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カクテルに溺れるネズミは銃をも掴む  作者: ぽんぽこ@銀郎殿下5/16コミカライズ開始!!


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第9話 最期のケリ


 ガレスへ剣を向けた左腕は、ひどく重かった。


 右腕はもうない。止血帯の下で切断面が鈍く脈打ち、脇腹の傷は熱を持って疼いている。毒は内側から身体を削り、強化煙草で無理やり繋いだ意識も、いつ切れてもおかしくない。


 まともな勝負になるはずがなかった。

 それでもラッツは立っていた。


 勝てるかどうかではない。

 止められるかどうかだ。


 目の前の男をここで止めなければ、この夜が吐き出した血も、研究所で死んだ連中も、命がけで持ち出された真実も、全部が次の惨劇の踏み台になる。


 ガレスはそんなラッツを見て、薄く息を吐いた。



「その身体で、まだ立つか」


「まだ終わらせるわけにはいかねぇからな」


「終わらせればいい。お前も私も、この国に何も返してもらってはいない」


「だからって、これから奪われる連中まで見捨てる気はねぇよ」


 ガレスの足元で火が揺れる。

 次の瞬間、男の姿が消えた。


 速い。

 それだけで終わる速さではない。気配を断ち、最短で喉を獲りに来る、組織の中枢にいた者の動きだ。ラッツは反射で身を捻ったが、剣先は頬を掠めて血を散らし、そのまま横腹の古傷をえぐるように通り過ぎた。


 膝が揺れる。

 それでも倒れない。左手の剣を低く構え直し、振り返りざまに斬り上げる。だがガレスは半歩外へずれただけで避け、空いた脇腹へ膝を叩き込んだ。


 視界が白く弾ける。

 ラッツは地面を転がり、焼けた土と血を一緒に飲み込んだ。



「っ、……ぁ」


 息を吸おうとしても、肺がうまく開かない。痛みは悲鳴みたいに身体の中で暴れているのに、声はうまく出なかった。


 ガレスは追撃の歩みを止めない。


「私は昔、守る側の人間だった。そう言いたいのか」


 ラッツがさっき吐いた言葉の続きを、自分で拾うみたいにガレスは言った。


「その通りだよ。私は守りたかった。妻も、娘も、あの子の未来も。だが守れなかった。ならば、せめて奪った側を地獄へ落とす。その何が間違っている」


「間違ってるさ」


 ラッツは血の混じる唾を吐き、どうにか身体を起こした。


「守りたかった人間が壊れたからって、他まで壊していい理由にはならねぇ」


「綺麗ごとだ」


「綺麗ごとで結構だ。汚ねぇ現実ばっか見てきたからこそ、そこを捨てたら終わりなんだよ」


 ガレスの目が細くなる。

 直後、また突っ込んできた。


 今度は真正面だった。重い斬撃が左から右へ薙ぐ。ラッツは左腕一本で辛うじて受けるが、押し負ける。金属音が響き、手首から肘まで痺れが走った。


 そのまま二撃、三撃。

 どれも重い。どれも速い。受けるたびに足がずれていく。


 元々、まともにぶつかって勝てる相手ではない。

 組織の頂点にいた男だ。技量も経験も、何もかも高いところで研ぎ澄まされている。そこへ復讐の執念が乗っているのだから、もはや人間一人の迫力じゃなかった。



 四撃目で剣が弾かれ、ラッツは肩から地面に落ちた。


 脇腹の傷が裂け、熱い血がどっと溢れる。

 それでも、ガレスの足音が近づくより先に、ラッツは歯を食いしばって立ち上がった。


「何度倒れても同じだ」


 ガレスの声は低い。


「お前はもう限界を越えている。そこで膝をつけば楽になるものを、なぜまだ立つ」


「俺にも分かってるよ」


 ラッツは肩で息をしながら、それでも笑った。


「いまの俺が、まともに勝てる状態じゃねぇことくらいな」


 剣の切っ先がぶれる。視界の端も暗い。

 だが言葉だけは、はっきり出た。



「でもな、あんたを見てると分かるんだよ。俺も、あんたと同じところまで落ちかけてたって」


 ガレスの表情が、ほんのわずかに止まる。


「リリーニャを失った日から、俺の中にもずっと同じ怒りがあった。何もかもぶっ壊してしまえば、この胸の中の空っぽが少しは埋まるんじゃねぇかって、何度も思ったさ」


 ラッツは一歩、前へ出た。


「若い連中を庇ってたのも、孤児院を作ろうとしてたのも、全部きれいな願いなんかじゃねぇよ。二度と同じ目を見たくなかっただけだ。守れなかった痛みを、別の誰かで埋めようとしてただけかもしれねぇ」


「だったら、なおさら分かるはずだ」


 ガレスの声に、初めて剥き出しの感情が乗る。


「喪った者に何も返らない以上、奪った側に同じ痛みを返すしかない。私たちは、そうするしかなくなった人間だろう」


「前はそうだったかもしれねぇな」


 ラッツは答える。


「でも、今は違う」


 その違いが何なのか、口にする前から分かっていた。


 脳裏に浮かぶのは、燃える研究所へ向かう前、真っ直ぐこちらを見返した黒髪の少女だ。強がりも反発も全部抱えたまま、それでも「持ち帰る」と頷いた顔。


 ミカ。

 託した未来。


 この先に、まだ守れるものが残っているという、消えかけの男には過ぎたほどの手応え。



「俺にはまだ残ってる」


 ラッツは、ほとんど独り言みたいに呟いた。


「託した先がある。持っていける未来がある。あんたみたいに、全部失って終わったわけじゃねぇ」


 ガレスの瞳が揺れた。

 ほんの一瞬だった。

 だが、その揺れは確かにあった。


「……娘も、そう言っていた」


 ガレスの声が低く沈む。


「目の前で困っている人に手を貸したいだけだと。大きな正義など知らないと。愚かしいほど真っ直ぐで、だからこそ生き残れなかった」


 その言葉と同時に、男の中へ押し込められていたものが噴き出した。


「私は止めたかった! 妻を失った時も、あの子を戦場へ出すしかなかった時も、何もかも止めたかった! だが、この国は止まらなかった! だから壊すしかなかったんだ!」


 怒声とともに、ガレスが踏み込む。

 これまでで最速だった。


 ラッツは反応しきれず、肩を斬られ、続けざまに腹を蹴られて吹き飛ぶ。背中から地面へ叩きつけられ、肺の中の空気が全部抜けた。


 立て、と頭のどこかが命じる。

 身体は悲鳴を上げている。もう十分だと。ここで終われと。


 それでもラッツは、左手を土につき、ゆっくりと起き上がった。

 視界の端で、百合の意匠が光っている。

 左手に握っていたリリーニャのドッグタグだった。


 さっきガレスから投げられたそれを、いつの間にか強く握り込んでいたらしい。血で滑る金属の感触が、妙に現実的だった。


 思い出に縋るためじゃない。

 これを握れば、まだ思い出せる。

 自分が何を守りたい側の人間だったのか。


 リリーニャが最後まで捨てなかったものを、自分が本当はどこで継いでしまっていたのか。



 ラッツはゆっくり息を吸った。

 痛みで喉が鳴る。

 それでも、まだ動ける。


「……あんたは、最初から怪物だったわけじゃねぇ」


 立ち上がりながら、ラッツは言った。


「誰よりも守りたかったから、壊れたんだろ。だから俺は、あんたを切り捨てきれねぇよ」


 ガレスは答えない。

 ただ、その目だけが僅かに見開かれる。


「けどな」


 ラッツはドッグタグを剣の柄へ押し当てた。そこへ、残っていた強化煙草の発火部を無理やり押し込み、魔星エネルギーを一点へ集める。即席の媒介だ。安定なんてしない。下手をすれば、こっちの身体ごと吹き飛ぶ。


 それでも構わなかった。


「だからこそ、ここで止まれ。あんたが守れなかったものを、これ以上増やすな」


 ガレスが動く。

 最後の踏み込みだった。


 ラッツは真正面から受けない。半歩だけ外し、捨て身で懐へ潜る。脇腹が裂け、視界が赤く滲む。それでも、一瞬だけできた隙は見逃さなかった。



 左手の剣とドッグタグに集めた魔星エネルギーを、ガレスの胸元へ叩き込む。


 白い閃光が弾けた。

 耳鳴りが夜を塗り潰す。

 衝撃で二人の身体が離れ、地面へ崩れる。



 しばらく、何も聞こえなかった。

 ラッツは仰向けに倒れたまま、まともに息もできず空を見た。焦げた夜空の向こうで、雲の切れ間に月が滲んでいる。


 少し遅れて、どさり、と重いものが倒れる音がした。

 ガレスだった。


 胸元を焼かれ、膝をつき、それでも完全には倒れきれないままこちらを見ている。あれほど異様だった迫力は薄れ、そこに残っていたのは、ひどく疲れた一人の男の顔だった。


「……リリー」


 かすれた声が夜気へ溶ける。

 それは黒幕の声ではなかった。

 復讐者の声でもない。


 娘の名を呼ぶ、ただの父親の声だった。



 ラッツはその顔を見て、ようやく全部が終わったのだと知った。


 ガレスの身体が前へ傾き、そのまま地面へ崩れ落ちる。今度こそ、動かなかった。


 夜が静かになる。

 研究所の炎の音だけが、遠くでぱちぱちと鳴っている。



「……終わった、か」


 口にしてみても、勝ったという実感はなかった。


 ただ、長く胸につかえていた何かがようやく沈んだ、そんな感覚だけがある。


 ラッツもそこで限界を迎えた。

 剣を手放し、その場へ崩れ落ちる。土の冷たさが頬に触れた瞬間、身体がもう一歩も動かないことを悟る。


 これで本当に、もう立てない。

 そう思った。


 遠くから、誰かが駆け寄ってくる音がする。

 複数かもしれないし、一人かもしれない。ミカか、イーサンか、それとも別の誰かか。そこまではもう、判別する力が残っていなかった。



 ただ、自分を呼ぶ声だけが、かすかに聞こえた気がする。


 死ぬはずだった男を、まだ誰かが呼んでいる。

 そのことが、妙におかしかった。


 ラッツは薄く笑い、それから静かに目を閉じた。


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