】から出されますから」
じゃあ、お大事に―――そう言って医者は部屋を出て行った。
しかし、それから2日、3日・・・・と経っても、悠一は意識を取り戻さなかった。解毒剤の効果もむなしく、高熱は下がることなく悠一から体力を奪っていた。一目でわかるほど、悠一は衰弱していた。彼の生命をつなぎとめているのは、点滴のみといえた。
ファルベは悠一につきっきりで、そんな少年をレントゥスは見守っていた。会話らしい会話もなく、聞こえるのは激しい悠一の呼吸音だけだ。
「っ・・・・はぁ・・・・・はぁ・・・・は、ぁ・・・・っ」
時折苦しげに表情を歪め、悠一は昏々と眠り続けた。ファルベは泣きそうな顔で、悠一の手を握りしめる。その異常な手の熱さに、ファルベは驚いた。
「ユウ・・・・・お願いだよ、目を覚まして・・・・・」
1日に何度そう呼びかけているか分からない。気付けば悠一の手を握ったまま眠り、冷や汗とともに朝目が覚める。その繰り返しだった。
「・・・・・ファル、ベ?」
弱々しい声に名を呼ばれ、ファルベははっとして顔を上げた。レントゥスも歩み寄ってくる。
悠一が熱に浮かされた目で、確かにファルベを見ていた。
「ユウ・・・! 良かった、気が付いた!」
ファルベは悠一に抱き着いた。悠一はぼんやりと呟く。
「俺・・・・どうして・・・・?」
「誰かに毒針を刺されて、倒れたんだ」
そう言ったのはレントゥスだが、いまの悠一には誰何する気力もない。悠一は目を閉じる。その瞳から涙が一筋零れ落ちた。ファルベが瞬きする。
「ユウ・・・・?」
「死ぬ間際・・・・・にも・・・・・きっと、英梨に・・・・母さんと颯人に・・・・・そんな顔をさせた・・・・」
悠一は息を吐き出した。
「でも俺・・・・・なんで・・・・死んだ、んだっけ・・・・?」
それを聞いて、ファルベが目を見張った。
―――俺、なんで死んだんだっけ?
悠一が、そんなことを言うなんて―――。
「記憶の浄化・・・・・」
ファルベが呟く。それから、はっとして悠一に縋り付いた。
「ユウ、駄目だ、忘れちゃだめだよ! ユウ・・・・!」
レントゥスがそっと悠一からファルベを引き離した。
「ファルベ、彼は病床の身だ。無理をさせちゃいけない」
「ユウ・・・・・」
レントゥスが諭し、ファルベも引き下がった。レントゥスは悠一の目を掌でふさいだ。
「もう休んだほうがいい」
「・・・・あんた、誰・・・・だ」
「レントゥス。ただの通りすがりだよ」
悠一の身体からふっと力が抜ける。レントゥスが手を放すと、再び悠一は眠りに落ちていた。
「きっと、もう大丈夫だよ。数日すれば、良くなるはずだ」
「うん・・・・・」
ファルベも力なくうなずいた。
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―――・・・・
その日の晩、レントゥスは悠一とファルベの部屋を訪れていた。
悠一は相変わらず高熱で唸っているし、ファルベはその傍でベッドに突っ伏して眠っている。レントゥスはベッドの傍に歩み寄り、片手を腰に当てて悠一を見降ろした。
「まったく・・・・・ここまで衰弱するとは思わなかったな。案外、君は病弱だったのか?」
ぼそっと、独り言のように尋ねる。もちろん、答えは返ってこなかった。
レントゥスはそっと、悠一の額に触れた。それと同時に流れ込んでくる―――悠一の『視ている』景色が。
「・・・・・英梨・・・・・」
悠一があえぐ。レントゥスに夢を覗かれていることに気付いたのかもしれない。
「英梨・・・・・・ごめん・・・・・」
レントゥスは手を放した。いま悠一が見ていた夢は、自分が死ぬ間際のこと。
つまり―――過去だ。未来じゃない。
「まあ、いいか。衰弱すると予知夢は見ないというデータも取れたことだし・・・・・もうしばらく、君の看病に付き合ってあげるよ。ここで死なれると困るんだよ―――遠藤悠一」
レントゥスはかすかに微笑んだ。