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カクテルに溺れるネズミは銃をも掴む  作者: ぽんぽこ@銀郎殿下5/16コミカライズ開始!!


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第6話 夢の続きを、お前に


 人が寝静まった頃、王都の夜は息を潜めていた。


 昼なら荷車の音や酔客の笑いで満ちる通りも、いまは魔星灯の淡い光が石畳を撫でるばかりだ。風は冷たく、建物の影は深い。その薄闇のあいだを、二十名ほどの一団が音を殺して駆け抜けていく。



 先頭を行くのはイーサンだった。少し遅れてミカ、その隣にラッツがいる。残る面々は左右と後方へ散り、警戒の間隔を崩さない。


 無駄口はない。


 必要なときだけ、低く短い合図が飛ぶ。止まれ、進め、灯りを避けろ、その程度で十分だった。ここまで来れば、余計な言葉は足を鈍らせるだけだ。


 ラッツは走りながら、胸の奥でじわじわ広がる熱を押し殺していた。


 喉の裏が焼ける。肺はざらつき、脚は鉛を詰め込まれたみたいに重い。『魔星カクテル』の毒がいよいよ身体の深いところまで回っているのだろう。それを強化煙草で無理やり動かしているだけだ。まともな身体なら、とっくにどこかで膝をついていた。


 だが止まるわけにはいかなかった。

 止まった瞬間、本当に終わる気がしていたからだ。



 角を曲がる直前、視界がわずかに揺れた。

 石壁が近づく。身体がそちらへ傾く。ラッツは咄嗟に肩を入れて踏みとどまったが、その乱れをミカは見逃さなかった。


「いま、足を取られたんじゃないわよね。身体のほうが先に落ちたの、ちゃんと見えたわ」


 前を向いたまま、しかしごまかしを許さない声だった。


「細けぇな。まだ転んでねぇんだから、そのくらい見逃してくれてもいいだろ」


「その言い方をしてる時点で、平気じゃないって自分で白状してるのと同じよ。せめて私にだけは、隠し通せると思わないで」


「頼もしいこって」


「感心してる場合じゃないわよ」


 叱る口調だったが、怒っているというより必死に抑えている響きがあった。


 ラッツは一瞬だけ横目でミカを見る。黒髪の少女の横顔は強張っている。



「……心配するな。まだ口は回るし、足も前に出る」


「それは安心材料じゃないのよ。死にかけの人って、そういう強がりだけは妙に上手いんだから」


 言い返す余力はあった。けれど、言い返したところでミカが黙る気はしないし、いまはそれでいい気もした。ラッツは小さく鼻を鳴らすだけにした。



 しばらく走ったあと、一行は使われなくなった荷捌き場の裏で一度だけ足を止めた。見張り役が先の路地を確かめる、そのわずかな時間だけの休止だった。


 ラッツは壁に手をつき、深く息を吐いた。次の瞬間、胸の奥で何かが引き裂かれるみたいな痛みが走り、咳が込み上げる。喉を押さえても止まらず、肺の底に溜まった熱がざらついた咳と一緒にせり上がった。


「飲んで」


 目の前に小さな水筒が差し出される。


 見上げると、ミカが立っていた。周囲の目を気にしているのか、大げさな顔はしていない。ただ、いつもより低い声で、それでも拒否を許さない調子で言い足した。


「一口でいいから。どうせあなた、このまま走るつもりでしょう。でもそれで本当に動けなくなったら、格好をつけた意味なんてどこにも残らないわ」


 ラッツは水筒とミカの顔を見比べ、それから受け取った。


「気が利くじゃねぇか」


「前からそのくらいの気は利くわよ。あなたが気づいてなかっただけでしょ」


「自信満々だな」


「そうでもなきゃ、こんな場所であなたに水なんか渡してないわ」


 ぶっきらぼうな返事だったが、その声は震えていない。



 ラッツは水を一口だけ喉へ流し込んだ。ぬるい。だが、そのぬるさがありがたかった。喉に貼りついていた血の味が薄れ、呼吸がほんの少しだけ楽になる。


「……助かる」


 小さく礼を言うと、ミカはわずかに目を見開いた。


「意外、素直にお礼も言えるのね」


「俺をなんだと思ってるんだ」


「弱ったところを見せるくらいなら、かわいくない皮肉で誤魔化す年上の男」


「ずいぶん具体的だな」


「ここまで一緒に来れば、そのくらいは見えてくるわよ」


 ミカは水筒を受け取り、それから少しだけ声を落とした。


「……でも、さっきより顔色はましになった。完全に無理をやめろとは言わないから、せめて倒れる前に言ってよね」


「優しいじゃねぇか」


「違うわ。今日の作戦に支障がでるから困るって言ってるの」


 そう言いながらも、ミカの手は水筒を握ったまま離さない。その小さな仕草に、ラッツは一瞬だけ視線を落とした。



 こんなふうに、無理を見抜かれて、水を差し出されて、言い訳をする暇もなく面倒を見られる。そういう扱いに自分は昔から縁がなかったな、とぼんやり思う。


 その感覚が胸のどこかに引っかかったが、今は掘り返すべきものでもない。ラッツは額を軽く押さえ、記憶が浮かび上がりかけるのを乱暴に押し戻した。


「どうしたの」


「いや。少し昔を思い出しかけただけだ」


「ろくな思い出じゃなさそうね」


「正解だ」


「当たっても嬉しくないわ」


 見張り役が戻り、再出発の合図が送られる。


 一行は再び夜の道へ散った。



 王都の中心から外れるにつれ、建物はまばらになり、魔星灯の数も減っていく。やがて石畳は土の道に変わり、街路樹のかわりに森の影が濃くなった。


 王城北の森。


 ここから先は、王都の喧騒から切り離された土地だった。風が葉を揺らす音と、踏みしめた落ち葉の軋みだけが耳に残る。


 イーサンが片手を上げ、一行が一斉に身を低くした。


 木々の隙間、その先に古い洋館が見えていた。


 月明かりの下に浮かぶその建物は、屋敷というより墓標みたいだった。白かったはずの壁は灰色にくすみ、窓の多くは外から見えないよう暗い布で覆われている。表向きは長いこと使われていない王族の別館。だが近づけば、壁面を走る細い魔星導管が青白く脈打っているのが見て取れた。


 死んでいるはずの建物の中で、まだ何かが動いている。

 そう思わせる不気味な生気があった。

 ミカが館を見上げ、息を吐く。


「見た目だけなら、とっくに人の手を離れた古い屋敷にしか見えないのに、近づくほど嫌な感じが増していくわね」


 ラッツも声を落として答えた。


「研究設備も警備網もまだ生きてる。表から見えないだけで、中身はぜんぶ王国の闇そのものだ」


 イーサンが地面に簡易の見取り図を広げた。紙の端を石で押さえ、周囲の者たちが輪になる。


「最終確認をする。ここで迷いを残したまま突っ込めば、誰かが必ず死ぬ。だから一度だけ、役割をはっきりさせる」


 彼の指が館の正面を示す。


「正面班は予定通り、爆薬と銃撃で陽動を仕掛ける。派手でいい。襲撃は前から来たと向こうに思わせること、それが仕事だ。中の人員と視線を引きつけて、裏の侵入班に時間を作る」


 次に、裏手から伸びる細い通路へ指が移る。


「裏手侵入班はラッツの案内で中へ入る。目標は資料室、記録端末、保管庫。証拠になりそうなものは可能な限り押さえる。持ち出せないものは、その場で抜き取れる情報だけでも持ち帰る」


 さらに地下へ続く区画をなぞる。


「最深部まで入るのは必要最低限。僕とラッツが先に進み、後続は状況に応じて援護へ回る。何があっても、館の中で全員がひとつの通路に詰まるような真似はしない」


 最後にミカを見る。


「ミカ。お前は回収役だ。データを受け取ったら、それ以上の深入りはするな。最深部までついてくる必要はないし、そこで意地を張られるのが一番困る。お前の役目は、持ち帰ることだ」


 ミカはすぐには答えなかった。だが目を逸らさず、数拍おいてから言う。


「分かってる。余計なことはしないわ」



 作戦確認が終わると、それぞれが持ち場へ散っていく。弾倉の装填音、爆薬の確認、布で巻いた靴紐を締め直す音。誰もが自分の役目を最後まで果たそうと、黙って手を動かしていた。


 ラッツも木陰へ移り、ポーチの中身を改める。煙草、弾、ナイフ、起爆具。足りないものはない。いや、足りないものだらけだが、今さらどこかから増えるわけでもない。


 そのとき、横から影が差した。


 ミカだった。


「ひとつ寄越しなさい」


「何をだ」


「決まってるでしょう。強化煙草よ。皆に配るなら、私にも回しなさい。受け取るだけ受け取って、後ろに下がっているだけなんて嫌。ここまで来て、私だけ安全な場所に立ってろなんて言われても、はいそうですかとは頷けないわ」


 ラッツの手が止まる。


「やらねぇ」


「どうして。私は危ないから駄目で、あなたたちは使っていいなんて理屈、納得できると思う? ここまで来たのは、守られるためじゃない。私にも戦う理由があるし、役に立つ覚悟だってある。何も知らずに庇われていた娘のままで終わりたくないの」


 ラッツは短く息を吐き、ポーチの蓋を閉じた。


「理由があるのは知ってる。覚悟があるのも見れば分かる。けど、だから吸わせるとはならねぇんだよ」


「またそうやって、私だけ別に扱うのね。教師になれ、戦うな、下がってろ。優しいことを言ってるつもりかもしれないけど、聞かされる側はずっと同じじゃない。私だって無力なままで終わりたくないの。お兄様を奪われた時も、父のことも、私は結局、何もできなかった。今度もまた、大事な場面で見ているだけで終われって言うの?」


 まっすぐ向けられた言葉に、ラッツはしばらく答えなかった。


 悔しさも怒りも怖さも、ミカは全部そのまま言葉にしている。戦える者の強さではなく、戦わずにはいられない者の必死さだった。


「お前には戦ってほしくない」


 ラッツはようやく口を開いた。


「それは過保護ってやつ?」


「半分はな。もう半分は、俺みてぇな人間と同じ側に来るなってことだ」


 ミカが眉をひそめる。


「それ、どういう意味?」


「強化煙草は便利だ。使えば身体は動くし、恐怖も鈍る。けどな、あれは借金だ。あとで必ず身体に返ってくる。俺はいま、その借金まみれでこの有様だ」


 ラッツは自分の胸を指先で軽く叩いた。


「お前まで同じものを抱える必要はねぇ」


「でも、持ち帰るだけじゃ足りないかもしれない。途中で襲われたら? 追い詰められたら? その時に、何も持っていないより、少しでも前に出られる力があったほうが――」


「分かってる。理屈は正しい。けど、今回のお前に必要なのは、一瞬だけ強くなる火じゃない」


 ラッツは一歩だけ近づいた。


「証拠も、データも、真実も。お前が持ち帰るもののほうが、この夜に誰かを一人撃ち倒すよりずっと重い。ここで前に出て派手に倒れるより、生きて戻って抱えていくほうが何倍もきつい役目だ」


 ミカは息を呑んだ。



 ラッツは続ける。


「守るから外すんじゃねぇ。託すんだよ。お前は戦えないから後ろに回されるんじゃない。お前にしか持って帰れねぇから、その役目を任せる」


 その言葉は、叱るようでも、甘やかすようでもなかった。


 ただ真っ直ぐだった。


「だったら、生きて持ち帰れ。そっちの方が何倍も重い役目だ。俺はそれを、お前ならやれると思ってる」


 ミカはしばらく何も言わなかった。


 さっきまで胸の前で燃えていた反発が、別の形へ変わっていくのが、その沈黙だけで分かる。


「……ずるいわね」


 やがて彼女は小さく言った。


「そういう言い方をされたら、断ったら私のほうが逃げるみたいじゃない。しかも今のあなた、本気でそう思ってる顔をしてるから余計に厄介だわ」


 ミカは呆れたように息をつき、それから小さく頷いた。


「分かった。持ち帰る。何があっても、持ち帰ってみせる。でも勘違いしないで。私は逃げるわけじゃないし、誰かに守られて終わるつもりもない。あなたが託したって言うなら、その役目ごと背負って戻るだけ」


「それでいい」


「あと、あなたが勝手に死んだら許さないから。ネズミの札を首から提げたまま、どこにでも怒鳴り込みに行くわよ」


「怖ぇな」


「怖がりなさい。そうやって少しは生き汚くなってくれたほうが助かるの」


 そう言ったミカの顔は、もう役目を外された人間の顔ではなかった。

 自分に預けられたものの重さを受け止めた顔だった。



 その様子を遠巻きに見ていたイーサンが、頃合いを見て合図を送る。


「時間だ。配置につけ」


 空気が一変した。


 正面班が位置につく。館の正面へ回り込む影。裏手侵入班もそれぞれ持ち場へ散る。森に沈んでいた緊張が、今度は明確な形を持ちはじめる。


 ラッツは最後に一度だけ洋館を見上げた。


 窓は暗い。明かりは少ない。まるで本当に、人のいない古い館みたいに静まり返っている。


「……嫌な静けさだな」


 無意識に漏らした声へ、イーサンが隣から応じる。


「何が引っかかる」


「静かすぎる。陽動前だからって話じゃねぇよ。こういう場所は、見張りの気配とか導管の唸りとか、人が詰めてるなりの生きた音がどこかにある。けど、ここは……最初から待ってるみてぇなんだ」


 イーサンは館を見上げ、短く息を吐いた。


「罠の可能性は」


「高いと思っていい。向こうが本当に不意を突かれてるなら、もっと乱れた匂いがするはずだ」


「だったら、なおさら立ち止まる理由はないな。罠かどうかは、中へ入れば分かる」


「そういうことだ」


 次の瞬間、正面側で爆音が森を揺らした。


 夜を引き裂く轟音とともに、洋館の窓が一斉に砕け散る。遅れて銃声が重なり、青白い魔星光が暗闇を切り裂いた。


 火蓋が切られる。


「行くぞ!」


 イーサンの声と同時に、ラッツは地面を蹴った。



 裏手の茂みを抜け、外壁沿いを走り、魔星導管の影に身を滑り込ませる。直後、イーサンたちが続いた。別方向ではミカの小隊も動き出している。資料確保のための別ルートだ。


 一度だけ振り返ると、ミカがこちらを見ていた。


 言葉はない。

 けれど、互いに何を背負うかはもう分かっている。


 ラッツは小さく顎をしゃくった。

 ミカもほんのわずかに頷く。

 それで十分だった。


 裏口の施錠を道具で外し、ラッツは最初に館の中へ滑り込んだ。



 ひんやりとした空気が肌を撫でる。


 中は暗い。古びた床板、長い廊下、壁に沿って走る青白い導管。外ではあれだけ爆音が上がっているのに、内部は不自然なほど静まり返っていた。


 警備兵の怒声も、慌ただしい足音も、すぐ近くにはない。

 ラッツの背筋に、冷たいものが走る。



「……おい」


 後ろのイーサンへ手で合図を出し、低く囁く。


「妙に静かすぎる。これは、誰もいない静けさじゃねぇ。向こうが最初からこっちを迎える準備を終えてる時の静けさだ」


 返事の代わりに、館の奥から機械の低い唸りだけが微かに響いた。


 それは、人のいない建物の音じゃなかった。

 まるで何かが、最初からこちらを待ち伏せるために息を潜めているみたいだった。


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