第2話 黄泉の国
旅の同行者となる少年ファルベを得た悠一だったが、さてこのあとどうすれば良いのかがまったく予想できなかった。あたりを見ても立ち往生している老人ばかりで、頼りになりそうではない。それを悟ったか、ファルベが言った。
「出発する人は、奥の部屋に行くみたいだよ。何人か、もうそっちに行ったみたいだし」
「そうか・・・・ここにいるのは出発を渋る人たちなんだな」
悠一の言葉にファルベは頷く。ふと、この少年は俺が来なかったらどうするつもりだったのだろうかと思った。
「もう覚悟はできているのか?」
「・・・・・うん。行く」
ファルベは強くうなずいた。悠一はベンチから立ち上がった。
エントランス奥の小部屋に入ると、カシエルがいた。
「お待ちしておりました、エンドウ・ユウイチさん。そしてファルベ・バイエルンさん。巡礼者として旅を始めるのですね」
神妙な口調でカシエルが確認する。悠一とファルベが同時に頷くと、カシエルは壁際に積まれてある木箱をふたつ持ってきた。その中には防寒着らしき厚手のコートと短刀、拳銃などの武器、数日分の携帯食料や地図、細かい道具の入った袋などが入っていた。ご丁寧に、コートや袋の大きさは子供用もあるらしく、少し小柄なファルベにぴったりの大きさになっていた。
「旅に必要な道具になります。武器、食料、地図が主なものになります」
「あの、武器って何に使うんですか・・・・?」
「この世界には、『鬼』が存在します」
「鬼!?」
あまりに突飛なことに悠一は驚いた。ここにきて、いきなり和風な名になったな、と内心で思う。が、勝手に翻訳されてしまっただけでファルベには「悪魔」と聞こえているのかもしれない。
「死者の魂を食らわんとする悪の者です。武器は、身を守るためにお使いください」
「もし、この世界でもう一度死んだら・・・・・どうなりますか」
「この【再生ノ院】で再び目覚めるところから始まります。心配はいりませんよ」
カシエルは壁際に立てかけてあった細長い物を取ってきた。
(・・・・・どう見ても、日本刀・・・・だよな)
黒い鞘に包まれた刀。博物館でしか見たことがないが、それよりずっと新品で綺麗、きっと本物だ。
「貴方は剣に慣れているようですね」
「は?」
悠一が瞬きをすると、ファルベが身を乗り出した。
「ユウイチ、時代劇とかの俳優さんだったの!?」
「ち、違うって。・・・・・もしかして、子供のころに剣道を習っていたからか?」
と言っても、2年ほど剣道の基本をかじっただけで、大した実績はない。
「それに、狙撃にも慣れているようで」
(はは、ゲーセンでやった射撃ゲームか・・・・・あれ、やりこんだもんなあ)
親友の颯人と小学生のころ、休みになるとやりこんだゲームだった。いつも颯人よりスコアは高かった。それどころか、夏祭りの射的、ダーツといったいわゆる「狙撃」の腕前はずば抜けていた。颯人は中学、高校と弓道部だったので、無理やりやらされたことがあったが颯人が唸るほど、初心者ながら腕は良かった。バスケのシュートは面白いように決まるし、サッカーもそうだった。狙うことに関し、悠一は抜群の才能を持っていたのだ。
「貴方にはこれをお渡しします。きっと役に立ちますから」
カシエルは笑顔で日本刀を差し出してきた。とはいえ、竹刀しか持ったことのない悠一にいきなり本物の刀の重さは耐え難い。想像以上の重さに悠一は顔色を失った。
(役に立つのかなあ・・・・・)
悠一はそう不安がいっぱいだ。
「次に通貨ですが・・・・・銅貨、銀貨、金貨という大きなくくりになっています。銅貨10枚で銀貨1枚、銀貨10枚で金貨1枚です。銅貨には大銅貨というものがあり、これは銅貨5枚分に相当します。同じように大銀貨というものがあり、これは銀貨5枚分ですね」
カシエルの話は続く。成程、日本の10円玉、50円玉、100円玉、500円玉、1000札というくくりと同じようだ。しかし、この世界の神の使いとやらは巡礼者をサポートするのが使命じゃなかったのか? どうして金をとるのかが理解不能である。
もうRPGの世界だと思い込むようにしよう。
カシエルの手に、掌に収まるくらいの、真珠というには大きすぎる球体が乗せられた。
「これは、この世界の通貨と交換するものです。このままでは現金として使えませんので、換金所で交換してください。このくらいの大きさなら、大銀貨1枚にはなるでしょう。入手法としては、鬼を倒すことが手っ取り早いです。強い鬼を倒すほど、鬼が落とすこの球の価値が上がります」
ああ、換金アイテムね。金塊とか、金の延べ棒とか・・・・もう自棄になってきた。英梨、兄ちゃん話についていけそうにないよ。
「それでは、最後に『神の門』への針路です」
カシエルが、壁にかかっている巨大な地図を指し示した。
どうやら陸地はどこまでもどこまでも続いているらしく、地図に端はなかった。縮尺がないのでどれほどの規模の世界なのかは分からない。無数に街を示す黒い丸が描かれている。
「これが黄泉の国の全体図です。巡礼者はみな同じ道を通ります。現在地がここ」
カシエルの指が、地図の一番南にある黒丸を指差した。
「管理者の街ギルフィです。ここはすべての巡礼者の拠点であるため、施設料金はすべて無料です。後で施設を出て、散策してみるのもいいでしょう。そして目的地は・・・・」
指はゆっくり上へ移動し、一番北にある黒丸でストップした。
「ここが神の門です。そこまでの道のりは・・・・・」
一度現在地ギルフィの街まで指を戻したカシエルは、大きく指を右に、つまり東方向へ動かした。弧を描くように半円を描いて地図の半分ほどまで来たとき、今度は八の字を描くように西側へ指が移動した。それから同じように半円。そしてようやく神の門に到着した。アルファベットのSのような形だ。
「このようになります。ギルフィから神の門までの直線距離は、およそ2か月です」
こんだけ無駄に迂回するなら、2,3倍の時間がかかるだろう。しかも道のりの説明がアバウトすぎる。悠一が頭を抱えた。
「それから・・・・あまり言いたくないのですが」
カシエルが初めて表情を暗くした。
「鬼以外の者に、武器を向けることになるかもしれません」
「・・・・・どういう意味ですか?」
「みな、神の門に到達することを最優先に考えています。たとえば、貴方たちのような2人組が、2組その場にいて・・・・どちらか1組しかその場を超えて先に進むことができない。そうなったら、戦いになる恐れがあります」
なんだよ、その弱肉強食。
「基本的に私たち神の使いは、巡礼者同士の関係に介入はしません。ですから、なんとかその場を切り抜けて・・・・・神の門へ到達していただきたいと思います」
「・・・・・分かりました、十分気を付けます」
「はい。では旅の無事を祈っております。何かありましたら、いつでもここへ戻ってきてください」
カシエルが頭を下げた。それに頷き、悠一とファルベは踵を返した。
エントランスに戻り、そのまま直進して出口から外へ出る。日光が瞼を直撃し、眩しい。
「もう僕、頭が混乱してきた」
「ああ・・・・・俺もさ」
悠一は苦笑した。カシエルの説明に何度も突っ込みを入れてしまった。
ふと―――これは夢で、目が覚めたら病室のベッドで寝ていて、英梨と母さんが顔を覗き込んできた―――という展開ではないかと思ったが、そう願うほどに切なくなる。これが現実だと、頭では分かっているのだ。
コートを着込み、ポケットにはもらった地図を入れている。縮小された地図にはやはりアバウトな道順が赤い線で示されていた。どうやら途中には運河や山、砂漠まであるようだ。
裏返してみると、このギルフィの街の見取り図になっていた。ホテルやら喫茶店やら病院やらが立ち並んでいるようだ。
空腹感はなかったが、きっと何時間も何も食べていなかっただろうということで、腹ごしらえをしてから出発することにした。施設傍の食堂に入ると、大勢の巡礼者が食事をしていた。食べているものはみなばらばらだ。
空いている席に腰を下ろすと、ウエイトレスの女性が水のコップを運んできた。そのまま去ろうとしたので、悠一が慌てて引き留めた。
「あの、メニューみたいなものはないんですか?」
と、女性はにっこりと微笑んだ。
「ここでは、巡礼者様が望む料理が出されますので」
「はあ・・・・・」
釈然としないまま引き下がり、しばらく待っていると、女性が料理を運んできた。それを見て悠一もファルベも唖然とした。
悠一の前に置かれたのは、いわゆる魚の煮つけの定食だった。ファルベはハンバーグである。
巡礼者様が望む料理が出る、それは確からしい。自分は洋食店に勤めながらも、幼いころから両親が好きだった日本食で育てられた悠一である。ムニエルより干物が好きだし、パスタより蕎麦が好きだ。肉でも、ステーキより生姜焼き派である。そういうわけで、どうせなら母さんが作る魚の煮つけが食べたいと思っていた矢先のことだったので、驚いてしまった。ご丁寧にご飯と味噌汁、漬物までセットで、きちんと箸が置かれている。
「すごいね」
ファルベがそう呟き、フォークでハンバーグを刺して口に運んだ。それから「美味しい」と微笑む。悠一も箸を手に取り、慣れた手つきで身をほぐしていく。食べてみると、懐かしいとしみじみ思った。最近は自宅でも洋食ばかり料理してしまうが、やはり母のつくる料理が懐かしい。
顔を上げると、ファルベは黙ってハンバーグを食べながら涙をこぼしていた。ぎょっとして悠一が身を乗り出す。
「おい、どうした・・・・?」
「・・・・う、ううん。ごめんね、急に・・・・」
ファルベは涙をぬぐったが、あとからあとから涙はこぼれてきていた。
「病気だったから、肉が食べられなかったんだ。だから・・・・・こうやって食べられるのが、なんかすごく嬉しくて。母さん、いつかハンバーグ食べさせてあげるからって・・・・・ずっとそう言ってくれていたから・・・・・」
「・・・・・そうだったのか」
悠一は俯いたファルベの頭に手を置いた。
「ハンバーグでもなんでも、俺が作ってやるよ」
「え?」
「これでも洋食屋の料理人だったんだ。さすがにドイツ特有の料理は作れないが、オーソドックスなものなら一通り作れる」
ファルベは頷き、笑みを見せた。
「うん・・・・ありがと」
「よし。さっさと食ってさっさと出発しよう。俺には・・・・・やらなきゃならないことがある」
悠一の言葉にファルベは、黙々と食事を再開した。
俺が変えなければならない―――歪んだ運命を。