FILE:51 ―― 来ました貴方に会うために
アフリカゾウの嗅覚はイヌの二倍あるとされている。イヌが二十キロ先の臭いを嗅ぎ分けるとなれば、極めて単純に考えればゾウは四十キロ、つまり東京二十三区の広範囲に渡ってカバーすることができる。
以前鷹邑が救ったゾウはアフリカゾウであった。アフリカゾウは一日に数百キロ移動する例も報告されている。であれば、人に追われ動物に追われ、日本を転々としたあのゾウが、偶然東京にいたとしてもあり得ない話ではない。
――鷹邑が車を爆破させた噴煙を見て、左門は不意に直感した。
「(あれは)」
左門の極めて動物的な勘。鷹邑がこの街に来ているのではないかという、根拠のない推測。来ているとして、煙などそこかしこに上がっている。それでも。
「私は確かめることがある。お前たちはコウジ様を追って皇居へ。私は仲間を助けに向かったと伝えてくれ」
「分かりました。それから、左門さん」柄木がはにかんで言った。
「どうした」
「その、なんか、嬉しそうっすね」
「……そうでもないさ」
――その足音は唸るような鳴き声とともに近づいてくる。
「これは、いや、まさか」
ただ、それが到着するまでアビスは待ってくれない。アドニスがその鋼鉄のふくらはぎへ、噛み千切らんばかりに喰らいつくが、その足取りは変わらない。
ただ、人間という障害を排する。
それのみの為に動く機械じみた殺意。
「ウゥッ! 」
アドニスは足の一振りではなされる。勢いに歯が何本か欠け、口から血が滴る。
ただ、警察犬の本領がふるわれる。臆せず、再び同じ箇所へ喰いついた。
「アドニス……! 」
次はアビスも、アドニスを掴んで直接剥がそうとする。鷹邑は反射的に走り出し、アビスの腕にしがみついた。もはや戦闘ではない。駄々をこねる子どもと親を彷彿とさせる、みっともない争い。
「ウチの……愛犬だ、この野郎……! 」
アビスは、アドニスと鷹邑のどちらを先に殺すか決めかねるように、二人を交互に見下ろした。その瞳孔は淀み、何も見据えていない。
アビスが先に手をかけたのは。
「ンッ……! 」
アビスの空いた手が、足元のアドニスの腹部を殴りつける。音もなく、アドニスはぐったりと地面に転がり、痙攣して起き上がらなくなった。
「お前ぇッ! 」
鷹邑はアビスの腕を放し、横たわる体に駆け寄ろうとした。しかし。背後から首を掴まれる。
「あ、ぇ、ぁが」
そのまま身体は持ち上がり、体温の無い指に力がこもる。
「(駄目だ、アドニス、駄目だ、そんな)」
ぼやける視界で、ただアドニスへ手を伸ばす。
「……ぁ」
突然に鷹邑の首を握る手が解かれ、身体がアスファルトへ落ちる。アビスの腹からは、牙のような尖端が突き出ていた。
そして、ゾウの鳴き声。鷹邑から声が漏れる。
「……は、はは、来た、助けが」
ォォオオオンッ!!
いつかの記憶を辿り現れた、心優しき地上最強の生物。
アフリカゾウ、救援に見参。次回へ続く。