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第9話 砂の大地を踏破せよ

 ファルベが部屋に入ると、ベッドに仰向けに悠一が寝転がっていた。ファルベが傍に歩み寄ると、悠一は穏やかな表情で寝息を立てていた。1階のロビーで別れて30分もしていないのだが、既に熟睡モードだ。


「ユウ、風邪引いちゃうよ」


 ファルベが声をかけると、悠一は眩しそうに目を開いた。


「ん・・・寝ちまったか」

「うん、ぐっすり。起こしちゃってごめんね」

「いや。どうも子供のころからの昼寝の習慣が抜けなくて」


 悠一は握り締めたままの掌を開き、携帯を見つめた。電源を落としたそれは、ただの置物だ。俺と颯人、芹菜を繋いではくれない。


「なんか嬉しそう」


 ファルベがそう言って悠一の顔を覗き込む。


「良い夢でも見たの?」

「なんでそう思うんだ?」

「寝てる時の顔、幸せそうだったから」


 おいおい、人の寝顔をまじまじと見るなよ。


 ―――けど、当たってる。


「・・・・・ああ。あいつらのこと、まだ覚えていて良かったって・・・・・・・そう思って、ほっとした」


 ほんとに、敵わないよ。この坊やには。


「・・・ごめんな」 

「え? どうしたの、急に?」


 唐突に謝られたことにかなり驚いたらしい。目を丸くしている。


「辛いのはお前も同じなのに、俺ばかり励ましてもらってる」

「・・・そんなことないよ! 僕はユウがいるだけで・・・! 隣にいてくれるだけで弱音を吐かずに済むんだ!」


 ファルベの瞳に涙が滲んだ。


「だから・・・・!」

「だから・・・・?」

「あんなふうに倒れて、僕をひとりにしないで・・・・!」


 今度は悠一が目を見張る番だった。ボロボロと涙を流すファルベをまじまじと見つめる。


「怖かった・・・怖かったんだから・・・・! こんなところでひとりになったら、僕・・・・!」


 ―――ああ、そうか。


 レントゥスにも懐いて元気そうだ、良かった―――そう思った悠一は、全面的に間違っていたのだ。あれは悠一を心配させないための空元気。昔から兄を心配させまいとしていたファルベが、自然とやってしまう演技だった。


 おかしなものだ。ここはバーチャルの世界だと内心で認識していたというのに、悠一は実際に熱を出して倒れた。頭がおかしくなりそうだ。


「・・・・・・すまなかった」


 悠一は身体を起こし、ファルベを抱き寄せた。


「ひとりになんて、絶対させないから」


 ファルベはごしごしと涙をぬぐい、頷いた。


◆〇◆〇


 翌日の早朝から、悠一とファルベはレントゥスの案内で砂漠に足を踏み入れた。3人とも同じいでたちだ。意外と歩きやすいブーツに、砂に足を取られないための金具を取り付け、服は上下とも長袖。長ズボン。さらに砂除けの布をぐるぐると首元に巻き、鼻まで覆い隠している。


 そうなるのは分かっていたが、さすがに暑い。マスクの類が昔から苦手なので、布が一番辛い。


 まだ早朝だというのに容赦なく太陽は照り付け、吹く風も生暖かく気持ちが悪い。気温も嘘みたいに高い。アスファルトの照り返しが強烈な都会の夏を過ごしてきた悠一はともかく、冷暖房完備の病室から殆ど動くことのなかったファルベには、信じられない暑さだろう。


 すっかり気力が萎えてしまったふたりを横目に、先頭を歩くレントゥスの足取りは軽い。さすが、自分で何度も探検したと言っていただけのことはあるが、その涼しげな顔が憎らしい。


「ファルベ、大丈夫か?」

「う、うん・・・・・」


 ファルベが頷いたが、大丈夫ではないだろう。悠一が汗をぬぐう。


「それにしても、ノーブルの手前まではあんなに緑も多くて涼しかったのに、いきなりこんな砂漠になるなんて・・・・・」

「悠一、そういうこと考えちゃ駄目だよ」


 レントゥスが振り返って諭した。


「この世界に現実の常識は通用しない。北も南も関係なく、ただ神の気まぐれでこの黄泉の国は成り立っているんだ。だから季節だって関係ない。地形だって、数百年に一度くらいの頻度で変えられる」

「地形が変わる・・・・?」

「そうだよ。この世界で地図ほどあてにならないものはない。どうしてこんな場所に砂漠があるのか、なんて疑問に思ってもどうしようもないことなんだよ」


 ファルベがへえ、と相槌を打った。対照的に悠一は険しい顔つきだ。


「・・・・まるで、地形が変わるさまを目の前で見たかのような言いぐさだな」

「―――って、ノーブルの神の使いが言っていたんだよ」


 あからさまにレントゥスが付け加える。ここで彼を突き放して砂漠で遭難するのも困るので、悠一はとりあえず黙る。


「悠一。子供のころ、聞かされたことない? 死んだ人は、お空の上の天国へ行きます。けど、悪いことをした人は地獄に落ちるんです―――って」


 急にそんなことを聞かれ、悠一は呆気にとられた。レントゥスは構わず歩を進めている。


「天国ってあると思う? あるとしたら、ここは天国かな? 地獄はどこに?」


 悠一は目を閉じた。


「ここは天国なんかじゃない。―――現実を突きつけられる残酷な場所だ」

「良い答えだね。けど・・・・・本当はそんな甘っちょろくない。あるんだよ、地獄っていうのは―――」

「なに・・・・?」

「地獄に比べれば、ここは天国さ。ほら、忘却は神の慈悲だというじゃない」


 何が言いたい、と言いかけた時、悠一の横を歩いていたファルベが忽然といなくなった。悠一がはっとして振り向くと、ファルベは砂の上に転んでいた。


「ファルベ、大丈夫か?」

「ご、ごめん。足がもつれちゃって・・・・・・歩きにくいね、ここ」


 ファルベが照れ笑いを浮かべ、立ち上がる。それからじっと悠一を見上げる。悠一はそれで気付いた。


 わざとファルベは転んだのだ。悠一とレントゥスの応酬を止めるために。レントゥスも同時に気付いたようで、申し訳なさそうな顔をしてファルベに手を差し出し、少年を立たせた。


(少し喋りすぎたかな・・・・・)


 レントゥスは内心でそう思った。


(けど彼らの動揺する顔を見るのは、悪くない・・・・)


「レントゥス! 今日中にはオアシスに着けるのか?」


 悠一に呼び掛けられ、レントゥスは思考を打ち切った。そして頷く。


「夕方には着くつもりだよ。・・・・・でも、あんまりオアシスを期待しないほうがいいと思うよ?」

「どうして?」

「野営するのと、たいして変わりがないからね。言っておくけど宿とか店とかないよ? ただ大きな水たまりがあって、その傍にたくさんの巡礼者が集まってテント張るから、一応休息地点となっているけど」


 悠一が瞬きする。てっきり、湖の傍に栄えた町のようなものかと思っていたのだ。


「・・・・つまり、キャンプ地ってことか?」

「そういうこと。鬼も出るし、料理も自分でする。まあ、利点はといえば湖の傍だから涼しいってくらいかな」

「涼しいだけで十分だ」

「砂漠の夜は寒いって知ってた?」


 意識してふたりは会話の内容をたわいないものにして、ファルベを安心させるように協力した。


 休息をこまめに取りつつ、一行はまったく景色の変わらない砂漠を延々と歩き続けた。さすがに悠一も意識が朦朧としてくる。ファルベもすっかり無言で、ペースが落ちている。


「悠一、塩持ってない?」


 レントゥスが10数度目の休息を取ったときに尋ねた。悠一は調味料として持っていた塩をレントゥスに差し出した。レントゥスは塩を一つまみし、ぐったりしているファルベの前に移動した。ファルベは水を飲む気力すらないようだ。


「ファルベ、これ」

「え・・・・?」

「塩だよ。舐めてごらん。喉が渇いてくると思うけど、ここで塩分不足になると命取りだ」

「僕、病院の先生から塩分制限されてるんだ・・・・・」


 ぼんやりとファルベが呟く。レントゥスが苦笑する。


「今は気にしないの」


 ファルベは掌に塩を乗せ、それを舐めた。彼にしてみれば塩そのものを舐めるなんて初体験だろう。レントゥス自身も塩を舐め、悠一に回す。悠一も彼に倣った。


 再び歩き始めると、ファルベの足取りはわずかに速くなった。とはいえそれは比較の話で、彼が疲れ切っているのには変わりない。


「ファルベはそろそろ限界かな」


 レントゥスが呟く。悠一も返事をする元気はない。レントゥスが微笑む。


「君も疲れ果てているみたいだね」

「・・・・あんたはなんでそんなに元気なんだ?」

「何回も入ったことがあるって、言ったじゃない」

「そいつは何かの修行か?」


 鳥取の砂丘すら歩いたことのないうえ、この暑さ。本物の砂漠。無理がある。


「心頭滅却すれば火もまた涼し、ってね」


 面白そうにレントゥスが言う。その笑顔でまた生気を吸い取られた気分だ。


「ああそうだな、そろそろ気温の感覚がなくなりそうだ・・・・」

「って・・・・・ちょっと、それは危険信号だよ」

「冗談だ、冗談。いや、冗談じゃないけど・・・・・」


 中学の陸上時代、真夏の炎天下で延々と10キロ、20キロ走らされたときに比べればマシか。あの時はさすがに熱中症になってぶっ倒れた記憶がある。俺は短距離選手だってのに長距離選手と同じメニューをやらせるとか、あの親父顧問め。そう内心で毒づき、中学の部活の顧問の顔や名前をばっちり憶えていることにほっとした。


 悠一が振り返ると、ファルベはぜえぜえと荒い息をしている。悠一がファルベの前に歩み寄る。


「ファルベ」


 名を呼ばれて、やっとその時目の前に悠一がいることに気付いたらしい。はっとして顔を上げる。色白なファルベの肌は真っ赤に紅潮していた。


「あっ・・・・・僕、大丈夫だから」

「嘘つけ。ほら」


 悠一が屈み、背をファルベに向けた。背負うつもりなのだ。ファルベが首を振る。


「駄目だよ、僕を背負ったらユウが・・・・・・」

「安心しろ、慣れてる。俺はまだ平気だ」


 遊んでいる途中で眠ってしまった英梨を背負って帰るのは、父ではなく悠一の役目だった。英梨は兄の背で一番の安らぎを得ていたらしい。


 それにこれも中学のころだが、同級生の男子を背負って坂道を駆けあがるという練習も、冬のトレーニング期間にしていたことだし。それに比べればファルベなど軽い。


 戸惑っているファルベを横から抱きかかえて、レントゥスが悠一の背に乗せた。ファルベが抵抗する間もなく、ひょいっと悠一は背負って立ち上がってしまう。


 ―――驚いた。比べるまでもない、ファルベの体重は軽すぎる。中学の時の同級生と言えば、ファルベと同い年のころだ。なのに、ファルベは40キロあるのか、というくらいか弱い。


「頑張れー、悠一お兄ちゃん」

「てめえ・・・・・」


 気楽なレントゥスに悠一は本気で憎悪を抱く。抵抗を諦めたファルベが悠一の背にぐったりと身体を預けながら、尋ねる。


「高いね・・・・・」


 一瞬何のことか分からなかったが、悠一の目線のことを言っているのだと分かった。ファルベの身長は153センチくらいだろう。


「背、いくつなの?」

「179だ」

「へえ・・・・・父さんはこれより20センチも高かったんだ・・・・・」


 ファルベの声が途絶えたが、悠一は仰天した。俺より20センチ高い? つまり199センチ? ほぼ2メートルじゃないか。そういえば体育教師らしいし、恐るべし欧米人。


 会話もなく黙々と歩いていると、ようやくレントゥスが振り返って声をかけた。


「着いたよ、悠一。オアシスだ」


 悠一は顔を上げた。あたりは茜色に染まっている。そこに見えた、湖というには規模の小さな水場。それを取り囲むように張られたたくさんのテント。夕食の支度をみな始めているらしく、あちこちに焚き火の炎が見える。


「・・・・ほんと、湖以外何もないな」

「だから言ったじゃない。ところでキャンプのご経験は?」

「何回かはあるけど」

「なら良かった。テント張れない、肉焦がした、水ぶちまけた―――っていうのは、ここじゃお約束のハプニングだから」


 生憎、テントはきちんと張れるし火の加減にも細心の注意を払う慎重人間である。


 とりあえずテントを張れるくらいの場所を確保し、水場の近くに来たからか少し元気になったファルベが、レントゥスを手伝ってテントの用意を始めた。その間に悠一は夕食の準備を始めていた。


 テントを張り終えて一息ついたレントゥスが、砂の上に敷いた布に胡坐をかいて作業をしている悠一の手元を覗き込んだ。


「何を作ってるんだい?」

「つゆ」

「ツユ?」


 レントゥスが首をかしげる。


「ああ、この世界に『素麺(そうめん)つゆ』なんて便利なものがあれば良かったんだけどな」

「ソウメンツユって・・・・こんなに大量の液体使って何するの?」


 どうやら素麺つゆは翻訳されず、理解されなかったらしい。こんなに暑いと食事も喉を通らない―――ならば、日本の夏の風物詩、素麺のみ。


「日本の麺料理だよ。とりあえずファルベを休ませてやってくれるか」

「はいはい」


 昨日買った削り節からあらかじめ出汁を取っておいたもの、それに醤油とみりん、砂糖を加えてひと煮立ちさせる。食料以外はすべてレントゥスが持っていたので、悠一は食材やらを積んでいたのだ。


 出来上がった麺つゆを空き瓶に詰めて、オアシスから汲んできた冷水に沈めて冷やしておく。その間に都合よくノーブルで売られていた素麺―――正式には素麺という名ではなかったが、どう見ても素麺だったので無視した―――を鍋で煮て、こちらも冷水で冷やした。


 てきぱきと素麺を仕上げ、レントゥスとファルベを呼ぶ。出来上がっている白く細い麺と茶色い液体を見て、ふたりとも目を丸くしていた。その前に置いてあるのは箸である。


「何、これ?」

「夏になって食欲がないときにさっと食べられるんだよ。ほら、箸をこう持って・・・・・」


 箸の使い方から二人に教え、見本で素麺をすすって見せる。ファルベはフォークが欲しい、という顔で四苦八苦しており、なんでもそつなくこなすように見えるレントゥスも、さすがに悪戦苦闘していた。とはいえふたりとも10分もすればコツをつかみ、食事ができる程度までには箸使いがうまくなった。ファルベは箸の先がばってんになっているが、直せと言っても無理があるので放置する。悠一本人は母から厳格に箸使いを矯正されてきたので、そこのあたりに妥協はない。


「冷たくて美味しい!」


 ファルベが嬉しそうにそう言い、悠一の顔がほころぶ。


「ならいいんだが、味濃くないか? 水で割ってもいいんだが・・・・・」

「このくらいで丁度良いよ」


 その横でレントゥスも頷く。彼は一応麺をすすっているが、「ズルズル」というより「チュルチュル」である。


「まさかここにきて日本食を食べることになるとはねえ」


 日本食と呼べるほどのものではないのだが。


「天ぷら、食いたいなあ・・・・」


 悠一はぼそっとそう呟いた。どうやら俺も根っからの和食人らしい、無性に寿司や蕎麦が食べたくなった。

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