王太子殿下、私に構わないでください! ~引きこもり令嬢は今日も溺愛から逃げ続けている~
階段から落ちて頭を打った時に、前世を思い出した──なぁんて、ありきたりな話。
二十一世紀の日本を生きていたはずの私が、気付いたら公爵家のご令嬢。
しかも燃え盛るような紅色の髪と、きつく吊り上がった瞳──まさに悪役令嬢そのものといった容姿だ。
こんなの、バッドエンドまっしぐらとしか思えないじゃない。
だから、決めたの。
第二の人生、この世界では大人しく生きていくって。
目立たず、騒がず、控えめに。
敵を作らず、味方も必要以上に作らない。
特に美男子ハーレムなんてもってのほか!!
美形なら、お父様とお兄様で十分。
その二人だけで、目の保養になるもの。
さらにはスレンダー系美女のお母様まで居て、何を高望みすることがあろうか。
社交もほどほど必要最低限だけにして、後は領地に引っ込んで、静かな余生を過ごす。
それが私アビントン公爵令嬢ヘレナの願いなのです。
「私は結婚なんてしたくありません。お父様、お母様とずっとこの領地で暮らしたいのですわ!」
「まぁまぁ」
「まったく、ヘレナは甘えん坊だなぁ」
私が猫なで声でお願いすると、お父様もお母様も目を細めて笑った。
愛情深い両親。毒親フラグは立っていないようで、それだけでも一安心だ。
「大丈夫だよ、ヘレナ。次期公爵は僕なのだし、ヘレナはずっとこの屋敷で暮らすといい」
長男のジェラードお兄様も、私にとても甘い。
「本当ですか、お兄様!?」
「ああ、そっちの方が父上も母上も寂しくないだろうしね」
次期公爵たるお兄様のお墨付きを得て、将来公爵家での引きこもり生活は約束されたも同然。
もしジェラードお兄様がお嫁さんを迎えたら、私はどこかの別荘で、お父様とお母様の老後の世話をしながら暮らして行こう。
ヘレナ・アビントン、齢十歳にして人生設計は完璧です。
後は当初の目的通り、目立たず騒がず敵を作らず、静かに過ごすだけ──なんて考えていたのですが。
困ったことに、我がシェリダン王国には、私と同い年の王太子殿下がいらっしゃる。
他家のお嬢様方は、王太子殿下の心を射止める為に、日夜自分磨きに精を出しているらしい。
まぁ、私にはそんなのまったく興味はないんですけどね!!
だって、王太子の婚約者なんて、フラグ過ぎるでしょ。
婚約破棄されるか、追放されるか、破滅ルートに進むか──もしここがゲームや小説の世界ではなかったとしても、あちこちから嫉妬されたり、政権闘争に巻き込まれるのは避けられないだろう。
そんなギスギスした人生は、ごめんだ。
私は第二の人生、優しい家族と平和に穏やかに過ごしていきたい。
ただそれだけなのだ。
だから王宮からお茶会への招待状が届いた時は、憂鬱でしかなかった。
王太子殿下と年が近い高位貴族のご令嬢だけを集めたお茶会──つまりは、王太子殿下の婚約者選びだ。
行きたくない。
行きたくないけれど、貴族令嬢として避けては通れない道だ。
下手に逆らえば、王家の不興を買ってしまう。
ま、要は選ばれなければ良いのよね。
噂によるとなかなか癖者な王子様らしいけど、そもそも仲良くなるつもりもない。
王宮で開催されるお茶会の間だけ、笑顔を張り付かせていれば良いだけだ。
な~んて、暢気に考えておりましたとも。ええ。
問題のお茶会当日。
件の王太子殿下はと言えば、中央の席で拗ねた表情を浮かべ、足を組んで座っていた。
うわぁ、行儀悪い……。
それに、自分の為に集まってくれた令嬢達を前にして、あの表情はないんじゃない?
少しくらいはホスト意識というか、笑顔で出迎えてくれても良いと思うのだけれど。
ま、別にいいんだけどね。
仲良くするつもりはないのだし。
王太子殿下は放っておいて、美味しいお茶とお菓子を堪能して帰りましょう。
お茶会が始まる前に、侍従長と名乗るおじさんが居並ぶ令嬢達に鋭い視線を投げかけた。
「殿下は相手の考えを読み取るという、希有な力を持っておられる。嘘を吐こうとしても、無駄だ。分かったな!?」
居丈高な態度は気に入らないけど、へぇ、そうなんだ。
嘘が分かるって、そういうスキルなのかな。
ますますゲームや小説みたい。
周りに居る人達は気が休まらないかもしれないけれど、そういう人が国のトップに居てくれるっていうのは、心強いよね。
外交の駆け引きなんかで、騙される可能性は低くなるわけだ。
そう考えると、なかなか凄いね、この国。
「おい、お前」
なんてあれこれ考えていたら、甲高い声が聞こえてきた。
さっきの侍従長ではない。
どう聞いても、子供の声だ。
「おい、聞こえないのか?」
再度、問いかけるような声。
周囲の令嬢達は、そわそわとしながらも、皆じっとこちらに注目している。
え? 私???
「お前、僕の噂を知らなかったのか?」
顔を上げると、私の席のすぐ前まで王太子殿下がやってきていた。
柔らかな金色の髪と、澄んだエメラルドグリーンの瞳──うわぁ、近くで見ると本物の王子様みたい。
キラキラとしていて眩しい……まさしく美少年という感じ。
「え、えぇと……殿下の噂と言いますと?」
「僕の力のことだ」
ああ、そのことか。
「はい、今日初めて耳に致しました」
そもそも、王家の噂とか興味ないしね。
むしろ、関わりたくない。
私は私の世界──アビントン公爵家だけで十分なのだ。
「では、なぜ来た時から嫌そうにしていた!?」
「あぁ……」
ビシッ! と指を突き立てられて、思わず苦笑してしまう。
なぜ嫌そうにしていたか、かぁ。
ま、こんなことで嘘を吐いても仕方が無いよね。
吐いてもすぐにバレるって話だし。
「恐れながら……殿下とお近づきになるのが気乗りしなかったからです」
どれだけオブラートに包んだところで、否定的な言葉になってしまう。
嘘が吐けないって、なかなか大変ね。
「だから、どうしてだ。お前は僕の噂を知らなかったのだろう?」
この王太子殿下、噂というか彼が持つ能力のせいで敬遠されることは多いみたいだ。
それだけ嘘を暴かれたくないという人間が多いということか。
「目立たず静かに生きていたいからです」
「……は?」
私が答えると、殿下は呆気にとられたように、エメラルドグリーンの瞳をぱちくりと瞬かせた。
あ、こんな表情をしていると、普通の子供っぽい。
さっきみたいな偉そうな態度より、こっちの方がずっといいのに。
「殿下の婚約者選びとか、近習とか、恐れ多くて。私は領地で静かに暮らしていたいのです」
「公爵家の令嬢なのにか?」
「はい」
公爵令嬢だからといって、誰もが婚約者の座を狙うなどと考えないでほしい。
「平穏が一番ですので」
私を見る殿下の目は、まるで変人でも見付けたかのようだった。
……乙女としては、ちょっと傷付きます。
かくして王城でのお茶会は終わり、私は再び公爵邸に戻って、のんびりごろごろ……もとい、優雅な生活が始まるかに思われた。
そう、王宮からの使者がやってくるまでは。
「ヘレナ、王太子殿下がお前を婚約者にしたいと指名されたそうだ!」
「な、なんでぇ~!?」
正に青天の霹靂である。
目立たず静かに生きていたいって言ったのに!
どうして婚約者になんて指名するのよ、もう!!
「流石は殿下だ、我が子が如何に心優しく美しい子か、その魅力に気付かれたのだろう」
お父様はうんうんと満足げに頷いている。
「あの、お父様……このお話、お断りすることは出来ないのですか?」
恐る恐る聞いてみた。
いつもは私を甘やかし、なんでも言うことを聞いてくれるお父様が、今日ばかりは少し困り顔だ。
それはそうよね、王家からの話だもの。
無下に断ることも出来ないのかもしれない。
「事情があれば、断れなくはないと思うが……一度、殿下とゆっくりお話してみたらどうだ?」
「はい……」
先日のお茶会で十分話したつもりだったのだが、私の望みは彼にはまーったく伝わっていなかったようだ。
いや、逆にあんなことを言ったから、それならと意地悪心で指名されたとか!?
そこまで悪い子ではないと思いたい。
指定された日に再び王城を訪れるまで、私は幼い身体で胃がキリキリと痛む日々を送ることになった。
「殿下、私に王太子妃は荷が重すぎます」
前回のお茶会とは違い、今回は王宮の庭園の一角、四阿での小さな席。
開口一番、私は殿下に本音をぶつけた。
そう言われるだろうことは彼も分かっていたのか、紅を差したような唇が小さく尖る。
「仕方ないだろう、他の女子は怖いのだ」
返ってきたのは、年頃の男の子らしくない言葉だった。
「皆、僕を恐れている。それでいながら、打算と欲に塗れていて、しかもそれをひた隠しにしようとする」
「は、はぁ……」
うーん。
それって、普通のことなんじゃないかなぁ。
私みたいなのは少数派で、世の令嬢の皆さんは、殿下の力を恐れつつも、婚約者の座には興味があるってことだよね。
それが特に悪いことだとは思わないのだけれど。
「お前は僕に近付いてくる女達の醜さを知らないから、そんな暢気で居られるんだ」
「そうでしょうか」
彼が言うなら、そうなのかもしれない。
ま、私自身そういうのに巻き込まれたくなくて、関わりたくないって思っているのだけれど。
「殿下は嘘だけではなく、そんなことまで分かるのですか?」
「嘘というか、相手の感情がぼんやりと伝わってくるんだ」
どうやら彼の能力は、私が思っているよりもっと使い勝手が良いものみたいだ。
「凄いですね」
「ああ、僕は精霊の愛し子だからな」
精霊! ますますファンタジーの世界だ。
殿下曰く、精霊達はコミュニケーションの手段を持たない。
テレパシーのように相手に自分の感情を伝えて、仲間との意思疎通を図るらしい。
「僕は精霊と親しくなって、そのコミュニケーション方法を覚えた。そうするうちに、精霊以外の感情もぼんやりとだが理解出来るようになってしまったんだ」
へぇ、凄いなぁ。
感情が伝わるって、どんな感じだろう。
喜怒哀楽が分かるとか、そういうのかな。
「今、感心しただろう」
「はい」
ズバリ言い当てられてしまった。
どうやら喜怒哀楽なんてものじゃなくて、もっと細かい感情まで理解出来るようだ。
「僕の力を詳しく知って、感心出来る人間は稀だ」
「そうなのですか?」
「当たり前だ、誰だって知られてほしくない秘密の一つや二つ、抱えているもんだろう」
それはそうかもしれない。
その年でそんな部分まで気にする殿下って、私が思う以上に、実は大人びているのかもしれないなぁ。
「お前は、逆だ。僕の力に興味を持った」
「だって、凄いじゃないですか。外交無双出来ますよ」
「ま、まぁそうだな」
あ、素直に褒めたら、少し照れくさそうにしている。
こういう表情は、普通に子供っぽいんだよなぁ。
「そんな人が国を治めてくれるなら頼もしいですし、裁判だって誤審知らず。横領などの犯罪だって、未然に防げるかもしれない」
「う、うむ」
「良いこと尽くめじゃないですか!」
考えれば考えるほど、強いと思うんだよなぁ。
悪い方に考えるんじゃなくて、その力をどう使うか、そこを意識すればいいのに。
「普通は自分の後ろ暗い部分を知られることを恐れるのだが……お前はやはり変わっているな」
殿下は感心したように、しみじみと頷いている。
いや、そんなこと感心されても。
「後ろ暗い部分を知られるも何も、直接関わらなければ良いだけのことですし」
「えっ」
「私には関係のない世界の話ですからね」
「えぇぇ……」
正直に打ち明けたら、殿下は何故かショックを受けたような表情を浮かべていた。
ごめんね、でも本音なんだ。
政治の世界とか、色々良く分からないけど、国は賢い人が治めてくれるのが一番なのよ。
「お前には、権力欲はないのか?」
「殿下、だって考えてみてください。私、公爵令嬢ですよ?」
「…………」
権力欲も何も、そもそも王家を除けば、既に権力の頂点に居るようなものなのだ。
普通に暮らしていて、何一つ不自由したことはない。
両親も兄も優しくて、しかも嫁に行かずずっと引きこもり生活することを許してくれている。
これ以上何を望むというのか。
「他の令嬢達は、僕を恐れながらも、あわよくばと考えているようだが……」
「あわよくばなんて必要ありません。政略結婚もしたくなければ、そもそも結婚自体興味はないんです。家族にはもう話を通してありますから、私は公爵になったお兄様の脛を囓りつつ、両親の老後を面倒見ながら、好きなことをして生きていきたいんです」
一息にまくし立てると、殿下があんぐりと口を開けて固まってしまった。
心底呆れているみたい。
私の言葉に嘘がないってことが、理解出来たのかな。
「お前は……本当に、欲がないのだな……」
「欲ならありますよ」
権力欲と聞かれたら、そんなものに興味はないと答えるけれど、欲そのものは私にだってある。
「“面倒事に関わりたくない”というのが一番の望みです」
その面倒事の最たるものが貴方なんです、王太子殿下。
私の想いが伝わったのか、殿下は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
どうやら、王家としては婚約を無理強いをするつもりはないらしい。
その代わりに、その日から熱烈なアプローチが開始された。
王太子殿下から毎日手紙と共に贈り物が届けられ、ことあるごとにお茶会やデートに誘われる。
王城のパーティーでは常に殿下が付き添い、完璧なエスコートをしてくれる。
こりゃたまらんと領地に戻れば、静養の名目でアビントン領まで押しかけてくる始末だ。
のらりくらりと躱し続けてはいるものの、王太子殿下はアビントン公爵家の令嬢に熱を上げているとすっかり評判になってしまっている。
その噂も、自分に婚約者候補が近付いてこないように殿下自身が流したものだというのだから、たちが悪い。
ええ、もう、おかげで私にも誰も近付いてはきませんよ!
最初から期待も何もしていませんけれどね!!
こんな奇妙な関係は、結局私達が王立アカデミーに入学するまで続いてしまった。
殿下、あなた王太子でしょう。
さっさと婚約者を決めなくて良いのですか。
そう思いはすれど、口にした日には「目の前に居るよ」なんて返ってくるのだから、やりきれない。
私が目標としていた“目立たず騒がず”な生活は、王太子殿下の思い人というだけでもう破綻ですよ。
一目置かれているような、羨望されているような、恨まれているような……そんな微妙な視線が日々突き刺さる。
そんな空気をものともせずに、殿下は休み時間の度に私の席に来ては、話し込む毎日。
……きっと、他の生徒達の感情は、殿下にとって不快でしか無いのだろうなぁ。
色々な視線を受けるにつれて、殿下の気持ちが段々と理解出来てきた。
「じゃ、結婚しよう」
「それとこれとは話が別です」
私が何を考えているか何となく理解出来るからといって、前提を省かないでください、殿下。
「僕には君しか居ないんだ」
「勿体ないお言葉です」
「どうして僕の愛を受け入れてくれないんだい?」
「殿下には全ておわかりでしょうに……」
派手に嘆いてみせてもダメです。
こんな駆け引きに騙されたのは、最初の半年くらいですからね。
「結婚してくれたら、三食昼寝付きの生活を約束しよう」
「うっっ」
……どうやら殿下も私が何を望んでいるか、大分理解出来るようになったみたい。
とはいえ、王太子妃がそんなに楽な訳がない。
絶対あれこれと仕事を押しつけられるに決まっている。
「面倒な仕事は、文官達に押しつければいい」
「そんなことを言わずに、もっとしっかりとした女性をお選びくださいませ、殿下」
本当に、どうしてこんなに一途で居てくれるんだろうね。
嬉しい反面、不思議に感じてしまう。
「君以上に裏表のない人間は居ない」
「探せば居ますよ」
私は善人でもなければ、聖人でもないもの。
ただ自分とは住む世界が違う相手に対し、取り繕う必要を感じなかったというだけ。
「僕は君がいいんだ」
「私は嫌です」
今だって、教室中の視線が痛い。
いやまぁ、今更かもしれないけど。
私に対して様々な感情が向けば向くだけ、殿下はそれを敏感に察知して、ますます他の女性を受け付けなくなってしまう。
この悪循環、どうしたらいいの?
「ああもう、しつこい殿下なんて嫌いです!」
思い切って声を荒らげたら、ざわついていた教室の空気が一瞬で凍り付いた。
あ、やばい。
ちょっと言い過ぎてしまったかも。
「嘘ばっかり」
だと言うのに、当の本人だけは涼しい顔。
ニヤニヤと口の端を歪めながら、こちらを見つめている。
ああ、もう。
こんな時には、彼の持つ力が恨めしい。
この熱心な求愛者を、どうやって撥ね除けたら良いのだろう。
殿下の一途な想いは十分に伝わっているだけに、いつまでも断り続けるのは、正直心苦しい。
彼もそんな私の心情を分かってか、最近はどんどん押してくるようになった。
ああ、このままだといつか根負けして、彼を受け入れてしまいそうな気がする……。