第5話 敵と手を組む夜
ラッツが地下墓地へ戻ったとき、最初に迎えたのは冷たい石の匂いではなく、殺気だった。
墓標のあいだに潜んでいた影が一斉に現れ、次々と魔星武器の切っ先が向けられる。銃口の青白い光が、夜気の中で鈍く揺れた。
足を止めたラッツは、小さく息を吐いた。
当然だ。
一度助けられておきながら、何も言わずに消えた。しかも今さら戻ってきたとなれば、撃たれても文句は言えない。
「いったい、どんな面を下げて戻ってきたのかしら」
前に立っていたのはミカだった。
細身の身体に濃い色の上着を羽織り、地下墓地の薄明かりの中でも分かるほど目を鋭くしている。屋敷で見た娘でも、さっき自分を助けた少女でもない。いま目の前にいるのは、明確に敵を見る顔をしたミカ・ウィンターフェルだった。
「今度こそ言い逃れはさせないわ。ここで何しに来たの」
左右からも武器が寄る。
ラッツは両手を軽く上げた。降参の仕草というより、妙な真似はしないという意思表示だった。
「……悪かった」
ミカの眉がぴくりと動く。
「それと、まだちゃんと名乗ってなかったな。俺はラッツだ」
少しだけ間が空いた。
ミカは値踏みするように彼を見つめ、それから吐き捨てるように言った。
「遅いのよ」
「そうだな」
素直に認めると、かえってミカのほうが調子を崩したようだった。怒鳴り返されると思っていたのかもしれない。
だが敵意は消えない。
「それで、ラッツ。今さら戻ってきた理由は?」
ラッツは周囲を見渡した。
武器を向ける連中はどれも真剣な顔をしている。寄せ集めのごろつきには見えない。怯えよりも、追い詰められた者特有の張りつめた気配があった。
「組織の研究所に、『魔星エネルギー』の真実がある」
ざわり、と空気が揺れた。
「俺がそこまで案内する。あんたらが欲しがってたもんも、おそらくそこにある」
「何を馬鹿なことを」
ミカが一歩前に出る。
「そんな話を、私たちが信じると思ってるの?」
「思ってねぇよ。だからこうして自分で来た」
「信用できる理由になってないわ」
「だろうな」
ラッツは肩をすくめた。その仕草だけ見ればいつもの軽口にも見えたが、顔色は悪いままだ。地下墓地まで戻るあいだに無理をしたせいで、胸の奥ではまだ鈍い熱が燻っている。少し気を抜けば咳き込みそうだった。
「ただ、俺にはもう時間がない。組織に裏切られた。解毒薬も切られた。最後の任務ってのは、どうやら俺を始末するための口実だったらしい」
周囲の視線が変わる。
同情ではない。だが、無視できない話として聞く目になった。
「だから、最後にヤリ返したい」
「自棄を起こしてるだけに聞こえるわ」
「半分はその通りだ」
ラッツはあっさり言った。
「けど、それだけでもねぇ」
ミカが黙る。
「俺も孤児だった。『魔星エネルギー』がどういうもんか知った以上、何も知らねぇ子どもがその毒で苦しむのを見捨てたまま死ぬのは、さすがに寝覚めが悪い」
口にした言葉は、飾り気のないものだった。
正義だの理想だの、そういう綺麗な響きはない。ただ、ラッツの声には嘘を取り繕う軽さもなかった。
ミカはそれを感じ取ったのか、さっきまでよりわずかに視線を揺らした。
そのとき、武器を構えていた男たちのあいだから一人の青年が進み出た。
歳は二十代半ばくらいだろうか。無駄のない体つきに、短く整えた髪。派手さはないが、周囲が自然に道を開けるだけの落ち着きがあった。目つきは穏やかにも見えるのに、油断していい相手ではないと直感で分かる。
「そこまでにしよう、ミカ」
「でも、イーサン」
「感情的になるのは分かる。でも彼の話は聞く価値がある」
青年はそう言ってから、ラッツへ視線を向けた。
「僕はイーサン。ここをまとめている一人だ」
「リターナーの頭ってわけか」
「そんな大層なものじゃない。ただ、決める役目を押しつけられやすいだけだよ」
口調は柔らかい。だが、人を切り捨てられる類の冷静さがあった。
「君の話が本当なら、僕たちにとって見過ごせない。嘘なら、この場で処理するだけだ」
「話が早くて助かる」
「まだ助けるとは言っていないよ」
イーサンは一歩だけ距離を詰めた。
「研究所の場所、警備、出入りの癖、そこへ至る道。どこまで知っている?」
「おおよその構造は把握してる。元は王族の別館で、いまは研究用に転用されてる洋館だ。表向きは使われていないことになってるが、中には警備部隊も研究設備も生きてる」
「内部の警備レベルは」
「正面から突っ込めば死人が出る。けど抜け道もある。ただ、俺一人じゃ突破しても運び出せる量に限界がある」
「罠の可能性は?」
「高い。俺が生きてるのを組織が掴んでるなら、向こうも何か仕込んでると思っていい」
イーサンは少し考え込んだ。
その横で、ミカが苛立ちを抑えきれないように口を開く。
「そんなの、なおさら信用できないじゃない。罠があるって分かってる場所に、どうして自分から行かなきゃならないのよ」
「行かなきゃ、向こうに握られたままだろ」
ラッツが答える。
「チップの元データも、関連資料も、解毒薬の手掛かりも、組織の腹の中にある。あいつらが消す前に奪うしかねぇ」
ミカは唇を噛んだ。
彼女だって分かっているのだ。この機を逃せば、真実ごと闇に沈むかもしれないことを。
その沈黙を受けて、イーサンが静かに結論を出した。
「条件付きで協力しよう」
周囲がどよめく。
「イーサン!」
「反対したい人間がいるのも分かる。でも、ここで何もしないほうが危険だ。王国はこのままでも僕たちを潰しに来る。なら、こちらから踏み込める機会は使うべきだ」
青年はまっすぐラッツを見る。
「ただし、君が妙な真似をしたら、その場で僕が殺す」
「構わねぇよ」
「……本気で言ってるのか?」
「本気だ。怪しい動きをしたら遠慮なく撃て。どうせ半端に長生きする身体でもない」
さらりと言ったその一言に、周囲の何人かが顔をしかめた。
死を覚悟した強がり。そう片づけるには、ラッツの声音は妙に静かだった。
イーサンはわずかに目を細め、それから頷いた。
「いい。今夜のあいだだけ、君を味方として扱う」
「助かる」
「感謝は成功してからにしてくれ」
交渉がまとまると、地下墓地の空気はすぐに動き始めた。
隠れ家の一角では地図が広げられ、別の場所では武器の確認が進む。見張りが持ち場を入れ替わり、補給役らしい者たちが弾薬や薬品を運んでいく。思っていた以上に統制が取れていた。
ラッツはその様子を黙って見ていた。
年若い者もいる。片腕の男、足を引きずる女、まだ少年と呼べる顔つきの使い走り。どいつもこいつも、軍の正規兵とは違う雑多な格好をしているくせに、ただの烏合の衆には見えない。
国に家族を奪われた者。居場所を追われた者。何かを失って、ここへ流れ着いた者。
そういう匂いがした。
だからこそ危うい。
正義だけでまとまった集団でもない。かといって、快楽で破壊を楽しむだけの連中でもない。怒りも悲しみも、それぞれの理屈も背負ったまま、同じ方向を向こうとしている。
そういう集団は強いが、踏み外すときは一気に深く落ちる。
「なんか妙な顔してるね」
振り向くと、イーサンが木箱を抱えたまま立っていた。
「想像してたより、ちゃんとしてると思ったか?」
「まあな。もっと統制のねぇ連中かと思ってた」
「期待に添えなくて悪い」
「褒めてんだよ」
イーサンは少しだけ笑った。
「僕たちは綺麗な集団じゃない。復讐したい奴もいるし、王国が潰れればいいと思ってる奴もいる。でもそれだけじゃ、人は長くまとまれないんだ」
「理想だけでも回らねぇし、憎しみだけでも保たねぇってわけか」
「そういうこと」
木箱の蓋を開ける。中には整備された魔星拳銃と弾倉が並んでいた。ラッツは箱の中身を見て、片眉を上げた。
「しかし、ずいぶん集めたな」
「軍の倉庫、横流し、奪取、拾い物。積み重ねればそれなりになる」
「クーデターでも起こせそうだ」
「冗談に聞こえないから困るね」
イーサンは笑ったが、その目は笑っていなかった。
ラッツはそれ以上踏み込まない。いま聞くべき話でもなかった。
やがて自分にも武器と補給品が回ってきて、ラッツは壁際に腰を下ろした。ライフルの癖を確かめ、拳銃の装弾を確認し、ナイフの刃先を撫でる。用心しすぎて困ることはない。ほんの小さな違和感一つで生き死にが変わる世界に、長くいすぎた。
不意に、視線を感じた。
顔を上げると、少し離れた柱のそばにミカが立っていた。さっきまでの刺すような敵意はそのままだが、それだけではない顔をしている。
「なんだ」
「別に」
「別にって顔じゃねぇだろ」
「……聞きたいことがあるの」
言いながら、ミカはゆっくりこちらへ歩いてきた。
近くで見ると、彼女はやはりまだ若い。強い目をしていても、怒りの奥では迷いが揺れているのが分かる。
「ねえ」
ミカはラッツの手元のナイフを見た。
「人を殺すのって、怖いの?」
ラッツは手を止めた。
予想していなかった問いではない。だが、真正面から来るとやはり少し困る。
「私は、あの男を何度も刺してやりたいと思ってた」
父、とは言わない。
「お兄様を殺されたから。軍の都合で、勝手に奪われた。なのに、いざ本当に死んだら……少しせいせいした自分と、何も感じきれない自分がいて、気持ちがぐちゃぐちゃなの」
声は静かだったが、押し込めてきたものが滲んでいた。
「こんなふうに思うなら、いっそ私も兵士になったほうがいいのかもしれないって、さっき少しだけ思ったわ。人を撃てる側になれば、迷わなくて済むのかもしれないって」
ラッツはしばらく答えなかった。
武器の手入れを終え、布を脇へ置く。
「心が痛まないわけがねぇよ」
ミカが目を瞬く。
「慣れる奴はいる。習慣ごとみてぇに片づける奴もいる。けどな、消えねぇもんは消えねぇ。夜になると急に顔が浮かぶこともあるし、何年経っても、ふとした拍子に思い出すこともある」
「……貴方も?」
「そりゃな」
ラッツは軽く肩をすくめた。
「俺は綺麗な側の人間じゃねぇ。山ほど殺してきた。それでも、何も残らねぇわけじゃない」
ミカは黙って聞いている。
「だから兵士になれば楽になる、なんて期待はしないほうがいい。むしろ余計なもんを増やすだけだ」
「でも、戦えたほうが守れるでしょう」
「場合による」
「曖昧ね」
「本当のことだ。戦う力が要るときもある。けど、お前が欲しがってるのはたぶん、銃の持ち方じゃねぇ」
ラッツはミカを見る。
「お前は兵士になるな」
ミカの眉がきゅっと寄った。
「……どうしてよ」
「教師になれ」
「は?」
「兄貴に憧れてたんだろ」
「それは……そうだけど」
「だったらそっちだ。兵士なんざ、足りてる」
「ずいぶんな言い方ね」
「事実だろ」
ラッツの声はいつものぶっきらぼうさを保っていたが、突き放す冷たさは薄かった。
「誰かに字を教えるとか、居場所を作るとか、そういうののほうがお前には向いてる。少なくとも、死に場所を探すみてぇな顔して銃を握るよりはよっぽどましだ」
ミカはむっとしたように唇を尖らせた。
「それ、遠回しに私を役立たず扱いしてる?」
「してねぇよ。死なせたくねぇって言ってるだけだ」
あまりにも真っ直ぐで、ラッツ自身も言ってから少し目を逸らした。
ミカはきょとんとして、それからわずかに頬をこわばらせる。
「……急にそういうこと言うの、ずるいわね」
「ずるいも何も、本音だ」
「父親を殺した相手に言われると、反応に困るのよ」
「それは悪かった」
「本当にそう思ってる?」
「思ってる」
ミカは数秒だけ黙り込んでから、視線を逸らした。
「……でも、少しだけ分かった」
「何がだ」
「貴方が、私を下に見て言ってるんじゃないってこと」
その声は小さかったが、たしかだった。
ラッツが返す言葉を探しているうちに、出発の合図が墓地の奥から響いた。準備が整ったらしい。人の動く気配が一斉に流れを変え、空気が張りつめる。
ラッツは立ち上がろうとして、胸の奥の鈍痛に顔をしかめた。ミカがそれに気づく。
「やっぱり無理してるじゃない」
「無理してねぇと、ここまで来れねぇんだよ」
「威張ることじゃないわ」
「それもそうだ」
ラッツはポーチを探り、ひとつの小さな金属片を取り出した。
古びたドッグタグだった。魔星エネルギーが練りこまれた特殊なシルバー製。表面には、牙をむいた愛想のないネズミが刻まれている。可愛げはまるでない。
「ミカ」
「なに」
「これ、お前に預ける」
差し出され、ミカは目を丸くした。
「……何これ」
「ドッグタグみてぇなもんだ。小さいがエネルギーを溜め込んでる。売れば高値にはなるが……あぁ、強い衝撃は与えるなよ。爆発する」
その言葉に、ミカは「なんてものを渡してくれてんのよ」とギョッとする。
本来のドッグタグは死んだ兵士の身元がわかるようにするシロモノだ。しかし彼らはむしろ逆で、生きた痕跡を残してはいけない。いわば自決用の爆弾だ。
「こういうのって、普通は兵士の名前を彫るんじゃないの?」
「俺らは所属がバレちゃいけないからな。名前は彫れねぇから、代わりにネズミ」
「可愛くないわね」
「だろ」
ラッツは少しだけ笑った。
「もし俺が死んだら、どっか適当な場所にでも埋めてくれ」
「不吉なこと言わないで」
即座にミカが睨み返す。
「どうしてそう、すぐ死ぬ前提で物を渡すのよ」
「前提ってほどでも――」
「あるでしょうが」
珍しく強く遮られ、ラッツは口をつぐんだ。
ミカは怒ったままタグをひったくるように受け取る。そして握りしめたあと、胸元でぎゅっと包み込んだ。
「これは預かる。でも埋めたりしない」
「おう?」
「ちゃんと生きて帰ってきたら、自分で返してもらうから」
ラッツは少しだけ目を見開いた。
敵として向けられていた目に、いまは別の色が混じっている。信頼と呼ぶにはまだ早い。だが、少なくともただの敵同士に向けるものではなかった。
「……了解」
それだけ答えると、ミカはふいと顔を背けた。
「ほら、行くわよ。置いていくから」
「命の恩人に対して扱いが雑すぎねぇか」
「黙ってついてきなさい、恩知らず」
「まだその呼び方かよ」
「今のところはね」
けれど、その声には最初ほどの棘はなかった。
地下墓地の出口へ向かうと、イーサンたちがすでに隊列を整えていた。先導、側面警戒、後衛、搬送役。即席の寄せ集めにしては形になっている。王都へ潜むため、灯りは最低限。武器だけが暗がりの中で鈍く光っていた。
「準備はいいか」
イーサンの問いに、各所から短い返答が返る。
ラッツも頷いた。
「道案内は任せろ。ただし何かあったら、躊躇なく俺を切り捨てろ」
「必要ならそうする」
イーサンは淡々と言う。
「でも、できれば最後まで使わせてもらうよ。君にはまだ働いてもらいたい」
「ひでぇ言い草だ」
「お互いさまさ」
墓地の外へ出ると、王都の夜が広がっていた。
魔星灯の明かりが遠くで滲み、石畳の通りには遅い時間の静けさが落ちている。その裏を縫うように、一行は影から影へ走り出した。
先頭にはイーサン。少し後ろにミカ。その隣にラッツ。
即席の共闘だ。
まだ互いに腹の底までは信じていない。手を離せば、すぐ敵に戻るかもしれない。それでもいまだけは、同じ場所を目指していた。
王都の夜風が頬を打つ。
その先にある研究所で、何が待っているのかは分からない。
真実か、罠か。
それとも、その両方か。
ラッツは胸の奥に残る痛みを押し込みながら、闇の中を走った。隣ではミカの黒髪が揺れている。
敵だったはずの少女と並んで、同じ地獄へ向かっている。
その事実だけが、不思議なくらい鮮明だった。




