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第三話 人形屋敷

〈――あつめろ……わがはいの……かけら……を〉


 音がぷつりと止むと、体に張っていた糸は緩み、痛みが引いていった。

 透は明らかにほっとしたように息を吐き、落ちた本に胡乱な目を向けた。

 目を向けられた本は、何食わぬ顔でそこに鎮座している。


 透が本に触れた瞬間、それは意思を持ったかのように、黒い霧となって噴き出した。

 突然の異変に透が目を見開いていると、本の形は一瞬で崩壊し、霧は透の心臓部に浮き出た魔法陣めがけて奔流となって吸い込まれていく。

 透は必死になって霧を追い払うように手を振ったが、まとわりついて離れない。 

 抵抗虚しく本だったなにかは透の中に吸収されて、透の手には残滓のような霧がふわりふわりと揺れている。


 一連の不可思議な現象に、透の理解は追いついていなかった。

 なにが起きたのか分からないまま、目をぱちくりさせて息を飲んだ。


 よろよろと老人を抱えた人形が出ていった扉に近づくと、振り返ることなくその場を後にした。


 情報が欲しかった。

 この現状を説明してくれる言葉が。漠然とした不安をかき消すような説明が。


 部屋を一歩出て、すぐ目に入ったのは大量のメイド人形たちだった。

 箒を手にくるくる回る人形、布巾を手にキュイキュイ音を鳴らす人形、かたまっておしゃべりに花を咲かせる手隙の人形までいる。

 まるで人間だ。


 だからだろうか。透は何を勘違いしたのか、人形のひとりを捕まえて話しかけた。

 よく観察すれば、彼女たちが同じ動作を繰り返すだけの人形だと分かるはずだが、透の頭は混乱していて、冷静さを欠いていた。

 彼女たちが透の欲する情報をくれると確信しているかのように、質問を投げかける。


「あの、君。ここがどこか教えてくれない?」


 だが、帰ってくる言葉はなかった。

 どの人形も自分の役割に準じ、透をいないものとして動く。

 透の問いかけは、虚しく空間に溶けた。

 どの人形も、透の姿を視界に入れていない。その滑らかで人間的な動きこそが、この屋敷の異様さを生み出しており、透と似て非なる存在である証左であった。

 透に背を向けて自分の行動ルーティンに戻っていく人形に手を伸ばそうとして、空を掴んだ。


 こんなに華やかな屋敷の中で、透はひとりぼっちだった。

 人形は溢れんばかりにいるのに、人の気配が全くない。

 しばらくメイド人形たちの間をとぼとぼと通り抜けた。


 ふと本に触れてから聞こえた、低く唸るような声を思い出して、それを忘れるように行動の指針を取り決めた。


「よし、お屋敷探索だ。これだけ広いんだし、なにかはあるはず」


 そう意気込んで適当に開けた扉の先は、衣装室のようだった。

 トルソーには色とりどりのドレスが着せられていて、帽子や靴、鞄まで取り揃えられている。

 部屋の奥までびっしり服が詰まっていて、管理が行き届いている。

 前世の透には縁のなかった豪華な衣装たちに目を輝かせていると、目端に動くものを捉えて立ち止まった。


 誰かいるのかと思ったが、どうやらそれは見当違いだったようだ。

 透が右手を上げれば、向こうも右手を上げた。

 端的に言えば鏡だった。


 腰まで伸ばした濡羽色の艶髪。

 眠たげな双眸は月を映したかのような黄金で、長い睫毛がふさふさと被さっている。そんな儚げな目元の左側には涙ぼくろまである。

 唇はぽってりとして熱感のある薄桃色。

 幼さが残る頬の膨らみに丸い鼻先。

 肌は陶器のように滑らかで白い。

 体格は細身でスラッとしていて、前世の透の身長から考えて、百六十後半から百七十センチはある。

 体だけ見れば中性的な見た目だ。それでも女性的な曲線がある程度強調されていて、妖艶ながらも可愛らしい。


 目を瞬くだけでも様になる風貌に、透はすっかり見惚れてしまっていた。

 これが自分であると、認識できない。鏡が嘘をついているとしか思えなかった。

 透は知らぬ間に鏡の中の自分と手を合わせて、もう片方の手で自分の頬を撫でていた。


 その美しさは、先ほどすれ違った人形たちの精巧さとは明らかに異質だった。生命を感じさせる、目を奪うような美しさだ。

 なんとなく恥ずかしくなって鏡から目を離し、黒髪の毛先を指に絡ませて弄んだ。


 それからこの部屋一面に並べられた衣装が気になった。

 この美しい容姿に、さぞ似合うことだろう。


 透は思わず近くの濃紺のワンピースを手に取った。

 自分の体にあてがうと、ちょうど良いサイズに見えて、我慢ならずに袖を通した。


 まるで透の為に作られたかのように、体のラインを拾うワンピース。

 まさかと思って、他の服も着てみると、これまたぴったり。

 次々に試着していったが、どれも透の姿を引き立ててくれた。


 血を吐いた老人の姿が脳裏を掠める。


「これ全部……私の為に……」


 透は「まさかね」と乾いた笑いをして、衣装室を後にした。


 次に訪れたのは書庫だった。

 重厚な装丁の本が所狭しと並んでいる。

 情報の宝庫であることは間違いないが、とりあえず先に屋敷を全部見て回ってから調べることとした。


 書庫を出たあとにやってきたのはアトリエらしき部屋だった。

 ここで人形を作っていたのであろう。設計図やら人形の体パーツやらが散乱し、透には用途の分からない道具たちがピシッと机上に整列している。


 床に転がるばつ印をつけられた設計図を拾い集めながら、思いを馳せた。自分がどのようにして作られたのか。

 小指の長さ、目の大きさ、腰回りの膨らみ。一つ一つが違っている設計図。この人形の体が形作られるまでに、相当試行錯誤したであろうことが伝わってくる。

 老人はこれを作り上げながら、自分が死ぬことを覚悟していたのだろうか。


 なんとはなしにその辺の引き出しをひょいと開けると、大量の目玉が入っていて、透は腰を抜かした。

 腰をさすりながら、今度は覚悟して引き出しの中身を覗く。


「これは……」


 ガラスで作られたそれは、一つ一つ見ていけば繊細で美しく、そしてリアルだった。

 目玉一つとっても、こだわりが詰まっていることが感じられる。


「うーん、胴体?」


 透はひときわ大きなパーツを見つけ、手を伸ばす。

 驚くほど軽い。コンコンとお伺いをたててみれば、中でその音が響いた。内は空洞なのだろう。であるのに、外は鳥肌が立つほど人に寄せられている。

 脇腹にはほくろがあるし、下腹部には妊娠線のようなものまであって、透は難しい顔をして胴パーツを元あった場所に戻した。


 そして、自分の腹に目をやった。


 ネグリジェ一枚の裏には、きっとこれと同じものがある。

 恐る恐る触れてみると、先ほどの硬い質感とは異なる柔らかな肉感があった。透は勢いよくネグリジェを捲り、透明感のある白肌と生々しい皮膚の感触をしかめっ面で確認し、老人の執念にゾッとした。

 ただ、どこにも内臓の設計図がないことや、一向に腹が空く気配がないことから察するに、中身は同じく空洞らしい。


 アトリエを離れる前に、透は壁に貼られたこの体の最終稿らしき設計図を見つけた。

 人形の体のスケッチと共に、作るときの大きさを表すのであろうたくさんの数字。その中で際立つ、心臓部の魔法陣。

 本が吸い込まれていった場所。


 透は壁に貼られたそれを、破れないよう時間をかけて剥がして、ポケットにしまい込んだ。



 それから応接室、厨房、書斎、倉庫など一通り見て回った。


 思ったような収穫が得られず、肩を落としながら歩いていると、黒いメリージェーンが目に入った。ふっと顔を上げると、扉の前で背筋を伸ばして礼儀正しく立っているメイドがいた。

 生気はなく、一ミリだってふらつかない人形に、やはり人ではないのだと再認識したところで透は気づく。


「あ、死んだおじいさんを抱えていった子じゃん」


 透が驚いていても、人形はつーんとした顔で扉を守るように立ったまま。

 老人の眠りを守るようプログラムされているのだろうか。


「この中、入ってもいい?……って、聞いても意味ないか」


 透は誰に向けてか扉をノックしてドアノブに手をかけた。

 人形がそれを妨げることはなかった。

 なんのために立っているのか首を傾げながらも、中に足を踏み入れると、そこは寝室のようだった。


 唐草模様の壁紙に、毛足の揃ったふかふかの絨毯。天蓋が降ろされた大きなベット。

 夕焼け色の明かりはぼんやりと室内を照らしている。

 まるで貴族のベッドルームだ。

 香が炊いてあるのか、ハーブのすっきりした甘い香りが充満している。


 透は天蓋にそっと手をかけた。

 寝息を立てず、静かに眠る老人が一人。


 すかすかの頭髪と伸びっぱなしの髭は真っ白に染まり、頬は痩けて、目元は落ちくぼみ、クマがくっきり残っている。ほねぼねしい身体は見ていて憐れになるほどで、爪には垢が溜まっている。


 死んだはずの透を蘇らせたと思われる人物。


 生き返らせてくれてありがとうと感謝する気は起きない。

 事故にあったならまだしも、透は自ら死に向かったのだから。


 魂の抜けた老人の顔など見ていても、景気が悪い。

 透は天蓋から出て、気持ちを切り替えるように、ふるふると頭を振った。


 こうして、奇妙な人形屋敷探索は終わりを告げ、情報収集の頼みの綱は、後回しにした書庫のみとなってしまったのだった。

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