第10話 死者の魂を食らう者
食事を終えたころには辺りも暗くなり、夜の帳がゆっくりと舞い降りてきた。悠一はレントゥスとともに砂の上に敷いた布に腰をおろし、焚き火の炎を見つめていた。ファルベはというと、とっくにテントに入って眠らせてある。
悠一とレントゥスの位置は微妙な距離感がある。隣同士でもないし、向かい合ってもいない。しいて言うなら、時計の12時の場所に悠一が座り、4時の場所にレントゥスが座っている、という状況だ。
「・・・・・レントゥス、さっきの話なんだが」
「ん?」
急に問われたレントゥスが顔を上げた。
「今更あんたが何を知っていても驚かないから・・・・・話してくれないか?」
「天国と地獄の話かな?」
悠一が頷く。レントゥスは腕を組んだ。
「あんたの口ぶりからすれば、ここは天国だと言いたいんだろう?」
「まあ、そうだね。あの時も言ったけど、天国は空の上にあって、地獄は地の底にある―――感覚的にはそうだと思う。けど本当は違う。天国と地獄っていうのは表裏一体なんだ。ここを天国とするなら、今このとき時間を共有するもうひとつの裏側の世界―――『地獄』もまた、存在している。天国と地獄をひっくるめて、ここは『黄泉の国』と称される」
「地獄・・・・・・」
「重罪を犯した人間が行く場所さ」
悠一は首をかしげた。
「だが、ゼイオンの街で世話になった神の使いが言っていたぞ。ここには、犯罪を犯した人間もいると―――」
テスタは言っていたのだ、『ここには死刑になった奴も、殺された奴もいる』と。現に嶋津瞭太は犯罪に手を染め、自ら命を絶った人間だ。
レントゥスは首を振る。
「その人は推測で話していただけだ。まあもっとも、軽い罪程度の人間なら、こっちにいるだろうけどね。万引きとか・・・・・つまり、犯罪そのものが死に直結していない人間はみなこちら側にいる。死刑囚や殺人犯は、地獄行きだよ」
「・・・・・じゃあ、その人たちは地獄で何を?」
「やることはこちらと一緒。神の門までたどり着いたら転生する―――ただし、決定的に違うことがある。記憶のありかたが見事に正反対なんだ」
「どういうことだ?」
「記憶は薄れていくのではなく―――思い出していくんだよ」
最初この黄泉の国に降り立ったときは、自分の名くらいしか覚えていない。だが、神の門への旅を続けていくうち、思い出していくという。自分が生前、何をしでかしたか。
「自分が奥さんと子供を殺した―――そんなことを思い出したら、辛くない?」
「あ、ああ・・・・」
「だから地獄だっていうんだ。惨いところだよ」
悠一は両膝を抱え込んだ。
「忘却は神の慈悲・・・・・・か」
沈黙がふたりを包んだ。悠一はぼんやりと焚き火の炎を見つめている。レントゥスが言ったように、砂漠も夜は冷えてきた。
何を聞いても驚かないと言ったが、つくづくレントゥスは何者なのかと不思議に思った。
―――絶対にこいつ、何か隠している。
その時、脳裏に閃光がはしった。いつもの予知能力が働く。咄嗟に悠一が腰を上げた。
「どうしたの?」
「鬼が来る」
「!」
焚き火を背に立ち上がった悠一とレントゥスの周りの地面が盛り上がっている。ずぶずぶと嫌な音をたて、何かが地面からせりあがってきた。
3匹。以前襲われた鬼より、一回り巨大に見える。やっぱりゾンビだろう、これは。異常に長い腕をだらりと前に突きだし、こちらに迫ってくる気色悪さと言ったら。
悠一が日本刀を抜き放った。レントゥスが肩越しにその様子を見て微笑む。
「さすが日本男児、サムライだね」
「いつの時代の話だ。あんたこそ余裕かましてるな」
「僕、こんな鬼に負けるほど落ちぶれちゃいないからね」
本当に、いちいち憎らしい。
レントゥスが何か細長いものを取り出した。悠一が眉をしかめる。
それは鞭だった。西部劇とかでよく見かける、あの鞭。
レントゥスが向かってきた鬼に向け、鞭を投じた。鬼の腕に鞭が巻きつく。一瞬で思い切り腕を引くと、鬼が吹き飛んで地面に叩きつけられた。その衝撃で鬼が消滅し、換金用の球が残る。
なるほど、少しの衝撃で鬼は消滅するので、叩きつけるくらいで片付くのだ。
悠一が大きく一歩前に踏み出し、鬼の喉を突いた。子供のころこんな技は仕掛けたことないのだが、相手の急所を狙って仕掛けるしかない。
そうしている間にもレントゥスは最後の一匹を鞭で木の幹に叩きつけていた。ふう、と息をついた悠一の元に、球を拾ったレントゥスがこともなさげに歩み寄ってきた。
「良く気付いたね、鬼の気配に」
そう言われ、ぎくりと悠一は硬直したが、なんとか顔に出さないように努める。
「あ、ああ・・・・勘だよ」
レントゥスが意味ありげな視線を悠一に向ける。しかし顔を背けていた悠一はそれに気づかず、自分も問いかけた。
「それより、すごい鞭捌きだったな」
「ん、ああいう輩に近づかれたくないからね。こうひゅっと狙い撃つのがなかなか」
やれやれとレントゥスは言い、球を悠一に手渡す。どうやら財布の管理は一任してくれるらしい。
確かにあれだけ的確に鞭を操れるなら、遠くのものを狙うにも便利そうだ。
遠くのものを狙う・・・・・?
何かの結論に達しようとしたその瞬間、レントゥスの掌が悠一の左頬に触れた。
「―――それ以上、考えるのやめようか」
レントゥスが天使のような美しい微笑みを見せる。それとともに悠一の身体が脱力した。考える力もなくし、悠一は地面に膝をつく。悠一は息を吹き返したかのように激しく呼吸を繰り返した。
(危ない、危ない。思わず口が滑っちゃったな。ここで気付かれるのはまずい)
レントゥスが頭を搔き、悠一の隣に膝をつく。そして悠一の身体を支える。
「悠一、大丈夫かい?」
しれっと問いかけると、悠一は冷や汗をにじませて身体を起こした。
「う・・・・っ・・・・・俺、今何を・・・・・」
「気が抜けたんじゃないかな。ほら、座って」
先ほどの数秒の記憶は、一瞬で悠一の中からリセットされていた。悠一にしてみれば、レントゥスが鞭について話していた途中で倒れこんでしまったと認識せざるを得ない。
倒れた拍子に散らばった球を集めると、レントゥスが言った。
「その球、なんだと思う? 換金できるものって以外に」
悠一は少し考えたが、諦めて素直に首を振る。
「分からない」
「それは鬼が食らった、死者の魂の結晶なんだ」
そういえば【再生ノ院】でカシエルが、「鬼は死者の魂を食らう」と言っていた。
「動きが遅くて脆い敵だけど、不意打ちされれば鬼でも脅威になる。そうして鬼は相手を食らうんだ。たくさん食らえば食らうだけ太る。だから球の大きさに大小ができるというわけだ」
「その死者の魂を金に換えるってことは、こっち側の神様はその魂を取り戻したいと思っているってことか?」
「そういうこと。巡礼者が金に換えた死者の魂は【再生ノ院】に送られ、その魂を元に鬼に喰らわれてしまった人を復元する。これでもう一度その人は巡礼をすることになる」
カシエルもそう言っていたような気がする。ということはつまり、自分を殺した鬼を誰かが倒し、それを換金してくれなければ復活はできないのだ。
「・・・・鬼って、なんなんだ?」
悠一が呟くと、レントゥスは待ってましたとばかりに微笑む。
「地獄を司る神様が無限に生み出す軍勢だよ」
「地獄の神・・・・・」
「地獄の神は天国の神を打倒したいと思っている。だから鬼でこちらを埋め尽くしたいんだ」
悠一はまじまじとレントゥスを見つめた。レントゥスが気付いて振り返る。
「どうしたの、悠一」
「・・・・・街にいる神の使いじゃなくて、本当の意味で『神に遣わされた管理者』っていうのがいるんだろう?」
「ああ、神様のお膝元にね。こんな下界にはいないよ。ここにいるのは天使、本物は神使って区別するよ」
その区別の仕方も初耳だ。天に使わされた大勢の人々。そして、神に直接使わされた一部のエリート。だが、重要なのはそこではなくて。
「あんたって、その・・・・神使とやらに知り合いでもいるんじゃないか?」
「突飛なことを聞くね。どうして?」
「そこまでの知識、天使たちは持ち合わせていないんじゃないかと思って」
レントゥスは鋭い悠一の洞察に、にっこりと微笑む。
「外れ。神使とのネットワークがあったら、こんなところにいないよ」
悠一はしっくりしない顔だ。
「それより、さっきからファルベが顔を出そうか出すまいかで葛藤してるよ。君ももう休んだら?」
悠一もそれは気付いていた。悠一の背後にあるテントの中で、ごそごそとファルベが身動きしていたのだ。ぎくりとしたのか、ファルベの動きとともに衣擦れの音が途絶える。
「火の番は僕がしているから。傍にいてやりなよ」
「・・・・分かった」
悠一は頷き、立ち上がってテントに入った。中ではファルベが薄布にくるまって寝たふりをしていたが、悠一が隣に座って体の向きを変えた。
「鬼・・・・・来たの?」
「ああ。安心しろ、俺もレントゥスも怪我してない」
「そっか・・・・良かった」
悠一はファルベの頭に手を乗せた。ファルベは微笑み、寝返りを打った。悠一もテントの中に横になった。目を閉じ、ファルベに聞こえない程度に息を吐き出した。
最近、記憶がよく途切れる。レントゥス―――怪しすぎる彼に、俺は何かされているのか?
考えたが、疲労には勝てない。悠一は吸い込まれるように眠りに落ちた。
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―――・・・・
「君の動物的な第6感には恐れ入るよ、本当に」
レントゥスがぼそっと呟き、微笑んだ。
「ここの神使とつながりがあったら大問題だよ。けど目の付け所はいい。優秀な人だね、君って男は。今まで彼の記憶を強制的に消去して凌いできたけど、これ以上は少しきつい。・・・・僕が君に毒針を打ち込んだことがばれてしまう」
レントゥスは木の幹に背を預け、目を閉じた。
「頼むから・・・・・まだ、僕のことを敵と認識しないでくれ。僕には、君を神の門まで連れて行くという使命があるんだからね・・・・・」