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接近遭遇

 訓練された大型の番犬が二匹いるので、何かあっても吼えるし暴れるだろうからと、ぽんちゃんは少しも心配せずにテントの中で寝袋に入りすぐに眠った。ポジティブ思考の彼女ならではの徳である。対照的に隣のテントに入っていたカメラマンは寒さと恐怖でいてもたってもいられないらしく、持ってきたウイスキーをがぶ飲みし、飲み潰れて寝た。司馬剣はというと、無言で戦いの前の儀式のような妙な踊りをし、その後眠りについた。


 現地での最初の一夜が何事もなく明けた。


 辺りは一面の雪がきらめきを発して眩しい朝を迎えていた。

 ぽんちゃんは早速テントから出てお化粧を始めた。雪を鍋に入れ融けたお湯で洗顔をする。その後たっぷりの化粧水で肌を充分潤わせてから、ベースファンデーションに粉おしろいを持ち出して丁寧に顔をはたいていた。

 彼女の手に持たれたコンパクトの鏡に映った背後の雪景色。その中に確かに『それ』はいた。そしてどんどん近づいてくる。彼女は全身を硬直させながらも振り向いた。

 彼女の背後二十メートルほどのところまですでに『それ』は来ていた。大きい。身の丈は二メートルを軽く超えているように見える。髪は白髪、いや、ぼさぼさの銀髪で胸の辺りまで伸びている。腰には厚い毛皮を巻いていて上半身は完全に裸だ。しかし銀色の胸毛が縦に太くつながっている。

 ――イエティ?

 しかし、彼女が聞いていたイエティの姿とは相当に異なっている。尖った頭に全身真っ白な長い毛の動物。いえいえ、目の前の『それ』、いえ、彼はどこから見ても動物でなく人間だ。

 彼はさらに近付いてきて、ついにはぽんちゃんの手の届くくらいのところまで来てかがんだ。彼女の手に持たれたコンパクトに興味があるようだ。ぽんちゃんは震えたまま動けない。

 イエティらしき男は彼女のコンパクトを奪い、ぱたぱたぱたと粉の塊を砕いた。それを自分の雪焼けした顔に彼女がしたように塗ろうとしているに違いない。

 そのとき脇から司馬剣の声がした。

「恐れるな! 笑うな! そのままだ!」

 ぽんちゃんは直立したまま声のするほうに顔を向けた。

 ――この状況で何で笑えるっての? 早く助けなさいよ!


 イエティらしき男はおしろいのパフを突然、自分ではなくぽんちゃんの顔にはたいた。

ぱたぱたぱたぱた。ぱたぱたぱたぱた。

「ぶっ、ぶはあ!」

 ポんちゃんの顔はとたんに眉毛も唇もなくなり真っ白になった。

「ごほん、ごほん」

 おしろいにむせて鼻から粉を吹いているぽんちゃんの脇からまた声がした。

「よし! いいぞ。ぶぶう。いやいかん。ぶぶう。笑ってはいかん」

 ぽんちゃんは直立したまま真っ白い顔で助けを求めた。

 カメラマンの姿も見えない。

 そこへ別なイエティがうしろに現れた。いや、イエティではないかも知れない。ぽんちゃんと同じくらいの体格の女性だ。長い髪は顔の前で分けられることなく膝の辺りまで伸びているため、顔がまったく見えず、両方の乳房も隠れているが、明らかに体型が女性だ。そのイエティ女は、長い髪を少しよけて胸の乳首に指を当てた。

「君が女であるかどうかを訊いているんだ。ぽんちゃんもまねしろ!」司馬剣の声だ。

 ぽんちゃんは分厚い防寒服を着ているので真似していることを相手に意志表示するのは難しい。しかし自分の胸に指を当ててそれを示した。

「もっと下だ!」「いやもっとちょっと上!」

 こんな時に、乳首の位置にこだわる司馬剣にぽんちゃんはわけがわからなくなってきた。ところが、さらに……。

「駄目だ。ぽんちゃん。位置が特定できない。君も脱ぐしかない!」

「ええっ? 寒いよう」

「言うことを聞け!」

「嫌よ!」

「早くしろ!」

 そうこうしているうち、イエティ女がその場でぐるぐる回りだす。


「負けるな、お前は、そうだ、三べん回ってワンと言え!」

「ええっ? 勝ち負けとかあるの?! しかも『わん』って何よ?」

「お願いだ。頼むから言うことを聞いてくれ。会話が成立するかどうかの瀬戸際なんだ」

 ぽんちゃんが躊躇っていると、イエティ女が今度はこちらにお尻を向けて左右にゆっくり揺らした。

「いけるぞ! お前は同じようにしてお尻ぺんぺんしてアッカンベーをするんだ」

「ええっ?アッカン……」

 ぽんちゃんはここでイエティ女と勝負することの意味がさっぱりわからない。いや。そもそも、何の勝負なのかすらわからない。それは恐らくぽんちゃんでなくとも、その道の研究者である司馬剣以外、誰にもわからないだろう。

 しかしその研究はかなりいい加減なような気もする。

 いつまでも言われた通りにしないぽんちゃんにいらつき、司馬剣がぽんちゃんに向かって小さめのジェスチャーでお手本を示した。

「ぶっ。お願い。笑わせないで。でもちょっと。本当にそんなことして怒らない?」

「大丈夫だ。たぶん……。コミュニケーションを続けるんだ!」

「たぶんって……そんなあ」


 ぽんちゃんはとうとう観念し、意を決した。言われた通り、お尻ぺんぺんしてイエティ女に向かって思いっきり『アッカンベー』をして見せた。しかも真っ白い顔で……。


 イエティ女は一瞬にして顔色が変わった。いや、その前に先に姿を見せた巨人のようなイエティ男が激しい怒りを表情に表した。


 そう。お尻ぺんぺんしてあっかんべーをされれば普通の人間でも怒る。


 巨人のようなイエティ男は突然司馬剣の方へ突進し、彼を担ぎ上げた。もの凄い力だ。司馬剣は普通の人間よりかなり大きく体格もいい。それを一瞬のうちに持ち上げたのだ。

「助けてくれ!」

「待って! どうしよう。そうだ犬だ! 犬がいた!」

 しかし二匹の犬は横を向いていてイエティには関心がまるっきりなさそうだ。何を訓練されていたんだろう。

 ぽんちゃんは頼りの犬の名前をきいていなかった。

「ちょっと! そこの犬!」

 ぽんちゃんの叫び声にも二匹の犬は伏せたまま、面倒臭そうに横目でちらっと見ただけだ。

 ぽんちゃんは頭に血が上ったようにイエティ女を離れ、シベリアンハスキー犬の方に突進して尻尾を引っ張った。しかしその犬は不愉快そうに彼女を見ただけでまったく動こうとしない。

 ――駄目だ。どこが訓練されてるんだってのよう。何! この馬鹿犬ども!

 振り向くと司馬剣をかついだイエティはその場を去ろうと小走りに離れていってしまっている。ぽんちゃんは必死だ。奇声をあげながら自分に関心をもたせようとしながら追いかける。このまま見失ってしまったらもう会えないかも知れない。

『もう会えなくても仕方がない』は今までのぽんちゃんの人生。しかしこのときのぽんちゃんは、またも、生まれて初めての気持ちを味わった。

 ――このまま彼とお別れなんて絶対にいやだ!

 次の瞬間ぽんちゃんは叫んでいた。

「お願い! 司馬ブーを返して!」


 司馬ブー、いや司馬剣は『降ろせ! 降ろせ!』とイエティの頭を渾身の力を込めて叩くが、石のように硬い頭は何のダメージにもなっていないようだ。

 自分に関心を持たせるべく、ぽんちゃんはとうとう最後の手段に出た。

 追いかけながらありったけの大きな声で突然笑い出したのだ。


「あっははは。あははははははは~~。どうだ。笑ったぞう! はははは。ばーか! ははははは」


 再びイエティ男の顔色が変わり足がとまった。

 ――しめた! とまったぞ!

 ポんちゃんは笑い続ける。

「あはははは。あはははは。ほれほれ、ばーか」

 突然担いでいた司馬剣を放り投げ、ぽんちゃんの方へ向き直った。

「ぐお~~」

 そして全速力でぽんちゃんの方へ向かってきた。

「ええっ! ちょっ、ちょっと待って! うそうそ。本当は笑ってない。全然笑ってないのよね。ダメえ? やっぱ、ダメよね。はは。 キャーーー!」

 逃げ回るぽんちゃん。追うイエティ男。いつの間にか、ぽんちゃんの走る先には数人のイエティが立ちはだかっていた。しかも手には全員包丁が握られている。ぽんちゃんは立ち止まった。

 ――ああ。もうだめだ。私、殺される! でもまだ死にたくな~い!

 

 きーー。ざざあ。 

 その時、大きな車が後ろからぽんちゃんの脇に停まった。

「乗れ!ぽんちゃん!」

 司馬剣のRV車だ。ぽんちゃんは開いた車のドアからシートに飛び込み、車は猛発進した。後ろの座席ではカメラマンが身をのりだしてシャッターを切りまくっている。その隣にはさきほどいたイエティの女がいる。

 ――助かった!

 しかし、ぽんちゃんはまた、わけがわからなくなった。

 ――何でイエティの女がここにいるわけ?


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