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12/18

大人だって一人は怖い

 その日の夜、湯船につかって一日を振り返っていた。


 午前中で授業が終わった鈴ちゃんと一緒に帰宅すると、白装束の怪異のことは忘れて仕事にとりかかった。


 初めてのリモート作業だったけど、想像していたよりかはやりやすく、順調に進んでいたと思う。もちろん、それは僕が優秀だからというつもりはない。先輩方の気遣いがあってこそだというのは理解している。


 僕みたいな一般的な新卒エンジニアはチームの助けがなければ、一人で仕事を完結させることなんてできない。これは謙遜じゃなく事実だ。


 だからこそ、この離島で仕事をすることを許してくれた会社には感謝の気持ちしかないし、恩返しするためにもバリバリ仕事をこなさなければいけないとは思っている。


 けど現実は、そう上手くいかないだろうことは容易に想像がつく。


 鈴ちゃんのご飯を作ったり、宿題を見たりと、家庭でのやることが多くて仕事に専念するのは難しい。まだ一日しか経過していないけど、慣れたからといって劇的に変わるなんてことはない。


 仕事に全力を出している動機には必ず負ける。


 負けないためには仕事の割合を増やさなければいけないのだけど、それは鈴ちゃんのことを後回しにすると宣言しているようなものだ。それは保護者失格である。


 家庭との両立? ライフワークバランス?


 そんなの家政婦さんを雇う余裕のある家庭じゃないと無理だ。幻想だ。


 子供を持つということは、自分のためだけに時間を使うことができないという事実に今更ながら気づいたのだった。


 それにIT業界は、子育てに優しいわけじゃない。


 生存競争が激しく、技術の移り変わりも多い業界において、ワンオペでの子育てなんてハンディキャップを背負っているようなものだ。


 24時間全てを自分のためだけに使える人と比べたら僕なんて……と愚痴っちゃったけど、鈴ちゃんの保護者になったことは後悔していない。


 同期に比べて成長スピードは遅くなるだろうし、出世競争に負けて一人だけ置いて行かれるかもしれないけど「引き取らなければ良かった」とは絶対に思わない。


 そういった自信があった。だから鈴ちゃんのことは大丈夫。それよりも最大の気がかりは他にあった。


「あの白装束を着た存在は、なんだったんだろう?」


 思い出すだけで身の毛がよだつし、恐怖と同じぐらいの嫌悪感がフツフツと湧き出てくる。


 守り神様に挨拶してから感じていた視線はヤツのものだったのだろうか?


 そのときから狙われていた?


 そんな想像をしただけで血の気が引くのがわかる。湯船につかっているというのにガチガチと歯が鳴ってしまうほどの寒気を感じてしまうのだ。


 だけど僕には守るべき者がある。


 そこで思考を停止してしまうわけにはいかない。


 もう一度、僕の前に現れてくるのは、ほぼ間違いないだろう。根拠はないけど確信していた。


 白装束の存在の他にも謎はある。


 攻撃を受け止めてくれた見えない障壁だ。

 

 発生の原因を調べることで、防衛策につながると思うんだけど、心当たりが全くないんだよね。うちは一般的なサラリーマンの家庭だったから、特別な血が流れているわけじゃない。超能力に目覚めたなんてあり得ないだろう。


 それに白装束の怪異に一度破壊されてしまったので、二度と見えない壁が発生しない可能性もある。頼りにしたらいけない。


 結局のところ相手の正体はわからず対抗手段もないのだ。


 湯船に張ったお湯で顔を洗って気持ちを切り替える。


 ネガティブな思考は飛んでいき、敵が消えたときの状況から特性を整理していく。


「鈴ちゃんが来たら見えなくなったんだよね。一人の時にしか現れない怪異、可能性としてはあり得る。他人がきたから逃げ去ったと考えられる。でも、決めつけは危険だ。他にも可能性を考えないと――」


 また考え込もうとしたところで、鈴ちゃんの声が聞こえた。


「雪久おじさん。ご飯食べないの?」


 磨りガラス越しに鈴ちゃんの影が見える。


 実は食事をする気分になれず、先に食べてもらっていたんだ。


 正体不明の存在は気になるけど、頼られる存在でいたいのだから心配をかけてはいけない。ふさぎ込むのは終わりだ。いつも通りのおじさんに戻ろう。


「もう上がるよ。先に戻ってて!」


 そう言うと、鈴ちゃんの影がスーッとなくなった。

 

 数秒たってようやく浴槽から立ち上がる。ざばっと水音を立てながら出ると、タオルで体を拭いてパジャマに着替えた。


 居間に移動して冷えてしまった食事をとる。


 今日は麻婆豆腐とご飯、それに味噌汁だ。食べ合わせなんて考えるほど慣れていないから、他の人からみたらちょっと変な食事かもしれない。


 チラリと鈴ちゃんを盗み見る。テレビに夢中でこちらには気づいていない。すらりと長い手足に、膨らみかけの胸。二次成長期を迎えているのだろう。


 今の食生活が体に大きく作用する時期だと思うと、もう少し栄養バランスには気をつけた方が良いかもしれない。やっぱり野菜はあったほうが良いよね……? あとはお肉やお魚もたっぷりと食べてたんぱく質を補充してほしい。


 幸いなことに好き嫌いは少ないみたいだから、作りさえすれば食べてくれる。


 言い訳できない状況に、保護者としての能力が問われているように感じた。


「ごちそうさま」


 今度はもっとまともな食事を作ろうと心に決めると、食器を片付けて、ついでに歯を磨く。


 歯磨き粉をつけてゴシゴシと動かす。「おじさん臭い」って言われないように、一人暮らししていたときより念入りにやっている。最後に舌を磨いてからうがいをして居間に戻る。


 鈴ちゃんはまだテレビを見ていた。


 真顔のままバラエティ番組を視聴しているのに少し驚いたけど、実はいつも通りだ。俺といるときは無理して笑ってくれるけど、一人だとほとんど感情は動いていないのだ。心の傷は大きい。


 鈴ちゃんには白装束の怪異について聞かれはしなかったので、目撃はしなかったんだろう。


 これ以上、心に負担をかけたくない。知らないままの方が幸せなのだから、この件は僕だけで解決しよう。そう、心に決めた。


「寝よっか」


 決意は内に秘めたまま鈴ちゃんに声をかけた。


「うん」


 まだ見たい! と、愚図ることなくテレビを消す。なんて素直な子なんだろう。


 僕が子供の時はこんな感じじゃなかったと思う。兄さんと一緒に「まだ寝る時間じゃない!」とかいって困らせていたな、と記憶が蘇る。


 そんなことを考えながら一緒に薄暗い廊下を歩くことにした。


 足を踏み出す度にギシ、ギシと音が鳴るほど古くさい建物だ。周囲の静けさと相まって恐怖心をかき立てる。


「それじゃ、また明日。お休み」


 振り向くと、鈴ちゃんが立ち止まっていた。


 襖の奥は彼女の部屋だ。今日から別々で寝ようって話をしていたから、ここで分かれるのは自然な流れ。普段であれば「お休み」と返して終わりだった。


 ――今日は、一人になりたくない。


 そんな想いが心を占めていた。

 子供の頃、いつか死んでしまうのではないかと怖がって、寝られなかった夜を思い出す。


「鈴ちゃん……」


 気がついたら名前を呼んでいた。


「どうしたの?」


 首をかしげて見つめている。可愛らしい姿に心が少し和らいだ。それと同時に離れたくないという気持ちが強まる。ここまで弱い人間だったのだろうかと、疑いたくなるほどだ。


 どうしよう。そんな風にウジウジと悩んでいると、鈴ちゃんが気をきかせてくれた。


「今日は雪久おじさんと一緒に寝たいな」


 代わりに言わせるなんて保護者失格だな。


 でも、今はそれがありがたい。使わせてもらおう。


「うん。一人で寝るのは寂しいもんね」


 何も聞かず受け入れてくれて、鈴ちゃんから手を握ってくれる。それだけで先ほどまであった恐怖心が薄れていき、救われた気がした。


 その後は言葉を交わすことなく部屋に入って同じ布団に入る。


 少し高い体温を感じながら、恐怖から解放された僕は深い眠りにつく。


 保護者のくせに一人じゃない嬉しさってのを感じていた。

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