FILE:4 ―― 辛せは空の上に PART2
烏という字に1本線が足りないこととか幸せに線が1本足りないこととかが掛かった、なんかそういう感じのタイトルらしい
アドニスは警官ゾンビの足に身体を擦りつけたり、尻尾を振って甘えるように鳴いたりする。
「多分、飼い主なんだよ」
コウジは車の窓を上げ、そこに頬杖をついて光景を眺めていた。ゾンビはアドニスに足をとられて転び、そのまま顔を舐められて四苦八苦している様子だ。
「しかし……どうするかこれ」と、腕を組む。
動物はゾンビと人間の区別ができない。人間としては死んでいるという事を理解できないのだ。だから、このゾンビを殺さないと、アドニスはずっと離れないのだろうと鷹邑は思った。
「でもゾンビを殺したら、アドニスは俺を襲うだろうな」
せっかくできた仲間を、それがたとえ犬であろうと、失うようなことはしたくない。鷹邑の胸中に葛藤が渦巻いた。
コウジがある物を指差す。
「あれ、スマホじゃない? 」
ゾンビが転んだ際に、ポケットから落としたらしいスマートフォン。鷹邑はゾンビが揉みくちゃにされているあいだにそれを拾い、ロックのかかっていないホーム画面を開く。
「無用心なこっちゃ」
中のデータを見ると、そこには昨夜撮られた動画があった。サムネイルには女性警官がアップで映っている。
鷹邑は車に戻り、コウジと一緒にそれを再生した。
『――こんにちは。これを再生した誰か……警官か自衛官だといいんだけど』
二人は顔を見合わせておどけた。
「無職と」
「ヤクザでした」
動画の背景は、おそらく目の前のスーパーの屋内だった。忙しなく立ち回る人々が、次から次へ画面の背後を行き来している。
『私たちはこのスーパーに籠もって耐えていますがバリケードが突破されるのも時間の問題です』
女性は淡々と状況報告を続ける。
『これを観ている方にお願いです。アドニスというシェパードを見つけたらどうか助けてあげてください。私の唯一の家族です』
画面の向こうでガラスが致命的に割れる音と、男たちの怒号、女性や子どもの悲鳴がこだました。
『私は、私は人生楽しかった。こんな終わり方でも……こんな終わり方でも楽しかったよ。じゃあね、アドニス。またね』
動画は夥しい量のゾンビが入り口からなだれ込んで来るのを映し、途切れた。
鷹邑は画面からゆっくりと目を離すと、もう一度、スーパーを見つめる。
「中……見てくるわ」
「分かった。僕はあのゾンビ、見張ってるよ」
鷹邑は銃を構えつつ、ダンボール箱や、プラスチック棚に封鎖されていた形跡のある自動ドアを抜け、店内に入った。
スマホのライトを右往左往させると、血に濡れた床や、倒れた棚、潰れたケースなどがあり、そこに腐臭も交じってとにかく凄惨な有様だった。
「何かないか」
床には紙やスマホが所々に落ちていた。紙はどれも遺書で、血が染みてしまって読めるものは一枚も無かった。
スマホはどれも、なぜかロックが解除されていて誰でも使える状態のものばかりだった。鷹邑はそれらを、衣服やパンツのポケットに挟める限り挟んだ。
ふと探索しながら、ある疑問に突き当たる。
「(どうして死体がないんだ。人間の死体も、ゾンビの死体もないぞ……? )」
床の血やさっきの映像からして、ここで戦闘があったのは間違いない。
「(誰かが死体を隠した? ゾンビと人間の死体を、全て? )」
わざわざそんな真似をする人間がいるだろうか。そんなことをする意味もない。
鷹邑は出口へ戻る最中、暗闇の中で考えた。
遺体の消失は屋内で起きた。
遺体を消す方法があるとすれば、それは――。
ふと、血に浸った赤黒い羽を見つける。
直感的に真実が閃く。
死体は、喰われたのではないか。
「……ちくしょうッ! 」
鷹邑は脱兎の如く出口へ走り出す。距離およそ二十メートル。
「コウジ! アドニス! 逃げるぞ! 」
鷹邑の声をかき消すように頭上から鳴き声が降ってくる。
「盲点だった! 天井にいやがった! 」
鷹邑の頭上からにわかに水滴が滴った。恐らくこれは、頭上を舞う敵の唾か糞。
声を聞きつけたコウジは既に車の窓から銃を構え臨戦態勢に入っている。
アドニスも飼い主を放置して、店内の暗闇へ向けてヤケクソのように吠え散らかす。
ドアから飛び出してきた鷹邑に、黒い塊がドっと吐かれるように追随し、塊ごと舞い上がって空を覆った。
それは烏だった。人間の極端に減ったこの国において、ひたすらゾンビと人間の死体を食らい数を増やし続けた、烏の群れだったのだ。
「すぐに発つ! 」
アドニスはゾンビを躊躇うように振り返ると、扉を開けたまま走り出したキャンピングカーに飛び乗った。コウジはアドニスが入ったことを見届け、ドアを勢いよく閉める。
「かなり鳴いてる! これゾンビも来るよ! 何とかして追い払わないと袋の鼠になる! 」
「分かってるから逃げ道探せ! 」
鷹邑は目的も把握しないままアクセルを吹かし、後追いでシートベルトを装着する。
「どうやって撒くか、どうやって……! 」
夜の国道をひた走っても、頭上の群れは執拗に追跡してくる。
「駄目だ、放棄された車が邪魔すぎる! 」
乗り捨てられた大量の車両が邪魔をして純粋に速度を出せず蛇行運転になる。烏の平均速度は時速三十五キロとされ、本来の速度を出せれば逃げられない相手ではない筈なのだ。
「ストップ! ここ電波生きてた! 」
国道脇のコンビニ。まだ生きているフリーのWi-Fi回線を、コウジのスマホが捉えた。すぐにコウジは烏について調べる。
鷹邑はブレーキを踏み、エンジンを切って後部にズカズカ移動する。
「何か分かったか! 」
「声! 鷹の声が苦手らしい! 」
「っしゃ! でかしたヤンチャ坊主! 」
「誰がヤンチャ坊主だ! 」
拾ってきたスマホを、片端から回線に繋いでいく。
「全部のスマホで鷹の声を再生する……! 」
車のフロントガラスには既に黒い影が集りはじめていた。カタカタとガラスを啄む音が車内に反響する。
「いける! 」
数十台のスマホは一斉に同じ動画を再生する。
「最大音量でブッかませぇッ! 」
鷹邑がキャンピングカーの扉を蹴り開けると、そこから鷹の鳴き声が緊急サイレンのようにけたたましく、それも断続的に街の端まで鳴り渡った。
烏のほとんどが身を翻し、それでも車内に入ってきた個体はアドニスの牙とコウジのドスが片付ける。
あれだけあった鳴き声が、ほんの数十秒で、嘘のように静かになった。
「ふぅ……やった」
「そうだな……」
二人はホッと息をつく。
だが、今の音で烏は消えたが、別の存在が彼らを発見した。
「ゾンビ来る! 」
「だろうなァ! 」
街の隙間を縫うようにゾンビの群れが姿を現す。
「伊形組の事務所に向かって! ナビする! 」
「そこには何が? 」
「武器と、あと運が良ければ味方! 」
「そりゃ行くっきゃねぇ! 」
組事務所はここからそう遠くない、歌舞伎町の雑居ビルである。
―― 暴走キャンピングカーはゾンビとなった罪無き人々を弾き飛ばしながら、歓楽街の目的地へ辿り着いた。
「ここの最上階」
「エレベーターが生きてるといいけどな」
「もしもの時は背負って」
「は? 普通に嫌……」
ゾンビを撒いた二人と一匹は、期待と不安を胸に、ビルの中へと足を踏み入れていった。
―― 次回へ続く。