第7話 怪しき男
朝日が目に刺さり、悠一はゆっくりと瞼を開いた。どうやら、もう朝らしい。まだ頭が鈍く痛むし身体もだるいが、ちゃんと朝に目が覚めただけ、回復したということだろうか。
「いまの夢・・・・・」
悠一は呟き、身体を起こした。と、点滴を受けている右手を、ファルベが握ったまま眠っていることに気づいた。
このせいで、ファルベ―――そしてその兄アレスの夢を見てしまったのだろうか。枕の下に写真を入れて寝るとどうのこうの、と言うが、それに近い現象かもしれない。
夢にしてはリアルすぎるものだ。多分、悠一が英梨と颯人の未来を見た夢と同じで、あれはファルベが死んだあとのアレス本人だ。
ファルベはまだ眠っている。ずっと看病してくれたのだろう。
「すまない、ファルベ・・・・・」
悠一はぽつっと呟いた。ファルベの事情を、不可抗力とはいえ断りもなく見てしまったのだ。
というか、どうして俺はそんな夢を見たのだろう? あれは予知夢でもなんでもないのに。
と、ファルベが身動きし、顔を上げた。悠一が目覚めていることに気付き、ぱっと明るい表情になった。
「ユウ! 目が覚めたんだね!」
「ああ・・・・・」
「良かった! すぐ、お医者さん呼んでくるね!」
ファルベは部屋を駆け出して行った。
多分ファルベも、アレスにああやって世話を焼いてもらっていたのだろう。
「っ・・・・う」
悠一は鈍い頭痛に小さく喘ぎ、寝返りを打った。
そもそも、どうして俺は倒れたんだったか。街に入ったとき、首筋に何かが刺さったような気がしたのは覚えている。そのあとは、ふわふわと地に足がつかない感覚だった。どこをどう通ったのかもうろ覚えだ。
だとしたら、やっぱりあの時、首に何か刺されたのだ―――それしかない。
だが誰が? この死後の世界で自分をもう一度殺すことを望む人間がいるのだろうか?
分からない―――何もかも。考える気力もない。
何分経ったのか分からないが、ファルベが医者を連れて戻ってきた。医者は心音、瞳孔、喉、首の傷などの様子を調べ、熱を測った。体温計が示した体温は38度5分。前夜まで39度は熱があったのだ、倒れて当然である。医者は解熱薬を悠一に注射した。
「うん、少し熱は下がりましたね。でもまだ高熱ですから、しばらく安静にしていてください。2,3日もすれば解熱薬が効いて、熱も下がるでしょう」
「・・・・有難う、御座います」
悠一が掠れた声で礼を言う。医者は頷いて部屋を出て行った。
それと入れ違いで、レントゥスが室内に入って来た。朝からファルベが大騒ぎしたので、気づいたのだろう。生憎と悠一は、朦朧とした意識の中で挨拶されたことなど記憶になく、怪しげにレントゥスを見ている。
「目が覚めたようだね」
レントゥスが微笑む。悠一は眉をしかめた。
「・・・・誰だ?」
「昨日名乗ったんだけど、覚えてないのも無理はないかな。僕はレントゥス。君たちと同じ巡礼者だ」
「ずっと一緒に看病していてくれたんだよ」
悠一は険しい表情のまま、じっとレントゥスを見遣っていたが、ふっと力を抜いて目を閉じた。
「迷惑をかけたな。ありがとう」
「たいしたことはしていないさ」
レントゥスは優しく言った。
ファルベが身を乗り出した。
「ユウ、平気? 気分は?」
「昨日目が覚めたときよりは、ずっと良い」
嘘ではない。だが、「マシ」という程度だ。
「・・・・昨日、僕になんて言ったか覚えてる?」
ファルベが急に、神妙な顔で尋ねた。悠一は首を傾げた。
「いや?」
「ユウ、事故で亡くなったんでしょ? そうだよね?」
ファルベに詰め寄られ、悠一は目を見開いた。
事故死だった。そう言われても、しっくりこない自分がいる。他人事のように、客観的でいる。
忘れてしまったんだ―――自分が死んだ、その理由を。
「俺・・・・は」
悠一は呟き、身体を起こした。レントゥスが押し止める。
「どこに行くつもり?」
「俺は早く行かなきゃならないんだ・・・・! 忘れてしまう前に、早く・・・・!」
「その身体じゃ、到底無理だ。いいかい、この先は砂漠だ。生半可な気持ちで入ったら、確実に命を落とすよ」
悠一は力を抜いた。レントゥスが悠一をベッドに横たえる。
「記憶の浄化について、良いことを教えてあげよう。浄化される回数というのは、時間ではなく距離に比例するんだ」
「どういう意味?」
ファルベが尋ねる。
「神の門に近づけば近づくほど、記憶が浄化されていくということだよ。時間経過で忘れるんじゃないんだ。おそらく中継の街が浄化地点だろうね」
「このノーブルはギルフィから2つ目の街・・・・・つまり、ここで2度目の浄化があるということか」
悠一が呟く。ここにきて何年経とうが、旅をしなければ記憶は浄化されないのだ。次の街に到着したとき、記憶が一部分消えてしまう。
神の門まで中継する街は10以上ある。あと10回は、記憶が浄化されてしまう。
「そういうこと。現に僕は君たちより半年近く前に死んでここに来たけど、浄化された回数は君たちと同じ2回。僕はずっと、このノーブルから出ていないんだ」
「え、どうして?」
ファルベが驚いてレントゥスを見上げると、青年は微笑んだ。
「今の話を管理者から聞いて、これ以上記憶を失ってしまうことが怖くなってしまってね。連れもいなかったし、耐えられそうになかったから。けど、管理者みたいな面倒は御免だ・・・・・そういうわけで、ずっと留まっていたというわけさ」
悠一は眉をしかめた。
違う。この男は、そんなことを怖がるような人間じゃない。きっと別の理由がある―――悠一は直感的にそう思った。
「だから焦らなくても平気だよ。今は身体を治すことを優先させないと」
「・・・・・分かった」
悠一は頷いた。それからファルベに首を向けた。
「ファルベ、ここに来て何日経った?」
「今日で4日目だよ」
「そうか・・・・すまない。もう少し・・・・時間をくれ」
ファルベは何度も頷いた。
「何日でも良いよ。とにかく、早く元気になってね」
悠一は頷きかけたそのまま、目を閉じた。
「ユウ・・・・・?」
ファルベが不安そうに声をかけるが、悠一は目を閉じたままぴくりとも反応しなかった。
「薬が効いてきたんだ、少しそっとしておいてあげよう。彼はもう大丈夫だから、君も休んだほうがいい。ここ何日か、まともに寝ていないでしょう?」
レントゥスに促されたファルベだったが、微笑んで首を振った。
「有難う。でも僕、ここにいるよ。ユウの傍にいたいんだ」
「・・・・・そうか。けど、無理はほどほどにね」
レントゥスはそう言って、ファルベを残して部屋を出た。
ファルベはもう一度悠一のベッドの傍の椅子に腰かけ、眠っている悠一を見つめた。
「・・・・アレスも、こうやって僕のことを、ずっと見守っていてくれたんだよね」
ファルベは呟いた。
「どうして僕は・・・・アレスに『ごめんね』しか言えなかったんだろう・・・・罪悪感でいっぱいで・・・アレスに見捨てられたらどうしようって怖くて・・・・・馬鹿だな、僕は。アレスがそんな奴じゃないって、僕が一番知ってるはずなのに・・・・・」
だから最後に力を振り絞って言ったのだ。「ずっと迷惑をかけてごめん。これからは自由に生きられるよ」と。
それが大きな間違いだったと今は改めて感じた。
あの言葉のせいで、アレスが悲しんだと、そう確信していた。
アレスは決して、ファルベの世話を焼くことを迷惑だなんて思っていなかった。彼の好意をファルベは踏みにじったのだ。
「ごめんね・・・・・アレス・・・・・」
ファルベの瞳に涙が滲んだ。
「忘れたくない・・・・・忘れたくないよ・・・・・・」
ファルベはあまり口に出さないが、彼の記憶も薄れつつあった。死ぬ間際まで過ごした自宅の部屋の間取りが思い出せない。両親の顔がぼやけている。
きっとそのうち、アレスの顔がぼやけ、声が分からなくなり、名前が思い出せなくなり―――兄という存在すら忘れる。
「・・・・・お前の兄さんは、本当に優しかったんだな」
急にそんな声がかけられ、ファルベは驚愕して顔を上げた。眠ったはずの悠一が目を覚まし、天井を見つめながらそう呟いたのだ。
「ユウ・・・・? 眠ったんじゃ・・・・」
「あのレントゥスとかいう奴がいると、なんだか落ち着かない」
つまり狸寝入りしてレントゥスを追い出したのである。先程の独り言も完璧悠一に聞かれていたわけで、ファルベは顔を真っ赤にした。
「・・・・・昨日、お前の兄さんの夢を見た」
「え? アレスの・・・・?」
悠一が頷く。
「どうしてかは分からないが、勝手にすまなかった」
「う、ううん。ユウのせいじゃないし・・・・・それで、夢の中のアレス、どうしてた?」
「ファルベが死んでからずっと、お前のことばかり考えていた。お前の遺書を見つけて、泣いていた」
淡々と悠一が告げる。ファルベが涙ぐんでいるのに気付いた悠一は、少年の頭に手を置いた。
「・・・俺もお前と同じだ。ファルベが忘れても・・・俺が思い出させてやる」
「うん・・・ありがと・・・」
悠一は僅かに笑みを浮かべ、疲れたように目を閉じた。
「・・・ごめん・・・少し疲れた・・・・」
「あっ・・・僕こそごめんね。もう休んで」
ファルベが立ち上がり、ベッドから離れた。悠一はそのまま眠りに落ちた。
◆〇◆〇
翌日になると、熱はさらに下がって37度になった。微熱の域である。身体や頭のだるさも解消され、久々にすっきりした気分だ。数日ぶりにまともな食事もできた。
あとは完璧に熱が下がればもう大丈夫だと医者に言われ、ファルベもほっとしていたようだ。ファルベとともにずっと付き添ってくれていたレントゥスへの疑念は解けていないが、悠一も悠一なりに彼には感謝していた。
「色々とすまなかったな・・・・俺は大丈夫だから、もう・・・・」
ベッドに身体を起こした悠一がレントゥスにそういうと、青年は腕を組んだ。
「僕ね、この先の砂漠をよく探検するんだ。迷いやすい砂漠だけど、何度も出入りしていれば、歩くコツも掴んだ」
唐突にそんな話をされ、悠一は首をかしげた。
「何が言いたい?」
「提案があってね。僕は砂漠に詳しい。だから君たちを、無事に砂漠の向こう側へ案内することができる」
「・・・・・その代わりに?」
警戒色を強めると、レントゥスはやさしく微笑んだ。
「僕も、君たちの巡礼の旅に加わらせてもらいたいんだ」
「・・・・え?」
予定外の言葉に、悠一は拍子抜けした。ファルベも瞬きをする。
「巡礼が嫌になったんじゃなかったっけ?」
「そうだったんだけど・・・・・君たちの頑張る姿を見るうちに、また新しい人生を得るのもいいかなと思ったんだ」
レントゥスが図るような視線を向ける。
「どう? 悪くない条件だと思うんだけど」
悠一は沈黙したが、やがて顔を上げた。
「・・・分かった。連れは一人でも多い方が心強い。・・・・・よろしく頼む」
「こちらこそ」
レントゥスは笑みを崩さなかった。
夜、悠一は部屋を抜け出してノーブルの街の入り口―――つまり、悠一が毒針らしきものに刺された場所に来ていた。
あの時と同じように立つ。目の前にノーブルの門。背後には一本の街道。周りは見晴らしがよく、背の高い木もほとんどない。
(・・・・どこだ。どこから狙った?)
悠一は門を見上げた。
銃弾の代わりに針を仕込んで発砲した、ということはありえない。銃声がするはずだからだ。あの時、聞こえた音は「ひゅっ」と空気をきる音だけ。飛んできたのは間違いない。誰かが仕込み針でも投じたのだろうか。
いや、それならば針が地面に落ちたはずだ。犯人は針に何かを括り付けて投じ、刺した瞬間に引っ張って針を回収したということになるだろう。
門の陰にでも隠れていたか。それは無理だ、と悠一は自分の仮説を否定した。さすがに前からそんなものが飛んできたら気付くはずだ。それに角度的にも無理がある。左の首筋に刺さった―――つまり。
「左斜め後方、または真横・・・・・」
呟きながら悠一は振り返る。
真横。身を隠せるような場所はない。
左斜め後方。遠方に木がある。
悠一はその木の傍に歩み寄り、太い幹に触れた。手を当てたままぐるっと一周。と、ちょうど悠一が立っていた場所からは見えない裏側の部分の地面に、青く光るものが落ちていた。屈んでそれをじっと見る。
蝶の鱗粉かと思った。色がおかしいし、専門的なことは分からないからなんともいえない。しかし直感的に、これはその砂漠にしか生えない青い毒の花―――その花びらを粉末にしたものだと確信した。あの医者が、毒として使うときは粉末にすると言っていたからだ。
上を見上げると、手近なところに太い枝がある。悠一は両手で枝をつかむと、一気に地面を蹴った。鉄棒の逆上がりの要領で枝の上に飛び乗る。
枝から城門を見ると、ちょうどいい眺め。あそこに立っていた悠一に向けて何かを投じ、首を狙うには絶好のポイント―――
「こんな夜中に、ひとりで出歩くなんて危ないよ」
声がかけられた。はっとして下を見ると、そこにレントゥスが佇んでいた。
「お前・・・・・どうしてここに!?」
「君が宿を抜け出すのが見えてね。つけてきた。病み上がりなんだからまだ寝ていないとだめだよ」
事もなげに言うが、それどころではない。
つけてきた? どうやって? 悠一はなんども辺りを見回していた。どうして一度も視界に入らなかった? なぜこんな近くに来るまで気付けなかった?
「それ以上君に調べられるとばれそうなんでね。もう過ぎたことだ、気にするのはよくない」
レントゥスの口調が変わった。悠一が警戒し、幹に手を触れたまま真下にいるレントゥスを睨み付ける。
「何の話だ」
「君は疑り深くて困るよ。もっと素直に受け入れてくれなきゃ―――ね」
レントゥスが初めて、枝の上にいる悠一を見上げた。それから薄く笑みを浮かべる。
それと同時に―――悠一の意識が暗転した。ぐらりと身体が傾き、真っ逆さまに地面へ落ちる。それを、下にいたレントゥスが受け止めた。
気を失った悠一を見降ろし、レントゥスが微笑む。
「とりあえず―――いま君が見たことは、忘れてもらうよ」