FILE:6 ―― 最強ですね、左門さん。 PART2
一番つよい人と一番つよい人
女が立ち止まった間合い。
あと一歩、どちらかが踏み込めば。
言葉を介さず、女は一息で距離を詰める。その脚の長さによって、予想外にストライドが大きい。
鷹邑は牽制のローキックをいれるが、キックの当たる寸前に女は足を止め、一足分バックステップで距離を取った。
「(この動き、素人じゃないな)」
女はポケットからブラックジャックを取り出すと、鷹邑へ向け宙高く放る。鷹邑はゆっくりと放物線を描くブラックジャックにほんのわずか気を取られたが、すぐさま目の前の攻撃に反応した。
想定以上にのびてくる右のハイキックに対し、アドレナリンで現役レベルに戻った反応速度で、お手本のようにガードを合わせる。だが。キックは鷹邑の腕を軽く弾いただけで、すぐさま高度と角度を変える。
「(フェイントか! )」
痛恨のミドルキックが右脇腹に突き刺さる。それでも、鷹邑は反転攻勢に打って出る。まだ舞っていたブラックジャックを空中で掴み、柄で女のこめかみを狙う。
女は自ら、振り下ろされたブラックジャックに頭突きをかます。
「――ッ! おいおい冗談だろ! 」
その衝撃でブラックジャックは鷹邑の手から離れ、女は即座に後ろ回し蹴りの態勢に入る。
この女はフェイントの達人。ガードの位置を固定すれば、それに合わせてキックの軌道を変えられる。たとえプロのキックボクサーであっても、この精度でフェイントを決められる選手はそういない。
「(二度は受けられん)」
女の攻撃の威力を考えると、男女の膂力差を前提としたゴリ押しも通じない。急所への暗器すら受け切る胆力たるや、それも凄まじい。
たまらず鷹邑は距離をとった。
「やるじゃねえか、女ヤクザ」
「女相手に後退か? 」
「言ってろよ。あんまり調子こいてっと、俺の愛犬が若頭の首を噛みちぎるぜ」
鷹邑が二人を指差すも、コウジはおろかアドニスも気持ち良さそうに眠っている。さっきは起きていたのに。
「賢い犬じゃないか」
「……クソ犬め」
女が一歩前に出ると、鷹邑は一歩下がる。
「俺がマジで蹴ればアンタの首が飛ぶ」
「ほざけ」
女はボクサーのように顔の前で両手を構え、そのまま突進してくる。その手は握られておらず手刀の型。
「なんでお前は俺を殺そうとすんの! 」
「理由など要らん! 」
「このヤクザ者っ」
天性の動体視力と反射神経で手刀をいなして小手を取る。
「見様見真似ぇッ! 」
肩から広背の全体に体重を乗せ、肘から敵に打ちつける技、鉄山靠。
「かふッ――」
「モロだなッ! 」
鉄山靠は身長差により鼻っ柱に直撃した。相手が怯まないことを予期していた鷹邑は、打ちつけて即、相手の左ふくらはぎに右のローをお見舞いする。
プロでも失神する元チャンピオンの蹴り。
「効かんなぁ……ッ! 」
女は眉をしかめただけで、間髪入れずに左脇腹へ右ミドルを入れ返してきた。
「見所あんぜ! 弟子にしてやる! 」
「死んでも御免だ! 」
女は鼻血を垂らす。鷹邑は脇腹を二度やられたせいか、内臓が傷つき吐いた唾に血が混ざっている。それでも打ち合いは続く――。
「――殺った! 」
鷹邑の首から上を根こそぎ刈り取るような後ろ回し蹴り。それに自らこめかみをぶつけ返し叫ぶ。
「効かんねぇッ! 」
お返しとばかりに鷹邑も、回し蹴りの脚を掴んで相手の腰へキックをお見舞い。女の表情にはじめて痛みの色が見えた。
お互いのワイシャツに汗が滲む。二人とも、服にこびりつき乾いていた血痕が水分を取り戻していた。
二人は直感する。
この勝負に負ければ、死が待っている。
「――うぅぉおりゃぁッ!」
背負い投げ。フロアに叩きつけられたのは鷹邑。受け身が寸前で間に合う。そこからの切り返し、鷹邑は自分の襟を掴んだ女の腕を離さず、腕ひしぎ十字固めの態勢に入る。
「組技はどうかな! 」
女は自身の肩を脱臼させ、拘束をスルリと抜けてまた肩をハめる。
「化物じゃねえか……」
「貴様が言うか……」
二人は息を整える。次の衝突が最後。次の蹴りを、どちらが先に決めるか。数秒先に人生の終わりがみえる。
お互いの攻撃は、人間が反応できる速さを超えてしまっていた。そこには最早、格闘技のような駆け引きなど存在せず、羆が屈強な爪で、防御もせずに切り裂き合っているのと何の違いもない。
鷹邑は、これほど死と近い世界で戦ったことがなかった。自分の力が今までどれほど抑制されていたかを、引退した今ようやく実感する。
女もまた、鼓動の高鳴りを感じていた。自らを満足させうる異才が、よもや同じ時代に放たれていようとは。これほどの、いわゆる天才というものと殺し合える日が、自身の肉体が研ぎ澄まされているこの全盛期に訪れようとは。
両者は想う。
殺すに惜しいが、殺さなくては。
「行くぞぉぉおおッ! 」
「死ねぇぇええッ! 」
二人が死線を跨ぎ、互いに未踏の地へと踏み込んだ。
瞬間。
銃声。
天井の蛍光灯が弾け飛んだ。
二人はハンターを恐れる獣のように咄嗟に、同じデスクの下に身を潜める。
「起きたら勝手に殺し合い……何の冗談かな」
声色は違うがコウジのものだった。
女は声を聞いて、デスクの下で縮みあがっている。
「なぁ左門。いつも教えてるよな。命は大切なんだ」
「はいっ……申し訳……ありません……」
もう一発銃声が鳴る。
「図に乗るな。三下」
鷹邑は耳を疑った。さっきまでの少年とは思えない。ドスの効き方がヤクザそのものだ。
「はい……もし、若の今後の安全に支障が出れば……本当に、取り返しのつかないことになっていました……申し訳ございません」
左門は土下座でもしそうな勢いである。
「分かってるじゃないか」
二人の目の前にしゃがみこんだコウジの表情を、鷹邑はまじまじと見た。少年の眼は黒々と深く暗い。何より、その銃口を部下であるはずの左門へ向けている。
「(いや、そもそもなんで歩けてんだ……? )」
「質問する。伊形組は何人残った」
「はっ。幹部は私を合わせ四名です。三名は物資を集め、翌朝にも帰還するものと。末端構成員の生存者は数百にのぼります」
「重畳だ。詳しいことは明日訊く」
「承知いたしました」
「俺は朝まで眠る。もう争うな。休め」
そう言うと、コウジは元いた場所、アドニスの近くで身体を丸め、眠りについた。
鷹邑はしばらく開いた口が塞がらなかった。
「……なんだったんだ」
「皇治様は寝起きがすこぶる悪い。無理矢理起こすと、あのように豹変される。我々の戦闘音で起きられたのだろう」
「マジかよ……」
左門はデスクから這い出る。
「とにかく、もう終わりだ。私は下の階で眠る」
「お、おう……」
取り残された鷹邑は、当然眠れるはずもなく、朝まで窓から星を眺めた。
―― 次回へ続く。