第1話 死に損ないの隊長
鉛色の雲が低く垂れこめた夜空を、赤、青、黄の光線がひっきりなしに走り抜ける。そのたびに色は混ざり、滲み、また別の色に塗りつぶされていく。まるで、巨大なキャンバスの上に幼い子どもが派手な絵の具を何度も叩きつけているみたいだった。
だが、いまこの場で空模様を気にする余裕のある人間は一人もいなかった。
使われなくなった古い教会は、すでに礼拝の場ではなく戦場になっていた。
色硝子は砕け、長椅子はひっくり返り、壁は熱でえぐれ、床には焦げ跡がいくつも走っている。半ば吹き飛んだ天井からは夜空がむき出しで、その下を魔星エネルギー弾が飛び交っていた。石壁を穿つたび、乾いた破裂音と耳鳴りのような高い音が重なって、石片と火花が雨みたいに降ってくる。
まるで地獄絵図だ。
「この場に画家がいたら、後世に残る名画が描けただろうな」
崩れかけた壁を背にしゃがみ込みながら、ラッツは吐き捨てるように言った。
灰色の短髪は汗と埃で乱れ、頬には薄い切り傷が走っている。四十前後。軍服の上からでも分かる引き締まった体つきに、場慣れしきった目つき。口元には細い煙草のような筒が咥えられていた。
ただし、中身は煙草じゃない。
魔星エネルギーを加工して作った強化用の魔星煙草。
一息吸えば、筋力も反応も常人離れした域まで押し上がる。代わりに身体への負担は洒落にならない。乱用すれば、そのうち本当に身体のほうが根を上げる。
もっとも、そんな先の話を気にしていられる仕事でもなかった。
「ラッツ隊長。軽口を叩いてる場合ですかい」
隣で鼻にかかった声を飛ばしたのは、副隊長のグランタだった。三十を少し越えたばかりの男で、白髪交じりの髪を撫でつけ、いつも人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
彼は柱の陰から身を乗り出し、魔星拳銃を二発撃ち込んだ。青白い光弾が一直線に飛び、向こうの祭壇脇に隠れていた男を吹き飛ばす。悲鳴が上がり、すぐに別方向から赤い反撃が返ってきた。
「こっちにゃデルタの後方支援もねえ。なのにチームにはド素人まで抱えてる。絵の批評なんざしてる暇はねえでしょうよ」
グランタの顎がしゃくった先、高窓の残骸のそばで身を低くしていた若い女兵がびくりと肩を震わせた。
マヨニカ。二十二歳。アルファチーム配属になったばかりの新人狙撃手だ。
訓練成績だけなら優秀。
射撃の腕も、索敵能力も高い。
だが実戦は初めてだった。
血の臭い、焼けた肉の臭い、耳の奥まで震わせる着弾音。訓練場にはないものが本物の戦場にはいくらでもある。そこで手が止まる兵は珍しくない。
ラッツはちらりと彼女を見た。
たしかに顔は強張っている。だが視線はまだ死んでいない。
なら、いまのところは問題ない。
「おいグランタ。新人に聞こえるところでわざわざ嫌味を言うな」
「嫌味じゃありませんよ。事実です」
「事実でも口にしなくていいもんはある。お前もいい年なんだから、少しは覚えろ」
「はっ。隊長殿は優しいこって」
その直後、礼拝堂正面から橙色の光弾が飛来した。
「伏せろ!」
ラッツが怒鳴るより早く、魔星煙草を深く吸い込む。
熱い何かが喉を通って肺へ流れ込み、次の瞬間には全身の血管に火が走るみたいな感覚が広がった。視界が研ぎ澄まされ、飛んでくる弾の軌道がわずかに遅く見える。
ラッツは壁を蹴って横へ飛んだ。ついでにマヨニカの襟首を掴んで引きずり倒す。光弾はその頭上を掠め、背後の石壁を爆ぜさせた。
砕けた石がぱらぱらと降る。
「ぼさっとするな。死ぬぞ」
「は、はい!」
声は震えていたが、返事は早かった。
悪くない。
ラッツは低い姿勢のままアサルトライフルを構え、反撃の位置へ三連射した。黄色い光弾が飛び、敵の一人が肩を押さえて倒れ込む。
アルファチーム。
それが、彼らの部隊名だった。
アルヴァロン王国の暗部を担う特殊任務部隊の一つ。反逆者の掃討、機密の回収、要人暗殺、潜入、破壊工作。国の表ではできない汚れ仕事を引き受ける連中だ。
この国は数十年前、山岳地帯の地下から『魔星エネルギー』という特異な資源を掘り当てた。
あらゆる動力に転用できる夢の資源。
武器にも、照明にも、機械にも、薬にもなる。
当然、周辺諸国は欲しがった。
圧力もかけたし、間者も送り込んだ。だから王国はそれを守るため、表と裏の両方に牙を持つことになった。
その牙のひとつが、ラッツたちだ。
ただし、彼らは忠誠心だけで縛られているわけじゃない。
任務の前には必ず『魔星カクテル』を飲まされる。 魔星エネルギーから抽出した成分を調合した薬だ。一定時間、身体能力を底上げし、傷への耐性まで上げる代物。 だが解毒薬を決められた時間までに飲めなければ死ぬ。つまり敵に捕まっても死ぬ。逃げても死ぬ。最悪、周囲を巻き込む毒を撒き散らして終わる。
要するに、逃げ道なんて最初からない。
「ったく、頭のおかしい研究者どもが余計なもんを作りやがって」
ラッツはぼやきながら、ライフルの残弾を確認した。
「隊長だって毎回その恩恵に預かってるでしょうが」 と、別方向で遮蔽物に張りついていた隊員が返す。
「恩恵って言葉は、もっとありがたいもんに使え」
「言えてる」
短いやりとりの直後、マヨニカが上の足場から叫んだ。
「隊長、左回廊に三! その奥にもう二!」
「見えてる。三つ数えたら撃て」
「了解!」
ラッツは息を整え、タイミングを計った。
「一、二――今だ」
高所から細い狙撃音が走る。直後に左回廊の敵が崩れた。ラッツはその隙に前へ出て、残る二人へ連射する。グランタも別角度から撃ち込み、最後の一人を仕留めた。
静寂――と呼ぶには荒すぎる数秒が訪れる。
遠くではまだ銃声がしているが、この礼拝堂内の制圧はほぼ終わった。
ラッツは息を吐いた。
「おいグランタ。今回の仕事、表向きは何だった?」
「表向き?」
「聞き方が悪かったな。最初に聞かされてた任務だ」
グランタは肩をすくめた。
「反逆者リターナーの殲滅ですよ。魔星技術に関する機密を持って逃げた連中の始末。いつも通りの汚れ仕事だ」
「だよな」
ラッツは視線だけで教会内部を見回した。
死体の数に対して、配置が妙だった。
戦力の割り振りも、中に運び込まれている装置の数も、どうにも噛み合わない。
「……ただ?」
勘のいい副隊長らしく、グランタが続きを促した。
「さっき通信が入りましてね。どうやらこの場に重要研究者がいるらしいですぜ。そいつが機密データを持ってるとかで」
「は?」
ラッツの眉が動く。
「先に言え」
「俺も今聞いたんですよ。ベータの事前情報じゃ、データを持った研究者が反逆者側に保護されてる可能性が高いらしいです。で、ガレス上官からは『可能ならデータの奪還を優先しろ』と」
可能なら。
優先しろ。
曖昧な言い方だった。
最初からそう言っていたならともかく、制圧戦の最中に後出しで出してくる命令じゃない。しかもリターナー殲滅と、重要研究者の回収を同時にやらせるなんて無茶にもほどがある。
ラッツは数秒だけ黙った。
情報がぼやけている。
上が何かを隠している。
その臭いがした。
「……よし。作戦変更だ」
ラッツは立ち上がり、残る隊員たちへ声を飛ばした。
「全員聞け。ここから先、範囲攻撃は禁止。教会内の施設もできるだけ壊すな。研究者の確保を最優先にする」
「はぁ?」
グランタが露骨に顔をしかめた。
「敵がまだ残ってるかもしれないんですよ。ここで手数を縛るのは悪手でしょう」
「研究者ごと吹き飛ばしたら元も子もねぇだろうが」
「ですが」
「囮は俺がやる。お前らは手堅く潰せ」
ラッツが言い切ると、グランタは不満げに舌打ちしたが、それ以上は反論しなかった。
上官の命令は絶対。
同時に、現場では隊長の判断が優先される。
その線引きは分かっている男だ。
「マヨニカ。高所から地下への出入り口を探せ。こういう連中は、追い詰められたら下に潜る」
「りょ、了解!」
「お前ら二人は東側を固めろ。生き残りがいたら撃て。ただし広範囲の焼夷弾は使うな」
命令は短く、具体的に。
ラッツがそれを飛ばすたび、散っていた隊員の動きがひとつの線になる。
だから彼は隊長なのだ。
腕が立つだけならグランタでもいい。だが全員を生きて帰そうとする目を持っているのは、いまのところラッツだけだった。
そのとき、上からマヨニカの鋭い声が落ちてきた。
「隊長! 祭壇の裏、床下に空洞があります! 隠し階段かも!」
「よし、よく見つけた」
ラッツはすぐにそちらへ走った。
祭壇の残骸を蹴り飛ばすと、半ば崩れた床板の下に石段が覗いている。下から冷えた空気が上がってきた。
「俺が行く。グランタ、上は任せた」
「単独でですか?」
「大人数で入っても邪魔だ。研究者が生きてるなら、なおさらな」
グランタは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「死なないでくださいよ、隊長。あんたがくたばると、後処理が面倒だ」
「泣いてくれてもいいんだぞ」
「冗談きついっすね」
ラッツは口の端だけで笑い、石段へ足をかけた。
下は薄暗く、湿った空気が満ちている。教会地下というより、急ごしらえの監禁部屋に近い造りだった。壁には即席の照明が刺さっており、その光が無機質な白さで床を照らしている。
そして最奥。
金属椅子に拘束された男がいた。
白衣の名残をまとった中年の研究者。頬はこけ、唇は乾き、目は虚ろで、口元からは涎が伝っていた。腕には無数の注射痕があり、足元には空の薬瓶が転がっている。
「……クソッ。汚いやり口をしやがって」
ラッツは舌打ちした。
拷問というより、薬で無理やり吐かせた痕跡だ。ここまで壊されていたら、助けたところで元に戻るか怪しい。
ラッツはそっと近づき、男の顔を覗き込んだ。
「おい。聞こえるか」
反応は鈍い。目の焦点も合っていない。
これでは駄目か、とラッツが息を吐きかけた、そのときだった。
「……た、のむ……」
か細い声が落ちた。
「まだ喋れんのか」
研究者の目が、ゆっくりとラッツへ向く。
そして、その濁った瞳が一瞬だけ見開かれた。
「き、みは……フェン、君……だろう……」
ラッツの動きが止まった。
「……あ?」
その呼び方は、今の隊じゃ使われない。
昔、孤児院にいたころの名残を知る人間か、ごく限られた古株しか口にしない名だった。
「お前、どうして俺の名前を知ってる」
研究者は答えの代わりに、震える視線を自分の右腕へ落とした。
「み、右腕に……埋めてある……研究データのチップだ……たのむ……それを……安全な場所へ……」
「安全な場所ってなんだよ。組織に渡せってことじゃねぇのか?」
研究者は首を横に振った。いや、そうしようとして、力尽きたのかもしれない。
「だめ、だ……あれは……」
その先が続かない。
ラッツは拘束具を外そうとしたが、研究者の体はもう限界だった。呼吸は浅く、胸は不規則に上下している。いまさら医療班を呼んでも間に合わない。
「おい、しっかりしろ。何を見た。何がある」
「たの、む……」
それだけだった。
次の瞬間、研究者の身体から力が抜けた。
頭ががくりと垂れ、二度と持ち上がらない。
「……おい」
返事はない。
ラッツはしばらく黙っていた。
石壁の向こうから遠い銃声だけが響いてくる。
やがて短く息を吐き、研究者の右腕を調べた。皮膚の内側に小さな異物感がある。ナイフで最低限だけ切開すると、爪より小さい黒い薄片が出てきた。
チップだ。
見た目だけならこの国ひとつを揺らす代物には到底見えない。
「俺にどうしろってんだよ……」
呟いたところで、背後から足音が近づいた。
「隊長!」
グランタだった。続いてマヨニカも顔を出す。
彼女は拘束椅子の研究者を見た途端、唇を噛んだ。
「そんな……」
「駄目だった。もう死んでる」
マヨニカの肩が落ちる。初陣で、守るべき対象を救えなかった現実は重いだろう。
だが、ここで立ち止まる暇はない。
ラッツは掌の中のチップを素早く握り込み、そのまま服の内ポケットへ滑り込ませた。
グランタはそれに気づかなかったのか、あるいは気づいても口にしなかったのか、何も言わない。
「撤収するぞ」
ラッツは立ち上がった。
「グランタ。爆発物で施設を飛ばす。証拠は残すな。連絡役との合流ポイントへ向かう」
「了解です」
「マヨニカ、落ち込むのは後にしろ。帰還が第一だ」
「……はい!」
その返事にまだ沈んだ響きは残っていたが、声は前を向いていた。
地上へ戻ると、残敵はすでにほぼ片づいていた。隊員たちは手際よく爆薬を仕掛け、短い時間で離脱経路を確保していく。
ラッツも最後に一度だけ教会を振り返った。
崩れた祭壇、焦げた壁、死体の転がる礼拝堂。
その地下で、さっきの研究者は死んだ。
あの男はなぜ自分の名を知っていたのか。
なぜ組織ではなく、安全な場所へ持って行けと言ったのか。
答えはないまま、爆発がすべてを飲み込んだ。
轟音とともに教会が内側から崩れ落ちる。
石材が砕け、土煙が吹き上がり、夜の空へ火の粉が散った。
しばらく走った先、林道の外れで彼らを待っていたのは、黒いスーツ姿の男だった。
無精髭を生やし、いつも妙に爽やかな笑みを貼りつけている。
ブライアン。連絡役であり、ラッツの古馴染みでもある男だ。
「やぁ、ラッツ。今回はやたら疲れた顔をしているじゃないか」
「うるせぇ。事前情報が雑すぎたんだよ」
ラッツはうんざりした声で返した。
「例の研究者のことかい? いやぁ、申し訳ないね。あんな重要人物がこんな辺鄙な教会に監禁されてたなんて、こっちも想定外でさ」
軽い調子だが、わざとらしさもある。
ラッツは煙草を咥え直し、火をつけた。
強化用ではない、ただの嗜好品だ。肺に入ってくる煙の薄さが、逆に気持ちをささくれ立たせる。
「そういえばさ、ガレス上官が『使用する魔星量が多い』ってぼやいてたぜ。また余計な備品でもねだったのか?」
「……ちっ」
ラッツが答えない代わりに、後ろからマヨニカが口を挟んだ。
「それはラッツ隊長が隊員の損耗を減らすために整備班に掛け合ってくれたからです! 上は隊長を目の敵にしてるだけで……!」
「あああ、分かった分かった。怒るなって」
ブライアンは両手を上げた。
「君らの隊長殿が面倒見いいのは昔から知ってるさ」
「別にいいだろそんなこと」
ラッツは面倒くさそうに遮る。
「それより教会は吹っ飛んだ。回収できるもんもほとんど残っちゃいねぇ」
嘘ではない。
ただ、全部でもない。
「うん。こっちもリターナーを駆除できれば上々さ。ほら、君たちのお望みのものだよ」
ブライアンは懐からカプセルを五つ取り出した。
魔星カクテルの解毒薬。
ラッツはそれを受け取ると、ためらわず口へ放り込んだ。舌に広がるのは、毎度のことながら最悪な苦味だ。
「……相変わらず不味い」
「命の味だと思えば悪くないだろ?」
「だったらお前が毎日飲め」
「ごめんだね」
短い笑いが起こる。
隊員たちもそれぞれ解毒薬を飲み込み、ようやく肩の力を抜いた。
任務が終わったと実感できるのは、この瞬間だけだ。
解散後、ラッツは一人になったところで足を止めた。
夜風が軍服の裾を揺らす。
彼は周囲を確認してから、内ポケットへ手を入れた。
指先に触れる、硬くて小さな薄片。
取り出したチップは、月明かりの下でもひどく地味だった。
こんなものが本当に、誰かを殺し、誰かを動かし、誰かを怯えさせる代物なのかと思うほどに。
けれど、研究者はあれを組織へ渡せとは言わなかった。
安全な場所へ持っていけと言った。
「……なんなんだよ、お前は」
チップに問いかけても、答えが返るわけじゃない。
それでもラッツは、それを懐に戻さなかった。
しばらくのあいだ、掌の上で転がすように見つめていた。
任務は終わったはずだ。
いつも通り、リターナーを始末し、解毒薬を受け取り、生きて帰った。
なのに、どこかでまだ終わっていない気がしていた。
月明かりの下で、チップは黙ったまま、ただ冷たく光を弾いていた。




