さみしい三毛猫とぬらりひょん
ここは、千葉の山奥にひっそりと佇む(たたずむ)荒れ寺。
杉木立に囲まれ、誰も寄りつかぬこの寺を、ひとりの和尚さんが守っていました。
彼はただの僧ではありません。法力を操り、この世の均衡を保つ役目を背負っていたのでした。
跳梁跋扈するこの地で、和尚さんは何度も魔を祓い、夜を越えてきました。
だがある晩、最も狡猾な妖怪がやってきます。
ぬらりひょん――その正体は、百年を生きた古狸。
油断を誘い、不意を突くその卑怯な手口で、和尚さんは命を落としてしまいました。
それからというもの、静寂が寺を支配します。
残されたのは一匹の猫――和尚さんが可愛がっていた三毛猫だけでした。
その猫は人の気配に怯えがちな、臆病な性格です。
けれど和尚さんの膝の上が大好きで、彼の読経の声を聞きながら、ぬくもりに包まれて眠るのが日課でした。
和尚さんがいなくなってから、三毛猫は本堂の天井近く、欄間の奥に隠れて暮らしていました。
誰もいない本堂。冷たい風が吹き込む夜、彼女はじっと、じっと待ち続けております。
――和尚さん、どこに行ったの?
ある夜のこと。月も雲に隠れ、あたりは闇に包まれてます。
三毛猫は、天井から音もなく外を見下ろしていました。
そのとき、一匹の狸が境内をのそのそと歩いてくるのが見えます。
この悪賢い古狸は、辺りに人気がないことを確かめると、ぬらりひょんに化けました。
自分の股間から、巨大な玉袋を引きずり出します。
それを、まるでずた袋のように頭にかぶりました。
まばらに毛の生えた大ギン玉は、ぬらりひょんの頭にそっくりでした。
「ワレは妖怪総大将、ぬらりひょんである!手下の妖怪どもよ、この古寺に集合じゃ」
声が寺に響くと、どこからともなく妖怪たちが集まってきます。
ぬらりひょん――に化けた狸は堂々と本堂に立ち、宣言しました。
「邪魔な和尚はワレが始末した。これから人間に逆襲するのだ!」
妖怪たちはザワザワと騒ぎ出します。
だが総大将に逆らうものなどいない。みな黙って、狸の言葉に従うように見えました。
そんな中、天井の欄間から様子を見ていた三毛猫。
どうにも気になって仕方がない。
熱弁を振るう「ぬらりひょん」の頭がせわしなく動きます。
まばらに毛が生え、ふかふかして、温かそう。
(……あれ、絶対気持ちいいやつだ)
猫はふいっと尻尾を揺らします。
和尚さんの膝の上に乗るときのように、静かに、けれど正確に。
その瞬間だった。ぬらりひょんの演説が最高潮に達しようとしたとき――
「ワレを倒した者が妖怪の総大将だぞ!!どうだ、誰もいないのか!?」
そこへ――
ドンッ!!
天井から飛び降りた三毛猫が、まっすぐにぬらりひょんの頭――いや、狸の玉に着地した。
「ぐぶわぁっ!!」
声にならない悲鳴。
狸の体がくの字に折れ、前のめりに倒れ込む。
気を失った狸の頭からは、ずれ落ちたキン玉。
妖怪たちは一斉にどよめいた。
「お、おう……このお方こそが、ぬらりひょんを倒した……!」
「「新たなる総大将、万歳!」」
三毛猫はというと、ぬらりひょんの――もとい狸の頭にとろけるように乗ったまま、目を細めてゴロゴロと喉を鳴らしていました。
ふわふわで、あったかくて、なんだか和尚さんの膝の上に似ています。
そして、和尚さんの仇は、こうして思いがけず討たれたのでした。
猫は知らない。
けれどその日から、寺には妖怪たちの妙な規律が生まれました。
新たな総大将は、誰よりも臆病で、誰よりもぬくもりを愛する猫――
そう、名もなき「さみしい三毛猫」だった。
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