FILE:15 ―― 渡る世間に鬼と君
傍らのアドニスは、開けた窓からさんざんに吠えている。
「がうっ! わうっ! わうっ! 」
時折、鷹邑を向いて吠えるアドニスは「もっとトばせ、馬鹿! 」と急かした。
「警察犬がスピード違反させんじゃねえっつーの」
――正門に達すると、アドニスは次に体育館の方へ吠える。
「あっちだな? よしよし」
車から降りることなく、庭園の花壇を轢きながら、体育館までほぼ一直線で向かう。
ガラスが粉々に散らばった玄関に到着。奥で、ゾンビと猿の群れが争っているのがみえる。さっきからの銃声も、少しずつまばらになっていた。
「急ぐか」
降車して、アドニスが「我先に」と中へ。鷹邑も拳銃を構え後を追う。
――馳芝の警棒に猿が噛みつく。柄木は疲労困憊で、金属バットを振る腕を鉛のように感じていた。シャビの弾は尽き、荷稲も指先から出血。矢も尽きて、猿に刺さった矢を拾い集めてガムシャラに振り回している。
霧雨と縦木は。
「取った。戻るわよ」
「でも……! 」
二人はスプレーとライターを手に入れたが、来た道には、体勢を戻したゾンビと猿が憎悪と飢えに目を見開いていた。
「ピーンチ」
「……ずっとそうだろう」
霧雨は面の傾きを直し、縦木は首を鳴らす。
「行くわよ」
「はいはい」
――ボス猿と対峙する一延。
「(コイツ動きが! )」
ボスは一延の足さばきを学習し、自らが踏み込むべき間合いと攻撃の威力を調節し始めた。おそらくこの個体は、いつでも殺せる相手を練習相手に、戦いにおける駆け引きを学びはじめている。
全員が汗と返り血で体中を濡らしていた。猿になぶり殺しにされることも覚悟する、絶体絶命のピンチ。
にわかに、入り口の方から声がする。
犬の鳴き声と、一部の人間には聞き覚えのある声。
「誰かいるのか! 返事しろーっ! 」
「ワウッ! 」
「ここです! 生存者がいます! 」馳芝が枯れた声で返答する。
「分かった、助けてやる! 」
アドニスは、猿とゾンビの間をかいくぐる。鷹邑は並みいるゾンビを蹴り崩し、猿は銃で仕留めながら前進した。
馳芝の左腕に猿が噛みつく。「くっ……! 」重みで体が前のめりになり、急な重さで腰に痛みが走る。
「バウッ! 」
その猿の頭に食いつき、引き剥がしたのはアドニスだった。馳芝はその顔を見て瞬時に気がつく。
「アドニス! 」
「わふっ! 」
「来てくれてありがとう! 手伝って! 」
「ガルルッ! 」
アドニスは「任せろ」とでも言うように馳芝のそばに立ちはだかると、双牙を剥き出しにして臨戦態勢に入る。
鷹邑も遅れて突破してきた。顔の返り血を上品にハンカチで拭きつつ、生存者の集団に混じってくる。
「やぁやぁ、こんばんは」
「あなたは? 」馳芝が訊ねる。
「鷹邑一喜。元キックボクサーです……おっと! 」
飛びかかった猿を顎へのフックで床に落としたところに、ローキックで頭蓋を砕く。靴には鉄板を仕込んであり、猿は痙攣して動かなくなる。
「我々は今、あの非常口からの脱出を試みています……このっ! 」
馳芝は会話に割って入ったゾンビの顎を警棒で粉砕、銃口を喉までねじ込んで発砲した。
「……今はこの群れに対処するため、二人の生存者がアルコールとライター、つまり火炎放射器を取りに行っています。一人はあのボス猿と対峙を」
「へいへい、把握した」
鷹邑は背中のリュックからマガジンを出し、馳芝とシャビ、飯島に二つずつ渡す。
「ほらよ。ほらよ。ほらよ」
「お? お前若頭の付き添いじゃねぇか」シャビは鷹邑に気付いた。
「久しぶり、デカブツ」
「今回も助けられたな。後でキスしてやる」シャビはキス顔をつくるが、鷹邑はあしらう手振りをした。
「結構だ。俺はあのボス猿を仕留めにいく。ここは任せた」
「やれんのかボディーガード? 」
「左門より弱けりゃな」
シャビは手を叩いて笑った。
鷹邑が駆け出すのと入れ違いで霧雨が帰ってくる。
「これ、持ってきたわ」
「ありがとう……無事で良かった。縦木さんは? 」
「包囲から抜け出すために私を助けて……あそこに残って足止めを」
霧雨は慚愧に堪えない声で報告する。無論、霧雨は面の下では真顔である。彼女にとってここにいる人間はほとんどどうでもいい。
「貴様、嘘じゃないだろうな」
「まぁ、お巡りさんがヤクザを疑うなんて」と、目の涙を拭くような動作をした彼女を、馳芝は心底侮蔑した。
馳芝は、姿のみえない縦木へ向けて、せめてもの敬礼を送る。
「……必ず脱出します。ご武運を」
ヤクザは、いかなるときもヤクザらしく。
次回へ続く。