第3話 神の使い
ギルフィの街の城門を出ると、延々と草原が続いていた。黄泉の国最大の草原地帯だそうで、比例して鬼も多く出没する。主な活動時間は夜なので、隠れる場所のない草原などで野営することは極力避けろと、親切な人々が教えてくれた。
まず目指すのは、ギルフィの北にあるゼイオンの街へ向かう。ギルフィから1本の街道でつながっており、既に遠目にその街並みが見えている。この世界の街と街の間隔は、よほど奥地でない限りすごく狭いのだそうだ。
「目的地は見えているとはいえ・・・・距離はだいぶありそうだな。何時間かかることやら」
悠一が目を細めていると、ファルベが元気いっぱいに頷いた。
「僕、歩くの好きだから大丈夫だよ!」
「そんなこと言ってられるのも、今のうちだと思うぞ」
悠一は肩をすくめ、歩き出す。いざというときはファルベを背負って進むことも視野に入れている。
しかし、ファルベは思いのほか粘った。歩きながらお互いの過去の話をしてたので、暇にはならなかったのだ。
「・・・・ファルベは、殆ど学校に行けなかったんだな」
「うん。小学校の1,2年はちゃんと行けたんだけど・・・・・段々行けなくなって。中学は、入学式くらいしか行ってなかったよ」
あっけらかんとファルベは言った。
「そうか・・・・」
「ユウイチは? 幾つ?」
「19だ」
「じゃあ大学生だね」
悠一は首を振った。
「大学には行っていない」
「え? そうなの?」
「高校3年のとき、父さんが死んでな。大学どころか、生きていく金さえなくなってしまったんだ。だから進学は諦めて、就職を選んだ」
「そっか、さっき料理人だって言ってたもんね。でも・・・・・大変だったんだね」
ファルベが呟く。悠一は目を閉じた。
「妹がいるから・・・・・まだ小学生の小さな妹が。あいつが不自由なく暮らせるようにしたかったんだ」
「ユウイチみたいなお兄さんがいるなんて、いいなあ」
「兄弟はいないのか?」
「いるよ。双子の兄ちゃん。僕と瓜二つなんだけど、性格は全然違うんだ。学校に行けない僕に、いつも勉強を教えてくれたんだ。おかげでね、頭のほうは同級生たちと変わらないんだ」
「お前の兄さんも、十分立派だよ」
悠一は心からそう言った。寝たきりの弟のためにそこまで尽くすことは、自分には無理そうだったからだ。
にしても、聞かれてもいないのにぺらぺらと自分の身の上を話してしまうのはなぜだろう。本来口下手で、口数は少ないほうなのだ。そう疑問に思ってから、すぐに答えは出た。
この黄泉の国では、生前の記憶は薄れて行ってしまう。それを悠一は恐れている。だから口に出して、ファルベに知ってもらっている。自分が忘れてもファルベが覚えていてくれる―――悠一は、もうファルベという少年を頼っているのかもしれない。
やれやれ・・・・お守りの気持ちでいたのに、彼がいてくれてよかったと感じていたらしい。俺こそ、ファルベが話しかけてくれなかったらどうしていただろうか。
今更何かを教えるなんて、無意味だろう。どうせ旅をしていく内に、記憶は消えてしまう。そもそも、記憶を消すための場所ですることではないはずだ。それでも、彼が望むことは教えてやりたい。生前、学べなかったことはたくさんある。勉強でも、流行りのものでも。悠一とて詳しくないが何かの足しにはなる。
生前の生活を思い浮かべることで、記憶の浄化が緩やかになるかもしれない。そう期待しよう。
3時間ほど歩き、ふたりは休憩をとった。夕方だが、まだ日は高い。1日の時間が現実世界とは異なっているのかもしれない。事故に遭ったときにつけていた安物の腕時計は、変わらず時刻を刻んでいる。ジーパンの尻ポケットにいれていた紺色の携帯も、故障していない。現在の時間は17時半をさしているが、どこまで信用できるか分からない。むしろ、まったくあてにならないかもしれない。
結構いろいろ聞き忘れていたな、と悠一は後悔していた。細かいことに気付く性格だと思っているが、さすがに気が回らなかった。
「まだ街まであるみたいだね」
ファルベが、遠くに見える街を見てげんなりしたように呟く。悠一は頷き、立ち上がった。
「夜までには着くようにしよう。初っ端から鬼とやらに襲われるのは勘弁だ」
ファルベは頷き、悠一の後を追いかけた。
結局、次の街ゼイオンへ到着したのはすっかり暗くなってからだった。時計を見ると、19時を指している。18時頃から急激に辺りは暗くなり、どっぷり夜になったのだ。
街の中は大勢の巡礼者と天の使いで―――というより、他に存在する人はいないが―――であふれていた。どうやら、まだまだ活動をやめるには早い時間帯らしい。とりあえずふたりは街の中央部にあった換金所へ向かった。
カシエルから支給されたあの球を現金に交換するためだ。このままでは何の価値もないので、宿にも泊まれない。ひとまず資金を得ることにしたのだ。
平屋建ての建物の中に換金受付のカウンターが2つ並んでいた。空いていた左のカウンターに行って、暇そうにしていたおっさんに球を差し出す。
「交換してもらっていいですか?」
「おお、よく来たな。ちょっと待ってろ」
案外愛想がよかったのでほっとする。男が後ろを向いて金庫らしい物体の扉を開けているとき、悠一はふと隣のカウンターに座る若い男を見やった。
明らかに日本人の顔だ。年は悠一とそう変わらないほど若く、何か気弱そうな印象がある。非常にびくびくしており、落ち着きなく周囲を伺っている。
(・・・・この男、どこかで・・・・・)
悠一が眉をしかめた瞬間、脳裏に閃光が走る。
いつもの「未来予知」―――死後の世界でも、発揮されるらしい。
一瞬だけだが、確実に見えたのは青年の手が客から受け取った球を指定の箱に納めず、自分のズボンのポケットに忍び込ませたところ―――。
我に返ったとき、その青年のカウンターに客が来た。悠一が見た未来と同じことが繰り返されようとしている。
知らん顔を決め込もうと思ったが、どうやら悠一は相当人が良かったらしい。
「おいあんた。何か変なこと企んでないか?」
呼びかけると、青年はびくりとして硬直した。ファルベも、応対した男も、客も、驚いて悠一を見ている。
「右のズボンのポケット。入ってるもの、全部出せよ」
畳み掛けると、青年は素直に従った。無言で右手をポケットに突っ込み、中くらいの球をふたつ取り出してカウンターに置いた。それを見た男がぎょっとして傍に駆けよる。
「お前っ、球を横領しようとしたな!?」
男が青年に詰め寄った。青年は俯いている。ファルベが小首をかしげる。
「神に遣わされた人が、どうしてお金なんて必要とするの? ここの管理者なんでしょ?」
「ああ。でもこいつは新米でな。つい最近ここに配属されて、仕事を始めたばかりだったんだ」
「・・・・・どういうことだ?」
悠一も尋ねる。男は頭を掻いた。
「最初から神の部下だったって奴は相当なお偉いさんだ。ここで下働きしている俺たちは、もともとあんたらと同じ巡礼者だった。その旅の途中で神の門に到達して転生することを諦めた奴が、神の使いになるんだ」
「もともとは同じ巡礼者だった!?」
ファルベが目を見張る。男は頷いた。
「あんたたちは旅を初めて少ししか経っていないみたいだな。ああ、みんなそうさ。ギルフィの【再生ノ院】でカシエルって奴に会ったろう。あいつも、300年ばかり昔に死んで、転生を諦めた奴さ。俺も丁度同じくらいに神の使いになった。使いになると記憶の浄化は止まり、永遠に年を取らないで存在できるんだ」
「じゃあ、あんたも・・・・・」
悠一の視線が青年に向けられる。男が頷いた。
「ああ。この嶋津瞭太って兄ちゃんも、3カ月前に巡礼を諦めたんだよ」
「嶋津・・・・・!?」
ようやく思い出した。声を上げると、青年・嶋津瞭太は顔を上げた。
半年ほど前、ひとりの大学生が自殺した。それが嶋津瞭太だった。彼は高校時代からアルバイトをしては、万引き、売上横領を繰り返してきた男だった。それはすべて、いわゆる「ヤクザ」からの命令に逆らえずやったことだった。嶋津は告白文を遺書としてしたためた後、自宅で首を吊ったのだ。そのころはこのニュースばかりテレビで放送されており、嶋津に犯罪をさせていたヤクザの元締めたちも逮捕され、その特番が組まれたほど社会的な話題となったのだ。
「やっぱり・・・・話題になったんだね、僕のこと・・・・」
嶋津は小さな声で呟いた。それから深く頭を下げた。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ・・・・・癖で、どうしても治らなくて・・・・・! もう二度としません、だから・・・・!」
黙っていた男がため息をついた。
「リョウタ。これが1回目か?」
「はい・・・・」
もう1度ため息をついた男は、今度は悠一を見やる。
「・・・・なあ、兄ちゃん。こいつはいま俺の家に下宿していてな。このこと、黙っていてくれないか?」
悠一はあっさり頷いた。
「俺は構いませんよ」
「すまねえな。代わりと言っちゃなんだが、あんたたち今日の宿は決まってるのか?」
首を振ると、男が笑った。
「じゃあ、泊まってってくれよ。口止めじゃなくて、感謝のしるしだからな?」
男はそう言って、換金した銀貨を5枚、きっちり悠一の掌に握らせた。
〇◆〇◆
換金所の男はテスタと名乗った。300年前のイタリア人だそうで、死んだ年齢は43歳。肉体年齢は停止しているので現在も見目は変わっていない。
そして嶋津瞭太は享年時21歳。大学2年生だった。緊張が解けたのか、同じ日本人だということが心強かったのか、少しは悠一に対しても和やかな語り口になっていた。
ふたりは街中の住宅街にある街に暮らしている。神の使いだろうが、生活は普通の人間と変わらないのだ。テスタは簡素だが温かな夕食と風呂、寝る場所を提供してくれた。正直、宿を探す気力の残っていなかった悠一には有難いことだ。
夕食後の席で悠一は嶋津瞭太に乞われ、彼が亡くなった後の報道について教えた。聞き終えた瞭太は頷く。
「そうか、逮捕されたんだね・・・・・あの人たちは」
「あんたの遺書が手掛かりになって、な。でも・・・・・自殺する前に、自分の口から告白することもできたんじゃないのか?」
今となっては、言っても詮無いことだ。瞭太は悲しげに俯いた。
「それができたらどんなによかったか・・・・僕は臆病だったんだ。死ねば楽になると思っていた。でも実際は、楽になんかなれない・・・・」
妙な沈黙に包まれる。と、テスタが悠一を手招きした。
「・・・・ユウイチ、ちょっと話いいか?」
悠一が頷いて腰を上げると、瞭太がファルベの傍に歩み寄った。
「ファルベ、部屋に案内するよ。シーツとか敷かないとね」
「うん、手伝うよ」
察しの良い少年は、瞭太とともにリビングを出て行った。
テスタはワインのボトルを持ってきて、グラスに注いだ。
「年はいくつなんだ?」
「19です」
「まだ未成年だったのか。ま、ここじゃ年齢なんか関係ないな。飲んでみろ」
特に断る理由もないので、悠一はグラスを手に取った。ビールや焼酎は職場の付き合いで口にしたことがあったが、本物のワインは初めてだ。
「俺が生きていたころのイタリアはな、戦争の真っただ中だったよ」
唐突にテスタは語り始めた。
「俺は軍人だったんだ。だから敵を殺しもしたし、怪我もさせた。戦争のさなかで敵軍の銃弾を浴びて死んで―――これが報いかと思ったよ」
悠一は黙ってワイングラスを傾ける。
「そんな自分の生き方に嫌気がさして、俺は巡礼の資格を放棄した。リョウタもそうだ。犯罪に手を染めて自ら命を絶ったあいつは、新しい生を恐れた」
「・・・・・ええ」
「回りくどくなっちまったが、俺が言いたいのはな、ユウイチ。ここは死んだ人間しかいない世界だ。お前みたいに事故死したり、ファルベみたいに病死したりした奴はもちろんいる。けどな、誰かに殺された奴、自殺した奴、死刑になって死んだ奴―――みんなまぜこぜで生きてるんだ。神の使いになるのは、そういう複雑な奴が多い」
「分かっています。みながみな、同じ気持ちでないことは今日一日で分かりました」
悠一は二口だけ口をつけたワイングラスをテーブルに戻した。
「それでも俺は、旅をやめません」
「・・・・・・厄介なトラブルに巻き込まれるかもしれないぞ? 今日のリョウタのように生前の癖が抜けなくて―――いきなり銃をぶっ放す元テロリストとか、当然いるだろう」
「それでも、です」
「なんでそこまでする?」
「―――また、会いたい人がいるから」
自分が運命を変えようとしていることは隠しておくことにした。代わりに悠一は微笑み、テスタを見やる。
「たとえその再会が、俺が俺でなくなったあとでも・・・・・・ね」
テスタはにっと微笑んだ。
「なかなかいい度胸だぜ、ユウイチ。諦めんなよ」
「はい」
悠一は強くうなずいた。