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イエティという生きもの

 司馬剣は急に真剣な表情になった。

「君。『イエティ』って聞いたことある?」

「いえてぃ? ですか? どこの言葉でしょう」

「いやいや、言葉じゃない。ヒマラヤ山脈に生息しているといわれている『雪男』のことだ」

「はあ?」

 ――まさか生きもの生態って雪男の調査じゃないでしょうね。

 ぽんちゃんがそう恐れた瞬間、司馬剣は彼女の思いに重ねるように言葉を発した。

「あのね。うちはあくまでパンダの研究機関だけど、いろいろやらされるわけね。この研究協会のビルに居候させてもらってるから」

 もう一人の背広の小さな男が頷いた。この男はビルオーナーの『生きもの生態研究協会』の人のようだ。

 司馬剣は、イエティの存在について語り始めた。

 イエティは、全身を白い毛で覆われ頭の尖った大きな二足歩行の動物ということで、かつてはヒマラヤ山脈で何度となくその姿を目撃したとか、啼き声を聞いたとか、体毛を入手したなどと世間を騒がせていたが、研究が進み正確な情報が収集・分析されるにしたがって、現在ではそのすべてが熊や鹿の仲間などの誤認であるとの結論に至り落ち着いているという。


「しかしね。うちでは三年ほど前から別な場所での目撃情報に基づいて調査していて、このほど間違いなく誤認ではない確証を得ることができたんだ。我々は遂に知能の発達したイエティの集団を発見してしまったのだ」

 司馬剣は一枚の写真をお尻のポケットから取り出した。

 ――どこから出してるのよ。もう少し、大切に扱ったらどうなの?

 その写真は白い雪山に白い地面、白い吹雪でほとんど全部真っ白だった。

「これ、真っ白で何も見えませんが……どこかに写ってるんですか?」

「はい。いい質問です。イエティは写っていない。しかしここで発見された。そして足跡を追い彼らの集落へ辿り着いたのだ」

 ――この男の人、頭おかしいんじゃないの?

 司馬剣は説明を続けた。

「発見された場所は、ヒマラヤ山中ではなく、かなり西に外れたヒンデゥークシュ山脈の山中だ。やはり四千メートル超級の山々の連なる山脈だ。

 ヒンデゥーとはインド人、クシュは殺し屋。人殺しの山脈だ。かつて、ヨーロッパの人買いがインド人の奴隷女を買って、数多の奴隷がこの山を越えられず死んでいったんだ」

 ぽんちゃんはそういう話は嫌いである。しかし、彼は続けた。

「アフガニスタンという国の国境はてのひらを『ぐー』に結んだ拳のような形のイメージがあるが、実はそこに小指を立てたような形をしている。その小指に当たる部分が北はタジキスタン、南はパキスタン、東の小指の先が中国に接する『ワハーン回廊』と呼ばれるところだ。その小指の先で我々はイエティの集団を発見したんだ」

 拳だの小指だのと例えが飛躍しすぎていてぽんちゃんにはさっぱり意味が分からなかったが、その先の説明によると、どうやらイエティが発見された地域である、(彼曰く)『小指の先』辺りの中国側の領土内で、彼女は歹徒龍ダイトゥロンの一族とともに十二年間の軟禁生活を送らされていたらしい。

「我々は、中国から二グループ、日本から一グループ、計十五人の者がその地へ調査に行き、日本からのグループ五人がイエティとの遭遇に成功した。だが、実はその五人の内二人が戻ってきていない。これは決して外部に漏らすことのできない話だ」

 ぽんちゃんはまたわけがわからなくなった。雪山から戻らなかった人がいるのにどうしてそれを秘密にするのか……。

「無事戻ってきた三人の話に共通していることは、発見した時、イエティは九人で共同生活をしていて、火を使い、里の民家から奪ってきたと思われる鍋釜を使って食物を調理しているということだ。男は大きく力も強く部族以外の人間には攻撃的で乱暴であるという。大人とみられる約半数のイエティは包丁を全員持っていて、平気で人間を刺し殺す」


「あの。そんな危ないところに女の私を連れていっても、足手まといになるだけだと思いますど……」

 司馬剣は顔を上げて大きな声で言った。

「そうか! 行ってくれるか。よし!」

 ぽんちゃんは、しまったとばかり慌てた。

「ちょっちょっちょっと待って下さい。まだ私、行くとは言ってません」

 司馬剣は思い出したように再び話し始めた。

「実は、ここからが、君に白羽の矢を立てた条件の二つ目に関係することなのだ。

 イエティがどういう場面で人間を襲うのか。その状況が問題なんだ。何故かにこにこと笑顔を投げかけたり、笑ったりした時に、必ず怒ったような表情をして包丁を向けてくるというんだ。逆に悲しそうにしていると彼らは安心するようだ。

 人間の笑顔というものは、相手に対する好意的な感情がベースとなって作られることが多いが、逆に相手に対する優越感によって作られる笑顔は時に人間の卑劣な本性をさらけ出すことがある。彼らイエティは過去、大切な仲間を傷つけられたり、殺されたりした時、その相手の表情が実に醜い卑劣な人間の笑顔であって、これが頭に焼き付いてしまっているのかも知れない。

 我々が調査に乗り出すずっと以前からの言い伝えだが、当時イエティ狩りのようなことがあって、大勢の人間が少数のイエティを取り囲んで撲殺したことがあったらしい。その時現場に隠れていてその後逃げ去ったイエティの何人かの子供が、今頃は二十歳くらいの大人になっていることになる。人間は撲殺したイエティの周りで大笑いをしながら酒を酌み交したという……」


「まあ。酷い……」


「いやいや、これはあくまで言い伝えであって本当のところはわからないが、ともかくイエティに対して笑顔が禁物であることはイエティに遭遇した者の証言から間違いない。そういう意味で、悲しい過去を持つ君が我々に同行することは意味があるのだ。通訳としては適任だと思うのだ」

 司馬剣の思考はぽんちゃんにはいま一つ理解ができない。話がどうも飛躍し過ぎてると……。しかし、彼女は言うべきことは言わなければ、と思った。

「あの、私、確かに暗い過去を持っているって人によく言われますけど、そんなこと全く気にしていません。過去は私にとって終わったことですから。申し訳ないですけど、そのイエティ何とかと一緒にしないでいただけませんか?

 私、そんなに性格暗くないですから……ていうか、笑っていることのほうが多いです、むしろ……。逆です、全然適任じゃないです」

 司馬剣は、にやりとして首を横に振った。

「いいや。隠しても無駄さ。君みたいに暗い過去を背負っていて明るい性格の人間などいるわけがない」

 ぽんちゃんはその言い方に少しムッとした。

「失礼ね! ホントに落ち込んじゃうじゃないのよ!」

 司馬剣はさらに追い討ちをかける。

「実は本当の君はとても暗い性格なんだ。君は自分に嘘をついていて、そのことに少しも気が付いていないだけなんだ。目を覚ましてくれたまえ」

「いったい何に目を覚ませってのよ!」

 司馬剣は左の掌をもう片方の拳でポンと叩いた。

「そうだ!その怒りだ。暗い過去。暗~~~~い過去。それこそが君本来の姿だ」

「酷いわ。酷い!」

 ぽんちゃんは怒りと悲しみの入り混じった感情を抑えきれず、俯いて膝の上に置いた手を震わせた。 辛い過去を常に記憶の奥にしまってしまう彼女であっても、『暗~~~~い過去』という言葉はさすがにこたえたのだ。

 司馬剣ともう一人の男は顔を見合わせて、「その感じ。怒りと憂い。これだ! 俺たちの目に決して狂いはなかった!」

 ――そうじゃない! 私はそんなに暗くない! 過去なんて一切今の私に関係ないの!

 ものの十秒も経たないうちにぽんちゃんは勢いよく髪をかき上げて、司馬剣を見つめ首を傾げて『あはっ』と笑った。

 司馬剣は目をまん丸くし、隣の若い男は椅子からズリ落ちた。

 ぽんちゃんは決して負けないのだ!


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