FILE:11 ―― 馳芝 茉生
戦いの気配がいたします。
――殺伐とした空気のなかに帰ってきた女性警官。
「あ、馳芝さん! おかえりなさい」
柄木が嬉しそうに挨拶する。
「道具を取りにきた。またすぐに出るが……この二人は? 」
馳芝は二人をじっと観察する。制帽からのぞく瞳は、秘められた正義感と力強さを感じさせる。シャビと霧雨は直感した。この女は相当キレる。
「シャビさんと、霧雨さんです」
「そうか」
凛々しく口角を上げた馳芝は、まずシャビに手を差しだす。
「馳芝 茉生。警官だ。階級は警部。よろしく頼む」
シャビもその華奢な手を握り返した。
「おう、よろしく。スタイルの良い嬢ちゃんじゃねえか」
馳芝の胸から下半身をじっくり見ながら下品な軽口を叩いたが最後、シャビの手に握り潰されるような激痛が走った。
「ァァッ痛い痛い痛いッ!? 」
「ここでは私が治安を守る。軽挙妄動は慎め」
それは合気道の応用だったが、日本の武道にうといシャビには知るよしもない。
「繰り返す。ここでは、私が治安だ」
馳芝のこめかみに銃口を突きつける霧雨。
「手を放せる? 」
馳芝は空いた手でホルスターから拳銃を抜き、霧雨の額に突きつける。
「国家権力をなめるな。貴様らカタギではないな」
生存者全員に緊張が走った。ゾンビが現れたことによる緊張とは異なる、ある種、殺陣をみているような、非現実的な緊張だった。
とはいえ霧雨もシャビも冷静である。銃をおろし、シャビも「ギブギブ」と言って手を挙げる。馳芝もため息をついて、拳銃をホルスターに収めた。
「柄木君。この二人のことで何かあれば、すぐに連絡したまえ」
「あ、はい、分かりました」
「では、校内の捜索へ戻る」
それを受けて霧雨が訊ねた。
「ねぇ、私も行っていい? 」
「……べつに。構わない」
「ありがと。じゃあまた後でね、シャビ」
霧雨は言い残すと、馳芝とともにその場から消えた。
二人が消えたのを見計らって、シャビがしたり顔でアゴをさすりながら言う。
「ミスター柄木、ありゃイイ女だな」
「そうですね。頼りになる方です」
「ま、冗談はさておき」と、シャビは本来の目的に戻ることにする。伊形組組長や構成員の行方など、聞きこみすべきことが山積みなのだ。
―― 馳芝と霧雨が戻ってきたのは二時間後のことだった。もう夜が更けつつある。
シャビは持ち前の明るさですっかり場に溶けこみ、笑いの渦さえ巻き起こしていた。
「それでよ、あのひょっとこの口にヤカンで水入れてやったのよ! そしたらゴフッつって! むせてやがってよ! 」
「シャービ」
「あっ――」
シャビが霧雨からマウンティングされ、さんざんに顔を殴られている間に。馳芝は全体へ向けて状況を報告した。
「生存者はいませんでした。ただ、ロッカーなどからモバイルバッテリーや軽食、飲料を発見しましたので、後ほど配給します」
その報告の裏で、何人かの生存者は、「やれ」とか「いけ」とか言って、シャビと霧雨の喧嘩に野次をとばしている。
「だからやめろって極ってる極って―― 」
「私、関節技得意なの」
「いけ、霧雨ちゃん! 」
「シャビさん、やられっぱなしよー! 」
それを横目に、馳芝は報告を続ける。
「……あの少女も、かなり鼻を効かせて調査を手伝ってくれました。今だけは信用してよいかと思います」
ドンチャン騒ぎを終えて夕食の時間。
シャビと霧雨の二人は皆と交流を深めていく。
「でもよ茉生チャン。なんであんなに強いんだ? 俺より握力あるって相当だぜ」
「握力ではない。合気道だ」
「アイキドウ? ま、うちにもヤベェ女はいるから、驚くことじゃねえんだけどな」
シャビの頭には、左門、霧雨、五月雨の顔が浮かんでいる。
「茉生はなぜここに来たの」
霧雨は、お面の下半分を浮かせながら、ポテトチップスを口へ放る。小ぶりな口がもごもごと動いた。
馳芝は、二人がナチュラルに下の名前で呼んでくることに違和感を覚えたが、あまりに自然なのでスルーすることにした。
「私の仕事は市民の生活を守ること。今の警察は崩壊しているから、独断で避難所を回っている」
「用心棒ってワケかい」シャビが口を挟む。
「そんなところだ。ただ、今はもう一つ目的がある」
「なんだ? 」
「何? 」
二人と、周囲にいた人々が耳をそばだてた。
「近ごろ、生存者の集まる場所を襲うものがいる。私はそれを倒さなければならない」
「もぬけの殻の避難所が多かったのはそういうわけね」
「あぁ。突然変異のゾンビによる襲撃であれば、この不自然な襲撃にも辻褄が合う」
「突然変異か……」シャビがこめかみをかく。
「そんな個体がいるんですか? 」柄木が聞く。
「ゾンビの一部は成長する。その成長過程で、強力な個体に進化するものがいるらしい」
「進化の条件は何かしら」
「それは調査中だ。何か知らないか? 」
「ゾンビになる前の人間の能力に依存するんじゃないか? 図体がデカい奴はデカいゾンビになるし、賢い奴は知性の残ったゾンビになる」
「そうかもしれないな」
三人が意見を交わし合っていると、不意に玄関から音がした。ガラスの割れる音である。
「割られたか」シャビが銃を抜いて立ちあがる。
「全員避難準備をして待機を! 」馳芝はすぐに指示をとばした。
「私とシャビで見てくる」
シャビと霧雨は玄関へ向かった。
外の暗闇に、無造作に動く白い点が散らばっている。その点は無数に近かった。
「……なるほどな」
それは眼光だった。
割れたガラスから侵入を開始していたのは、夥しい数の猿。
「……悪夢! 」
二人は踵を返して体育館へ遁走する。背後から、黒板を爪でこするような鳴き声が追る。
「伏せろ! 」
馳芝の声に促されるまま二人が床に伏せる。
すると、二発の弾丸が二匹の猿の胸を撃ち抜き、群れが怯む。その隙を突き、転がり込むように二人が体育館に入り、馳芝が扉を施錠した。
立て続けに扉の叩かれる音。
「二人とも無事か? 」
「危うく、脳みそ食われるところだったぜ」
鈍器で殴るような音が扉からこだまする。音がするたびに扉が震え、体育館の床から振動が伝わってきた。
「戦う? 」霧雨がおどけるように言う。
「それは……数次第だな」
「数えましょう。両手の指で足りるといいけど」
ほどなくして、体育館の上部に備えてある無数の採光窓に、ベタベタと何かが張りついてきた。窓が叩かれはじめると、音はさながら雨のように不吉に降り注いでくる。
「俺ら三人で相手を? 」
「馬鹿なのか? 」馳芝が嘲笑する。
「現実的な策を練りましょう」
議論の矢先。
「あのぉ」と、しゃがれ声でサンタひげの老人がやってきた。生存者の一人だ。腰をくの字に曲げていて、歩くことも辛そうである。
「先ほど、倉庫にこれを見つけました」
老人が差しだしたのは、弓道の弓矢。
「範士八段です。お力になりましょう」
「木刀とか薙刀もありましたよ! 」
柄木や飯島、他の生存者も、各々の道具を持って倉庫から出てくる。
「おいおい、体育館って武器庫なのか? 」
「そんなわけないでしょ。私立パワーよ」
決意の眼差しで、老人は問う。
「全員で戦うほかありませんな? お三方」
「……承知した。皆、戦闘準備だ」
――無数の野生に挑め。次回へ続く。