FILE:16 ―― 幕の模様は降りたときにわかる
肉を焼くような臭いがして、にわかに視界がもやがかる。生存者たちのもと来た道筋に、いつのまにか遺体を糧に炎の柱が立っている。
縦木とはこれで完全に分断されてしまったことになる。それと引き換えに、猿の群れは一気に勢いを失った。
「さ、喪に服してる時間はないわ」
霧雨が手を叩いて切り替えるよう合図する。
「皆、行くぞぉおーッ!! 」
誰かを悼む余裕などない生存者たちの意思が、シャビの一喝する雄叫びによって一つの目的へ向かう。鬨の声を上げて猿やゾンビの群れと激突。最後の突破戦が始まった。
――鷹邑が一延のもとに駆けつける。
「薙刀クン。名前は? 」
「あ、え、誰ですか? 」
「俺は鷹邑一喜。ほら、君は」
「一延 瑠希です」
目の前のボスは、あと十年は倒れる気配がない。そして、前腕を床に浅く浮かせ、半身になっている。これはいわば“構え”だった。
「コイツ、かなり学習してますよ」
「だろうな。半身の猿なんて初めてみた」
このボス猿が半身をとったことで、脇や肩の筋肉が邪魔し、少なくとも直接心臓を狙うことはできない。
「頭しかないか」
ボス猿はゆらり、ゆらりと、左右に身体を振るように構えている。矢で射抜かれた経験から、頭を狙われることを避けているのだろう。
「すぐに仕留めるぞ」
「えぇ。今はなんでも、できる気がしてます」
放火の影響で体育館の温度が上がってくる。二人の額に伝う汗が、あごから滴る。その汗が、床に落ちる。
「来るぞ! 」
「はい! 」
ボスは上体を浮かせ突貫。巨大な左手で顔の上部を隠している。脳を守っているのだ。
「このッ! 」
手刀の標的になった一延は、その間合いから半歩だけ下がる。これによりボスの想定にズレが生まれ、最大の威力は発揮できない。つまり。
「流せる」
薙刀をボスの手首側面に合わせ、その威力のままに受け流す。すかさず鷹邑が弾丸を撃ちこむめば、正面に向いていた胸部に着弾し、黒い毛に赤黒い風穴があく。
ボスは一、二歩と引き下がるも、自分の目に刺さった矢を引き抜き、振りかぶって投擲。
それは、見切れなかった一延の左脇腹を貫通した。
「うッぐあァ!? 」
「出血抑えろ! 」
「いえッ! 」さらに一延のパンツの裾に、気づかないうちに回ってきていた火が着火。
「おい……おい、どうする気だよ」
一延は薙刀を持ち上げるように上段で構え、足から徐々に伝わってくる火を消そうともせず、ボスへ歩を進める。
「何でも、できそうな、気が……するんです」
「行くな、おい、死ぬって! 」
「上等です――」
――特攻という行為は、なぜ可能なのか。超常的なアドレナリンと正義感、意思、恐怖、あらゆる感情と理性と本能がより合わさって生まれる三重点、死をも損得勘定から外す、常軌を逸した精神状態。それこそが、命を直接敵にぶつける特攻を可能にする。
一延はもはや、痛みも熱さも感じない。
恐怖からも絶望からも遠ざかった境地。
一延はこれこそ、自分が、元の世界に生きていたら千年かかっても辿り着けなかった、武の極地だと体感した。凡人が平和な国で稽古しただけでは、決して見えなかった景色が、目の前に広がっているのだ。
「さぁ、来い」
一延の衣服をも火炎が覆う。鬼神のごとき背姿の彼がボスと対峙する光景は、修羅と妖の争う絵巻物。
手出しできずに息をのんでいた鷹邑に、霧雨の声が聞こえてくる。
「退路が開けた! 全員来て! 」
一延はもう助からない。火の手が鷹邑の退路を塞ごうとしている。考える時間は残っていない。
「任せたぞ。一延クン」そう言い残した。
生存者たちが切りひらいた退路には、ゾンビや猿が死屍累々と横たわっている。火事のせいで、天井は既に煙で見通せない。
「皆、無事か! 」
壁に沿い非常口へ向かいつつ、馳芝が呼びかける。
「大丈夫そうだ! 」殿のシャビが追いすがる猿に弾をお見舞いしながら走る。
今や陣形は跡形もない。子どもを中心において、戦えるものが遮二無二抗っている。
「しばらく弓は触りたくない! 」荷稲が初めて文句をこぼし、痰を床に吐いた。
「ワウッ! ワウッ! 」アドニスは馳芝の足元を興奮した様子で走り回っている。
子どもたちは誰も喋ろうとしなかったが、全員息が荒く、かなり消耗しているのが伝わってきた。母を失った子も、荷稲に渡す矢が尽きて皆に守られている。
火に逃げ惑う猿。それを狩るゾンビ。体育館は地獄である。はじめにできた猿の山がキャンプファイヤのように燃え盛り、崩れ、割れた採光窓から煙がでていった。
煙にかすむピクトグラムが、ついに目の前に。
「出ェ口じゃァアーッ!! 」
「やった……」
「子どもを先に! 」
「急げ、急げ! 」
――生存者たちは外へ。
新鮮な空気も、今の彼らの意識にはない。
シャビのバン、鷹邑のキャンピングカー、馳芝のパトカーに人を分けて乗りこむ。
去る間際。
窓から、体育館を振り返る。
猿やゾンビの喧騒は続き、煙があがっていた。炎も強くなっていた。やがて建物も燃え尽き、倒壊してしまうのだと分かった。
三台の車は、伊形組事務所へ向かう。
――こうして、無数の猿とゾンビに襲われた未曾有の大激闘は、三人もの尊い犠牲を払い、幕を降ろしたのだった。
車内に会話はなかった。
生存者たちが、一様に同じことを思っていた。
この世界で生き残ることはできるのか、と。
勝った!第三部完!
次回へ続く。