第一話 目覚める人形
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人形師は狂喜乱舞する。これから起こる奇跡、その結果を思えば、もはや正気ではいられなかった。
「ああ、我が娘よ。なんと愛しいことか」
恍惚とした表情、舐めるような視線の先には、人形師が身命を賭して作り上げた最高傑作。極上に美しく、精巧。
人間とさしたる違いのないそれを、人形師は震える手で抱き上げる。
人形の頬に伸びっぱなしの髭を擦り付けると、鼻腔たっぷりに髪の匂いを含んだ。
本物の人毛が人形師の鼻に吸い付き、吐息と共にゆらりと元の位置に戻る。
腕と腕を添わせ、指一本一本、確かめるように絡めると、自らの身体全体を擦るように人形と密着させた。
それから、人形とは思えぬ柔らかな太ももから上に。触れるか触れまいかという手つきで撫であげ、シュミーズ一枚に隠された冷たい腹を慈しむように愛撫した。
人形師は上がった息を整えるように、シルクが敷かれた台座に人形を寝かせ、台座から一歩下がると、大きな手振りと共に深呼吸した。
生温かい息は空を漂い、しっとりと居残っている。
呼吸を深めていくほどに、人形師の笑みは止まらない。
満月は黄金の光を放ち、儀式を待つ人形を無慈悲に照らし出していた。
人形師は今、人生の絶頂にいる。
何もかもが、この魔導書によってもたらされた。
禍々しく、読む者の魂を蝕むような暗黒の魔導書。
人形制作に行き詰まっていたときに大市で出会ったこの魔導書は、たちどころに人形師の悩みを解決する魔法陣を提示してきた。
実験には習作の小さなぬいぐるみと犬の魂を使った。
結果は大成功。
四足で走り回る、滑稽なぬいぐるみが出来上がった。
人形師はすぐさま人生の集大成たる人形の制作に取り掛かった。
元々リアリティを追求する人形師は、後々違和感が出てこないよう細かなところにまで気を配った。爪の先から口の中まで、あらゆるところを人間らしくした。
内臓は、生命の根幹であり、魔導人形の技術では再現不可能とされている箇所だった。が、声帯に関して気にすることはない。
人形師の師匠が元より創り上げた基礎がある。そのため魔導人形は皆、発声の境地に至っている。
人形師はそれを応用して、鈴の音のような美しい声が出るように作った。
何もかもが完璧と言って差し支えない最高傑作。
今からこれが、
――魂を得る。
それは人形師の悲願であった。
人形師はずっと、未完成の人形たちに苛立ちを抱えていた。
人形師の人形たちは、人間らしい姿かたちである。が、そこに自由意志は存在しない。命令されたことをただこなすだけの、冷たい塊。
人形師は、そこはかとない溝に涙を堪え、越えられぬ壁に拳を握った。
何が人形に足りないのか、何が人形と人間を分けるのか。
ようやく人形師が辿り着いた答えは、葛藤だった。
自らの感情と定義された正しさの中に揺られ、意味を求めながらも、無意味を楽しむ。
相反する欲求を抱えながら悶え苦しむその姿こそが、人間であると。
だがそれを克服するためには、魔道人形のシステム自体が破綻していた。
魔道人形は炉心に刻まれた命令によって動く。
たとえ自由意志を持てという命令を下したとして、人形が自由意志でもって動いたとしても、それは自由意志によるものではない。命令によるものだ。
人形たちには、感情的な衝動がない。理性と本能の葛藤がない。指令に反抗しようという意思がない。
そのことに気づいた人形師は酷く落胆し、望みを絶とうかとも考えた。
されど神は人形師に味方した。
魔導書を強く強く握り込む人形師。
血走った目には、目の前の人形が、人形師に向かって柔らかに微笑みかける姿しか映っていない。
カチカチ鳴る歯の隙間から涎が垂れるのも厭わず、これから起こる奇跡に身を打ち震わせた。
人形師は、捧げ物のように両膝を地に着け、台座を取り囲む巨大な魔法陣に両手を置いた。
その大きな魔法陣は人形師が魔導書から写したものであることが分かる。
月明かりが増し、蝋燭の火が部屋に吹き込んだ風によってかき消える。
人形師はふぅーっと大きく息を吐き、吐いた息をすべて取り戻すかのように空気を吸い込んだ。
そして人形師の口は紡ぎ出す。
魔導書に書かれていた一言一句を違わず、スラスラと諳んじる。
人形師が着いた手から光の蛇が走り出し、唸りを上げて魔法陣を染め上げる。
魔法陣の光はうねるように線上を走り、中央に寝る人形のもととへ吸い込まれていく。
呼吸も億劫になるほど早口に、止めどなく言葉は流れゆく。
喉が焼けるように熱くとも、身が引き裂かれるように痛くとも、人形師がその口を閉じることはしなかった。
己が夢のため、命令なしに動く人形を一目見るため。
「――彷徨える魂よ、彼の者が生きる贄となれ!」
最後の一節を読み上げた瞬間。
「うッ……」
人形師の心臓を中心に、どくんと一突き波が起こった。人形師は胸を抑える。
人形師は分かっていた。この儀式が神の怒りに触れるということを。
それでも行った。死こそ至上の褒美とでも言うかのように。
何者かに握られた心臓は、人形師に此度の行いを悔いる時間を与えるが如く、ゆっくりとその命を終わりに近づけていく。
それでも人形師は何かを待つように、地べたに這いつくばり、汚い喘ぎ声を上げながらも娘の方に視線を送る。
「ごぽっ」
人形師は耐えきれずに、込み上げる血を吹き出した。真紅のそれはボタボタと零れ落ちて、魔法陣を塗り替える。
ぬるりと頬を伝うのは、単なる涙ではない。顎先からポタリと、先刻できたばかりの血溜まりに合流する。
「あ、ああ……」
人形師は未だ成されぬ願いの果てに手を伸ばす。
赤い視界には、穏やかに眠る人形と、震えの止まらない右手だけ。
「た、の……む……」
ピクリ
人形師の声に応えるように、人形の指が僅かに動く。
ゆったりとした瞼の動きと共に、長い睫毛の隙間からは、儚げな黄金の瞳が覗いた。
それを見届けると、人形師は満足そうに事切れた。
◇
意識が、暗闇の中から唐突に浮上した。
出迎えたのは真ん丸の月が放つ、白い光だった。
ボーッと見ている内に違和感を覚えて上体を起こした。
ふと横を見ると、血を吐いて倒れる老人が一人。
「っ!」
思わず押えた手に、また驚く。
「な……」
思わず出した自分の声にさらに驚く。
「これは……」
そして自らの境遇に最後の驚き。
「私は、死んだはずでは……」




