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田川文男の行方不明事件

 20XX年X月X日。


 田川文男は好みの少女である鈴を諦めきれず、雪久から鈴を奪おうとして離島に乗り込んだ。


 フェリーから降りてすぐに島民がお守りを売りつけてきたのだが、田川は無駄な出費をしたくないため断ってしまう。


「いらん! 私の前から去りなさい」

「買わなければ不幸が……」

「そのセリフは聞き飽きた」


 新興宗教のようなセリフを聞いた田川は機嫌を悪くする。過去に騙された経験が呼び起こされ、怒りにまかせて、お守りの販売をしている老人を腕で押しのけた。


 離島にはタクシーは存在しない。田川は大きな腹を揺らしながら、愛しい鈴が待つ家へと歩く。


 夏の陽差しが容赦なく襲いかかり、汗がダラダラと流れ出て息が荒くなる。脂肪をたっぷりと蓄えた田川の体では、歩くことでも重労働なのだ。


 家に入って鈴に膝枕をしてもらいたい。

 歪んだ欲望が田川を支え、足を動かしていく。


 おろしたてのシャツが濡れて不快感が増してきたころに目的の家が見えてきた。


 ここに鈴が待っていると思っただけで、田川の胸は高まり股間周りが熱くなる。


 保護者の立場を奪った源雪久をどうやって排除する計画を整理しながら、体の疲れを忘れて大股で歩く。


 玄関前に着くと、


「何のご用でしょうか?」


 生意気そうな口調だが田川は挑発にのらない。


 大人の余裕を見せるべくお土産を見せつけ友好的に接したところで、新しい侵入者がやってきた。


 胸が大きく寝癖が特徴的な女性だ。田川のストライクゾーンから大きく外れているため、目を細めて敵なのかを見極めようとしている。


「あの人誰? 島民じゃないよね?」

「遠い親戚かな。帰ってもらおうと思っていた所なんだよ」


 源とは仲が良さそうだ。味方へ取り込むのは難しいと田川は判断する。


 早く二人を排除しよう。


 離島には交番すらない事は調査済みである。


 物理的な手段でもいいはずだ。体重差を考えれば勝算はある。


 覚悟を決めてお土産を持つ手を強く握るとドアが開いた。


「お帰りな…………さい」


 田川からは玄関から顔を出した鈴が天使のように見えた。


 夏の陽差しに負けないぐらい光り輝いている。早く奪い去りたいと田川が考えていると、宮子がすずを連れて家へ入ってしまった。ドアまで閉まってしまう。


 拒絶されたと感じて、田川の心は酷く傷ついた。

 暴力を振るう気力すらでてこないほどだ。


 またお土産を買うようなバカだと勘違いした田川は、捨て台詞を吐いてから予約していた宿へ戻る。


 離島に一件だけある古びたホテルだ。


 部屋に入ると荷物を投げ捨てスマホで弁護士に電話をしようとする。


「つながらない……?」


 電波がなかった。アプリやブラウザが使用できない。ようやくネットワークが遮断されていると気づいたのだ。


 ホテルのエントランスには同じようにスマホの使えない人が集まっていた。


「原因は不明です! 電話も通じないのでフェリーを使って確認をしております! 数日はお待ちください!」


 観光地とはいえども離島に訪れる人は少ない。そのためフェリーは数日に一回の頻度しか来ないのだ。


 早くても二日後、最悪一週間は通話やインターネットができない状況を受け入れるしかなかった。


 田川は無駄に抗議するつもりはない。


 直せないものは仕方がないと、ため息を吐いて部屋に戻って布団の上で横になり、仮眠を取って夕方過ぎて起き出した。太陽はほぼ沈んでいる。


 喉は渇いて、体は水ではなく酒を求めていた。


 離島にある唯一の飲み屋に行こうとエントランスに降りると、腰の曲がった老婆が話しかけてきた。


「これからお出かけかね?」

「ええ。酒を飲みに」


 面倒に感じながらも無視するのはためらわれた。田川は適当に返事をすると歩き出す。


「お守りは忘れずにな」


 振り返ると先ほどの老婆はいなかった。


「不吉なことを言いやがって。私には必要ない」


 薄らと感じた恐怖から逃げるように、強気の言葉を発するとホテルから出た。


 湿度の高いむわっとした空気が田川を包む。不快感が増した。早く酒を飲んでスッキリとしたい。


 田川は薄暗くなった道を歩くと、前に背の低い一人旅の女性を見つけた。年齢は二十歳を超えている。ストライクゾーンから外れているが、鈴とそう変わらない身長は魅力的だ。


 景気づけにナンパでもしてやろう。


 そう思った瞬間、周囲の空気が重くなった。磯臭い。理由はわからず体の奥底から恐怖がわき上がってきて、体を震わせながら足を止めてしまった。


 目の前に歩いている女性はどうなったのか。


 気になる田川は前を見る。


 髪の長い白装束の怪異が立っていた。服が乱れていて鱗の生えた肩が見える。幽魚だ。


 隠していた尻尾を伸ばして背の低い女性の首を絡めてから持ち上げた。悲鳴は上げられない。恐怖によって体は動かず、抵抗する素振りすらない。


 髪から覗く顔は魚だった。


「ひぃ……っ!」


 黙ってれば見逃されたはずだったが、愚かにも田川は小さな悲鳴を上げてしまう。


 幽魚がこっちを見た。


 死人のように濁った目が田川を捉える。


 逃げなければ!


 理性ではわかっていても体は思うように動かない。足がもつれてしまって尻餅をついてしまった。


 尻尾に捕まった女性は生きているが、酸欠によって気絶をしてしまっている。


 スマホは使えず、また道に誰もいない。助けが来る可能性は、ほぼゼロと言っていいだろう。


「た、助けてくれ! 女が欲しいなら、あとでいくらでもやる!」


 相手が人間なら交渉ぐらいはできたかもしれないが、相手は幽魚だ。言葉は通じない。


 田川は頭を掴まれて引きずられてしまう。


 ズリ、ズリ、ズリ……。服が破けて皮膚がむき出しになっても、幽魚は止まらない。体から血が出ても田川は恐怖で声すら出せない。

 

 しばらくして海に出た。幽魚の目には岩が見える。


 遠浅の海に入っていく。尻尾で持ち上げられた女性は足が濡れる程度で済んでいるが、頭をつかまれて引きずられている田川は海水が口に入ってきて溺死しそうだ。さらに傷口がジンジンと痛む。


「うわっぷ、だすげ……」


 ようやく声を出せたが、海水によって止められてしまった。


 このまま死ねたらよかったのだが、田川は運悪く生き残ってしまう。


 幽魚は黒い岩にたどり着くと上って平たい頂上へ着いた。


 そこには人体の骨が散らばっていた。傷つかないよう大切に、女性は近くに寝かされる。


 一方の田川は頭を持ち上げられて顔を近づけられた。


 魚臭く鼻が曲がりそうである。吐き気をもよおして咳き込んでしまう。


 それを幽魚は気に入らなかった。


 鋭い牙がずらりと並ぶ口を大きく開くと、田川の頭をむさぼり食う。


 ボリボリボリ。


 骨の砕ける音がする。


 幽魚の腹は満たされず、田川だったものを全て飲み込んでしまった。


 残ったのは背の低い女性だけ。彼女は生きているが、死ぬまで花嫁として扱われてしまう。起きれば生の魚を無理矢理口に入れさせられ、夜は生殖行為を続けられてしまう。


 一週間も持たずに死ぬだろう。


 どっちの方が幸せだったのか。


 誰にもわからない。


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