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第13話 自然界のアスレチック

 足を踏み入れた山岳は、最初の内はなだらかで歩きやすいハイキングコースのようだった。しかし登っていくにつれて傾斜が激しくなり、整備されていた道が険しくなった。そのうち、明らかに道ではない道−−−いわゆる獣道を歩くはめになった。


「なんなのぉ、この道!」


 ファルベが涙混じりの声で嘆く。ほぼ垂直の崖を、悠一の手を借りてよじ登っているのだ。その悠一の手は鞭を掴んでおり、鞭を持って軸になっているのはレントゥス。下でファルベの踏み台になっているのが李である。


「泣き事はあとだ。ほら、左手掴め」 


 言葉とともに差し出された悠一の右手を、ファルベは左手を伸ばしてつかんだ。足に力を入れて崖をよじ登る。


「はい、お疲れ様」


 レントゥスがファルベを労う。李はもともと長身のため、悠一の手を掴んだだけでよじ登った。地面にへたりこんだファルベを見て、悠一が問答無用で宣言した。


「休憩」

「了解」


 タフな李も、レントゥス自身も疲労していないようだが、ファルベを見て即座に賛成した。細い身体のどこにそんな体力があるのかと悠一は不思議で仕方ない。悠一も高校が文化部で卒業して以来運動とは疎遠だが、仮にも陸上でしごかれた体力がある。今でも平均より高い体力を持っているのだが、それでもこの道はきつい。


「あんた、なんか運動でもしてたのか?」


 つい尋ねると、レントゥスが首を傾げる。


「運動ね・・・軍事訓練なら積んでるよ」

「軍事訓練!?」


 思わぬ言葉に悠一が驚愕した。そんな柔和な優男が、まさか軍事訓練だなどと。


「驚くようなことじゃないよ。僕がいたところじゃ、兵役は義務だったから」

「いや、充分驚くんだけど・・・」

「日本って国は平和だからね。警察も優秀だし」


 レントゥスの声は若干皮肉が利いていた。


 そうしている間にファルベの呼吸も整い、再び歩き出した。


「兵役義務か・・・・・そんなことをまだやってる国があるんだなあ」


 李がしみじみと呟くので、悠一が肩をすくめる。


「お隣の韓国だって、兵役義務はあるじゃないですか」


 ついこの間、なんとかいう韓流のアイドルが兵役に就いたとかテレビでやっていた。


「まあ、そうなんだけどな。いざ兵役に就いてた人間を前にすると、改めて驚くっていうか」


 その思いには悠一も同感だが、少し違うと思った。レントゥスは兵役期間が終わってなお、現在まで軍隊にいたのではないだろうか。それでないと、あの体力も身のこなしも納得いかない。どこの国の人間だろう。明らかに欧米人の顔だが、喋っている言語は唇の動きからして英語ではない。ファルベのドイツ語とも違う。


「僕はギリシャ人だよ」


 ぬっとレントゥスが会話に割って入り、あっさりと国名を明らかにした。


「ギリシャ軍ってのがあってね、僕は陸軍所属だったんだ。山登りは訓練で何度もしたから、慣れてるんだよ」

「へえ、そうだったのか」


 李が頷いているが、悠一としては先手を打たれた気分だ。レントゥスに対してだいぶ悠一は疑り深くなっており、彼の言葉をそのまま鵜呑みにできない。だが、そうやってはっきり言明されてしまうと、追及することもできない。八方ふさがりだ。


 しばらく急な傾斜を上っていると、急に下り坂になった。足を滑らせないように慎重に降りていくと、ファルベが顔を上げた。


「水の音がするよ」


 言われてみれば、確かに水の流れる音がする。あたりはもう暗くなり始めているから、水場があるならその傍で休みたい。


 生い茂る木の葉を鬱陶しげに払うと、下り坂が終わって平坦な道になった。そして現れたのは大きな川だ。対岸までは20メートルほど。橋はない。いや、あったのだろうが水に流されてしまって骨組みしか残っていなかった。


「流れは速くないが、だいぶ深いな。ファルベ、足着かないんじゃないか?」


 李が水面を覗き込んで言う。身長150センチほどの、中3男子にしてはかなり小柄なファルベである。少年を除く3人も、確実に胸まではあるだろう。


「明日朝いちばんで濡れるよりは、今日濡れてから休んだほうがいいよねえ?」


 レントゥスが確認するように問いかけ、悠一は頷いた。


「そりゃそうだ。よし、渡るぞ」

「ええっ、どうやって・・・・?」


 ファルベが真っ青になる。生まれつき病弱だったファルベは勿論水泳の経験などないだろう。


 レントゥスが鞭を取り出し、対岸に向かって投じた。鞭は対岸の太い木の幹に3重4重に巻きつき、しっかり固定された。


「便利なもんだね、鞭ってのは」


 李が感心したように呟き、「でしょう?」とレントゥスが微笑む。


「俺が最初に行く。李さん、ファルベを頼みます」

「よし来た」


 悠一は鞭を掴んで川の中に入った。真夏だったらさぞ気持ちよいだろうが、生憎今日の気温はそれほど高くない。加えてもう日が落ちてきているのでさらに寒い。水は地獄だ。


 レントゥスがいつものように軸になってくれているので、ゆっくりだが安心して川を歩けた。水深は悠一の肩くらいだ。水の抵抗があるのでなかなか進みにくい。川の底は大きな石がごろごろしているので、鞭だけが頼りである。


 中ほどに到達したとき、背後でファルベが悲鳴をあげた。何事かと思って振り向くと、ファルベは李の肩の上に乗せられていた。俗にいう肩車である。


「り、李さん! 僕歩くから下ろしてぇ!」

「何言ってんだ、お前じゃ足着かないよ。いいからじっとしてろ。ちゃんと掴まれよ」

「せめて背中! 肩はやめて!」

「背中じゃ濡れちまうだろー」


 ギャーギャーと言い争い、結局ファルベは李に背負われて水の中を進んだ。ファルベは濡れてはまずい食料などを抱え持っている。先に岸に上がった悠一が李の手を掴んで引き上げ、レントゥスも無事渡河を果たした。しかしレントゥスは鞭を向こう岸に置いてきたままだ。


 何をするのかと思ったら、彼はこちら側の木に巻き付けてあった鞭を手に取って引っ張り始めた。すると、木の板に乗せられた荷物がするすると川を渡ってきたのだ。ようは筏の上に荷物を乗せ、それに鞭を括り付けて回収したのだ。つくづく、知恵の働く男である。


「あーあ、びしょ濡れ。早く火焚こう」


 レントゥスが濡れた上着を脱ぎながら言った。悠一が頷いて水場から離れて火を焚き、木と木の間にロープを張ってそこに濡れたものを干していく。李はテントを急いで組み上げた。


 時間があったので悠一は凝った料理をこしらえ、早めに夕食を終えた。焚き火を囲んで座っていると、ファルベが足の指を見やった。


「痛・・・・」


 悠一が覗き込むと、右足の親指が真っ赤になり、皮がむけて血が滲んでいた。


「こいつは痛かっただろう。言ってくれれば休んだのに」

「うん・・・・・・ごめん」


 慣れない山を何時間も歩けば痛くなって当然だ。悠一は水でファルベの足の傷を洗い、絆創膏を貼った。滲みてファルベが悲鳴を上げたのは言うまでもない。


「明日もこんな行程が続くと思うと気が滅入るな。今日は早めに休もうか」


 悠一の言葉に李も頷いた。しかし、レントゥスは闇の向こうへ視線を投げたままゆっくり立ち上がった。


「・・・・・どうやら、そうはさせてくれないみたいだよ」


 その声で全員がはっとして顔を上げる。闇に浮かびあがったのは鬼。しかし―――


「な、なんて数だ!?」


 李がおののいた。通常3匹ほどしか群れて襲って来ないはずの鬼が、このとき彼らを包囲するほどいた。ざっとみて20匹ほど。ゆっくりとした動きで確実に包囲の輪を縮めてくる。


 4人は焚き火を囲んで背を預けあった。悠一が刀を抜き放ち、レントゥスが鞭を構える。ほかの二人も銃を取り出した。


 鬼が飛び掛かってくる。悠一は大きな隙の出来た鬼を袈裟懸けに切り裂き、次の鬼の異様に長い腕を防ぐ。レントゥスの鞭が唸り、その鬼に絡み付いて地面に叩きつけた。李とファルベの銃も的確に一匹ずつ打ち倒していく。


 元々が脆い生き物なので、20匹だろうがすぐに片付いた。ほっとした悠一が刀を下ろした瞬間、レントゥスが鋭く警告を発した。


「悠一! 避けて!」

「っ!?」


 悠一が咄嗟に刀を構えたが、既に遅かった。悠一は何か圧倒的な力によって吹き飛ばされ、大木の幹に叩きつけられた。


「うっ・・・・ぐ・・・・!」

「ユウっ!」


 ファルベが叫んで駆け寄る。悠一はぐったりと頭を垂れたまま微動だにしない。李は銃を構えながらそろそろと悠一に近づいた。


「この鬼は僕に任せて。悠一を診てあげてください」


 冷静すぎる声音で、レントゥスが促した。李はすぐに銃をおろし、悠一の元に駆け寄った。


 レントゥスは鞭も構えず、そこにいる鬼を見上げた。そう、見上げるほど巨大な鬼なのだ。いままでの小学生サイズではない。


「そこまで巨大化するなんて、君はどれだけの死者の魂を喰らったんだろうね」


 レントゥスはそう呟きながら、低い声で呟いた。


「―――時よ、止まれ」


 その瞬間、『世界が色を失った』。悠一の傍に駆け寄りかけていた李が走っている恰好のまま停止している。悠一を揺さぶろうと肩に手をかけたファルベも、泣きそうな顔のまま動きを止めている。


 動いているのは、レントゥスと巨大な鬼だけだ。


「大群で押し寄せてきたのは、僕に引き寄せられたからか。そういう習性、なんとかしてくれないかな。正体がばれるじゃないか。・・・・・お仕置きが必要だね」


 レントゥスの瞳は、常にはありえないほど冷たい。まともな表情をなくしたまま、レントゥスは呟いた。


「―――消え去れ。僕の護衛対象を故意に襲った罪は重い」


 その言葉と同時に鬼が溶けるように消え去った。レントゥスが踵を返すと、時の呪縛が解除された。何事もなかったように李が悠一に駆け寄り、ファルベが悠一の名を呼ぶ。


「ユウ! ねえユウ、しっかり!」


 李がファルベを一喝した。


「揺さぶっちゃいかん!」


 びくっとしてファルベが李に場所を譲る。李は悠一の頭を支えてゆっくりと抱き起した。


「出血はない。脳震盪を起こしてるだけだ。すぐ目が覚める」


 李は軽々と悠一を抱き上げて立ち上がった。その態勢はというと―――いわゆる「お姫様抱っこ」であるが、李はそんなこと気にしないし、気にはなったが突っ込める状態ではないのでファルベも黙っていた。悠一には教えないでおこう、とも心に決める。多分、李は体格が大きいので肩に腕を回して立たせるよりも抱き上げたほうが楽なのだろう。


 レントゥスが歩み寄ってくる。ファルベが尋ねた。


「あのでっかい鬼は?」

「お仕置きしたら逃げたよ。あれだけでかいと鞭じゃさすがに効かないね」

「逃げたってことは、まだ近くに・・・・・?」

「大丈夫、もう襲って来ないから」


 レントゥスが断言した。


 李は悠一をテントの中に横たえ、水で濡らしたタオルで悠一の頭部を冷やしていった。レントゥスがてきぱきとした李の様子に感心の声をあげる。


「手馴れてるんですねえ、李さん」

「これでも、俺ぁレスキュー隊員だったからな」


 言われてみれば、李がレスキュー隊員とは嵌りすぎである。だから筋肉が多く、体力もあったのだ。怪我をしたときに最も頼りになる男だろう。


 悠一が気絶していたのはほんの5分ほどだった。悠一が意識を取り戻したことにファルベが気付き、ほっと息をついた。


「ユウ、目が覚めたね」

「ファルベ・・・・・俺は、いったい」


 悠一が起き上がりかけると、激しい頭痛が悠一を襲った。後頭部がじんじんと痛む。と、李が慌てて悠一を寝かせた。


「起きちゃ駄目だ。まだ安静にしてろ」

「李さん・・・・・あの、何があったんです?」

「覚えてないか? 鬼に吹っ飛ばされて木に後頭部ゴツンだぞ。で、5分少々気絶してた」


 李が悠一をじっと見つめる。


「吐き気とかないか? 頭痛がするとか」

「・・・・・寝ているときは平気です。起きると、打ったところが痛い」

「そうか、まあ大丈夫だろう。とりあえず今日はもう寝ろ」


 悠一は頷いた。


 ―――そんなやり取りがテントの中で行われているころ、レントゥスは焚き火の傍に座って目を閉じていた。


「―――少し早まったかな。『彼ら』に感づかれるかもしれない。でもま、仕方がないか」


 あれほどの鬼は、『人間(彼ら)』の手に余る。


 レントゥスは呟き、ふうと吐息した。

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